−お知らせ− このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。 一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。 又、内容も原作から大きく外れている場合も大いにあり、予測なしにオリジナルキャラクターも登場します。 まれに、現在は控えるべき表現も出てきますが、あくまで場面を描写するためにやむなく使用しています。 それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。 -孤高- アランには年の離れたディアンヌという妹がいる。 兄に似ず華奢で、黒髪の美しい娘に育っていた。 そろそろ嫁ぐ年頃なのだが内気な性格で、言い寄る男も多いのだがうち解けるまでのつきあいには発展しない。 何よりたたき上げの軍人でゴツい兄がいるのを知ると、下心のある男どもは退散してしまう。 ではと、アランが婿探しをしているのだが、今のところ彼が候補に挙げているのはアンドレ一人で、そのアンドレは女に興味がないのか縁談を切り出すきっかけもない。 世相は暗くなる一方で、今の制度を覆そうとする貴族や高等法院、あるいは自由主義を叫ぶ街角の弁士たちは、民衆に向かって社会的な関心を高めようと過激に反体制をあおっていた。 そんな時勢だからこそ、出来れば性格は穏やかで、女を守ってくれそうな現実的な男が良いとは考えているが、なかなか理想ばかり高くて、本人そっちのけで一人悩むアランだった。 ********** ある夜、オスカルはベルサイユ宮殿の見回りのさなか、侍女と共にプチ・トリアノンに入っていくエリザベート内親王の姿を見かけた。 彼女はルイ十六世の妹で、弱気な国王である兄を唯一心から慕う女性でもある。 久しぶりにみる姿は以前と同じように、清楚で高貴な印象を受けた。 風の便りに今も尚、エリザベートが貧しい人々を救済する活動を続けていると聞く。 お付きの侍女が扉を開け、外に暖かな明かりが漏れる小宮殿ではエリザベートを出迎える楽しげな声が聞こえ、今日もプチ・トリアノンでは何事も起きずに済んだことを物語っていた。 オスカルは元気そうなエリザベートの姿に一安心し、彼女が義姉のアントワネットとも仲良くされているに違いないと微笑ましく思った。 と、同時にふと暗い茂みを見ると、長身の男が足早にアモーから、言い換えればアントワネットの作った村落の庭園から出てきて立ち去ろうとしている。 兵士の一人のジャンも同じように人影に気付いたらしく、とっさに身構えた。 「待て」 オスカルは即座にジャンを制止した。 「内親王殿下の付き人だ。怪しい者ではない」 距離はあるが、歩く姿でその人影がフェルゼンであることはオスカルにはよくわかっていた。 今夜もアモーの秘密の洞窟でアントワネットに会っていたと思われるが、兵士に見とがめられることは彼としてもばつが悪いに違いない。 二人が忍んでまで会いたい気持ちがわからないではないが、今となってはフェルゼンとアントワネットに対する想いは、オスカルにとってすでに遠い。 なぜだかはわからない。 ただ、時間が過ぎたことや、宮廷の中にいた時とは又、違った視点で物事を考えているからかも知れない。 確かに自分の気持ちをフェルゼンに知られることはつらかった。 今もまだ、彼と向かい合って話をする事は躊躇してしまうほどのわだかまりは残っている。 だが、今はこうなって良かったのだという満足感のほうが強い。 あの時は全てを振り切って、違う世界に飛び出して行きたかった。 今まで自分の築き上げたものを否定するつもりはないが、振り返れば宮廷では、型にはまった生き方をし、息詰まるような閉塞感の中にいたとさえ思えた。 ********** アンドレは一度屋敷へ帰るきっかけが出来たせいか、ばあやに呼ばれて時折屋敷に戻ることがあった。 ジャルジェ将軍を助けたことで「お前にはずいぶん世話になった」と感謝され、悪い気はしないアンドレであった。 少しでも今までのご恩返しになればと思い、その時は懸命に救助しただけなのだが、将軍はたいそう気をよくして、自分が大事にしていた短剣を彼に与えたりした。 「こんな大切なものを頂いて、かえって盗られたり落として無くすと困るし、おばあちゃん…」 と、彼は屋敷の祖母に短剣を預け、再び兵舎へと戻っていった。 「お前、あの隊長のことが好きなのかよ」 アランはある時、きっかけを見つけてアンドレに聞いた。 しかしアンドレは黙って答えない。ただ、それが何より答えになってしまってはいるのだが。 「気を付けろよ、アンドレ。あの女を見ていたら危なっかしいっていうのか、こっちが振り回されそうな気がするんだ」 アランはあごを撫でた。 彼は隊長としてのオスカルに対しては信頼を置き、一目を置いていた。 だがどうしても人としてのオスカルには高い壁があり、うち解けられない部分があると感じていた。 相手が女だからと彼は思っていたのだが、そう単純な理由ではないとも思える。 「ああいう人間は落ち着いているように見えて、実は根っ子のところが浮き上がっている。何て言うのか、生き急ぐことで本当の自分を見向きもしねえ。まあ、他人のことは言えねえがよ」 アランは苦笑した。 彼は三十を過ぎても身を固めるでもなく、生活も苦しいことから未来への希望もなく、衛兵隊の一兵卒としての日々を忙しく送っている。 ただ彼は、家族を養っているという責任感だけは人一倍持っていた。 一方、アランの話を聞いて、アンドレは本当の自分とは何だろう、と考えていた。 子供の頃から男として育てられ、ジャルジェ家の跡取りとなるように決められ、ひたすら王室への忠誠を貫いてきたオスカルの半生。 わざわざ忙殺されるために衛兵隊に転属してきたとも取れる彼女の行動に、ただ単に宮廷で息詰まっただけではなく、アランの言うように、さらに自分を追い込み、わき上がる感情を抑え込もうとしているのではないかとも思える。 「あの手の人間を俺は外国を渡り歩いている中で何人も見てきた。みんな根は良い奴で人の役に立つことが好きだ。だが自分には厳しくて最後にはそれが良かれと思って、真っ先に身を滅ぼしちまうのさ。俺はそんな人間を否定はしねえ。むしろ惹かれるものすらある。だけど部下としてはだな、自分のことを大事にしない隊長に命を預けるのは危険だってことだよ。そんな奴は何かあると自分が矢面に立つんだが、目立っちまってひとたまりもない。最後には隊まで巻き添え喰らって全滅しちまうのさ」 アランは怒りにも似た感情をオスカルに抱いていた。 彼の過去の記憶にある「良い奴」とはアランにとって大切な友人だった者たちのことだと言う。 彼らは最後まで心の核心を閉ざし、ひときわ高い精神世界の中にいて、他人を寄せ付けなかった。 本人たちは自分の内面を明かさないのも周囲への配慮だと考えていたようだが、それは他人にとって「冷たい」のと変わりはない。 何の愚痴を言わず、真っ先に破滅に向かった人々を思い出すにつけ、アランは喪失感を感じ、むなしさだけがこみ上げてくる。 もし、彼女に心があるのなら、身分の違いという壁を取り除き、アンドレという男の存在を無視出来るはずがない。 二人の関係がどうにかなればいい、という下世話なことではないが、たとえ男であろうが女であろうが、ずっと一緒にいて信頼し合ってきたのなら、もっと相手に本心を見せてもいいはずだ。 なのに彼女はアンドレと一線を引き、あくまで表面上のつきあいに留めている。 第一、オスカルという女は素直ではないし、自分の弱い部分を顧みようとしない。 「金や名誉が欲しいとか、誰か好きな女が出来るとか、誰かに甘えてみるとか、そんな人間臭いことを避けていたら、人っていうものは、いつのまにかこの世のものではない理想を追いかけちまうんだ。いくら追いかけてもつかめないようなものをだ。そしたら自分の人生をますます振り返らなくて済むからな、他人には厳しい生き方のように写っても、本人はそれでそれなりに生きる道を見つけたと信じて楽なもんなんだよ」 彼はいつのまにかアンドレの味方になり、彼なりに分析したオスカルの本性を説いていた。 「だけど結局は人との関わりを避けているのと変わらねえ。お前は誤解だと言うかも知れねえけど、あの隊長が冷淡に見えちまうのもそのせいだ」 「ありがとう、アラン。アランの言うことはよくわかるよ。だけど、俺はもう自分がどう生きるかはちゃんと決めているんだ」 アンドレは微笑んだ。 今、ここでアランに話したところで、オスカルがこれまでひそかに流した涙の意味を言葉では言い表すことなど出来ない。 父やジャルジェ家のために強くならねばと歯を食いしばり、いつのまにか何でも完璧にこなすようになり、他人からは強い人だと誉め讃えられる陰で、彼女が人に甘える気持ちを押さえつけてきた事を誰も知らない。 まだ少女の頃、女として生きる道を捨てたオスカルに付き添っていたアンドレにとって、彼女が自分の心の一部に鍵をかけ、わざと閉ざしてしまったことは痛いほどわかっていた。 そんな彼女に、自分の欲望から、二人の関係が友情ではなく生身の男と女なのだと、オスカルに対して突きつけてしまったのは彼自身だった。 オスカルにとってアンドレを振り向くことは、今まで切り捨てて生きてきた女性としての自分をはじめて直視することになる。 それは中から何が出てくるかわからない魔法の箱のようなもので、そのふたを開けてみることは、今さら彼女にとって暗く深い海に飛び込むような勇気が要るものに違いない。 だが、彼女が本当の自分というものに、気付こうが気付かずにいようがアンドレにとってはどうでもいいことだった。 外見もその内面も、彼はオスカルを非常に美しいと思っている。 だが、それだけではなく、本人も気付いていないかも知れない彼女自身の本当の心を、彼は愛しているのだと信じて疑わない。 もしかすると、彼女の心を知っているのは自分ただ一人かも知れないという確信すらある。 だからこそこの先もずっと、平穏な時ばかりではなく、いつか彼女が危なっかしい道を踏み外す時も、誰かに救いを求める時もそばにいて、見守っていたいと思うのだ。 「お前、馬鹿じゃないのか」 アランはアンドレの心を察してか、あきれて言った。 結局、意を決して妹のディアンヌとアンドレとを引き合わせようとする彼の計画は実行に至らなかった。 ********** オスカルがばあやから高価そうな短剣を預かったのは、夕方の事だった。 夜間の任務のために屋敷から出ていこうとすると、いつになく申し訳なさそうにばあやが「お願いがあるのですが」と話しかけてきた。 何でもアンドレが預けていった物なのだそうだが、ばあやは自分がいつまでも元気かどうかわからないし、こういうものはやはり本人が持っていた方がいいので、是非渡して欲しいと言う。 「ばあやはまだまだ元気だし、長生きするに決まっているだろう」 とオスカルも笑い飛ばしたが、とりあえず頼まれたので快く引き受けた。 隊に付くとアンドレは不在で、今日は休みで早朝からパリに行っているらしい。 ダグー大佐が言うには、司令官室にたくさんの箱が本部から届いており、ブイエ将軍から中に入っている書類に目を通しておくようにとの命令があったと報告した。 元々はオスカルが衛兵隊の財務状況を知りたいと将軍に言ったからなのだが、ずいぶん以前の物まで送ってよこしたらしい。 仕方なく彼女は報告書を任務の前に片づけようと真っ先に司令官室に向かった。 部屋にはいると真っ暗で燭台もランプもない。月明かりがうすぼんやり照らす部屋中には、なるほどたくさんの箱がうずたかく積んであり、ブイエ将軍の大胆な性格を物語っている。 確か明かりが置いてあったはずだがと不審に思い、壁際のサイドボードに振り返ったとたん、ドアの陰から誰かが飛びかかってきた。 「うっ…」 オスカルは口を塞がれて仰向けに倒れ、大きな男が上から覆い被さってきた。 獣のように荒い鼻息がオスカルの頬にかかり、熱い息は酒臭い。 「あ、あんたの事をよ、あいつ好きなんだとよ。みんなのうわさになってるぜ。俺はやっちまおうぜって言ったのに、あいつは俺に殴りかかってきやがって…。あんたみたいにきれいな女なら、誰だってやりたいに違いないってのによ、あいつ頭がおかしいんじゃないのか」 「ドニ!」 オスカルはかろうじて声を上げた。相手の声は間違いなくドニだった。 「そんなにおいしそうな体なら、俺がいただいとこうって事だよ」 そう言って彼がオスカルを黙らせようと拳を振り上げたとたん、わずかに彼の体が離れた。 すかさず彼女はドニの股間めがけて膝蹴りをすると、相手は思わず苦痛の悲鳴を上げて飛び退いた。 だがそれに懲りず、ドニは剣を抜き、オスカルめがけて襲いかかってきた。 「おとなしくしやがれってんだ、このアマ」 彼の剣の腕前はあなどれない。繰り出してくる切っ先は殺気を含んでおり、決して気を抜くことは出来なかった。 しかし、箱やテーブルなどの障害物の多い部屋で長剣を振り回しても効率が悪いだけだ。剣を振り回すたびに壁や家具に傷が付き、オスカルには届かない。 「やめろ、ドニ」 オスカルは叫んだが、正気を失っているのか全く聞こうとはしない。 出来るだけ大ごとにしないようにと反撃は控えていたが、がむしゃらに向かってくる彼には理性など感じられない。 仕方なく彼女は腰の短剣を抜き、ドニの腕めがけて切り込み、ついに彼の剣をはじき飛ばした。 手首に傷を負い、素手になった彼はオスカルに短剣を向けられてやっと我に返ったのか、引きつった表情で彼女の顔を見て、あわてて部屋から飛び出して逃げていった。 「ドニ」 オスカルは叫んだが暗い廊下に響く足音は小さくなり、やがて消えた。 彼の態度は尋常ではなかった。 いくら思慮が浅いとは言え、隊長を襲うなどと言う馬鹿なことをしでかすのはおかしい。 だがそれより前に、いつかアンドレが怪我をした原因が、自分を巡る事だったのをオスカルは初めて知った。 彼は彼なりにオスカルの名誉を守ろうとしてくれたのだ。 彼女はあの時、何も知らずにアンドレを非難した自分を深く反省した。 しばらくして兵舎の見回りをしていた兵士がやってきて、「先ほどの物音は何ですか」と怪訝そうに聞いた。 何でもない、と答えるオスカルの軍服の袖は大きく裂けていた。 ********** 翌日になって、アランが頭をかきながら司令官室に入ってきて、ひょうひょうとした態度で「昨夜は大変でしたねと」切り出した。 あの後、本人は気が動転しつつも何とかアランに自分が引き起こした事件を語り、そのまま行方不明になっているという。 今は他の兵士たちの話を聞いて、居場所の心当たりを探しているのだと報告した。 アランが出ていくと、今度はアンドレが血相を変えて入ってきた。 「無事なのか…」 彼はオスカルをまじまじと見つめ、視線は裂けた袖に釘付けになった。 「あいつめ」 アンドレは壊れ物に触るようにそっと彼女の裂けた袖に触れ、宙をにらんだ。 「私は大丈夫だ、そんなことよりこれをばあやから預かってきたんだが」 オスカルはそう言って短剣を彼に差し出した。 「これは俺がおばあちゃんに預けたものだ。どうしてまた」 オスカルはばあやから預かってきた訳を話し、アンドレはこの剣をもらった経緯を話した。 「渡して欲しいと言われたんだが、昨日これを使ってしまって少し刃がこぼれたらしい。直してから渡したいのだが、それでいいかアンドレ」 「そんなことはしなくていい。これが役に立ったのなら俺はそれで充分満足だ」 「いや、それでは私の気が済まない、ちゃんと修理してからだな…」 そうしてどうでもいい問答はしばらく続き、二人は久しぶりに目を合わせて笑った。 2006/6/25/ 後記:この年の2月、フランスで初めて奴隷貿易に対する反対運動が起きたそうですが、この史実をからめると、貴族社会の矛盾ばかりではなく自由・平等に燃えるオスカルはきっと大忙しになるのであえて触れません。 up2006/7/13/up 戻る |