−お知らせ−

このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
又、内容も原作から大きく外れている場合も大いにあり、予測なしにオリジナルキャラクターも登場します。
まれに、現在は控えるべき表現も出てきますが、あくまで場面を描写するためにやむなく使用しています。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-春の乱-



ブザンヴァル男爵はアントワネットの古くからの友人の一人である。

王妃の取り巻きには口の軽いおしゃべり好きな者が多かったが、男爵の口数はそう多くない。
だが、口を開くとカミソリのように鋭い批判が飛び出し、人々のうわさ話を滅多切りにするような狡猾な頭脳の持ち主だった。


特に宮廷貴族の多くは他人の悪口を言ったり聞いたりすることが好きである。

一見、皮肉屋にも見えるブザンヴァル男爵をアントワネットが身近に置いたのは不思議に思えるが、人は時に刺激を求める生き物である。

アントワネットも他愛のないうわさ話は嫌いではない。
人の悪口を聞くことでその人物の意外な一面を知ることもあり、普段から友人たちの口から無責任に出てくるうわさ話を大目に見ている。


財務総監ネッケルと同じくスイス人の血を引くブザンヴァル男爵は将軍の地位にあるが、根っからの軍人気質ではない。

どちからというと文官にふさわしく、くるくるとすぐに気が変わるアントワネットに苦もなく仕え、宮廷人として要領良く生きている。


ただ面白可笑しいだけではない彼の鋭い観察眼は、単なる悪口にとどまらず、人の愚かな内面を浮き彫りにするようなものだった。

たいていの人間であれば心に一つや二つ、醜い感情を抱えている。

それらをえぐりだし、他人事として笑い飛ばすのを、人は好むのである。

今ではすっかり老齢になったものの、彼の批判精神はまだまだ衰えることはない。


だがアントワネットも又、彼によって激しく批判されていることは知る由もない。

飽き性で根気がなく、話には一貫性もない。聡明な頭脳を持ち合わせているが全く役に立っていないと彼は日記の中でアントワネットをこき下ろしていたのである。




**********




パリでは4月にレヴェイヨンの壁紙工場が略奪に遭った。


工場主のレヴェイヨンは元々労働者の出身だった。

だが事業に成功し、生活が豊かになるにつれて、彼は貧しい頃の謙虚さをすっかり忘れてしまったのだ。

今では労働者に暴言を吐いてこき使い、人を人として扱わない工場主になっていたのである。


虐げられた労働者の怒りはついに爆発し、彼らは団結して工場主に反抗し、倉庫に火を付けはじめ、レヴェイヨンの家具から私物までありとあらゆるものを持ち出して山分けした。

しかしそれだけにとどまらずレヴェイヨンへの憎しみはよほど激しく、ついに彼らは工場を破壊し尽くすかのように暴れた。

レヴェイヨンは武器を持って部屋になだれ込んできた労働者から間一髪の所で逃げ出し、夜着のままバスティーユ牢獄へと命からがら逃げ出したのである。


又、騒ぎを聞きつけた失業者たちも降って湧いたように略奪に加わり、職にあぶれた女や果ては子供までもが生活の足しになる物を求めて工場へと押しかけた。


暴動の鎮圧は将軍であるブザンヴァル男爵がスイス人部隊を指揮し、激しい戦闘が起きていた。
暴徒は怒りのあまり我を忘れ、銃弾に当たるまで強奪をやめようとはしなかったのだ。



将軍は鎮圧に手を焼いていた。

威嚇しても興奮した群衆の耳に届かず、反対に石を投げつけてきたりする者もいた。
蹴散らそうとすれば刃向かってくる。


ブザンヴァル将軍は危機を感じて兵士たちに一斉射撃を命じたものの、次から次へと増え続ける暴徒の多さに、手の打ちようがなかったのである。

そうこうしているうちに工場のあちこちでは火の手が上がり、収拾がつかないまま、鎮圧部隊はひたすら暴徒に対する射撃を強行していたのである。



パリの留守部隊にいたオスカル率いる中隊が、知らせを受けて駆け付けた時にはようやく暴動は下火になっていた。

軍の発砲による犠牲者は増え続け、勢いをなくした人々が逃げまどい右往左往しているところだった。



「もう、おやめ下さい。民衆はおびえているだけです」
とオスカルが声をかけるまで、ブザンヴァル将軍は我を忘れて攻撃を続けていた。

見ると、スイス人部隊の兵士たちも顔はこわばり、いかに群衆が凶暴に暴れていたのかが伺える。


しかし戦闘が終わると同時に、工場の入り口には暴動で死んだ人々の家族たちが詰めかけ、大声で泣き叫びながら身内に起きた惨劇に打ちひしがれていた。

中には子供が死んだと繰り返し叫び続ける母親もいて、暴動のすさまじさを物語っていた。

ボンネットをかぶった女たちはひどく顔をゆがませ、ブザンヴァル将軍に向かってつばを吐き、人殺しと悪態を付いていた。



「ブザンヴァル将軍、ここはまだまだ危険です。けが人と犠牲者を運び出したらすぐに封鎖し、ぜひ厳重な警備をお付け下さい。我々もお手伝い致します」
今はちょっとしたきっかけが思いもよらぬ暴動の引き金になる。
一刻も早く人々の気持ちを落ち着かせなければならない。


特に今は三部会を控えて各地で反乱が頻発している。

すでに工場主レヴエイヨンへの憎しみだけではない、世の中への不満がどういう形で暴発するかわからない。

それにまるでこの場には憎しみの思いが渦巻いているようにオスカルには感じられた。
なにやらこのままでは済まないような気がする。



「私に忠告など無用だ」
将軍は苛立っていた。

年下の者が冷静に構え、尚かつ事後の処理まで口出ししてくるとは、彼にとってはまるで見下されているような気がしたのである。


「忠告ではございません。私の発言が気に障られたのであれば謝ります。ただ、群衆は慢性的に食料も不足し、感情的に危険な状態になっています。これ以上犠牲者を出さないためにも、暴動の芽は摘んでおかねばなりません」
オスカルはひるまなかった。


「確か、そなたはジャルジェ准将…と言ったな。事が済んでからやってきて、あれこれ指図するとはけしからん。ここは私に任せておけ」
将軍は全く取り合おうとはしない。

もし冷静な時であれば、オスカルの助力はすんなりと受け入れられたはずであった。
ただ、暴徒に対してなすすべのなかった事への怒りが、たまたま彼女に向けられてしまったに過ぎない。

「現状をちゃんと把握し…」

アランが文句を言おうと馬を一歩前に進めたが、オスカルは制止した。
かたくなになった将軍には逆効果にしかならないのは明らかだったからだ。


その後、留守部隊に戻ったオスカルは重ねてブイエ将軍からも越権行為をきつくとがめられ、やむを得ずその日中にベルサイユに戻されることになった。

彼女は暴動の起きた工場を閉鎖することを再び提案したが、ブイエ将軍も又、それが余計な口出しだと取り合わない。



「あれでよかったんですかね、隊長」
アランはブザンヴァル将軍の対応が気に入らないらしい。


「良いはずはない。事後処理がまずいとこれからさらに取り返しの付かないことになる。だが、それだけ鎮圧は難しいということだ」
命の危険を顧みず、燃え上がる工場へ突入していく群衆がいかにせっぱ詰まっているのか、現状は明らかに緊迫していた。

もし今日の鎮圧部隊が彼らスイス人、つまり外国人の傭兵ではなく、同じフランス人の兵士であれば、ここまで暴徒に攻撃できたかどうかはわからない。

ブザンヴァル将軍が増え続ける群衆を相手にし、最良の策を見いだせなかったことは理解できる。

自分が直接鎮圧を命じられていたとしても、どれほど犠牲者を出さずに済んだのか見当も付かないとオスカルは思う。


「だけど仕方ないだろう、アラン。帰れと命令されて留まることは出来ない」
アンドレも不承不承、帰路についている。


「どうもあのブザンヴァル将軍、鎮圧に手間取ったのを見ればあんまし作戦が上手じゃなさそうですぜ。もし俺があんな要領の悪そうな将軍の下にいたらきっと動く気なんてしねえ」


「アラン、他人の悪口はその辺にしておけ」
と結局、オスカルに諭される。


幸い、オスカルの配下にある衛兵隊の兵士たちは彼女の指揮を疑わない。

口は悪いが指示には淡々と従うし、アランのようにリーダー格の兵士が常に冷静で積極的に彼女を補佐している。
不穏な空気が漂う中、彼らが落ち着いていることは頼もしい。



「何事もなければいいのだが…」
オスカルは嫌な予感を感じていた。




**********




翌日、彼らの心配した通りに、レヴエイヨンの壁紙工場の暴動は再発した。


一旦落ち着いたかに見えた略奪は昨日にも増して激しくなり、見物人も含めて群衆が工場のまわりに再び殺到したのだ。

暴れる労働者はその日の生活にも困り果て、追いつめられている。怒りと絶望が彼らの背中を押し、破滅へと向かわせていた。


彼らは口々に「貴族を倒せ」と叫び、すでにレヴェイヨンへの憎しみだけではなく、突き詰めれば今の制度に対する不満が爆発したに他ならない。


昨日に引き続き鎮圧を任されたブザンヴァル将軍は、追い払っても後から後から増え続ける略奪者に対し、やむを得ずとは言え容赦のない攻撃を仕掛けていった。

弾に当たっても刃向かってくる群衆のすさまじい勢いに、やがて兵士たちの士気は下がり、最後に大砲を持ち出して威嚇するまで暴動は鎮圧できず、暴動の嵐が去った後には500人を超える犠牲者が出た。


その報告がベルサイユに戻っていたオスカルの元に届いたのは夕刻になってからだった。


「何と言うことだ」
オスカルはやりきれない怒りを感じた。

昨日あの時、自分には何も出来なかった。
仕方なかったとは言え、ブザンヴァル将軍の言う通りに従ったことが悔やまれた。


どれほど民衆が苦しい生活に追い込まれているのか、貴族には理解できない。
オスカルも又、現実に飢えと闘っているわけではない、貧しい民衆の立場に立って考えることは出来ない。
しかし現実の問題として、軍隊の鎮圧にも屈しないほど彼らは貴族への怒りを蓄えているのだ。


そして軍には規律がある。
オスカルも又、秩序を守るために上官の命令に従わなくてはならない。


だが彼女としては、軍隊が民衆に銃を向けることは何としてでも避けたかった。

それにオスカルだけではなく、衛兵隊の兵士や他の部隊の兵士の大半は、自分たちの仲間である民衆に同情的である。
そうなれば暴動が起きた場合、鎮圧もままならないだろう。


軍隊の命令系統がまとまりのない状態では、かえって混乱の元になる。

まして、予期せぬ非常事態に遭遇した時、現場にいる者は命令を待っている余裕などない。
その時に自分は最善の策を考え、素早く決断しなければならないのだ。


オスカルの脳裏には、いつか自分が試される場面に遭遇するのではないだろうかという予感がよぎっていた。




**********




国王の妹であるエリザベート内親王は信仰厚く、貧しい人々に向ける慈愛のまなざしを持っていた。

慈善活動に毎日を忙しく過ごしていた彼女だが、穏やかな性質の一方で王族の誇りも持ち合わせていた。


三部会に向けて民衆が貴族と同じ権利を主張していることについては、とうてい理解できなかったし、王族や貴族は特権があるからこそ、その力を使って弱い民衆を守ることがこの国における最善の秩序だと信じていたのである。


「陛下、民は強い王に惹かれるものでございます。もし国王が弱気を見せれば、たちまち彼らは見くびってくるでしょう。民が安心するためにも、是非、力強く彼らをお導き下さい」
エリザベートはこういう国の一大事に対しては兄である国王が威厳を持って臨むことを願っていた。

民衆だけではない、国王たるもの、貴族に対しても隙を見せてはならないのだ。
彼女は内気な兄に対し、落ち着いた態度と自信に満ちた立ち振る舞いをするよう、何度も繰り返し進言していた。


又、国王ルイ十六世の弟であるアルトア伯は社交的で活発な性質をしており、人付き合いが苦手で地味な兄が無能なのにもかかわらず王権を握っていることに屈辱を感じていた。

彼も又、王族として三部会の平民議員の平等性については全く認めようとはしなかったのである。




三部会直前の二週間前になって、財務総監のネッケルは意を決して国王に進言した。

民衆の熱意を制御するために、第三身分の議員の個人個人に投票権を与え、全身分が一同に揃って一つの議場で討議する事を、王室の意志として発表すべきという内容だった。



ネッケルの進言に対し、ルイ十六世が曖昧な態度を取った時、まず異を唱えたのはアルトア伯だった。

「平等などもってのほか。そんな事では平民どもになめられてしまいますぞ、陛下」
彼は全国三部会の場でこそ、身分の違いを平民どもに見せつけ、思い上がった考えを二度と起こさないようにねじ伏せるべきだと考えていた。


アントワネットもこの場においてはアルトア伯の言葉を心強く感じていた。

アルトア伯は陰で王妃をひどく中傷していたのだが、いざ王権を守ることについてはアントワネットの考えに近かった。

平民議員に地味な黒の装束をさせることや、特権階級議員とは様々な所であつかいを区別することなど、ことごとく身分の違いを思い知らせようと言う提案が大臣や王族から出てきても、国王はただうなずくだけで決して先導する事はなかった。

できれば国王自身がアルトア伯のように強い気持ちを持ち、民衆に対して絶大な力を見せつけて下さればよいとアントワネットは常々思っているのだが、夫は全く感情を出さず、見た目も優柔不断で張りあいもない。


確かに国王はそれまで選挙に関しても圧力はかけず、民衆を大らかに見守っていた。

ネッケルにすればさらなる譲歩を国王が決して望んでいるとは思えなかったが、平民議員に平等に権利を与えることで、その見返りとして王室の権威存続に有利であると考えていたのである。

ただ、ルイ十六世は面倒くさそうにネッケルの進言を聞き流してしまった。


さらにネッケルは三部会の開会をパリで開く事を提案したのだが、アントワネットの猛反対を受けた。


「陛下がわざわざパリなどへ出向くことはありませぬ。国王のいらっしゃるベルサイユに皆が集まればよいのです」
アントワネットは首飾り事件以後、パリとは疎遠になっていた。

パリの劇場に行った時の激しいブーイングは、今、思い出しても腹立たしい。
それにネッケルは所詮、平民のご機嫌取りに過ぎないと、王族である彼らは考えていたのだ。


結果としてこれについても国王は気乗りせず、開会はベルサイユで行われる事になった。

だからといって国王はアルトア伯にたきつけられたわけでもないし、あるいはアントワネットやエリザベートの進言を気にかけていたわけでもない。


彼はいつも早朝からベルサイユの森で狩りに出ていたので、さほど遠くないとは言え、わざわざパリに出向く事をしぶったのである。



2006/6/25/



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