−お知らせ− このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。 一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。 又、内容も原作から大きく外れている場合も大いにあり、予測なしにオリジナルキャラクターも登場します。 まれに、現在は控えるべき表現も出てきますが、あくまで場面を描写するためにやむなく使用しています。 それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。 -寒い夏- 夜明け前、一台の馬車がジャルジェ家の正門前を通り過ぎた。 馬車は門のちょうど前で少し速度を落とし、今にも止まりかけたが、すぐに気を変えたように走り出しそのまま去っていった。 朝になってオスカルの元に一人の使者が現れ、伝言を伝えた。 彼はフェルゼンの使者で、今朝早く伯爵は故国に帰ったとの事だった。スウェーデンに戻り、ロシア帝国との戦争に従軍するのだと言う。 オスカルに対しては、これからのさらなる成功を祈るとの伝言だった。 その他に何か伝言はないかと聞くオスカルに対し、使者は首を横に振った。 以前のフェルゼンならきっと「アントワネット様を頼む」と言っていたに違いない。 近衛を辞めて衛兵隊に所属するオスカルの事を考え、彼なりに考えて配慮したのだろうと、彼女は今も自分を一人の友として尊重してくれるフェルゼンの、戦地での無事を祈った。 ********** ポリニャック夫人、今はポリニャック公爵夫人となったこの貴婦人は、今も尚、アントワネットのそばにいて、よき話し相手となっていた。 国家の財政難もあり、以前ほどポリニャック家に利益が転がり込む事はなくなっていたが、すでに一財産を築いた夫人は、懐も気持ちの上でも余裕を持って王妃と接していたのである。 華やかな舞踏会、そして贅沢な娯楽を王妃と共に楽しんだ遊び仲間は数多くいたが、その多くは権力目当ての取り巻きだったに過ぎない。 今、王太子の病気もなかなか直らず、不慣れな政治の世界に足を踏み入れた王妃に、心を許せる友は少なかった。 近頃、多くのパンフレットや煽動によって、高等法院の権威を復活させるべく全国で反乱が起き始めていた。 高等法院に取って代わる新しい裁判所の設置を妨害し、ストライキを起こし、6月には暴動へと発展した。 国王は武力でこれらを押さえようとしたが混乱は収拾せず、ドーフィネ州では国王に抵抗する貴族に同調した民衆が屋根瓦を国王の軍隊に投げつけ、これを撃退している。 世の中で起きていることに無頓着なポリニャック夫人ではなかった。 王妃がパリに行けば、どんなに危険かわからない。 貴族は自らの権力を増大させることを望み、王室をさらにおとしめようとしている。 様々なゴシップの原因を作ってきたアントワネットは、格好の攻撃の的になっていた。 ポリニャック夫人は、以前オペラ座で侮辱を受けてからすっかりパリとは疎遠になっていたアントワネットに、町の最近の様子を語ったり、王太子の病気に関する治療の事など、日々のとりとめのない話をし、大いに王妃の心を慰めていたのである。 それにアントワネットの心の支えとなっていたフェルゼン伯爵はスウェーデン国王の命令で自国に帰り、戦争に行くのだと言う。 別れ際に目を泣きはらし、それでも毅然とせねばと顔を上げていた王妃の姿は同じ女として同情を誘った。 「あなた以外に心を許せる女性はいません」と言われると、ポリニャック夫人としても王妃のそばは居心地が良い。 外部から見れば、ポリニャック家に流れた国家予算は膨大な数字に上るのだが、王妃にすれば、自分の心を癒し、寂しさを紛らわせてくれた夫人への報酬として、その金額は全く惜しくないものだった。 ********** ジャルジェ将軍は悩んでいた。 前々から民衆や一部の貴族が国王に反抗しているのを不快に感じていたのだが、今や時代の流れとして食い止められぬほど声が大きくなっている。 今や、国中に起こった事件は単に高等法院や貴族たちの反王室のもくろみだけではない。 フランスに議会政治を敷き、国王による専制政治の廃止を望み、民主思想を取り入れる事を多くの第三身分の者たちが熱望していたのである。 民衆も以前ほど無知ではない。 印刷技術の発達によって、様々な情報や知識が農村部にまで広がる時代になっていた。 彼らは今の制度がずさんなために自分たちが苦しめられていることを知り、怒りと共に改革を求めていた。 アメリカの自由、イギリスの立憲王制、共和主義や祖国と言った、気分を高揚させる言葉。 そして愛国精神が叫ばれ、まとまった一つの大きな熱気があっという間に広まっていった。 特に民衆は自分の目線で語られる演説には弱い。 彼らはたとえ、貴族が今の制度を批判しても冷ややかだが、高等法院はしたたかに民衆の側に立って政治活動を行い、民衆を味方に付けて王政批判を繰り返していた。 すでに国王の許可なく地方では三部会が開かれ、王権の縮小のために革命すら拒絶しない貴族たちは、有力な第三身分の人々、つまりブルジョアたちを味方につけた。 各地で有能な弁士たちはこぞって煽動のパンフレットを書き散らし、貴族と第三身分は連携を取って王権にたてついている。 ジャルジェ将軍は今頃になって、オスカルを女ながらに軍人に育てたことを後悔しはじめていたのだ。 かつて彼女が生まれた頃は、今ほど不安定な世の中ではなかった。 ひとまず彼女に家督を継がせ、その次は血筋のつながった誰かに任せようと安易に考えていたに過ぎない。 特にオスカルは才気にあふれていた。士官学校でも他の者どもをねじ伏せ、武術にも秀でていた。父としても気持ちの上では彼女を息子のように扱い、彼女に家督を継がせても安心だと考えていた。 しかし近頃のオスカルは新しい考え方にも寛容な態度を示している。 何が何でも王室に忠誠を尽くすジャルジェ将軍と、世の流れに合わせて王室も柔軟に対応すべきだとするオスカルとでは意見が違う。 彼女が流行の自由主義貴族などと名乗るのではないかと恐れたジャルジェ将軍は「ラ・ファイエット候のように議会政治を望む声を上げるつもりなのか」と聞いたこともある。 オスカル本人は「私の任務は国の治安を守ることです」と否定しているが、この先、世の中はどう転ぶかわかったものではない。 今、国王の軍隊に対して民衆は公然と戦いを挑んできている。 ドーフィネ州で起きた瓦の事件は、ジャルジェ将軍にとって衝撃的でもあった。 オスカルがいつか民衆と対峙して直接戦うことになるかも知れない、と想像しただけで怖ろしいものだった。 すでに一部では治安も悪く、貴族と見れば凶暴なまでにに襲いかかるおぞましい民衆を相手に、オスカルを立ち向かわせたくはない。 彼は父としての責任をひしひしと感じるのであった。 ********** 「ロシアがスウェーデンの艦隊を撃破したらしいが、フェルゼン伯爵はご無事だろうか」 久しぶりに屋敷へ帰るアンドレはオスカルと共に帰る道すがら、フェルゼンの事を話していた。 少し前ならフェルゼンの話題を出すことなどとうてい出来ないと思っていた彼だが、今はもう彼女にわだかまりはなさそうな感じだった。 「フェルゼンは海戦では負けぬと自負していたが、戦争の行方は誰にもわからない。彼のことだからきっと元気にしているとは思うが…」 と、言いつつフェルゼンの身を案じるオスカル。 しかし彼がアメリカ独立戦争に従軍した頃に比べると、オスカルの心情はかなり落ち着いて見える。 アンドレはほっと胸をなで下ろしていた。 そんな二人が屋敷に帰ると、思わぬ客が来ていた。 「隊長」 すずしい顔で出迎えたのはばあやではなくジェローデルだった。 「どうした、ジェローデル、近衛で何かあったのか」 意外なところに出没した元部下を、オスカルは不思議に思った。 「今日は職務のことでこちらにお伺いしたのではありません…」 ジェローデルが何か言いたげに口ごもっていると、ジャルジェ将軍が待ちかまえたように出てきた。 「待っておったぞ、オスカル。紹介するまでもないが、このジェローデル大佐は今夜、お前の花婿候補としてこちらにお呼びしたのだ」 少し酒が入っているのか、将軍は上機嫌だった。 事の成り行きが飲み込めず、ぼう然と立ちつくすオスカルの後ろで、アンドレの足音が遠ざかり、玄関の扉から出ていく気配がした。 「父上、何を馬鹿なことを。冗談はいい加減になさって下さい」 オスカルはあきれて部屋に下がろうとした。 「冗談などではない、オスカル。これは父の命令だ、お前にはジャルジェ家の跡継ぎを産む義務がある、それを肝に銘じておくのだ」 父は一方的にまくし立てた。 「そんな命令など、聞く耳持ちませぬ。ジェローデル、そういう事だ、今夜はもう遅い。引き取ってくれ」 オスカルは階下に二人を残して部屋に去っていった。 ********** アンドレは衝撃の場面に立ち会ってしまい、気が動転していた。 ジャルジェ家の跡取り問題として、このような話がふってわくとは考えてもみなかった。 いつかのように甥を教育して、オスカルが後見人になればいいものと思っていた。 オスカルの結婚話は彼にとって、のたうち回るほどの苦痛だった。 結局じっとしている事など出来ず、厩に行くと柱や壁に頭や拳をぶつけ、あちこち血まみれになりながら、あげくの果てに奔出して行った。 すでに暗くなっていたが彼は森へ迷い込むと、獣のように言葉にならない声を叫びながら馬を走らせ、とうとう屋敷には戻らず明け方に兵舎へとたどり着いていた。 ベッドに身を投げ出し、オスカルは憮然とした思いで天井を見上げた。 父の身勝手な取り決めにはとうてい納得が出来なかった。 それどころか怒りの感情がわき起こり、一体、何のために父が自分を男として育ててきたのか、考えれば考えるほど腹立たしく思えた。 あの幼い日、父の期待に応えようと厳しい修行に耐え、男として強く生きねばと決意し、フェルゼンへの思慕の思いを押し殺した事を、今になって全く無駄なことと拒絶されたも同然で、父によって気持ちを踏みにじられたような気がした。 こうも都合の良いように操られるとは、男に生まれていれば知らぬ苦労を味わったばかりでなく、所詮は女とばかりに馬鹿にされたかのような仕打ちにも思える。 今さら結婚など考える気すらない彼女にとって父の命令は、ただ単に彼女の誇りを傷つけるだけのものに過ぎない。 ところでアンドレはどう思っただろう。彼女はふと考えた。 深夜に馬が飛び出していったのはきっと彼なのだろう。 彼とはようやく最近になって普通に話が出来るまで距離が縮まっていた矢先だった。 彼が一人の男として苦悩するのを目の前にして、彼女は自分が女であることを思い知らされ、再び二人の間に見えない壁が立ちふさがるのではないだろうか。 愛や恋と言うものは心が乱れるばかりで、何も報われはしない。 今さらアンドレと気まずい関係になるのはこりごりだと思い、オスカルは深くため息をついた。 翌日になって、ジェローデルは遠慮もなく衛兵隊にやってきた。 オスカルは朝からついつい不機嫌で、アンドレは全く元気がなく、二人の顔色をうかがうアランは何事かと首をひねる。 「ジェローデル、お前もこんな茶番劇に付き合うなどと、頭がどうかしているのか」 オスカルは平然と司令官室に居座る彼に対し、父に対するいらだちをぶつけた。 「茶番だとは思っていませんし、私は真剣です。貴族は愛のない結婚をしますが、私はあなたの事が好きですし、一生守っていく自信があります。ですからジャルジェ将軍に呼ばれてお話を伺った時、迷いもなくこのお話を引き受けました」 ジェローデルはあっけらかんと言う。 「話にならぬ。帰ってくれ」 「お邪魔になると悪いですからそのうち引き取りますが、貴女もこういう機会ですから、一度ご自身の人生をじっくりと考えてみて下さい。女性として生まれた以上、誰か頼りがいのある男性の庇護を受けて、温かい家庭を築くのはごく自然な事です。私にはそれができる資格と力があると言いたいのです」 「たいした自信だな、ジェローデル。いつからお前は私を女として見ていたんだ」 ついこの間まで彼はオスカルを隊長と呼んでいた。 その言葉の陰で、彼が何を考えていたのかは全く計り知れないことだ。 「多分、…初めてお会いした時からです。私の気持ちを知り、共感して下さったのは貴女が初めてだったのです。私はそれ以後、貴女に忠誠を誓って生きてきましたし、その気持ちをそっくり愛情に変えることぐらい簡単なものです。よく考えてみて下さい。たいていの男が妻を持ち、子供をもうけ、次の世代に引き継いでいきます。貴女は男として生きておられますが、決して男にはなれないことはご自身でもご存じでしょう。このままでは男として妻をめとる事も無理ですし、女としての幸せすら知らずに一生を終えることになりかねません。ですから私はあなたのためにお役に立ちたいのです」 ジェローデルは特に感情的でもなく、かといって冗談で言っているようにも見受けられなかった。 「お前は本気で言っているのか」 オスカルは半ばあきれていた。 男というものはいつも身勝手で自己中心的で、何と単純なのだろう。 結局、誰も私の心などどうでもいいのか、と思うと腹立たしい。 「本気ですとも」 「冗談なら笑って済ませよう。だが、本気だと言うのならば今日のところは引き取ってくれ。任務中に私事で時間を浪費する事を私が好まないのをお前ならわかっているだろう」 オスカルはそう言って、名残惜しそうなジェローデルを下がらせた。 その後に司令官室に入っていったアンドレは険悪な雰囲気のオスカルと対面することになる。 彼は余計な事は何も切り出さず、ただ黙々と事務的に書類を提出する。 二人の間には得も言えぬ気まずい空気が流れていた。 「これはドニからの手紙ですが、田舎で仕事が見つかりそうなので、何とかこのまま除隊できないかというお伺いです」 アンドレはあくまで折り目正しくていねいで、必要なことしか口にしない。 今さら従僕のように従順に振る舞う彼の態度にオスカルはいらだちすら感じていた。 又、アンドレに対しても訳がわからず無性に腹が立つ。 「なに?そんな事を言ってきているのか。すぐにダグー大佐を呼んでくれ。詳細は彼と相談する」 オスカルのとげとげしい言葉にアンドレは反応せず、そのまま部屋を辞した。 「ばかやろう!」 オスカルは彼の去ったドアめがけて手近にあった本を投げつけた。 とにかく全てのことに腹が立った。父にもジェローデルにも、そしてアンドレにも。 男達は皆、結束して自分を操ろうとしているのかと思いたくなるほど、彼らに対する怒りはしばらく収まりそうになかった。 ただオスカルは、ドアの外で苦悩の表情を浮かべ、拳を握りしめて立ちつくすアンドレの気配には気が付かない。 ********** その後もジェローデルは懲りもせずにオスカルにつきまとっていた。 彼女はその都度、迷惑そうにしていたのだが、その一方でジェローデルの言うことはもっともであると思えていた。 「女としての幸せや喜びを知ることは、人としての深みを増すことでもあるはずです」 彼はとにかくオスカルが恋愛から逃げているのではないかという考えを持っており、彼女のかたくなな心を何とかほぐそうとしていることはよくわかった。 しかしそのような、氷山をろうそくで溶かすようなゆっくりとした対応に、気の短いジャルジェ将軍はしびれを切らしてしまった。 ついには、もう相手はジェローデルだけではなくて誰でもいいからと言い始め、大々的に花婿募集を宣伝しはじめたのだ。 これにはオスカルもあからさまに抵抗した。 毎夜、屋敷へ帰ると誰彼なく立候補者が待ちかまえ、オスカルに美辞麗句を並べ立てる。 彼女は彼らに対して「私より強い男ではなければ夫として認めない」といきなり剣を抜き、相手を退散させていた。 ジャルジェ将軍は激怒し、最初はオスカルが婿を取って子供を産むことを密かに楽しみにしていたばあやさえ元気が無くなってきた。 ジャルジェ夫人は屋敷の雰囲気が険悪になることを心配しつつ、オスカルには「貴女の気持ち次第なのですよ」と陰で励ましていた。 もちろん、ジェローデルもジャルジェ家の雰囲気をわかっていた。 オスカルの拒絶は激しく、このままでは最後に父娘で決闘でも始めかねない。 それに彼としても何とか穏やかに話を進めたかったのだが、どうにも進展はない。 結局、最後の手段とばかりに、ジェローデルはあることを試してみたくなった。 「私以外の候補がいなくなるのは大変光栄なことです」 彼は今夜も花婿候補を剣で追い払ったオスカルのそばに行き、満足そうに語りはじめた。 ジャルジェ家の庭園は人影もなく、ただ心地よい風が吹いている。 夫人の好みのイギリス風のあずまやにはツタがからみ、手入れの良い植栽がごく自然に調和していた。 「いい加減にしろ、ジェローデル」 オスカルは彼の自己中心的な態度に、つい大きな声を出した。 「あなたがあまり怒ってばかりいるので、ほら、その剣も色が赤くなってきていますよ」 ジェローデルは彼女の握っている剣を指さし、オスカルも又、つられて右手の手元に視線を動かした。 その時である。 彼は突然、オスカルを抱きしめ、口づけた。 いきなりの抱擁に驚いた彼女は、何がどうなっているのか一瞬、わからなくなった。 「何をする、ジェローデル」 オスカルは彼を押し戻し、頬を平手打ちにした。 「ははは、よくわかりましたよ、隊長」 ジェローデルはひるむどころか楽しそうに言った。 「貴女は誰か好きな男性がいるのですね、それはあのフェルゼン伯爵ですか」 「ちがう、フェルゼンは大切な友人だ」 オスカルはとっさに否定した。 「では、一体誰なのですか…。あ、…いや、そこまで踏み込むことは失礼にあたりそうですね」 ジェローデルは苦笑した。 「……」 オスカルも又、切り返す言葉に窮した。 誰が好きなのかと言われて、彼女の脳裏にはただ一人しか思い浮かぶ男がいなかったのだ。 それは彼女自身にとっても思いがけないことで、衝撃的なイメージだった。 今、もしかすると自分の頬が赤くなっているのではないかと、思わずオスカルはジェローデルから視線をそらしてしまった。 「その相手が私でないことは非常に残念です。ですが、私にとってやはり貴女は忠誠を誓った女性に変わりありません。今回の話はこれ以上続けても貴女にとって負担にしかならないことがはっきりとわかりました。私は今後、手を引くことにします」 「…ジェローデル」 オスカルは彼の策略にはまったらしい。 「しかし一つだけ言わせて下さい。ジャルジェ将軍があなたに結婚を押しつけたのは決してジャルジェ家のためだけではないという事です。それは表向きのことでしょう。きっとあなたのことをとても大切に思われているからに違いありません。私は…そんな父上がいらっしゃるあなたがうらやましい」 ジェローデルは次男で、子供の頃から両親からあまり相手にされなかったと聞く。 オスカルは彼の話を聞いて少なからず胸が痛んだ。 「では失礼いたします、隊長」 ジェローデルは最後にオスカルに対して最敬礼をし、屋敷から去って行った。 ********** 「今日は大佐はお見えじゃないんですか」 アランは最近、オスカルの元に入り浸っているジェローデル大佐という男に興味を持っていた。 雰囲気からして、アンドレの恋敵であることは見て取れる。 「もう、ここには来ぬ。どうやら私のようなはねっかえりは手に負えぬらしい」 オスカルは書類にサインをしながら淡々と言った。 横にいたアンドレの顔が輝いたのだが、オスカルは特に見ようとはしない。 だが、二人が司令官室を出ていく時、アランの後ろにいたアンドレを呼び止め、「私はまだまだ嫁には行かぬ」とだけ言った。 ジャルジェ将軍は、突然手を引いたジェローデルから色々と話を聞いた。 「隊長はやはり私にとって隊長でした。責任感も強く、意志も固い。私は隊長の意志を尊重したかったのです。きっとあの方は誰の元へも嫁がれないと思います」 「そうか、あれはそこまで覚悟をしていたのだな」 将軍はそう言って肩を落とした。 一筋縄でいく娘だとは思ってはいなかった。 自分の身勝手で末娘を男として育てた責任は自分にある。 だが、それでも父のために軍人となり、家名に恥じぬ働きをするオスカルに対し、今となっては感謝の念すら感じている。 思った以上に立派に育ち、自分の手に負えぬ娘を力一杯抱きしめてほめてやりたい一方で、自責の念からわだかまり、今も尚、彼女を突き放し、あるいは支配しようとする自分がいる。 彼にとって、もう彼女に手を差し延べる機会はないかも知れない、だが父としてはこれからの娘の幸せをただ祈るばかりだった。 この騒動でろくに口も聞いていない父と娘だが、将軍はいぶかるオスカルに対し、「まだまだあきらめた訳ではない」と前置きしながらも「だが、お前も後悔のないようにするのだぞ」と、すでにあきらめ顔をしていた。 「いいえ、私は父上が私を男として育てて下さったことを感謝しております。栄光あるフランス王室とごく身近に関わりを持つことが出来ましたし、王妃様に心より仕える幸せも味わうことが出来ました。それは私の誇りです」 オスカルの返答に父は言葉を選んでいるのか、少し間を開けて「お前の好きにするが良い。だがもし、軍服を脱ぎたいというのなら私はあえて引き留めぬ」とだけ伝えた。 夕方になり、空気は冷えてきていた。オスカルはようやく自由になった気分を味わい、ジェローデルの潔さを非常に男らしいと感じていた。 父の考えも痛いほどわかっていた。 今さら跡継ぎを産めというのは極端だが、世相が悪くなるばかりの今、娘を危険な目に遭わせたくなかったのだろう。 相変わらず不器用な父の愛に、オスカルは思わず胸が熱くなった。 ふと空を見上げると、夕焼けが不気味なほどに赤く燃え、空に浮かぶ大きな雲を黒く照らし上げていた。 今年も寒い夏になっていたが、それ以上にオスカルは妙な寒けを感じ、思わず両腕で我が身を抱きしめた。 日付を見ると7月14日になっていた。 2006/7/4/ up2006/7/29/up 戻る |