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このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
又、内容も原作から大きく外れている場合も大いにあり、予測なしにオリジナルキャラクターも登場します。
まれに、現在は控えるべき表現も出てきますが、あくまで場面を描写するためにやむなく使用しています。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-過去と未来-(後編)




母親の葬式を済ませ、少しおとなしくしていたアランだが、今度はディアンヌの事で再び心が落ち着かない日々が続いていた。

ディアンヌの婚約者であるユルバンは以前からの夢で、アメリカに行きたいとアランに打ち明けたのだ。

当時、フランスのジャーナリストは数多くアメリカに住んでいた。

彼も又、新大陸に夢を馳せ、建国したばかりの新しい国に憧れていたのである。

ディアンヌはすでに彼の行くところならどこでもいいと決意しており、何かといいわけを付けて反対しているのはアランだけだった。



「俺には納得できねえ」
アランは渋い顔をしていた。

大事な妹が手の届かない所に、それも身内がひとりもいない遠く離れたところに行ってしまうことが、とても不安で心配で仕方なかったのだ。


普段は、オスカルを密かに想うアンドレを馬鹿だと豪語しているアランだが、妹のこととなると突然、気の小さい兄になる彼が妙にかわいげがあり、アンドレは「知らない所に飛び込んでいっても、その場に行ったら何とかなるものさ」と励ましていた。


だが、どうしてもそんなに遠くへ妹を嫁にやるわけにはいかないと、アランはユルバンと大げんかをし、ディアンヌにも彼と二度と会うなと言いつけた。

ディアンヌは激しく泣き、アランとユルバンの仲は険悪になっていた。



「こう言う時は女ってどうなんだ」
ベルナールは妻のロザリーに聞いた。


「そりゃあ、相手を信じてついていくと思うわ」
迷いもなく言うロザリーは、まるで深く考えるまでもないと言わんばかり。


パリに来ていたオスカルもロザリーの態度に、そんなものなのかと、色々な考え方を興味深く聞いていた。


「もし結婚をあきらめたら、そのほうがもっと後悔するでしょ。後で考えたら、しなければよかったと後悔するより、すれば良かったと後悔するほうが大きいと思うの」


「そんなものなのか。長い時間、船に乗って知らない所に行くんだぞ。男ならわかるけど、女もそう言うのは好きなのかな」
ベルナールも彼女に求婚していた頃の情熱はどこへやら、結局、女心はいまひとつわからないらしい。




だがこの時、オスカルはベルナールの何気ない言葉がきっかけになり、再び子供の頃の記憶が鮮やかによみがえってきていた。


幼いオスカルは父に叱られて水の中から出てきた後、日中は何事もなかったかのように振る舞っていた。

夜になり、ジャルジェ夫人はオスカルのベッドの端に腰掛け、いつもそうしているようにその日一日の出来事を娘から聞いていた。

オスカルを甘やかすことを父は嫌ったが、母と子の語らいまでは取り上げようとはしなかった。

むしろ夫人の頑とした態度が、夫を黙らせていたのかも知れない。


男を産めなかった夫人を夫は決して責めることは無かったが、その分、オスカルに無理をさせるのではないかと夫人は心配していたのである。

本来であればオスカルは女性の名を授かり、美しい姫として育つはずであった。


それを毎日、夫は娘に生傷の絶えない厳しい剣の訓練を施し、容赦なく跡取り教育に打ち込んでいる。

時には思い通りにならないとオスカルを屋敷から追い出すとさえ言いはじめる夫の言葉に、小さな心を痛めているのではないだろうかとハラハラする場面もある。

ならば、少なくとも彼女の味方をし、父と子が対立しないよう、優しい心を育てることは母として当然の仕事だと信じていた。


「私は船に乗って知らない所に行きたいと父上に言ったのです。でも…」
この時、母と語っている時になって初めて、オスカルは突然泣き始めた。

父に叱られたのが悲しいのか怖ろしいのかよくわからない、とにかく昼の間は叱られて平気だったのに、母と話をしていると急に涙が出てきたのである。


「そう、あなたがもし船に乗って世界中を旅したいのなら、それでいいのですよ。お父様には私が説得しますからね」
昼間の出来事を聞き出した夫人は優しく語りかけた。


「いいえ、私はフランスの王室をお守りする任務があります。途方もない夢など捨てました」
オスカルは涙を拭いて顔を上げた。
彼女ははりつめていた感情を吐きだして少し落ち着いたためか、ひとつ大切なことを思い出したのである。


「オスカル、今はたくさん夢を見てもいいのですよ。まだあなたは子供だし、夢の中には智恵の元になることがたくさんあるのですからね、これからもいっぱい夢を見なさい」
夫人は夫が何かあるたびに、跡取り跡取りと彼女にうるさく言うことをかわいそうに感じていた。


「いいえ、母上。私が王室をお守りすることも、ジャルジェ家の跡を継ぐことも、全て母上を幸せにして差し上げたいからなのです」


オスカルは言葉になる以前から何となくこの事を感じ取っていた。
跡取りとなり、ジャルジェ家を背負うことによって、大好きな母を守ることが出来るのは幸せなことだと。

ジャルジェ夫人は思わずオスカルの小さな手を握りしめ、けなげな彼女の言葉につい目頭が熱くなった。
そして彼女はこれからも出来る限り、オスカルを守り続けようと思ったのである。




断片的な記憶はここまでだった。


オスカルは今となってふと思う。

小さい頃から父は越えなければならない壁のようなものだった。
ただ厳しいだけで、何をするにも容赦ない。

もし母の存在がなければ、もっと父との仲は険悪なものだったかも知れない。

だが、オスカルに対しては厳しさが前面に出ていた父だが、そんな父を母は敬愛していた。
母が父を愛するのであれば、オスカルも又、彼を憎むのではなく尊敬すべきだと思いこんできたのである。

今さらながら、ジャルジェ家の中をひとつにまとめていたのは、父の権威だけではなく、母の人徳に支えられた部分が大きい。

しかしひょっとすると父も、ジャルジェ家のためと言いつつ、妻を愛しているからこそ、彼女を守りたい気持ちが厳しさの中に含まれていたのではないだろうかと思えるようになってきていた。

思えば父も国王のルイ十六世のように愛人を持たず、女性は母一人だけを通してきた。
あながち、外れた推測ではないだろう。

又、自分もそのような父と母によって、世界の頂点に君臨するフランス宮廷のために尽くす責任の重さを、かつて喜びを持って受け入れることが出来た。

単純に関連づけるつもりはないが、もしかするとアランから巣立っていくディアンヌも、ある意味、兄への愛情なのかも知れないとふと思った。




**********




予想を超えた民衆の反発に、事態を重く見た高等法院は民衆の怒りに危機感を感じ、12月になってから、三部会を従来方式で行うという発言を撤回し、平民議員数を特権階級議員と同数にするとしたが、それでも言い訳としてはすでに不十分であった。

民衆が真に求めているのは、平民議員を倍増するだけではなく、選ばれた平民議員の全てが平等に一票の権利を持たなければ意味がないと言う事だったからだ。

ついに高等法院と民衆は完全に決別したのである。


又この年の暮れ、世論が盛り上がった結果、国王も会議を開いて第三身分の倍増を決定した。
民衆は大いに熱狂したのであるが、ネッケルはどうしても最後の一押しをすることは出来なかった。

平民議員一人一人に平等に一票を与えるかどうかという一番重要な問題は未決のまま残ったのである。




**********




すっかり今年も押しつまった頃、頑固なアランもついに折れた。

ディアンヌは面会日にも全く来なくなり、仲の良い兄妹は口もろくに聞かなかった。

ここ数ヶ月、彼なりに悩んで、最後はディアンヌの決意を尊重しようと思ったのだ。

又、このまま不安定な情勢のパリにいるより、妹はアメリカにいるほうがいいのかも知れない。

冷夏のせいもあって、パンの値段は八月から値上がりし続けている。食料は不足し、強奪も後を絶たない。しかし貴族や金持ちの屋敷の食料庫にはたんまりと小麦の袋が積んであるはずであり、腹をすかせた民衆は慢性的にいらだっていた。

大きな暴動がいつ起きるかわからない。


アランはユルバンを呼び、以前の破談を撤回し、改めて妹をよろしく頼むと頭を下げた。

一方のユルバンも、実はディアンヌを連れて駆け落ちすることまで考えており、相当自分を追い込んでいたのだと告白した。

だが一歩下がって兄の立場を考えてみれば、どうにかして和解できればいいのにと祈るような気持ちでいたと言う。


覚悟を決めたアランは、さっそくこの時のために売る予定にしていた家財を持ち出し、道具屋でまとまった金に換えた。


そしてなぜかオスカルには一枚の絵を差しだし、「これ、隊長が気に入っていたらしいってディアンヌの奴が言うもんで、受け取ってくれねえか」とぶっきらぼうに言った。

オスカルは以前、アランの母親が亡くなって彼の家に行った時、この絵をじっと見つめていたことを思い出した。

それをディアンヌが見ていたのだろうか。

彼女は意外な申し出を快く受け取り、出来ればこれを美術品として買い取りたいとも言った。


「いや、いいんですよ。これは多分つまんねえ駄作でしょう。ただね、ディアンヌは隊長に憧れていたんですよ。もしユルバンが出てこなかったらいつまでも隊長の事が好きで、嫁に行き遅れていたかもしれねえ。なもんで、ディアンヌからの贈りものです。気持ちよく受け取って下さい」
アランは、はぁっとため息混じりに言った。


オスカルは祝いの言葉と、短くしたためた礼の手紙を書き、アランに手渡した。

彼女は嫁ぐことで幸せいっぱいになっているディアンヌを想い、久しぶりに明るい気持ちにさせられていた。


あの夢見がちな少女が妻となり、家族の元から自立していく。

女としての幸せ、やがて母になる喜び、それらは女にしかわからない喜びなのだろうとオスカルは漠然と思った。



そうこうしているうちに出発の朝がやってきて、ディアンヌは少し緊張した面持ちでユルバンと共に馬車に乗り込んだ。


「離ればなれになるけどな、俺はいつもお前のそばにいる。だから絶対に幸せになるんだぞ。子供が出来たら手紙をくれ。いや、何もなくても便りぐらいよこすんだぞ。それからどうしても我慢できないことが出来たら、まっすぐにここへ帰ってこい。俺が生きている限り、ここはお前のうちだ」
アランは母親と自分の髪の毛を入れたペンダントをディアンヌに持たせた。


「兄さん…、兄さんも早く良い人をみつけて…」
家庭を持って落ち着いてね、と言いたかったのだが、つい言葉がのどにつっかえた。


兄妹の別れは名残惜しく、涙なくして語れないが、いつしか朝靄の中に馬車は消えていき、アランはぽつんと独り立ちつくしていた。

しばらく動く気配もなかったが、日が昇った頃、ようやく自分の足を動かすことを思い出したかのように、彼はディアンヌが去った方角に背を向け、歩き始めた。




**********




「ディアンヌは喜んで嫁に行ったらしい。アランはしょげているがあれで良かったと言っていたよ」
アンドレは事の顛末をオスカルに語った。


「そうか、誰しも人生には転機がある。アランもそのうち元気を取り戻していつもの皮肉屋に戻ってくれるだろう」
オスカルはアランを真似て少し皮肉っぽく答えた。




その夜、オスカルは久しぶりに母と二人きりになりたいと言った。

自分でも不思議だが、突然そうしたいと思ったのだ。


「昔、こうやって母上は私の話を黙って聞いて下さいました。ここ数日、私はふと子供の頃の事を思い出したのです。私は母上の子供に生まれて本当に幸せです」
オスカルはソファに腰掛ける母の横に座り、今は小さくなった体を抱きしめた。


「まあ、あなたはなんと言うことを突然言いだすのでしょう」
夫人は嬉しかった。

そして、昔そうしていたようにオスカルの頭を自分の膝に乗せた。


「今日、部下の妹が嫁ぎました。二人は良い家庭を築くものと私は信じております。きっと生まれてくる子供も幸せになるでしょう。私はふと彼らのこれからを想い、家庭を持つことがとても良いことだと感じました」
ディアンヌは遠からず子供を持ち、母となるだろう。

女であれば当然で、又、平凡な生き方かも知れない。だが、今はそれも又、幸せなのだろうと素直に思える。

自分が選んで歩んできた道を決して後悔するつもりはなかったが、もし自分が過去に違う道を選んでいたとしても、きっと後悔せずに進んでいただろう。


男として生きるということも、決して特別なことではなく、単に人生の一つの選択肢に過ぎないのだ。


「あなたがどういう生き方を選ぶかはあなた次第なのですよ。だからいつも自分の本当の心の声を聞くようになさい。それが一番正しい道なのですからね」
夫人はそっとオスカルの頭を撫でた。


彼女はオスカルが子供の頃から、生き方を束縛しようとはせず、自由にさせてくれていた。

時には父の怒号から守ってくれたのも母だった。

それによってどれほど助けられただろう、母はオスカルにとって何より誇らしい存在だった。




「母上。父上と共にいつまでも仲良く、健やかであって下さい。オスカルの願いはそれだけです」
オスカルはそっと目を閉じた。




夫人は娘の言葉に肩を震わせ、ただただ静かな涙を流した。




2006/7/13/



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