−お知らせ−

このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
又、内容も原作から大きく外れている場合も大いにあり、予測なしにオリジナルキャラクターも登場します。
まれに、現在は控えるべき表現も出てきますが、あくまで場面を描写するためにやむなく使用しています。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。



-長い一日-



衛兵隊の兵士たちはオスカルが隊長である事にずいぶん慣れてきていた。

最初の頃は女の下で働くのかと反発もしたが、今までのところ彼女の部下に対する態度は必ずしも悪いものではない。むしろその関係は前任や以前の隊長と比べてもかなり良い。

又、国王直属の精鋭部隊を率いていたことや、ブイエ将軍と渡り合い、兵士の処罰について事なきを得たことについても、彼らはオスカルを頼もしく感じていた。


特に彼女が転属してきたことで若い兵士たちから意識が変わり、オスカルの武術の腕を見習いたい一心で、訓練も熱心になってきている。

それにつられて他の兵士たちもおのずと少しずつ、考え方が柔軟になってくる。
今では宮殿警護や訓練にもだらだらした姿はあまり見受けられなくなってきていた。


ブイエ将軍も少し考え方を変えてきており、女でも素質というものはあなどれないかも知れぬと思い始めている。

もっとも、オスカルの場合はきっとジャルジェ将軍の才能と育て方によって、女でありながら男としての素質を身につけたのであろうと、あくまで父の血筋と教育が良かったに違いないと信じていた。




**********




財務総監のブリエンヌは国庫の補充に頭を抱えていた。

新たな借入も高等法院の許可なくてはどうしようもない。かといって過去に痛い目にあった全国三部会を召集することも出来るだけ避けたい。


その間にも国庫は焦げ付き、ブリエンヌは新たな国債の発行をもくろんだが、高等法院が同意せず、結局、行き詰まった国王は11月に再び親臨法廷を開き、自らの権限で新たな借り入れを認めさせようと強制した。

ところがこの席で国王に批判を浴びせたのはオルレアン公だった。
彼が国王の決定は不法だと発言したことで会議は荒れ、結局、公は遠く離れたヴィレール・コットレに追放された。


社会が不安定になり、高等法院が陰で手を回した反王室の煽動ビラも手伝ってか、王室への批判も高くなっていた。

民衆は高等法院に味方し、衛兵隊でもその人気は高まっている。
兵士たちのうわさ話もオスカルの耳に色々と入っていた。


だが、反王室のやり玉にあがったルイ十六世は今までの王にないほど人道的で、最近になってブリエンヌの改革により、拷問の廃止やプロテスタントの戸籍の回復なども行っている。

彼の、国の父としての優しい一面を知るオスカルには、高等法院のペンの攻撃はあくまで一方的なものとして写っていた。

今は高等法院の人気は高いが、だからといって彼らが民衆のことを真に考えているかと言えばそれは怪しい。

何より高等法院は改革など求めてはいない。
元々彼らは職務によって貴族の身分を与えられた法服貴族である。

大貴族からは見下され、宮廷に入れない恨みを王室に対してぶつけている感情的な部分がある。


しかし結局は、彼らも自分たちの事が一番大事に違いない。

今に高等法院も民衆の敵に回り、自らの持つ特権階級の権利を守る事に必死になるだろうとオスカルは考えていた。




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アントワネットは様々な中傷や、そりの合わない大臣を相手にした会議などで疲れ果てていた。

民衆はアントワネットをでしゃばり者とののしり、大臣たちはアントワネットの政治的手腕をほとんど信用していない。

彼女自身も政治に関する才能よりは自分の強運に頼るしかなく、毅然とした態度で彼らの不信感の満ちた目に対抗していた。


しかし国を治める気概は彼女自身、王妃の誇りとして持ち合わせていたものだ。

そのため要らぬ苦労を背負い込み、孤立感を味わう結果になったことも今は耐えなければと覚悟している。



そんな彼女の気持ちを何より暗くしていたのは王太子ルイ・ジョゼフの病状である。

高熱が何日も続き、やっと小康状態に落ち着いたかと思えば、今度は背中が痛いとうめき出し、出来るものなら代わってやりたいと祈る母の気持ちはその都度、打ち砕かれていた。


主治医は時間の経過を見ようと消極的であり、別の医者は手術をしなければならないと訴えた。

医者同士が対立して治療方針はまとまらず、アントワネットの気を煩わせるだけでただ日にちだけがむなしく過ぎていく。


幼い王太子は常々、大好きなオスカルに会いたがり、一度でいいから馬に乗せて欲しいとせがんでいた。

その日はアントワネットも午後からゆったりとした時間があり、病床の息子のためにさっそくオスカルを呼び出していた。




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今日は隊長が留守をしている。

パリに行っただとか王妃に呼ばれただとか、兵士たちはダグー大佐の話を真剣に聞いていなかったので好き勝手に言いあっていた。

たるみがちな兵士たちをまとめるのはアランの仕事である。元々、彼は自分の小隊ばかりでなく中隊全体に影響を及ぼしていたが、今日は特に隊長のオスカルから「隊を頼む」と一声かけられ、悪い気はしなかった。


ここのところ、アランのオスカルに対する評価は高い。

無骨な印象のある彼だが、軍隊に自分が所属する以上、その命を預ける隊長の本質をいち早く見極める繊細さも持ち合わせていた。

女だから大貴族だから、という偏見を取り除いて行くと、オスカルの指揮官としての才能は認めざるを得なかった。

何かのいざこざが起きた時、彼女が妙な指示を飛ばしたかと思うと、後になってそれが最善策だったという事も起きている。

任務には即断即決が必要なだけに、彼女の直感と冷静な判断力には、さすがの彼でも目を見張るものがある。

若い兵士のように武術面でオスカルに傾倒することはさすがにないが、彼なりにそばにいて吸収するものは色々とあると見込んでいた。


又、彼がオスカルに信頼を持ち始めたと共に、オスカルも又、自分の留守の時、彼に全権を委任するなどの態度を示すようになってきている。

相手の気持ちを読む者同士だけあってか、両者は互いに言葉ではないものを感じ取り、理解度が高まってきたのは間違いない。




「さてと…」
アランは今日の段取りを伝えるために兵士たちを練兵場に集合させていた。

彼は宮殿の警備や訓練について指示し、アンドレとフランソワに対しては、パリへ行って留守部隊の物資の点検や新人数名の指導を頼んだ。


「ドニも一緒にどうだ」
というアランの冗談に苦笑いで返すアンドレだった。

思っていた以上にケンカの傷は軽かったが、まだ少し痛む。再び同じような事でいさかいになるのはごめんである。

もっともドニのほうも、突然怒り出すアンドレを得体の知れない奴だと避けていたので、二人がそれ以来衝突する事もない。特にアランが間に入っているので、表面上もめ事はない。


ケンカの原因を聞きだたしところ、どうやらドニがアンドレに隊長の悪口を言った事らしいとアランは判断した。

「あいつは恩義の厚い男だから、世話になったお屋敷の主人の悪口には敏感だ。あまり過激な事を言うなよ。今度は死ぬ気でかかってくるぜ」と、彼はドニに釘をさしていた。




**********




この日、ジャルジェ将軍はブイエ将軍と会う約束をしていた。

二人の接点はオスカルなのだが、それ以上に二人は性格的に通じるものがあり、共感しあっていた。

さらに互いの趣味も似ており、骨董好きのブイエ将軍に誘われて、さっそくパリの別宅にある彼のコレクションを見に行く事になったのである。



「最近はパリも物騒なのでございますよ」
というばあやの忠告も無視し、ジャルジェ将軍は紋章の入った二頭立て馬車で堂々と出かけていった。



同じ頃、オスカルはジョゼフ王太子に謁見し、その痛々しい姿を見てがく然としていた。

幼い少年の背骨は曲がり、横になった姿勢を変えるだけでも顔が苦痛にゆがんでいる。
高熱が続いたせいで食も細く、痩せた手足が痛々しい。

馬に乗る事などとうてい無理かと思われたが、本人はどうしてもオスカルと共に馬に乗りたいと、つぶらな瞳を彼女に向けた。


「いいのです、オスカル。ジョゼフの思うままにしてあげて下さい」
アントワネットは涙を浮かべてうなずいてみせる。


オスカルはアントワネットが見守る中、王太子をそっと自分の前に座らせ、プチ・トリアノンの庭の中にゆっくりと馬を進めていった。

やせ細った体は非常に軽く、まるで天使を乗せているようだとオスカルは感じていた。
ジョゼフは痛みを忘れ、ベッドで弱っていた病人とは思えないほど目を輝かせる。

時には外に出て気分を変える事も必要なのかも知れないとオスカルは思った。


「私は…いつもあなたの姿を見つめて…いたのですよ」
ジョゼフは肩で息をしながら、オスカルを振り返り、しっかりした口調でオスカルに語りかけた。


「それは光栄な事でございます」
オスカルはほほえみかけた。


「いつかあなたのように美しい姿で、人々に愛される王になりたいと思っていました」
ジョゼフは遠い目をして言った。


「…いいえ、あなたは軍人として美しいだけではなく、母上のように美しい女性です。私がもう少し大人だったら、きっとあなたを王妃にしていた事でしょう」


「殿下…」
オスカルは突然の求婚に、返す言葉を探した。

病魔と闘う幼い次期国王陛下が、どのような心境なのか彼女に推し量る事は到底出来なかったのだ。
だが、ジョゼフのもの悲しそうな瞳が何より彼の背負った苦難を物語っていた。



「オスカル・フランソワ、そなたを世の妻とする」
ジョゼフは遠い空に向かって言った。


「殿下」


「…一度、そう言ってみたかっただけです、オスカル。私は世の中の事をもっと、もっと知りたい。…もうあまり時間がないのだけれど…」
憂えた瞳で自分の事を語る王太子の言葉に、ついオスカルの目は涙で曇った。

まだ小さな少年ながら、この方ならきっと良い君主として国を統治なさるに違いないのにと思うと胸が痛む。


「殿下、希望こそがご病気を追い払う一番の薬でございます。陛下が一日も早く良くなられる事を私もご一緒にお祈りいたします」
そう返すだけがやっとであった。




**********




夕刻になってパリから帰るアンドレたちは、街道で不穏な動きを察知した。

村人が家々からわらわらと飛び出し、村はずれの橋に小走りに向かっている。

街道沿いの並木はすでに葉を落とし、冬枯れの木立があたりの風景を寂しげに見せている中、彼らのあわただしい動きは妙に不釣り合いだった。

橋が落ちたか、火事でもあったのかと彼も又、帰る方向だったので急行してみると、とんでもない光景が待ちかまえていた。


小さな川にかかる橋のたもとから転落し、半壊している馬車には、剣を持った青獅子の文様が鮮やかに施され、それは見間違うことなくジャルジェ家の紋章であった。



「オスカル!」
アンドレはとっさに叫んだ。


川は水が少なく、馬を止めてなだらかな土手を下りるのは簡単だった。

負傷者がいないかとアンドレは一刻も早く駆け付けようとし、彼の後に続くフランソワは剣を抜き、いざという事態に備えた。

最近ではパリばかりではなく、街道でも賊が出て、貴族の馬車を襲ったり村人を脅したりしている。時には通りかかった人の命を狙う事で、日頃のうっぷんを晴らす者もいて、治安は良くない。


この時、壊れた馬車を物色していた三人組の覆面の盗賊がいたのだが、二人の兵士が駆け下りてきたのに気がついてあわてて逃げ出した。

フランソワは賊を追いかけ、一方のアンドレは一部が水に浸かった馬車に駆け寄って中をのぞき込んだ。

そしてそこでぐったりとしてるジャルジェ将軍の姿を見つけた。



「旦那様、大丈夫ですか。私です、アンドレです」
彼は大声で叫んだ。

将軍は弱々しくまばたきで返し、何とか意識がある事を示した。


すぐにフランソワも逃げ足の早い賊を追いかけるのをあきらめ、力のありそうな村人を集めて、馬車を起こすためにあわてて引き返してきた。

その間、アンドレは手近な木ぎれを壊れた扉の隙間に差し込み、何とかこじ開けようと必死になっている。



「フランソワ、早馬でこのことをジャルジェ家のお屋敷に知らせてくれないか。ただ、屋敷の人を驚かせてはいけないから旦那様はご無事だと伝えてくれ」
アンドレはそう言って彼を先に帰らせ、自らは救出を続けた。

将軍は先ほどまでこちらを見ていたのがすでに目を閉じてしまっていた。一刻の猶予もない。


「落ち着け、落ち着けよ。これはよく知っている馬車だ。きっと何とかなる。旦那様は俺が無事に助け出す」
アンドレば自分に言い聞かせた。




**********




オスカルがベルサイユ近郊の村に駆け付けた時にはすっかり日が落ちていた。

王太子殿下のお世話のためにプチ・トリアノンにいたオスカルは、連絡を受けるのが遅くなったのだ。

屋敷からは召使いを乗せた馬車も一緒に出たのだが、結局、皆を引き離して彼女がいち早く到着した。


川の土手にはジャルジェ家の御者が横たわっており、手当を受けた痛々しい姿を見るなりオスカルは息を止めた。

賊に襲われた御者は馬車が土手から転げ落ちる際に両足の骨を折り、死んだようにぐったりしていたのだ。


川に目をやると泥だらけの馬車が村人によって川から引き上げられており、鍋に入れた湯を持って駆け付ける女などが忙しく動き回っている。


「父上っ」
オスカルは馬を下り、大声で叫んだ。


「大丈夫だ、旦那様はご無事だ」
馬車のそばにいたアンドレは、彼女の悲痛な声を聞き、急いで土手に上がって来た。

オスカルの顔は青ざめており、よほどあわてて駆け付けてきたことを物語っている。


フランソワを伝令に送った後、アンドレが村人と共に馬車の中にいたジャルジェ将軍を救出したのはつい先ほどの事だ。

助け出した時は飛び散った窓ガラスで顔は血まみれになり、息をしているのかどうかさえわからなかった。

幸いにも馬車の中にはジャルジェ夫人の趣味でたくさんクッションが積んであったため、それらが上手く体への衝撃を吸収したらしい。

腰をひねったのか、本人はうめきながら腰や背中が痛むと訴えていた。



「村にたまたま医者がきていて、旦那様の応急処置もしてもらえたんだ。幸い、命に別状はないらしい」
アンドレの言葉にオスカルは大きく息を吐き、よろよろと土手を下りていき、父の元に歩き始めた。

衛兵隊では決して見せないほど肩を落とし、力なく歩を進める彼女の後ろ姿が、アンドレには非常に小さく見えた。倒れるのでは無いかと心配したが、気力で何とか保っているらしい。

よほどいつもは気を張っているのだろうと思うと痛々しいほど愛おしく、又、女の身でどこにそのような力が隠されているのだろうかとも考えた。


大きな板に乗せられ、ようやく土手まで上げられた将軍は再び意識を取り戻し、心配そうなオスカルを横目で見るなり「情けない顔をするな」と一言だけ言った。

憎まれ口も全て娘を心配させぬためと、オスカルは父の優しさに胸が熱くなった。

涙があふれたが、意地を張る父の手前、さすがに泣き崩れる事は出来ない。彼女にも又、意地がある。

そうこうしているうちにジャルジェ家の召使いたちもすぐに到着し、将軍は慎重に馬車の中へと運ばれていった。

彼らは思いもよらぬほど主人が重傷を負っているのに驚き、誰もが言葉を失っていた。



屋敷まではさほど距離はないが、けが人を運ぶためにかかった時間は、オスカルにとってとても長く感じられた。

父はようやく落ち着きを取り戻し、「少し眠るぞ」と言い、目を閉じて安静にしていた。
顔は傷まみれで、裂けた上着には血がにじみ、手当の後も生々しい。


だがそれでもどうにか父は助かった。
オスカルは安堵したとたん、我慢していた涙が幾筋も頬を伝った。


泣いたのは久しぶりだった。父の無事が何より有り難かったのと、ここのところ緊張続きだった体と心が一気に解放されたような気がした。

又、見知らぬ貴族を懸命に助けてくれた村人にも感謝の念がわき上がっていた。
治安が悪いと言われている今、貴族と見ただけで身ぐるみはがされ放置される可能性もあった。



所詮、人は誰かの助けを受けて生きているに過ぎない。



まるで自分一人で生きているかのように、衛兵隊で孤軍奮闘する自分が妙に滑稽で、肩肘を張っているだけのようにも思えてきた。




馬車に召使いは乗ってこず、帰る道のりは静かだった。

アンドレが気遣って、世話をするために狭い馬車に乗り込もうとする召使いたちに「旦那様はひどくお疲れなので、お二人だけにして差し上げてくれ」と頼んでいたのだ。




**********




久しぶりにジャルジェ家の屋敷に帰ってきたアンドレは、自分では全く意識していなかったのだが、以前に比べて体も引き締まり、精悍な面持ちになっていた。

このような事故騒動の中、若い召使いたちは色めき立ち、「あんなにいい男だったかしら」とささやきあっている。


ばあやも主人の災難に大あわてで馬車を出迎え、それと共に孫の元気な姿を見てたいそう喜んだ。

久しぶりに小言のひとつやふたつ言ってやろうと身構えていたのだが、以前と違う物静かな彼の様子にすっかり調子を乱されてしまい、結局「元気だったんだねぇ」と、しおらしい一言しか出てこない。

かえってアンドレのほうから「おばあちゃん、具合でも悪いのか」と言われてしまった。


一方、すぐに腕の良い医者が屋敷に呼ばれ、ジャルジェ将軍は再び手当を受けていた。

実は将軍も気力でがんばっていたのだが、屋敷に着くなり再び意識が混濁し、馬車の移動に無理があったらしく再び傷口が開いていた。

なぜか将軍はベッドに運ばれる途中、「そんなに泣かぬともよい」と誰かを慰めるようなことをつぶやいていたが、召使いたちはただのうわごとだと思い、無視した。


しばらく経ってから「もう大丈夫でございますよ」と言う医者の言葉に勇気づけられ、ジャルジェ夫人にもようやく顔色が戻った。



深夜になって将軍が眠りについた頃オスカルは、衛兵隊の兵舎に戻ろうとしているアンドレと、玄関ホールでばったり出会った。

彼は主人であるオスカルに対し、遠慮がちな態度でそのまま出ていこうとしている。



「アンドレ、今日はありがとう、本当に助かった…」
オスカルは彼を引きとめ、久しぶりに素直な表情を見せた。


「いや…」
アンドレも短く答えた。


「旦那様がご無事で本当に良かった」
彼は微笑んだ。彼女の安心した表情が嬉しい。

だが、これ以上話すと、取って付けたような事しか言えないような気がした。
彼は厩に向かい、手短に小屋の中を点検した後、そのまま自分の馬に乗り帰っていった。



ジャルジェ将軍のために夜間の世話をする召使いにあれこれ指示を出して、ようやく自分も休もうとしていたばあやは、どうしてもオスカルに言っておきたい事があった。


「お嬢様、今日のアンドレはどれほど嬉しく思っている事でしょう。以前のようにあなたのために働ける事を、あの子は何より幸せに感じておりますよ」
二人がいつからともなく疎遠になっている事を感じ取っていたばあやは、ついポロリと涙をこぼした。


「大げさだな、ばあやは」
オスカルは笑いながらばあやを抱きしめた。

今日は色々と気を揉んだが、何とか無事に終われそうだった。


「もっとばあやにも甘えて下さいまし。年寄りはそれが何より嬉しいのでございます」
老女の涙腺はゆるみっぱなしになっていた。


ばあやを強く抱きしめながら、オスカルはふと、衛兵隊に転属してからというもの、かたくなになっていた自分を振り返っていた。

あの、人になびかないアランでさえ、こちらが信頼すれば同じように信頼で応えてくれる。
確かに、時には誰かに頼るのも、人のためになるのかも知れぬと彼女は思った。




**********




その夜、アンドレと共にパリに行ったフランソワが妙な事を言った。

帰る道中に遭遇した馬車に向かって、アンドレが「オスカル」と叫んだというのだ。
普通、召使いが主人を名前で呼び捨てにするはずがない。


又、ジャルジェ家のお屋敷で出会った、召使い頭らしき老女はしきりと「お嬢様は女なのに、何でも厳しい道をお選びになろうとする」と愚痴を言い、彼から衛兵隊の事を色々と聞き出そうとする代わりに、オスカルの事をあれこれ語っていたという。



アランはフランソワの話を聞いて、だいたいのことが判ってきたような気がした。

隊長は華やかな近衛隊で息詰まり、アンドレは彼女を追って衛兵隊に入ってきたに違いないであろうと。





2006/6/12/







up2006/6/26/


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