−お知らせ−

このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
又、内容も原作から大きく外れている場合も大いにあり、予測なしにオリジナルキャラクターも登場します。
まれに、現在は控えるべき表現も出てきますが、あくまで場面を描写するためにやむなく使用しています。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-激流の中に-




年が明け1788年、寒い冬になった。

冷たい小雨が降り、厚い雲が空一面を覆う日が続く。この時期、太陽の出ている時間は非常に短い。


それでも朝早くから起き出したジャルジェ将軍はコンピエーニュの別荘に出かけるのだと大騒ぎをしている。

ばあやはオスカルに「お嬢様!旦那様をお止め下さいまし」と懇願し、将軍は「朝っぱらから大声を出すでない」と大声を張り上げ、屋敷の中はにぎやかだった。


「父上、この間の件もあります。少しは配慮なさって下さい」
オスカルが忠告するのは、父が懲りもせず派手な馬車で出かけようとしていたからである。


「何を言うか、貴族が貴族らしく振る舞ってどこが悪い。そんな事だから平民どもになめられるのだ。貴族たる者、誇りを持ってだな…」


「それでは貴族は貴族らしく、誇りを持って税金を払うべきです。あのような賊が出没する背景は我が国の民が貧しいからです」
オスカルはたたみかけた。


以前、貴族に税金をかけるという新税案が出た時、ジャルジェ将軍は苦り切っていた。

決してジャルジェ家の財産が目減りするという懐の浅い考えではないが、貴族に与えられた特権こそ、国王への忠誠の証しであり誇りであるという考えが彼にはあった。

だが、この案件が少なくとも国王陛下のお考えであれば、これも又仕方ないと割り切り、彼は世の流れを嘆いている。

民衆から搾取するばかりの貴族には嫌気がさしていたオスカルとは正反対の考え方だった。



「お前は新しい考え方にかぶれているのだ。よいかオスカル、この世に大切なのは秩序だ。逆らわず全てを受け入れると何でもうまく行くのだ」
父の説教が始まった。


「そもそも人には生まれ持った運命がある。お前は自分に与えられた人生を全うすればいいのであって、余計なものを見聞きする必要など一切無い。第一、大きな変化を求める風潮は、自分では何もせずに文句ばかり言っている奴らが巻き起こしているに過ぎぬ。頭でっかちで口だけ達者なのは尻が青い証拠だ。それこそ嘆かわしい。もっと嘆かわしいのはそれにつられて騒ぎ出す大馬鹿者たちだ」

ジャルジェ将軍の言う大馬鹿者とは、大きな声で改革を訴える者に対し、深く考えもせずになびく民衆の事だろう。

彼はオスカルと毎度交わされる答えのない議論に、いつもの紋切り型の捨てゼリフを吐いて出ていった。


実のところ彼はオスカルが衛兵隊ですぐにしくじり、すごすごと近衛隊に帰ってくるものと信じて疑わなかった。

だが、最近ではすっかり衛兵隊の兵士たちとの関係も築き、落ち着きさえ見せているという。

親として自分の思惑から外れていく娘に腹立たしいと思う反面、立派だとほめてやりたいとも思う。だが身内だからこそ、照れもあってそう簡単に素直に本心を打ち明けられない。



「何かをしたくても、行動できないように民を縛り付けているのが今の制度でございます…」
と、言いかけたオスカルの言葉も彼はすでに聞いていない。
以前なら反抗するだけで拳が飛んできたものなのにと思ったが、少しは父も丸くなってきたらしい。

保守的な父ではあるが、王権を弱めて権力を我がものにしようとしている一部の貴族に比べると、かえって父が律儀な頑固者で良かったとさえ思える。




**********




オスカルがパレ・ロワイアルにある花屋に訪れたのは数ヶ月ぶりの事であった。

久々に午後から時間が取れたので、留守部隊を見回るついでに立ち寄ったのだ。
長い冬の間、花屋はどこか寂しい。


「オスカル様、お久しぶりでございます、お元気そうで何よりでございます」
ロザリーは珍しくやって来たオスカルを明るく出迎えた。
曇りがちの冬空とは対照的に、ロザリーの周囲だけはいち早く春が訪れたようだった。


「いつも元気そうだな、ロザリー。ベルナールがよほど優しいのだな」
と、オスカルはからかう。


「いやでございます、みんなそうやって私を冷やかすんですもの」
彼女はすぐに真っ赤になった。


衛兵隊に転属してからは時間の余裕が無く、長くロザリーの顔すら見ていなかった。

もっともロザリーのほうから時折ジャルジェ家の屋敷に訪れる事があり、元気な姿を見せて屋敷の者を安心させている。

ただ皆が期待しているおめでたい話はまだなく、夫婦仲が良すぎるのではないかと皆からはやし立てられていた。

もっともロザリーも寂しい思いをするでもなく、活気あふれる花屋の仕事が楽しくて仕方ないと言う。

パレ・ロワイアルには、時に思想かぶれの過激な怪しい人物も現れるが、楽しそうに出入りする老若男女でいつもにぎわっており、飽きることはない。

ここはオルレアン公の居城であり、この一般に開放された回廊には警察の力も及ばないが、パレ・ロワイアルでは今のところ表向き大きな事件はなく、絶対王政らしからぬ自由で独特の空気がただよっている。


聞けば、この店には最近になって、ネッケルの娘ジェルメーヌも時折顔を出すのだという。

ロザリーはジェルメーヌにしばしば椅子を勧めていたので、今では簡単な世間話をするほどうち解けていた。

ジェルメーヌは最近少し太ってしまったと言い、ロザリーの勧められた椅子に快く腰掛け、少ししゃべってから花を買って帰っていくらしい。


噂をすればさっそく本人が現れ、オスカルの姿を久しぶりに見てなつかしそうに会釈した。



「お父上は元気で在らせられるか」
というオスカルの問いにも愛想良く答える。

以前、名士会で糾弾されたネッケルはパリを追放されたのだが、元気で過ごしているという。

「父は今、サロンの様子を知りたくてうずうずしているようです」

近年、人間重視の思想が広く一般にも広まり、あちこちで裕福な夫人などが自由に語り合うサロンという社交場を開いていた。
そこでは知識人や世の中で脚光を浴びる人々が集まり、新しい思想や政治経済のことなどを活発に意見交換する場所になっている。


印刷技術の発達により、それらの自由な思想はパンフレットとなって遠くの村々まで運ばれ、文字を知らぬ者には誰かが読み聞かせてさらに広まっていった。

自由の風は希望をはらみ、今では自在にフランス国内を吹いている。

ジェルメーヌは子供の頃から、母が開いているサロンで自由な気風に囲まれて育ってきたのだ。


この頃、すでにあちこちで有名になっていた話だが、ジェルメーヌは結婚後すぐに夫であるホルスタイン男爵と不仲になっていた。

堅実な男爵と、我の強い彼女とでは夫婦の生活に潤いが無かったという。
すでに二人は別居をしており、互いに関係を修復する気持ちもない。

だが、当時の貴族は決して夫婦円満がもてはやされていたわけではない。
恋愛に関しては結婚してからが本番であり、男女ともに粋であることが要求された。

だが、ジェルメーヌの場合は恋愛ではなく、思想や人間の本質を知る事に興味が向いていた。
母が開いていたサロンには彼女の情熱をかき立てる思想が飛び交い、知的な会話で盛り上がりを見せている。



「私は立憲王制への移行が一番望ましいと思っているのですよ」
ジェルメーヌが言うには今の絶対王制には不備があり、近代化する諸外国に対抗するためにも、今のままではとうてい無理があると憂慮していた。


現に、去年建国したアメリカには王はおらず、彼らもあれほど独立戦争を支持したフランスではなくイギリスになびいている。


「第一、才能ではなくお世継ぎとして生まれる次期国王に国を治める力があるかどうかは未知数ですわ。うまくいけばいいですが、その反対の場合は取り返しがつきませんから」
そう強く語るジェルメーヌの情熱は、サロンでの白熱した議論の後ながら、まだここでも燃え残っているようだった。


今の制度は破綻寸前に違いないと信じる者は年々多くなっていた。

街角で、王制を廃止して共和制が望ましいと過激に叫ぶ者がいれば、聞き入っていた民衆は拍手喝采で歓迎し、又、別の者が議会を設立して立憲君主制にすべきだと言えば、それにも又、惜しみない拍手が送られる。

だが、かと言って誰もが新しい世界がどのようなものになるのかは、全くわからなかったのである。



ジェルメーヌの言う立憲王制というものに、オスカルも又、王室のこれから進むべき一つの選択肢として興味を抱いていた。

大貴族が国を動かす大臣の座を占め、地位のある主要な役職を独占し、自分たちの権力を維持しつつ私腹を肥やす事ばかり考えている現在の制度はすでに腐敗していた。

又、国王一人が独断で判断するのではなく、王室と国民の代表が協力し合って国家の行き先を決定していくほうが、様々な困難にも対処しやすい。


立憲君主制という考え方は一つの理想としてさえオスカルには思えた。


「元近衛兵のあなたの前でこのような事を申し上げるのは失礼かも知れませんが、私は国王陛下を尊敬しているのと同時に、共和制という響きにも魅力を感じているのです。人々が平等に権利を与えられ、義務も平等にすれば、今ほど不幸な人は減る事でしょう。同時に女性の地位が上がれば申し分ないのですが」
ジェルメーヌの心も揺れていた。

国王が不在の国というものは彼女にとっても想像しにくく、今ひとつ現実味を帯びない。
が反面、それが理想的であるようにも思える。

彼女も又、民衆の心の中に渦巻く新しい社会の輪郭が今ひとつはっきり見えなかったのだ。


「今、全国三部会を開く提案も出ているそうです。一刻も早く実現し、国の代表が話し合い、制度を変える突破口になればいいと思っています」



全国三部会。

絶対王制下において、それぞれの身分の代表が集まり、国を良くするために論じ合い議決する唯一の場である。

もし実現すれば何かが変わるという予感を感じさせる。



「議論する事は大いに結構な事だと私は思っている。多くの者が希望を語ればそのうち良い智恵も出てこよう」
オスカルは自身がフランスの未来を熱く語ることは避けていた。

彼女自身が軍属であることが最大の理由だ。
剣を持つ者は権力を語るべきではないという信条を彼女は父から譲り受けていた。

今となっては現制度のひずみを知り、新たな国造りをする時期に来ていると感じるオスカルと、絶対王制に従ってかたくなに王室に忠誠を誓う父との唯一の共通点でもある。




**********




立憲王制という一つの未来への希望を胸に、オスカルは屋敷への帰路についた。

しかし、王権は神から与えられた権利と信じて疑わず、変わりゆく世界を認めないアントワネットに、その新しい王制が果たして受け入れられるものだろうかと考えると、非常に状況は厳しい。


それでも人は変われるものであり、アントワネットが将来、王となる子供たちの未来を明るくするためにも、必ず賢く立ち振る舞って下さるに違いないと信じようとした。



夜になって屋敷に着くと、兵舎にいるはずのアンドレがオスカルの帰りを待っていた。


「こういう事は隊長にも早く伝えたほうが良いと思って来ました」
アンドレは神妙に切り出す。


「妙にかしこまらなくていい」
オスカルはへりくだるアンドレを制した。


「…わかった。それなら…」
アンドレは普段の口調で、それでも尚、言いにくそうに話し始めた。


彼が言うには、フランソワの末弟が今朝、亡くなったのだという。

以前、その末弟が馬車にはねられ、薬代をまかなうためにフランソワが剣を売り、大騒動になった事がある。

何でも弟は体が弱く、普段からちょっとした風邪でもすぐにこじらせていたらしい。

怪我の直り具合も悪く、あちこちが痛いと言っていたのが、この冬の寒さでたちまち風邪を引き、弱った体にはひとたまりもなかったらしい。



「お葬式に行きたいんだが…」
と、言いかけたアンドレにオスカルも又、応えた。


「私も行こう」
悲痛な気持ちで一言そう言った。




**********




教会の鐘は悲しげに響き、フランソワの嘆きようは激しかった。

もっと良い薬も、もっと良い医者も、お金さえあれば与えられたはずなのだ。
彼は自分を責め、家族は不平な社会を責めた。
そして返ってこぬ命を何より悲しんだ。

集まった隣人たちも又、同じように身内を亡くした過去があり、互いに我が身の不幸を嘆き慰め合っていた。


「王様がもっとしっかりしていて、あんな浪費癖のあるオーストリア女と一緒にならなければ、もっと良い世の中になっていたのにねぇ」
という不満も、ここでは真実みを帯びて響いた。


「貴族なんかいなくなっちまえばいいんだ」
誰かがつぶやく。


「明日にでも世の中が消えちまっても構うもんか」
こんな不幸をどうすれば無くす事が出来るのだろうか。どうしようもないのだろうか。

政治犯として息子を捕らえられた母親、病気の家族のために貴族の主人の金を盗み、死刑になった男。

忘れられぬ恨みつらみが次から次へと吹き出してくる。


だが、世の中は全く良くならず、ただ大貴族だけが毎夜のように贅沢に着飾り、舞踏会で優雅に踊っている。
人々は涙に暮れ、深いため息の中で絶望感を味わっていた。



オスカルはただ一人、ここに居場所のない自分の立場を思い知らされていた。

ゆるやかな改革を目指す者は暮らしに余裕のある者の傲慢に過ぎない。

確かにジェルメーヌは生まれは貴族ではないし一市民であるが、生活に何不自由なく育っている。明日の生活に困っている民衆とは違うのだ。



オスカルは自分の甘さを痛切に感じた。

王政の不備や重税にあえぐ民衆は、一夜にして世の中がひっくり返るほど急激な転換を望んでいた。

彼らは明日さえ不確かなほど追いつめられていたのである。

その横で貴族は相変わらず絶対王政の下にむらがり、尚かつさらに自分たちの権力を強めようとしている。

彼らには国の大部分を占める民衆がどうなろうと全く関心はない。
一握りの特権階級者が制度によって民衆を服従させていることすら気にも留めていない。

改革を望む民衆の叫び声は、新たな社会を作り出すなどというきれい事ではなく、もしかすると、今まで押さえつけられたことへの復讐を望む声なのかも知れない。



全国三部会が開かれ、皆が力を合わせて新しい制度を作り出すことが出来れば良いと考えていたオスカルは、世の中はそう簡単に理想的なものに変わることなどなく、様々な考えや感情が複雑にからんでいることを改めて知った。


これらのあまりにも違いすぎる環境にいる者たちが、果たして一つの国の民としてまとまり、一つの理想を目指せるのだろうか。


又、身分を越えて国民がまとまるには、絶対王政に代わるような巨大な求心力を必要とする。

それが立憲王政なのか、アメリカ独立戦争で掲げられた自由や平等といった崇高な理念なのか、又はフランスという国家を一つの生き物として捉え、人々が国の手足となって我が身を捧げることなのか、今は誰にもわからない。

ただ、これらの目に見えぬ巨大な力は絶対王制と同じで、陰で国を操る人間に牛耳られる危険もあり、制御できる基盤がなければ、時には暴君のように勝手に意志を持ち、国を荒らす可能性がある。


絶対王制の基盤が崩れようとしている今、理想や希望という光を遮る「混乱」という黒い闇が、間近に迫っているような気がして、オスカルを威圧しはじめていた。




2006/6/17





up2006/7/4/


戻る