−お知らせ− このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。 一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。 又、内容も原作から大きく外れている場合も出てきます。 それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。 -想い- 「よくわからねえ女だな」 アランは独り言をつぶやいて腕を組んだ。 近衛連隊長を務めた士官がこのような衛兵隊の中隊長に転属してくる事自体、理解できない。 オスカルが不祥事をしでかしたとうわさも聞かないし、彼女の失脚を狙う誰かの陰謀に巻き込まれた感じでもない。 ただ、自分たちの指揮官が女である事に、アランは何となく納得がいかなかった。 あるいは生活に何不自由なく暮らしている大貴族への嫌悪感なのかも知れない。 とにかく、気に障る事だと思った。 ふと見ると新入りのアンドレが兵舎の掃除をし終えて、片手を天にかざして指の隙間からまぶしそうに太陽を見つめている。 「あいつもわからんと言えば、よくわからん男だな」 新入りの仕事として、兵舎の掃除はアンドレの日課になっているのだが、本人はあまり苦にしている様子もない。 たいていの新入りは荒々しい歓迎をうけそうなものを、彼は無難に通り過ぎた。 見たところ、根は人が良いようだが、どこか彼はつかみ所がない。 アランは見回りの交代時間が来たのでのっそりと木陰から出てきて辺りを見回し、警備をさぼってポケというトランプの賭け事に興じる兵士を見つけて足で蹴り飛ばした。 「いてえっ。あっ…ア、アラン班長じゃないっすか。どうです、一緒にやりますか」 兵士は悪びれた様子もなく小さな台に小銭を並べ、アランを賭け事に誘う。 「ばかやろう、そんなだらしねえ態度が軍人にとって命取りになるってことを何回言ったらわかるんだ」 アランは怒鳴ってトランプの台をひっくり返した。 しかし彼に逆らう者はいない。兵士たちはアランの機嫌が悪い事を不運に思いながら、散らばった小銭を無言でそそくさと集めはじめる。 今日は夜も警備が待っている。暇つぶしをする余力がないわけではないが、気のゆるみでヘマをする例は多々ある。 アランはけじめのない態度が嫌いだった。 特に夜間の事件が多発するこの頃である。少なくとも最低限の仕事はきっちりとこなすのがプロの仕事だと信じていたのだ。 ********** 衛兵隊の任務としてベルサイユ宮殿の守備があるのだが、今は物騒な世相を反映してか事件が起きることも珍しくない。 国庫は膨大な借金で首が回らず、衛兵隊の兵士は毎年削減されていた。 もちろん、衛兵隊ばかりではない、近衛隊でも、そしてベルサイユ宮殿の召使いたちも又、人員整理をされて数が減っていた。 しかし兵力がどうあれ、衛兵隊の任務に変わりはない。兵士の負担は増える一方で、オスカルは部下たちだけに任さず、自らも欠かさず警備に当たっている。 「隊長!」 ある夜、オスカルがベルサイユ宮殿の庭園の一角にいた時、聞き覚えのある声が彼女を呼び止め、振り向くとジェローデルが走って近づいてきた。 「やっとつかまえましたよ。あなたはいつもお忙しいので、ゆっくりと話をする暇もあったもんじゃないです」 彼はくるみ色の巻き毛をなびかせ、金の刺繍の入った豪華な白い上着を着込んで、金ぴかのランタンを高く片手で差し上げている。 相変わらず目立つ男だなとオスカルは苦笑した。 それに、少し見ない間にいっそう落ち着きを見せ、ひときわ大きく見える。 「今はもう私はお前の隊長ではないぞ」 オスカルはつれない。 しかしあくまで衛兵隊の兵士たちのいる手前で、以前の部下と馴れ馴れしくすべきでないと判断しただけで、実際には信頼を置くジェローデルが相変わらず自分を隊長と呼ぶ事に嬉しさは感じている。 「あなたが何処に転属されようと、私にとっては相変わらず隊長ですよ」 ジェローデルは平然と言う。 彼は物珍しそうにジロジロと見つめる衛兵たちには目もくれず、オスカルを少し離れた木立に導いた。 「一体、何が有ったのかは知りませんが、私はあなたが転属された事を納得していません。もし私に問題があったのであれば改めますし、今後もあなたが近衛隊に戻られる事を心より願っています」 ジェローデルは気を遣い、兵士たちに聞こえないよう小声で言った。 「なんだ、ジェローデル。まるで女を口説いているみたいだな」 「ちっ、違いますとも。私は真剣です」 意表をつかれた彼は大いに面食らった。 「私はかねてより自分の力を試してみたいと思っていた。今、それを実行に移しただけだ」 事実、オスカルは衛兵隊に移り、心機一転、新たな道を歩き出そうと思っていたのだ。 転属後、確かにつらいと感じる事は多々ある。 兵士たちはオスカルを必要以上に過小評価しており、素直に命令を聞かないこともあり、近衛隊の連隊長としての誇りを踏みにじられたこともあった。 彼女の采配を少しは見直しはじめているとは言え、たとえ武術に優れていようと、男たちは心のどこかでオスカルのことをたかが女と見下している。 女の上官を認めたくない気持ちもある。 「お人形さんのような女隊長」と影で呼ばれている事も知っている。 が、オスカルをただの一人の人間として扱っている彼らは、近衛隊にいた頃と違い、彼女にとってかえって自分という人間を量る目安となっていた。 隙を見せると相手はすかさずつけ込んで来るにちがいなく、気が抜けない毎日だが、現実を見せつけられる事で、心のどこかにこれでよかったのだという安堵感すらある。 本当の自分を映す鏡は、相手の中にあるものなのだなと彼女はつくづく思った。 そうやって人の本音を知る事で、宮廷にいた頃とは違う、生きる手応えを感じていた彼女であったが、今も尚、忠実なジェローデルと話していると不思議と心が休まる。 やはり今はまだまだ部下からの信頼を得られず、自分が任務に対して気持ちを張りつめているからだろう。 「力試しなら近衛隊でも充分出来るではありませんか。よりによって貴族ではない者たちのいる衛兵隊とはどういう事でしょう」 彼はうさんくさそうに、あたりにいる兵士たちに目をやった。 「ジェローデル、兵士の善し悪しは身分で決めるものではない。近衛だけでは見えぬものを私は見てみたかったのだ」 しかしオスカルとて希望して衛兵隊に転属したわけではない。配属先で何が起きるかは全く予想していなかった。 近衛隊ならばありえないが、軍隊では志願する男が足りない時に、手段を選ばずに兵士になる人間をかき集めていた。 その結果、ならず者や犯罪者までが兵士の中に入り込んでいる事もある。 宮殿の守備を任された彼ら衛兵隊の兵士は一応の身元を確認しているが、得体の知れぬ兵士がいないとは限らない。 だが、だからこそ貴族社会の中では見えなかった現実が見えてくる。 衛兵隊の兵士たちの知り合いの中には、金がなくて身を売る娘や、幼い子を養うために盗みを繰り返して厳しく罰せられる親などがいて、オスカルにはどうしようもないことが数多く起きる。 そんな話が毎日のように耳に入って来ると、時にはあまりの理不尽さに胸が痛み、自分の無力さを痛感して、思わず強い酒を飲まずにはいられない夜もあった。 しかしそれがこの国の大多数の人々にとってはごく普通のことであり、生々しい現実をしっかりと受け止めることこそ、人と接していく上で大切なのだと彼女は思い直し、何度も酒瓶を棚に押し戻していたのである。 確かに、平民の身分や名ばかりの貴族の兵士たちにとって、大貴族のオスカルは、自分たちとは正反対の位置にいる搾取する側の人間として映り、決して相容れないと言わんばかりのかたくなな態度を取っている。 それも又、現実として仕方ない事なのだ。 「それにあの付き人のアンドレも衛兵隊に入っていると言うではないですか」 ジェローデルはうすうすアンドレの正体を感づいていたらしい。 今となっては兵士たちにとけ込み、オスカルの敵になっているに違いないと不信感もあらわに言う。 「アンドレはアンドレだ。私には関係ない」 確かに、アンドレは勝手に彼女の部下になった。 しかしオスカルにすれば、アンドレが出現したことによって再び彼の力を借りるような気がして、せっかくの自立の機会を邪魔されたようで、どうにも納得出来なかったのである。 襲われた記憶によって感情的になっているというよりは、彼に手助けをして欲しくないという意地があり、あえて彼女からアンドレに対して口をきく事はない。 とは言え、入隊してきてからのアンドレも又、オスカルに話しかけてくる事はしない。 ただ、与えられた任務を黙々とこなし、部下の一人として近くにいるだけだ。 彼は互いに気まずい空気を感じる距離にさえ近づいては来ず、一定の距離を保っている。 特に用があって彼女を呼ぶ時は「隊長」と言い、一線を引いている。 オスカルにはアンドレが何を考えているのかさっぱりわからなかっし、むしろ彼の事を考えまいとさえ思った。 ********** 衛兵隊の中で、今のところ唯一オスカルが信頼できるのはダクー大佐その人だった。 隊の仕組みや慣習になっている事を説明し、改善すべき事や新たな取り組みについて、オスカルは大佐の惜しげ無い助力を有り難く感じていた。 普段、「ダクーの口は貝より堅い」と兵士たちにうわさされているほど、彼は兵士たちの前で余計な事は語らない。 よほどの事がない限り怒らないし、部下たちの無礼な言葉には耳を傾けない。無視されても気に留めない。 暮らしぶりも質素で、贅沢もしない。 去年、妻を亡くし、子供もいなかった彼は再婚するでもなく、きままな独り暮らしを決め込んでいる。 悲しいのか寂しいのかも彼はなかなか顔には出さなかった。 気が小さいのであれば、いずれどこかで露見するのだが、長く衛兵隊の指揮官として勤める中で、常にひょうひょうとして平常心を失わない。 そのせいか気の荒い兵士たちも、物静かだが頑固そうな大佐に一目を置いている。 その彼が、オスカルにはなぜか親身に振る舞う。 「兵士たちはすぐに言う事を聞かないかも知れませぬ。ですが、彼らは自分より優れていると認めた者にはやがて頭を下げるでしょう」 転属してしばらくたったある日、彼は意味ありげに彼女に語った。 ダクー大佐にしてもオスカルという人物は未知数だった。 だが、彼も貴族で士官である分、兵士よりは余計な先入観を持たずにいち早く彼女を評価する事が出来たのである。 正確な指揮に、鍛えられた武術、そして兵士を思う心。 何より、人を惹きつける容姿と立ち振る舞いは、彼女が神から与えられたものに間違いなく、男であればすでに兵士を束ねていたかも知れない、と彼は考えていた。 実は彼は誰にも語らないが、オスカルは去年亡くなった自分の妻に面影が似ていたのである。 体は弱かったが気丈で、病気になってもつらいとは一言も言わずに逝ってしまった妻に対し、今となってはもっと良い思い出を作ってやりたかったという後悔が、今の彼にはある。 その想いがオスカルに向いていると言って過言ではない。 結局の所、誰よりも先入観を持って彼女を見ているのはダグー大佐かも知れない。 ********** ブイエ将軍は恰幅も良く、人情家で面倒見の良い反面短気で、思った事をすぐに口に出すような男だった。 彼は衛兵隊の司令長官であり、中隊長として転属してきたオスカルの新たな上官である。 が、ブイエ自身は女に軍隊は向かないと頭から思いこんでいた。 今のところ、彼は兵士たちが「女の下で働きたくはない」と反発しているのを憂慮している。 しかしそれにもめげないオスカルの奮闘は、報告書によればそれなりに成果が上がっており、隊の秩序を固める過程のいざこざはつきものであると、しばらく様子を見ていた。 オスカルの父とは特に親しい間柄ではないが、彼らは年代が近く、互いに好印象を持っている。 ジャルジェ将軍からは「何か不手際があればいつでも娘を衛兵隊から追い出してもらって結構」という話も聞いており、彼としてはかえってゆったりと身構えていた。 ********** 衛兵隊の兵士たちはよほど事情があってやむなく兵士になった者以外は志願して軍人になっている。 戦争などが起きて常備軍の兵が足りなくなった時に、強制的に兵に取られる時もあるが、たいていの場合、職にありつくために志願している場合が多い。 兵を選ぶ側も見た目を重視するため、よって彼らの体格は平均よりも長身でたくましい青年が多いが、幸いアンドレも上背があり、肉体労働もこなしていたせいか体格としては申し分ない。 そのアンドレは意外とすんなり、兵士たちの間にとけ込んでいた。 生来の心穏やかな性格と、決して人を悪く言わず、口数が少ないのも幸いしているようだ。 兵士として何か飛び抜けて優れているふうでもなく、ひときわ目立つ事はないが、人の輪に入っていく事は苦もなくやってのける。 兵士たちがどのような態度で接してきても事を荒立てるまねはしない。挑発は軽く受け流し、笑い話にしてしまう。 特に兵士たちから評価されているのが、馬の扱いの良さだ。 馬具や馬車の整備なども器用にこなす。元々そういう仕事をしていたので本人はさほど意識していなかったが、慣れている分、皆よりもかなり手際がいいと言われている。 年齢的に落ち着いているのと、体格の良さも手伝ってか、周囲もアンドレをひどく見下したりはしない。 彼はかつて屋敷にいる時から時々パリに出かけ、ささやかながら奉仕活動に参加しており、特にフォーブル・サンタントワーヌ地区に知り合いが多いので、彼の素性を兵士の何人かは良く知っていたという。 以前に弟や妹が世話になったとか、古家の修理をしてもらったなど、思いの外、彼の印象は良い。 又、兵士の中には外国の傭兵を経験した者もいて、アランなどもそのうちの一人だ。 彼の場合は外国を渡り歩き、武術に磨きをかけたのだという。 本来なら故国に帰らず外国で名を売ることも出来る男なのだが、母親が病に倒れたので、実家に戻って衛兵隊に入ったという。 貴族の中でも地位が高ければ、アランは士官としてもっと高い階級にいたに違いないが、近年出来た法律によって昇進が出来ないでいる。 それでも入隊後あっという間に小隊長になり、ともすると中隊も率いそうな勢いを見ても、典型的なたたきあげのタイプだ。 もっとも本人は出世など意に介さず淡々と軍務をこなしているが、その本心はどうなのか誰にもわからない。 本心が見えないのはアランだけではない。 むしろ新入りのアンドレのほうが、兵士から見れば得体が知れなかった。 少ない情報によると判っているのは、父親が大工で母親が教師らしいというぐらいで、両親はとうの昔になくなり、彼自身は子供の頃からジャルジェ家の召使いだったという事だけだ。 しかしこれも断片的な話で本当かどうかはわからない。 本人の口から自分の生い立ちを語る事はなく、ただ任務をこなして兵舎に引き上げてからも独りで静かにしている事が多いし、酒に誘ってもあまりはしゃがない。 彼の昔を知る酒場の主人などに聞くと、「そう言えば昔はもっと陽気な方でしたかねぇ。確か連れの将校さんとご一緒にケンカなさったりとか…」と古い記憶をたどるように言う。 アランも普段からそれほど口数は多くないが、どう馬が合ったのかアンドレを誘って飲みに行く事が多い。 酒が入るとアランは陽気で饒舌になった。外国での色々な体験談を話し、一人しゃべり続けた。 アンドレは毎回、話を聞いているだけで時々口をはさむ程度だ。 さすがに機嫌良くしゃべっているアランだが、あまりに自分が一方的すぎるものかと訊ねても、アンドレは「面白いから聞いている」と受け流す。 だがアランはアンドレにどうしても聞きたかったのだ。 「なぜ、衛兵隊に入ってきたのか」と。 他人が何をしようと何を考えていようと、普段のアランはさほど気にするほうではない。 貴族の召使いである事に嫌気がさしたのか、軍人になりたかったのか、何でもいいから職にありつきたかったのか、たいていの者はつきあっていると解ってくる。 しかしアンドレの場合はどれにも当てはまらず、どこか秘密めいたものがある。 いつも肝心な事を聞こうとすると、アンドレは伏し目がちに口を閉ざしてしまう。 ジャルジェ隊長の屋敷で失態をしでかして追い出されたのではないかという噂だが、彼が隊長を見る目は決してとげとげしいものではなく非常に穏やかだ。 かと思えば、あまり彼女を直視しないように意識して視線をはずしたりしている。 一方の隊長はと言えば、アンドレをよく知っているにもかかわらず、あくまでアンドレを一兵卒として見なして突き放している。 「よくわからねえ関係もあるってこったな」 アランは独り笑った。 2006/5/9/ up2006/6/2/ 戻る |