−オスカル・新入隊員編− 「普通の人々編」 その日、オスカル率いるフランス衛兵隊B中隊に二人の新人がやって来ることになっていた。 今、パリでは三部会の要求を掲げる市民のデモや過激なテロが横行し、彼女は市内の巡回に連日駆り出されていた。 衛兵隊は猫の手も借りたい程忙しかったのだ。 そんな折り、陸軍総司令部のブイエ将軍は彼女の隊を強化すべく、広く一般に求人を募り、新人を隊に編入させる事を決めたのである。 「でもよ、ズブの素人を入隊させてどうするつもりなんでぇ、将軍さんはよ」 「へへっ、どうせ面倒見るのは俺たちなんだからよ、ちっとばかし揉んでやりゃあいいんだよ」 隊員たちは新人を袋にしてやろうと待ち構えていたのだ。 新人となればいちいち訓練から教えなくてはならない。 誰もただちに隊の戦力がアップするとは思っていなかったのだ。 せめていたぶるぐらいしか楽しみはない。 それに元々、入隊審査はいい加減なものだった。 アンドレすらろくに素性も聞かれる事なく入隊出来たのだから。 オスカルは司令官室で書類に目を通していた。中にはパリ市内でばらまかれている政治的なビラなども一応チェックしている。 「ダグーです」 ドアの外で声がした。きっとダグー大佐が新入りの兵士たちを連れて来たのだ。 「入れ」 オスカルは冷たい声で答えた。 「…しつれい…します」 「…入りま〜す」 「…何っ?」 オスカルは思わず首を伸ばした。 「本日よりB中隊に入る二人です。そらっお前たち、隊長にあいさつをせんか!」 ダグー大佐は緊張感のない新人を叱った。 だが、オスカルは絶句していた。 二人のうちの一人は、見るからにひ弱な青年で、隊の制服にレースの襟を付けていた。 小柄で顔の作りもこじんまりしていて、やたら神経質そうだ。 「ピエール・ド・マルテンです…」 その男は小さい小さい声で言った。どうやら貴族らしい。 「もっと大きな声で言えっ!」 さすがのオスカルもこのうじうじした男には、キレた。 「…シクシク」 青年は泣き出してしまった。 「泣くなっ!」 オスカルは怒鳴った。 そしてもう一人は立派な体格でなかなか姿勢もよく、前もって剣の腕がたつと聞いていた猛者…のはずだったのだが、その覇気のないヒゲの濃い面にはこってりと化粧をしていた。 「フランソワ・アルヌールでぇ〜す」 男はしなを作りオスカルに挨拶した。 「もっと男らしく出来ぬのか!」 オスカルはこれまたキレた。 だが、軍規に化粧をしてはいけないとは書かれていない。やめろとは言えないのであった。 それになぜか彼女と同名なのだ。 余計にいい気がしない。 「きゃっ、こわぁ〜い。女の隊長さんだって聞いたから入って来たのにぃ〜。女はもっとおしとやかにしとかなくちゃいけないのよぉ〜」 フランソワは人差し指を立て、カワユイポーズを取った。 「やかましいっっっ!早く行けっ!」 オスカルはアンドレに命じて、その二人を兵舎に下がらせた。 「ダグー大佐、一体誰があんな役立たずを編入させたのだ?」 オスカルは比較的冷静になってから聞いた。 「はっ、それが総司令本部の上層部の決定と伺っております。私も詳しくは存じておりませんので…」 ダグー大佐も弱り切った。 「この忙しい時に、何でぼんぼんとオカマを預からなくてはならないのだ…」 オスカルは立ち上がり、手を後ろに回し、困惑した様子で窓際に歩み寄った。 彼女は上層部に対する不信感を大いにいだいたのである。 その夜のことである。 「おい、お前、香水くさいぜ」 フランソワは隣の男にこづかれた。 「い゛ゃぁん、痛いじゃないの」 低い声で女言葉。そのアンバランスな組み合わせに隊員たちはドドッと引いた。 「なっ何でぇ、そりゃあ?」 今度はピエールが怒鳴られている。 彼は自分の召使に命じて、兵舎の不潔そうなベッドに自分のところだけフリフリのレースのカーテンを付けていたのだ。 それはむさ苦しい部屋の二段ベッドにはどう見ても似つかわしくないのだった。 「だ…だって、こんないっぱいの人の中で寝るなんて、落ち着かないんだ…」 ピエールは相手に目を合わさずにボソボソ言った。 「ばっかやろぉ〜っっっ!」 二人は殴られることはなかったが、部屋から追い出されてしまった。 オスカルはその頃、宿舎で一息つこうとしていた。もう少ししたらアンドレがいつものようにパリの下町の話をするためにやって来るのだ。彼女が一日で一番落ち着く時間である。 だが、そこへやって来たのはアンドレではなく今日入って来た二人の隊員たちだった。 「オスカル隊長、ぼっ僕、あんな汚くて乱暴な人たちと一緒に暮らせません」 ピエールは半泣きになっている。 「あたしも下品な男はキライですっ!」 フランソワもシルクのハンカチをクシャクシャに握り締めて抗議した。 「…」 オスカルは言葉を失った。男にも色々いるのだ。 だがむさ苦しい兵舎の中はオスカルとて、お世辞にも居心地がよいとは言えなかったのだ。 とりあえずその晩、空いた宿舎の一室をあてがわれた新入の二人は、翌日から隊の訓練に加わった。 今日はパリの巡回はない。その代わりに、陸軍の上層部から割り当てられた特別訓練を消化しなければならなかった。 オスカルは少しイライラしていた。昨夜、新人たちの寝る部屋のことですったもんだしたお陰で、アンドレと話ができなかったのだ。 「全員、騎乗。出発!」 オスカルの号令の元、B中隊全員はパリに程近い小高い丘のふもとにやって来た。 「おい、新入り。あれを出せ」 目的地に着くなり、アランは訓練の用意を始めようとした。 「やだぁ。あたし、ちゃんとフランソワっていう名前があるのよ」 「…」 女に優しいアランであるが、オカマにはどう接していいのかしばし躊躇した。 「やかましいっ!持って来たやつをさっさと出せ!」 アランはふっ切るようにフランソワとピエールに怒鳴った。 「こんな物、何にするんだろうな…」 ピエールは首をかしげた。 彼は相変わらず襟と袖にフリフリのレースを付けていた。それは隊の制服には全然似合わず、いかつい兵士の中で異様に目立っていた。 ダグー大佐が言うには、彼は貴族の跡取りなのだが、どうにも意気地がないので、心配した父親が根性を付けるためにブイエ将軍に頼んで彼をこの隊に入れたらしい。 いい迷惑なのがオスカルである。 「ホント、ビアジョッキなんか訓練にいるのかしら」 フランソワは小指を立てながら、用意してあるたくさんのビアジョッキをオスカルの元へ運んだ。 彼の入隊の理由は、アンドレがさりげなく聞き出したことによれば、ステキな出会いを求めて、というのが目的らしい。 元々、兵士募集に彼しか応募して来なかったのだ。何も考えてない上層部が適当に採用を決めたらしい。 「今から軍の総指令本部の指示通り、特別訓練に入る。全員このビアジョッキを一つずつ、両手に持ってそこの小川で水を一杯入れて来い」 オスカルは右手と左手にジョッキを一つづつ持って、兵士たちに命じた。 「うぉ〜っす?!」 兵士たちは首をかしげながらも彼女の命令に従った。 衛兵隊転属後、今では隊員の反抗もなく、オスカルは兵士たちの信頼を得ていたのだ。 再び整列した兵士たちにオスカルの指示が飛ぶ。 「諸君。水を入れたジョッキを両手に持ったままこの丘を一気に駆け上がるのが今日の訓練だ。ただし、水をこぼさずに、なおかつ迅速に行動しなければならない」 オスカルはそう言いながら赤面しそうになった。これは底抜け脱線ゲームではない、真剣な訓練なのだ。 ひょっとすると足腰とバランス感覚を強化するのかも知れないが、彼女はこんなバカバカしい訓練を考えた人間を呪った。 「はえ〜っ?」 兵士たちは間の抜けた返事をした。当然のことである。 「では、諸君。私が手本を見せよう。とおっ!」 職務に真剣なオスカルは恥をかき捨て、ジョッキを両手に握り締めて一気に小高い丘を駆け上がった。 ほんの一瞬の出来事であった。 そして、そのまま再び丘を駆け降りて来たオスカルは照れ笑いを浮かべるでもなく真剣そのものであった。 「おおっ!」 兵士たちは彼女の身軽な動きにどよめいた。水を一滴もこぼさなかったのだ。 そして、何事にも全力を尽くすオスカル隊長の気合にも彼らは感動していた。 「よーし、俺たちも続けー」 アランは全員にはっぱをかけて、先頭を切って丘に突進して行った。そしてすぐに兵士たちも後に続いた。 どどどぉ〜。 地響きを立てて男たちは丘に登って行った。それも全員、両手にビアジョッキを握り締めて…。 オスカルはここではじめて顔から火が出そうになった。 なんとみっともない光景なのだ。 彼女は一人で見本を示した自分が恥ずかしくなって来たのだ。 そして、この訓練はたいへん意味のないものなのだと気が付きはじめていた。 もしパリ市民が見たらなんと言うであろう。 これではただの税金泥棒である。 だが、これは上層部からの命令である。命令は絶対なのだ。オスカルは歯を食いしばった。 「あっ、俺、半分こぼしちまった」 「へへへっ、俺なんかまだまだ余裕だぜっ」 オスカルの困惑をよそに、男たちは単純な事に喜びを見いだしていた。 「ごほごほっ、土埃で息が苦しい」 ピエールはレースのハンカチで鼻と口を覆った。 「軟弱な奴だな!シャキッとしろっ!」 アランはつい、いつもの調子でピエールの頭をジョッキで殴った。 「痛いっ。ひっひど〜い、父上にも殴られたことないのに…。うっ、うっ」 ピエールは頭を押さえながら、もう涙声になっている。 「ばかやろう、そんな事ぐらいで男が泣くんじゃねえ」 アランは再びピエールに拳を振り上げた。 「きゃ〜、アランさん。男らしくて素敵!」 フランソワが横から声をかけた。 「ばかやろう、お前も男なら男らしくしろっ!」 アランは怒鳴った。 「あらっ、それじゃあ…隊長は女なのに女らしくしなくてもいいの?」 フランソワは両手を頬に当ててしなを作りながら、隊員の誰もが思っていても言えない禁句をずばずば言った。 「やかましい、もうお前たち何かに構ってらんねえ。さあ、今度は一気に降りるぜ、それ行けえっ」 アランは彼に返事をする代わりに先頭に立って丘を駆け降り始めた。 とは言うものの、実はアランは気持ちが揺れていた。彼は内心、オスカルの事が好きなのだ。 …オスカル隊長が女らしくする??…フランソワの一言で、アランはオスカルのうるわしい女装(?)姿を一瞬思い浮かべていたのだ。 だがその動揺のあまりか、集中力がとぎれたアランはたちまち足がもつれて思わず転倒してしまった。そして、後ろから来た者たちも彼に蹴つまずき、次々と転倒していった。 「ああっ、危ない」 よもやこんなくだらない訓練で負傷者が出るとは思っていなかったオスカルは、丘のふもとへ駆け寄って行った。 だが、隊員たちはだいたいが無事だった。 「隊長、フランソワが…」 ただ一人、打ち所が悪くぐったりしているフランソワを抱き起こしたアンドレが心配して言った。 「大丈夫か、フランソワ」 オスカルは自分と同名のオカマに声をかけた。 だが、フランソワは苦しそうに胸を押さえている。 「石か何かで胸を強打したらしい」 オスカルはそう言って彼の胸を開こうとした。 「きゃっ、ダメ」 フランソワは突然意識を取り戻し、両手で胸をカバーした。 「むむっ」 オスカルはひるんだ。だからと言って、オカマにも意地があろう。 男の手で介抱されれば恥ずかしいに決まっている。 「つべこべ言うな」 オスカルは無理やり彼の胸をはだけた。 「おおっ!」 オスカルは思わずのけぞった。 何と、フランソワは毛むくじゃらの厚い胸板にレースぷりっぷりのコルセットを着ていたのだ。 盛り上がるチチもないくせして彼は堂々と女装しているっ! オスカルは対処に困った。 振り返ると当然、アンドレをはじめ兵士たちはズーンと後ろへ引いてしまっている。 「エッチ!だからダメって言ったでしょ」 フランソワは元気を取り戻し、プンプン怒りだした。 「済まぬ…」 オスカルは訳もわからず謝ってしまった。 そして彼女は、オカマとぼんぼんを入隊させ、こんなくだらない訓練をやらせた軍の上層部に再び強い不信を抱いていた。 それは少なからず、後の革命で彼女が民衆へ寝返る一端を担ったと言っても過言ではない。 おわり 1997年6月24日 up/2004/12 戻る |