−お知らせ− このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。 一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。 又、内容も原作から大きく外れている場合も大いにあり、予測なしにオリジナルキャラクターも登場します。 まれに、現在は控えるべき表現も出てきますが、あくまで場面を描写するためにやむなく使用しています。 それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。 -古城にて- 画家のルブラン夫人は近頃の王妃の様子が沈みがちなことに心を痛めていた。 彼女は以前からアントワネットの信頼も厚く、肖像画を数多く描いてきたのだが、特に首飾り事件が起きた時あたりから、王妃は口元に神経質な笑みを浮かべ、目元に少し緊張した様子が現れ始めているのを感じ取っていた。 王太子の発病、信頼していたフェルゼンの不在、貴族たちの離反、政治への参加など、王妃に気苦労が絶えないことはルブラン夫人もよく解っていた。 彼女自身も浪費癖のある夫とは不仲で、家庭の中に問題を抱えており、アントワネットの心の痛みは理解できた。 特に王妃は子供の頃に多くの兄や姉に囲まれていたため甘え上手で、人に頼る子供だったという。 しかし今では孤立し、彼女は夫である国王を支えていかねばならない立場になっている。 心の中で自分を奮い立たせ、困難の中でも威厳ある態度を保とうとする姿は、ルブラン夫人から見ると、必要に迫られて作り上げた強い王妃像をアントワネット自身が演じているとしか思えない。 本来であれば彼女は画家として見た目そのままの、少し疲れたアントワネットの姿を描くべきなのかも知れない。 だが、夫人はそうではなく、アントワネット自身がこうありたいと願っているであろう、彼女の心の中にある心穏やな表情を優雅に描いて見せたのである。 王妃の歩む道がたとえ厳しくとも、心の中は純粋で平和に満ちていることを後生の人々に示したい、だがまず何よりアントワネット自身に対し、鏡のように内面を写して見せたいと思ってた。 何より尊敬する王妃を励ましたいという気持ちが、夫人の筆先からにじみ出ていたのである。 ********** 王太子のルイ・ジョゼフは脊椎カリエスを患い、今は静かなムードン城にて闘病の日々を送っている。 医者たちの方針の食い違い、世話役たちの権力争いの犠牲になり、幼い王太子の治療は決して満足のいくものではなかった。 オスカルはこの日、王太子を見舞うために馬を走らせていた。 彼女は衛兵隊の兵力削減による影響を受け、日夜を問わず任務に追われていたため、病魔と闘う幼い王太子を気にしつつなかなか参上できなかったのだ。 「オスカル、よく来てくれました」 アントワネットはオスカルを歓迎して出迎えた。 「恐れ入ります、王后陛下」 オスカルは少しやつれた王妃を痛々しい気持ちで見、あわてて馬から下りた。 王太子の病状は良くないと聞いていた。 そればかりではなく、王妃の心の頼りとなっていたフェルゼンも故国へ帰り、再び戦火の中にいる。 王妃として母として、そして女として、様々な苦悩を味わったアントワネットの今の心境を、オスカルは安易に推し量ることなど出来なかった。 近頃では政治の面でも国王を補佐し、彼女を見くびる大臣たちを相手に苦労していると言う。 王妃には心休まる暇がないのだ。 オスカルは近衛隊を去り、アントワネットと距離を置くことで、はじめて彼女の苦しみがわかったような気がしていた。 権威ある地位はアントワネットの途方のない夢を実現させてきた反面、彼女に王妃という生き方以外のものを決して許さない。 この頃では、自由がいかにかけがえのないものか、オスカルはわかってきたような気がする。 「オスカル。あなたは私にとって本当のことが言える数少ないお友達…」 「陛下…」 アントワネットは民衆のみではなく、すでに貴族の中にも敵が多い。 それは彼女が我を通し、決してフランス王室のしきたりに染まろうとしなかった結果なのだが、一方で彼女を孤立させる結果となっていた。 「さあ、早くジョゼフに会ってあげて下さい、オスカル。あの子はずっとあなたを待っていたのですよ」 アントワネットはオスカルを促した。 「はい」 王太子のためだけではない。 オスカルはこれまでのようにアントワネットにはできるだけの誠意を持って接したいと考えていた。 かつての忠誠心ばかりではなく、王妃がオスカルに対して持ち続けてくれた友情にこたえるためにも。 オスカルはしみじみと、アントワネットとの不思議な結びつきを感じていた。 二人は今まで、互いにそばにいて影響されあってきたのだ。 感情のままに生きること、自分を犠牲にすること。 それぞれの立場で困難にぶつかり、時には敬い、時には反発し、つかず離れず同じ時の流れにいた。 しかし、歴史の流れは今、徐々にその二人を違う流れに引き離しつつある。 ********** ベッドに横たわるジョゼフはすっかり痩せて、時折苦しそうにしていた。 前に来た時よりも顔色は悪くなり、病状が悪化していることは明らかだった。 寝返りを打つだけでも背中に激痛が走り、王太子は涙を流すのだという。 「オスカル!!オスカル・フランソワ!もっとそばに来て」 彼はお気に入りのオスカルを見て喜んだ。 「ジョゼフは熱が下がらないのです」 アントワネットはつらそうだ。 「王太子殿下、お久しぶりです。おかげんはいかがですか」 オスカルは幼い殿下の苦しそうな面持ちに心を痛めながらも、うやうやしく一礼した。 「オスカル、今日はとっても具合がいいんだ。ほら、お母様にお願いして勉強しているの」 ジョゼフは枕元に何冊かの本を置き、時折手に取って読んでいるという。 「それは、ご立派です」 オスカルはベッドのそばの椅子に腰を下ろした。 「ほう、兵法の本でございますね、殿下」 オスカルはその内の一冊を手に取った。 「うん、僕はもっと強くなって、フランスを守らなくちゃいけないもの」 「では殿下が良くなられたら私が銃の扱いをお教え致しましょう」 「オスカル・フランソワ。約束だよ、きっとだよ」 ジョゼフはこの美しい武人が大好きだった。すらりとした美しさと強さを兼ね備えた、見事な金髪の女将校。 幼いながらも、ジョゼフは彼女のことが本当に好きだった。 妻にする、と真剣に言ったほどだ。 「もちろんでございますとも。このオスカル、約束は必ず守ります」 「…でも、約束を破るのはきっと僕の方だ。僕はもう、こんなものを持つのさえつらいんだもの…」 ジョゼフは持っていた本をぱたんと置いた。 病魔に侵された少年の白い細い腕は、そのような紙の束すら長い間持っていられないのだ。 ジョゼフはそう言って、すまなさそうに母の顔を見た。 そのとたん、アントワネットは涙をこらえ切れず、部屋から出て行った。 オスカルは言葉を失った。 (奇跡は起こるものでございます、王太子殿下。お気を強く持って、病など退治なさって下さい) オスカルはそう言って励まそうとしたが、その言葉は頭の中で渦巻くだけだった。 ジョゼフは澄んだ瞳でオスカルを見ている。 今、彼に何を言っても気休めにしかならない、その目を見れば嘘など通用しないだろう。 オスカルですらこんなに気持ちが乱れるのだ。まして、母であるアントワネットはどんなに苦しいだろう。 彼女は無理にも笑顔を作り、ジョゼフの手を取った。 「王太子殿下。今度参ります時は、きれいな細工を施した銃をお持ち致しましょう」 「嬉しいな、オスカル。次はいつ来てくれるの…僕、待ち遠しいな…。だって、今は時間が惜しいんだもの。もしかして、僕にはもうあんまり時間が残ってないのかも知れない」 ルイ・ジョゼフの賢そうな瞳が一瞬、曇った。 「…僕がいなくなったら、誰がお母様をお守りするのだろう…。オスカル、あなたはもう近衛兵ではないのですね。あなたがいつまでもそばにいてくれたらお母様もきっと安心なさるのに…」 ジョゼフはオスカルをまっすぐに見つめ、その手を握り締めた。 再びオスカルは言葉を失った。 衛兵隊に転属してから、少しずつ宮廷の思惑から離れてきているオスカルだった。 こんな年端も行かない少年に、心の底まで見透かされているような気がして、彼女は心に強い痛みを感じた。 何よりオスカルの手を握り締める少年の手の力は、すでにか弱い。 しかし彼女はその窮地をあっけなくも逃れることが出来た。 ジョゼフは疲れが出たのか、そのまま目を閉じて眠りについたからだ。 オスカルはしばらくその様子を見守ってから、庭で独り泣いているアントワネットのそばに近寄って行った。 「おぉ…オスカル。ジョゼフは…」 アントワネットはオスカルにすがりついて泣きはじめた。 「陛下…」 オスカルは慰める言葉が出て来ない。 「浮気なオーストリア女、赤字婦人…それが私に向けられた評価なのです。貴族の中にも王室を見限り、敵に回る者すらいるのですから」 「……」 オスカルはアントワネットの背負った重荷がいまさらながら彼女を非常に苦しめていることに愕然とした。 女王としての誇りを持つ彼女とて、やはり一人の人間として弱い面も持っている。 「覚えていますか、オスカル。私がまだ王妃になって間もない頃、この偉大なフランスの栄光に酔いしれ、この上ない栄華は全て私のためにあると信じていたことを。しかし一国の王妃というものはそのように軽々しいものではなく、一人の平凡な女に多くの試練を課すものだったのです。私はこの試練を受けて立たねばなりません。強くなれと言うのであれば強くならねばなりません。なぜなら、私は神によって選ばれたのですから」 もし彼女が平凡な女であれば、恋も自由にできたし要らぬ権力争いに巻き込まれることもなかった。 しかしアントワネットが自分の気持ちを殺してまで耐えて来たことは何一つ報われず、ただ彼女はいつも“元敵国の女”として非難の的になっていた。 「ああ、だけど…とてもつらいのです。いいえ、私のことはどう言われてもいいのです。だけど、あのジョゼフの父親が誰だかわからないなどという中傷を耳にしたときは、怒りと悲しみにこの身が引き裂かれるような思いを味わいました。その上、ジョゼフのことを…早くいなくなればいいという話まででているのです…」 「そのような事を言う者たちは心が貧しいだけでございます、アントワネット様」 様々な中傷が出ていることはオスカルも知っていた。 しかしアントワネットばかりではなく、病床の王太子にまであらぬ疑惑がかけられることは許し難い。 「あの子たちのおかげで、はじめて私には生きる目的があるのだと知りました。なのに、人の命をそのように軽々しく平気でおとしめようとは。私にはそのような人々が理性ある人だなどと信じることが出来ません。まして必死で生きようとしている子供たちに向かって…とうてい許せません。ですから私は何があってもあの子たちを守らなくては…」 アントワネットは自身が王妃として生きることを決意していた。 彼女は胸につかえていたことを少し吐きだし、だんだん落ち着いて来た。 「王后陛下、心ない中傷は気になさらないで下さい。陛下を信じて仕える者はまだたくさんおります」 「オスカル、私は今まであなたのように、無欲な気持ちで仕えてくれた人たちの言葉をろくに聞きもしなかったのです。もう遅いかも知れませんね」 アントワネットの言葉は沈んでいた。 「陛下」 オスカルにはわかっていた。一度失われた信頼を取り戻すことがいかに難しいのか。 今となっては取り返しの付かない事がどれほど多いのか。 そう、かつて王室が作った赤字が膨れ上がっているのも事実であるし、自分本位なアントワネットを嫌って敵に回った貴族が多いのも事実である。 だが、これ以上事態を悪くしないためにも、王室は時の流れに敏感になり、慎重に対処して行く必要がある。 「次代を担うジョゼフ殿下の為にも、このフランスをもっと良い国になるようお治め下さい、アントワネット様」 「…そうですね、オスカル」 アントワネットは自分が守るべき子供たちのことを思い、次第に力が沸いて来た。 「私があの子たちを守らなくては、誰が守ってくれるでしょう。貴族たちは自分の権力を蓄えようとしているし、それに無知な民衆までもが愚かなパンフレットにだまされ、平気で王室を批判していると言うではないですか。国王が国民を支配するのは神から与えられた権利なのです。…そう、あの子たちの為にも、私は負けられません」 神の御加護のもとに栄えて来たと信じられていたハプスブルク家の血は、国民を支配するという考えの中で、脈々とアントワネットの体に流れていた。 彼女は子供たちのためには、たとえ男になってでも戦うことが出来ると思っていたのだ。 「……」 オスカルは沈黙した。 【負けられない、それは、誰に対してでしょう?貴女に敵対する貴族でしょうか。それとも民衆でございますか、アントワネット様。 恐れながら申し上げます。民衆とはそもそも国の力。その国の力を敵にしてどうなるものでしょう。王室が民衆を愛さなければ、彼らも王室を愛さないでしょう。 貴女の母国オーストリアでは、偉大なるマリア・テレジア様が国家の慈母として君臨し、国民から広く愛されたのも、民への深い愛情なくしては語れますまい。 だが、まだ間に合うだろうか。いまさら、このフランスの事態を愛で救えるのだろうか…】 オスカルは心からわき上がってくる疑問が、アントワネットに対し批判的である自分自身に少なからず驚いていた。 しかし、たとえどのように考え方に違いがあっても、アントワネットには人を引き付ける人間味あふれる魅力があったからこそ、オスカルも今まで仕えて来たのだ。 先ほどのジョゼフの言葉ではないが、王妃の無垢な心を守りたいと、オスカルは今でも思っている。 そう、これからも…出来る限り…。 【…僕がいなくなったら、誰がお母様をお守りするのだろう… あなたがいつまでもそばにいてくれたらお母様もきっと安心なさるのに… …僕にはもうあんまり時間が残ってない…】 1789年6月4日午前1時、王太子ルイ・ジョゼフは、その短い一生を終えることになる。 彼は最後まで病と戦い続け、その魂は天の使いに見守られて、空の高いところに帰って行くのだ。 そしてオスカルもまた、革命の嵐に巻き込まれていく。 彼女が約束した、きれいな細工を施した銃はついにジョゼフに届けられる事はなかった。 人々の想いは、その真の願いをかなえられぬまま遠い風にさらわれて消えていくのである。 2006/8/30 1996年8月・未完の物語より抜粋、その後に加筆・変更したものを再び加筆・変更。(^_^;) リサイクル2回目という、我ながら苦笑もののアップです。 up2006/9/21/up 戻る |