−お知らせ−

このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
又、内容も原作から大きく外れている場合も大いにあり、予測なしにオリジナルキャラクターも登場します。
まれに、現在は控えるべき表現も出てきますが、あくまで場面を描写するためにやむなく使用しています。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-解放事件-



とんでもない事件が起きた。

王室御用達の優秀な職人で、ジャルジェ家の馬の蹄鉄も作っていたマチュラン親方が殺された。


その事件が伝えられた時、屋敷中には動揺が走った。

だが、皆がもっと震え上がったことは、殺した犯人というのがマチュランの一人息子のジャンで、何でも父親の頭をハンマーで殴りつけたのだという。


父殺しは死刑に決まっている。それも裁判所が下した判決は車裂きの刑という非常に残忍な処刑法だった。

アンドレは相当ショックを受け、ジャンの穏やかな人柄を知っているだけに、悲惨な事件について気分を落ち込ませていた。


「うむ、そういえばお前たちがまだ小さい頃、一度あったぞ。それっきりだったがな」
ジャルジェ将軍は以前、車裂きの刑を見たことがあると言った。
あまりにむごたらしい刑罰のため、当時の死刑執行人はそれが原因で引退してしまったという。


「まずだな、拷問で足の骨を…」
と、彼が言いかけた時、ばあやが「ひい〜!」っと奇声を上げ、それ以上言うと気絶するのでおやめ下さいと懇願した。


「いずれにしても父を殺すことは許せるものではない。自らの命で償うこともやむを得まい」
将軍は秩序のためにこういう見せしめの刑罰もやむを得ないと眉をひそめた。




**********




しかし風向きは変わった。

父殺しと聞いて震え上がり、死刑も当然と怒っていた民衆だが、後で詳細を聞くと、かならずしもジャンのみに非があるのではないことが見えてきた。


そもそも父のマチュランがジャンを虐待したこと、ジャンは父に嫌われても尚、優しい孝行息子であったこと、そして親子が政治的な考え方の違いが発端になって対立したことなどが明らかになり、一気に形勢は逆転した。

すでに前回の処刑があった30年前と今とでは時勢が違う。

特に革命思想に傾倒しただけで父から虐待されたとあっては、今の制度にうんざりしていた民衆もジャンに同情し、味方しはじめた。


マチュランの死の真相はこうだ。


家を追い出されたジャンは恋人のエレーヌを誘い出し、互いの運命を嘆き愛情を確かめ合った。

そして彼女を家に送り届けたのだが、そこでエレーヌの母が無断で外出した娘を見とがめ、髪の毛を掴んで何度も激しくぶったのである。

母親にとっては娘が一文無しのジャンと結婚するよりは、父のマチュランのほうが生活が安定しており、花婿としては望ましかった。


エレーヌの悲鳴を聞いて我を忘れて駆け込んできたジャンは、運悪く、騒ぎを聞きつけた父親のマチュランと出くわした。


息子の突然の出現で事の成り行きをさとった父は逆上し、仕事場に置いてある蹄鉄を鋳造するハンマー、つまり、彼の命の次に大切な職人道具を振り上げてジャンに襲いかかった。

マチュランには明らかに殺意があり、相手が息子であろうがお構いなくハンマーを振り回した。
目の前の青年はすでに息子ではなく他人であり、彼の花嫁を汚した犯人に過ぎず、怒りにまかせて成敗することしか頭になかったのだ。

ジャンは父に冷静になるよう叫びながら攻撃をかわしていたが、このままではどうしようもないと悟り、ついに隙を見て飛びかかり、もみ合いになって父から重いハンマーを取り上げた。


だが、父はすでに正気ではなく、別のハンマーを手に取ったため、ジャンは話し合うことをあきらめ、逃げようとして外へ飛び出した。

その時彼が、逃げるのに邪魔なハンマーをあわてて後ろに放り投げたところ、運悪くマチュランの頭に命中したのである。

エレーヌは気を失い、彼女の母は娘の花婿が死んだことに取り乱し、人殺しと騒ぎ立てた。

逃げかけたジャンも振り返り、そこで悲劇の結末を目の当たりにしたのである。



全ては不幸な事故だった。

ジャンは父に殺されかけ、逃げようとしただけなのだ。
もし、投げたハンマーが当たらなかったら、彼は反対に父に殺されていただろう。


民衆は彼のしたことは正当防衛であると確信したのである。

だが一旦、国王が許可した死刑の判決を覆すことは出来ない。
これに対し、静かな反抗が地元のモントルイユのみならず、ベルサイユの町にまで広く広がっていった。




**********




「どうにかしてジャンを助けてやりたい、何か良い方法はないだろうか」
ベルナールは悩んだ末、ジャルジェ家の門を叩いた。

彼は新聞記者としてジャン擁護の記事を書いていた。むざむざ素直な青年をむごい刑罰で死なせたくはない。

しかしオスカルも相談されたからと言って、どうすることも出来ない。
まして当のジャンは自ら罪を認め、刑罰を受け入れていると言う。


「もしベルナールと同じように、皆がその死刑を不当と感じたのなら、まず誰かが先頭に立って反対と叫ぶだろう。そうなれば後はきっと大勢の者が声を一つにして反対の意思表示をするはずだ」

オスカルは日常的に街角で民衆が反体制を叫んでいるのを見ていた。

群衆はあおったりあおり立てられたりしているうちに、いつしか誰かがリーダーとなり、人々をたばねていく。要は誰かが最初に勇気を出して声を出せば、人々はその者に付いていくのだ。


抗議や暴動が多発する中、彼らは日常的に、自分たちが共感さえすれば一致団結していた。
集団になれば自分たちが強いのを暗に知っていたのだ。

特に普段、人々は体制に怒りを胸に抱いており、危険を忘れて猛反対するのは間違いない。
そうなれば警備の兵士たちも多勢に無勢で手も足も出ないはずだ。


「そうか、…そうだよな。誰かがはっきりと意思表示してリーダーになったら、きっとみんなついてきてくれるはずだな」
ベルナールは希望を持った。

ジャンには友達も多い。きっと人々を味方に付け、ジャンの死刑を止めてくれるに違いない。




そして8月3日、ついにジャンは死刑を執行されることになった。


実はこの時、刑があまりにも残虐であったため、国王のルイ十六世は執行の前にジャンの命を出来るだけ本人に楽な形で奪っても良いという許可を下ろしていたのである。

彼は善良な王だった。


ベルサイユの聖ルイ広場には死刑執行の準備が用意され、早朝にもかかわらず多くの人々が押しかけていた。

オスカル率いる衛兵隊は危険防止のために群衆が集まってきている広場のはずれを警備し、遠い処刑場を見つめていた。


もう30年前にもなるが、同じ残虐な刑が執行された時、人々は物見遊山で見物し、貴族は近くの建物から一部始終を娯楽として眺めていた。

国王の権威にかけて、逆らう者は地獄の苦しみを味わって死ぬのだという戒めは、現実的にさほど効き目を持っていない。


ジャンは馬車に乗せられ広場に引き立てられられ、彼の廻りには工房で働いていた同僚や友人達がぴったりとつきっきりで寄り添っていた。

さらに時間と共に広場に集まる人は増え、処刑台をにらみ据えて今にも暴動が起こりそうな雰囲気があたりにただよいはじめた。

人々の中には明らかにリーダー格の様相で群衆の先頭に立つ男が何人かいて、かろうじて秩序が保たれている。

死刑に反対する人々の憎しみに満ちた声があたりにざわざわと響き、ひときわ高く聞こえてくるのはジャンの恋人のエレーヌの悲痛な叫び声だった。


死を覚悟していたジャンもこの時ばかりはさすがに涙を浮かべ、かわいそうなエレーヌに永遠の別れをつぶやいていた。

実は彼は父を死なせてしまったことを深く悔い、罪の意識にさいなまれ、裁判に於いても全て自分が悪いのだと証言していた。

彼は自分を殺そうとした父でも心から愛していたのである。よって、自分の命で罪を償うことは当然の報いだと思っていたのだ。


しかし、そんな彼の純粋な気持ちすら、世の中の流れは飲み込んでしまうのである。

群衆は静かな決意を固めたかのように、リーダー格の男達の指示に従って、処刑場を四方から取り囲こみ、ついに台の上で処刑を待っていたジャンを、まるで英雄のように担ぎ降ろして去って行った。


間もなく、組み立てられた刑場は集まった群衆によったたたき壊され、たちまち祭のように陽気な騒ぎが始まった。

死刑執行人はその様子をぼう然と見守り、警備の兵士達もあまりの群衆の数に圧倒され、ただ立ちつくすばかりだった。




遠巻きに警備に当たっていたオスカルは、この様子を一部始終目撃していた。

「アンドレ、怖ろしいものだな、人々の結束はこれほどまでに強い」
彼女はつぶやいた。

先日、何気なく言ったことがよもや本当になるとは考えてもみなかった。
だが、こうやっていざ目の前で起きるといかにも現実ではないような気さえする。


「ああ、だけどジャンが助かって本当に良かった」
アンドレは知人の命が群衆によって助けられたことを喜んでいた。


「だが、どうなのだろう。ジャンはこれからの長い一生、罪の意識を背負ったまま生きていかねばならない、それも又、神のご意志なのだろうか」
オスカルは処刑台で打ちひしがれていたジャンの事を案じた。


「大丈夫だよ、きっと。ジャンはいつか自分を許す妥協点を見つける力を持っているはずだ。俺はそう信じている」
アンドレはいつものように前向きな考えだった。



以前のオスカルであればここでアンドレに対し、きっと「お前は気楽だな」とあきれて言い返していたに違いない。

だが、今となっては、彼の言葉があながち楽天的すぎると笑い飛ばすことは出来ない自分がいた。

多分、そんな彼だからこそ、これまでそばにいて心強かったのであろうし、今はこの上なく頼もしくさえ思える事を、彼女自身が充分わかっていたのである。



結局、車裂きの刑は中止になり、ジャンは助かった。

又、裁判所は民衆の意図を感じ取り、この後、車裂きの刑を下すことはなかった。



実はこの事件はパリではなくベルサイユで起きたことに大きな意味がある。

この流血無き反乱を、王室は見過ごしてしまったのだ。
民衆は死刑判決を覆し、初めて国王の権力に逆らったのである。

それも国王の膝元のベルサイユに於いて起きたことは、民衆がすでに革命的な思想を我がものとし、王権すら覆す勢いを蓄えつつあるということを物語っていた。




**********




時代の流れが変わったのはこれだけではない。

この月、ついにブリエンヌは全国三部会を開く事を、その召集時期は1789年の5月に約束せざるを得なかった。


税収のためにも、国民を管理すべくはじめられた地方議会は個々に意志を持って王権に反発し、ブリエンヌの思惑を全くはずれ、意外な結果を生み出していた。

又、軍隊を指揮する指揮官も彼の改革に反対し、全く機能しない。

この時、過激な煽動を行ったラ・ファイエット候は国王から厳しく処分され、軍務証書を取り上げられたほどだ。


すっかり勢いをなくしたブリエンヌにもはや勝機はなく、国庫はからっぽになり、彼はフランスの破産を宣告するに至った。

彼はそのまま8月の末、次の財務長官にネッケルを推薦して辞任に追い込まれることになる。


アントワネットはネッケルを財務長官に再任する事を国王に進言した。

彼が気に入っていたわけではない、世論で人気の高いネッケルを起用する事で何とか情勢を安定させられるのではないかと考えたのだ。

失脚したからこそもう一度、彼は地位と名誉がきっと欲しいはずである、この再任に勝利をかみしめながらさらなる責任を持って問題解決に当たるに違いない。



しかしアントワネットにとっては、王室が世論の言いなりにならねばならない事をくやしく思っていた。

下手(したて)に振る舞いながらも勝ち誇ったようなネッケルの横顔を、彼女は思い出すたびに屈辱を感じていた。



2006/7/7/




今回のベルサイユ死刑囚解放事件は実話です。
参考文献、というか内容についてはかなり参考にしたので、引用と言った方が良いのかも知れません。
一部、ベルばら風の物語として脚色し、誇張した所もあるので、正しい内容を知りたい方は下記の本を是非参照して下さい。
死刑や拷問なども触れてあるので中には壮絶な描写もありますが、人間味あふれる死刑執行人の素顔が描かれた良書です。

「死刑執行人サンソン」−国王ルイ十六世の首を刎ねた男−
集英社新書 著者:安達正勝氏



up2006/8/7/up


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