−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
又、内容も原作から大きく外れている場合も出てきます。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-庭園-




オスカルは生傷の絶えない衛兵隊の生活をばあやに責められていた。


「あなたはジャルジェ家のお嬢様なのでございますよ、それなのにこのお顔の傷はどうしたことでしょう」
ばあやは、激務に明け暮れるオスカルを心配していた。

特に今は八つ当たりが出来る孫のアンドレもいない。

パリへ行ったとうわさに聞くが、連絡もふっつりと途絶えたままになっている。
気がかりは山のようにある。


「大げさだな、ばあやは。衛兵隊はベルサイユ宮殿の警護という大事な任務がある。多少気が荒い方がいいと言うものだ。弱い奴など面倒みてられるものか」

少なくとも、女の上官などとなめてかかっていた兵士たちはことごとく剣の腕でねじ伏せた。すでに転属してから一ヶ月ほどが過ぎているが、武術の実力では彼らに負けてはいない。

少なくとも、いざこざが起きるたびに、動揺していては始まらない。
常に冷静さを保つよう、オスカルは心がけるようにしていた。



しかし、貴族だからと言って手加減もせず、時にはオスカルをなめてかかり、「女の命令なんざ聞けねえよ」と本音をぶつけてくる兵士たちは何かと苦労の原因であった。

彼らはベルサイユ宮殿の警備にわざと付いて来ず、彼女が兵舎に怒鳴り込む事も珍しくない。

まるで毎日、兵士たちとケンカをしているような日々が続くと、気力を持ち続けることすら大変だ。

だが、近衛隊からの転属は彼女自身が望んだ事である。自分の決断を信じるしかない。
今さら後ろを振り向く気はないし、後悔はない。



「こんな時にアンドレはどこかへ出ていっちまって、ほんと役立たずな子だよ、まったく」
そんなばあやの愚痴に、オスカルは何も言い返す言葉が出てこなかった。




**********




転属して間もなくオスカルと兵士たちとの関係は良好とは言えなかったが、少しずつ変化も見られた。

近衛隊からの転属と聞かされ、ただの女の気まぐれだと思いこんではいたが、力でぶつかってくるオスカルは毎度のように精力的で、時にはケンカの相手すら厭わない。

だがほとんどの場合、彼女は兵士相手に訓練をしているという姿勢で臨み、表情には余裕すら見せている。

そのため、かえって彼らはムキになってオスカルをうろたえさせようとやっきになる。

しかし少なくとも怠慢で高圧的な前任の中隊長とは違う手応えを兵士たちも感じていた。

彼女の指揮には無駄がなく、命令系統の不備は的確に指摘し、改善してきている。

兵士一人一人の見た目の姿勢を矯正したり、無駄に力が入っている所も正していく。

太った兵士がいれば「痩せろ」と言い、体力のない兵士には運動を奨励する。

特に兵士たちの待遇を見直し、兵舎の環境や食事にもっと配慮するように上層部に働きかけ、いち早く許可も得た。


オスカルの正体を見極めようとしていた兵士たちも少しずつ見方を変え、徐々にだが彼女に一目を置くようになってきており、特に年の若い兵士たちの中には、オスカルの武官としての技量に惚れ込む者も出はじめている。


又、オスカル自身も兵士たちの様子を注意深く観察していた。

特に面会に訪れる兵士の家族たちを見るにつけ、質素な彼らの生活に思いを巡らさずにはおられない。

荒くれ者ばかりと思っていたが、実際には兵士たちは決して贅沢はせず、中には病気の家族を養い、困り果てて給料の前借りを頼み込む者もいる。

時に借金を重ねたあげく失そうする部下もいて、場合によっては住んでいる家を見る機会もあり、残された家族の生活は悲壮だった。

そればかりでなく、彼らの住む下町の底辺での暮らしをかいま見ただけでも、絶句する事は多々ある。


彼らの暮らしは悪くなる一方で全く良くなる気配はない。

新王ルイ十六世の統治を期待した彼らの失望は怒りとなって王室に向けられ、特に浪費を非難されたアントワネットの評判は地に落ちていた。


確かに特権階級であり大貴族であるオスカルは、彼らにすれば搾取する側の人間に違いはなく、生活に苦しむ者からすれば反発は不可避と思われた。

宮廷では見る事のない現実を求めていた彼女にとって、人々の暮らしを知る事は想像以上につらいものがあった。

オスカルはあらためて民衆の置かれている現実と怒りを目の当たりにしていたのだ。



そんな中で、オスカルの様子をじっと伺っている兵士がいた。

オスカル率いる中隊は四つの小部隊で構成されているのだが、その小隊のうちの一つを任されているアラン・ド・ソワソンという男だ。

小隊長なのだが、いつの頃の呼び名か、彼は兵士たちから親しげに班長と呼ばれている。

名前にドがついているので貴族のはずだが、家は没落し、家族は下町で細々と暮らしているという。


体格も良く、黒髪で髭の濃い顔で普段からしかめっ面をしたこの男は眼光も鋭く全く隙がない。
実質、彼はこの四小隊を仕切っていて、事実、前の中隊長を追い出した経歴を持っている。

剣の腕前も相当なもので、特に短剣の扱いが得意だと言う。

オスカルは早くから、この隙のない男をただ者ではないと見ていた。
年齢は経歴書によればオスカルとそう変わらない。


だが、兵士たちを仕切るだけあって部下には信頼されており、生活や困りごとなどの面倒見も良いらしい。

アラン自身も家庭は貧しく、生活の大変さを身を以て知っている彼は困った者を放っておけない性質を持っている。

だがその反面、大貴族のオスカルを見る目は厳しい。


今回のオスカルの転属に際しても、「女の下で働くのかよ」と言った彼の一言が効き目を持っており、他の兵士たちに影響を及ぼしていると聞く。

オスカルにすればそれほどの人物がいる事で、かえって刺激になると腹をすえているのだが、今までのところ、両者はにらみ合いの状態で互いに近づくきっかけはない。



「隊長、ちょっと頼み事があるんだけどよ…」

そのアランが珍しくオスカルの司令官室を訪れてきた。

何でもパリで飲んだくれ、行くあてもない青年に声をかけたところ、衛兵隊の兵士だと名乗ったとたん、是非入隊させて欲しいと言ったらしい。

見たところ体格も悪くないし兵士向きなので、できれば欠員のある自分の小隊に入れたいのだがとアランは言ってきたのだ。


アランに連れられてやって来た男の顔を見てオスカルはギョッとした。

髪はボサボサになり少しやつれたアンドレがそこに立っていた。
彼は無表情で一礼し、オスカルを見た。




**********




この頃、天候不順が続き、農作物は大打撃を受けていた。

夏でも低温の日が続き、暖炉の火が欠かせない。

パンは7倍の値段に値上がりし、地方から仕事を求めて大都市パリへ出てきた男たちは仕事にありつけず、失業したり生活に困った者が盗みや強奪事件を起こしている。



そんな中、アントワネットが楽しみにしていたプチトリアノンの庭園、アモー(村落)が完成した。

自然を取り入れたこの村落には人工の池が水をたたえ、農夫が働き、小動物が放たれている。

新しい農家の壁にはわざとヒビが入れてあり、風車が優しい風を受けてゆったりと廻っていた。


アントワネットは夫を助けるために政治の世界に足を踏み入れ、気苦労ばかりが増えていた。

王女を亡くしてからというもの、王太子のジョゼフも寝付いており、良い知らせは何もやってこない。

今ではパリに遊びに行く事もなくなっていた。

以前なら気晴らしに浮ついた気分で賭博にはまったり、高価な宝石や贅沢なドレスをがむしゃらに買い求めていたのだが、今はそんな気持ちも一段落してしまっていた。

しかしその代わり、彼女の心を慰めるための庭園には莫大な予算がつぎ込まれていた。

実は当初の予想を超えて費用がかかってしまっていたのだが、金銭を賢く使うという考えをアントワネットは持ち合わせていなかった。



「私はここにいる時だけ、本当の自分に帰る事が出来るのですよ…、オスカル」


アントワネットの安らぎはプチ・トリアノンとこのアモーの中に守られている時間だけだった。

現実には王妃としての様々な難問があり、民衆や貴族までもが王室に批判を繰り返している。

絶対王制を守り抜き、今までの秩序を守り抜こうとするアントワネットは、今後も長い戦いが続くであろうと思っていたのだ。


オスカルは衛兵隊での地味な毎日と、このわざと質素にあつらえた風雅な庭園との違いを見た時、思わず深く息をついた。

アントワネットはベルサイユから出ていこうとせず、アモーの完成のみを楽しみにしていた。

だが、パリでは税金に苦しむ民衆が飢え、毎日どこかで不幸に泣く人がいて、その上パンは値上がりし、満足に腹を満たす事も出来ない現状がある。



アモーでは雇われた農夫一家が牧歌的な生活をしており、庭園全体がほのぼのとした幸福な雰囲気で満たされていた。

かりそめの農園における、真実みのない農民の暮らし。
全てが虚構だった。



民衆の生活を見ようともせず、現実から逃げ出し、おとぎの国にしか存在しない幸せな村落を造る事で、女王のアントワネットは自己満足に浸っていた。

彼女が夢の世界で描いたのどかで穏やかな暮らしは、現実の農民たちの生活に何ら改善をもたらさない。



しかしオスカルは君主を批判した目で見る事はしたくなかった。それは必ずどこかで態度に表れる。

王妃アントワネットには彼女なりに背負った苦しみがあり、貫こうとする生き方がある。

臣下として、忠誠を誓った君主に忠実であらねば、という思いもある。
オスカルの心中は複雑だった。



誰が悪くて誰が正しいかは単純に判断できない。

王妃と民衆。

両者には大きな隔たりがあり、崩壊寸前の制度の中でそれぞれが不満を抱えて生きている。


民衆の貧しい暮らしを知った後では、王妃の苦しみがまもで異世界のように感じられるオスカルだったが、その反面、アントワネットと離れてみて、自分ははじめて彼女のことを人間として好きだったことに気が付いていた。



これまでのオスカルはアントワネットに守られていたことをあらためて思い知らされていたのだ。

女ながらに与えられた准将という地位も結局は、全て大貴族だからと言うだけで成り立っている。

王妃の元から離れ、反発する兵士たちをなかなか統率できない今だからこそ特に、自分の力が試されているのだと感じている。


そして女である以上、普通ならどこかへ嫁いで一生を終えるのだが、ジャルジェ家の跡取りという後ろ盾があってこそ今の地位にいられた事。

それらは全て、絶対王制という制度の中で、王妃の庇護と信頼があったからこそ彼女は平穏に過ごしてこられた。


オスカルの地位は貴族で士官であるからかろうじて保たれている、身分制度の産物に過ぎない。

その身分制度の象徴としてのアントワネットは、これまでのオスカルをまぶしい光で照らしていたのだ。



又、アントワネットと供に互いを高め合おうとしてきたオスカルは、少しずつアントワネットに失望していった時期すらあったのだが、実は色々な局面で、アントワネットの自分を大切にするという考え方は、大きくオスカルに影響を与えていた。

その事に気付き、人との縁の大切さを改めてオスカルは知ったのだ。


アントワネットのそばに仕えているからこそ、女のオスカルが有利だったこと。
女であることに甘え、貴族であることに甘えている自分。
そして恋の苦しみから抜け出したい焦り。

自分の居場所を探すために去ったはずの宮廷での日々は、色々と有ったが思い返すと美しい。



だが時代は変わりつつある。

近衛隊のオスカルという人物は、華やかな宮廷ときらびやかな物がもっとも美しいとされる時代が必要としていただけではなかったかと、彼女は自身を振り返る。




**********




「もう一緒にいなくて良いと言っただろう。私は一人で充分、やっていける」

司令官室で二人きりになってからオスカルは激しい口調でアンドレに怒った。

隊の要であるアランが見込んだ人物となれば、オスカルも彼の入隊を否定する理由はない。

少なくとも彼女が一目を置くアランを相手に、感情的な拒否はしたくなかった。

しかしアンドレの突然の入隊はまるで不意打ちで、納得がいかない。


「俺は俺の考えで入隊しただけだ」
アンドレも言い返す。


もちろん、オスカルの部下になった事は計画的である。

彼はパリをさまよっている時、ベルナールに出会い、オスカルの転属先を耳にしていたのだ。


「だからお前とは以前のようにはつきあってはいけぬと言っているんだ」
思わずオスカルは厳しい視線を投げかけた。


あのような事が起きてから一ヶ月も経っていない。オスカルにはアンドレの考えがわからなかった。
あの日、意気消沈し、目も合わせられないほどに落ち込んだ彼とは全く違う、自信ある態度にもオスカルはかえって腹立たしささえ感じる。

むしろその無神経さが信じられない。


「何でもいい、俺はお前のそばにいると決めたんだ。…では失礼します、隊長」
オスカルが次の反論をする前に、アンドレは敬礼を決めて部屋から出て行った。


「ばかやろう」
オスカルは閉じられたドアに向かって暴言を吐いた。




一方、アンドレがオスカルの隊に配属されたと聞いて、ばあやはたいそう喜んだ。
「偶然とはいえ、これであの子も又、お嬢様のお役に立てるのですね」


偶然?と言い返しそうになったオスカルは少し間をおき、「これからは兵舎で寝泊まりするそうだ」とだけ、ばあやに伝えておいた。

勝手に衛兵隊に入ってきたアンドレのために、わざわざ自分がばあやとの間に入る事もなかろうと思ったのだ。



「それにしても町は物騒なのでございますよ、お嬢様。パリもそうですが、ベルサイユもあまり安全とは言えません。是非、お嬢様もお気を付け下さいませ」
ばあやは不意に話題を変える。


何でも召使いたちはちょっとした買い物に、うっかり子供を使いに出せないとこぼしているらしい。賊は弱い者を真っ先に狙う。

ジャルジェ家でもおちおち怪我をするのをわかっていて召使いの子供たちを使えない。
ちょっとした小遣い稼ぎを楽しみにしていた彼らは不満げにしていると言う。


「そういえば、あのフランセン先生。あれからどうなさったのかしら」
ジャルジェ夫人は子供の話をしていて、ふと昔を思い出すように言った。


オスカルは全く覚えていないようで、「誰のことですか」と首をかしげる。


「そうそう、確かお名前はハインツとおっしゃる方でございますね」
ばあやはよく覚えていた。


「あの時、私の一存で辞めて頂いたのですよ」
夫人はしみじみと語りはじめる。


「あっ」
ハインツと聞いてどこかで聞いた事があると、やっとオスカルも思い出した。


確か幼年の頃、剣の手ほどきをしてもらった先生である。
おぼろげな記憶で彼はスウェーデン人だったと聞く。


「もう今なら言っても良いでしょう。あの方は、落とした剣を探しているあなたに、後ろから抱きついたのです。確かな事はわかりません。けれどそれを見ていた召使いにその時の様子を聞いたときは、ぞっとしました」


「母上……」
オスカルは剣の先生がスウェーデン人と聞いたとき、心の中でどうしても開かない扉の鍵が開いたような気がした。


あの時、剣の先生は強くて、まだ子供だった彼女のあこがれだった。

もしかして好きだったのかも知れない。だが、先生はある日別れの言葉もなく突然いなくなった。

フェルゼンに心を奪われたのも、ひょっとしてあの時にくすぶってしまった気持ちをどこかで処理したかったのかも知れない、オスカルはそう感じた。


「我が子が万が一、危ない目に遭うかも知れないと知りつつ、彼をここに置いておくことは出来なかったのです。あの時はあなたもまだ幼くて、事情を一切説明せずに黙っていたのですけど。…いずれ大人になったら本当の事を言わなければと思いながら、すっかり忘れていました」
夫人はたまたま出てきた古い忘れ物のような話をしみじみと語った。




フェルゼンへの想いは今も苦い思い出だ。

彼はフランスへやってきた時から、誰からも尊敬される立派な男性だった。

フェルゼンの潔さは男として育ったオスカルにとって理想像でもあり、一人の女性としても彼に憧れを抱いたのは不思議でもない。

又、自分を女性として認めて欲しい気持ちが先走ったのもわかっている。


しかし人の思いは自分自身にもよくわからない複雑な思いで絡まり合っている。


かつて、王妃付きの仕官という栄誉はオスカルのためにあった。

だが今となっては、アントワネットの心を支えるのはフェルゼンその人である。

アントワネットを主君として仰いできた彼女にとって、ある意味フェルゼンの出現は自分の存在価値を根本から覆すものだった。

もしかするとフェルゼンへの思慕の思いは、アントワネットを独占するフェルゼンへの嫉妬の想いが形を変えたのかも知れぬ。

王妃から強い信頼を得た彼をうらやましいと感じ、本来であれば彼を疎むのであろうが、常に調和を心がけていたオスカルは無意識のうちに、そんな彼をかえって尊敬しようとして、勝手に心が恋愛感情に作用したのではないかとも思える。

宮廷から離れた今、彼女は自分の感情を冷静に分析していた。


だが、それだけで片付くものでもないのかも知れぬと、彼女は再び自分の心の複雑さに気付かされていた。



では、アンドレはどうなのだろう。

彼は何を思い、どうして再び私の元に帰ってきたのだろうか。

オスカルはふと彼の事を考えた。




2006/4/9/



up2006/5/21/


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