−お知らせ− このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。 一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。 それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。 -道- アンドレの思わぬ告白を聞いた翌朝、オスカルはしばらくコンピエーニュにあるジャルジェ家の別荘に行くと突然言い出した。 色々な出来事をきっかけに、彼女は新たな決意を固めつつあった。 気持ちを切り替えるため、そしてさまざまなことを考えるため、彼女は静かな場所に行こうと考えていた。 独りになって、自分の信じる道を再確認したいと強く思ったのだ。 これまでのオスカルには多様な側面があった。 臣下として、ジャルジェ家の跡取りとして、男として、又は女として、そして人として。 それはある時はオスカルを助け、又ある時は彼女を引き裂いた。 だが、根底にある考えはただ一つ。 “強くなりたい” と言う思いだった。 出発の直前、ばあやはさっさと気を回してアンドレに馬の用意を命じ、いつものように供をするように促したが、すっかり意気消沈したアンドレは困り果てていた。 よもや彼女に付いていくなどと言るはずもなく、どちらかと言えば今日にでもジャルジェ夫人に暇乞いをしなければと考えていたのである。 彼は一晩中考え、自分の愚かな行為を悔い、そしてどう償うべきかを考えていた。 そしてオスカルが多分考えているであろう事を想い、今は顔を見合わせるべきではないという結論に行き着いたのだ。 オスカルも又、アンドレとの接し方を変えなければいけないと考えていた。 今まで心置きなく接していただけに、彼の内面を初めて知ったことで、オスカルは今後、彼とどういう関係でいればいいのか実のところよくわからなかったのだ。 怖ろしいほどの力で組み伏せられたことはオスカルにとって衝撃が強すぎた。 彼がすぐに思い留まったとは言え、体に残る記憶と乱れた感情は簡単に収まりそうにない。 感情を抜きにして考えれば、彼は単なる使用人である。解雇しようが、顔を見たくないと言えばそれで全てが済むのである。 だが、アンドレの存在はあまりにも身近すぎた。 彼は男としてオスカルを愛していると言い、彼女の心を乱したのだ。あのような事が起きた以上、もう一緒にいる事は出来なかった。 まして自分が、これからの生きる道を探すに当たって誰の力も借りたくはなかった。 今まではいつもアンドレがそばにいることは心強かったのだが、それでは自立にならない。 昨日の出来事はにわかに許し難いが、かえって彼との距離を置くためのきっかけになったのかも知れぬ。 もしかすると、今まで自分が心のどこかでアンドレを頼りにしていた事によって、彼の情熱に火をつけてしまったのだとすれば、自分にも非がある。 しばらく冷却期間をおくことで、自分と同様、これからのアンドレにとっても、今までの習慣に縛られるのではなく自由になることが、彼の幸せなのではないかとも考えられる。 互いにそこにいるのを知らず、馬屋でばったり出くわしたオスカルとアンドレはおはようの挨拶をするでもなく、目を合わす事もない。 しかしオスカルは一言、彼に言っておかねばならなかった。 「アンドレ、もう私の供をする必要はない。お前はお前の進むべき道を見つければいいし、私もこれからは一人でやっていくつもりだ。別荘から帰れば私は…近衛を辞める」 馬屋で黙々と作業を続けるをするアンドレに、彼女はおもむろに声をかけた。 「…はい、わかりました」 近衛を辞めると言い放つ彼女の固い決意に衝撃を受けながらも、アンドレはうつむいてただ返事をするしかなかった。 こんなにそばにいるのに、オスカルはアンドレの目を見ようとはしない。 ただ、女主人と使用人の乾いた会話が馬屋に響くばかりであった。 ********* アンドレはオスカルが出ていった後、ジャルジェ夫人に屋敷を出て行く許しを得ようとした。 オスカルは今朝、彼を残して一人で別荘に向かった。 このような時に必ず聞かれる事は「何かあったのですか」という問いである。 彼は何事もなかったかのように出来るだけ平静を装って、今まで返しきれないほどお世話になった事を感謝し、これからは自力で生活するすべを探したいのだと伝えた。 「いつでも帰っておいでなさい。本当は困るのですよ、あなたがいないと。ジャルジェ家の馬たちの毛並みが衰えるかも知れませんからね。何より私が寂しいですし」 ジャルジェ夫人はそう冗談っぽく言って笑った。優しい夫人の笑顔は以前と全く変わりない。 夫人には何かがあった事はどことなく雰囲気でわかっていた。 もしかしてオスカルと何かいさかいがあったのかとも想像したが、今さら大人になった子供たちのことに余計なくちばしは入れるべきではないと思ったのである。 「ばあやには私からうまく伝えておきましょう。きっと大騒ぎしますから」 「はっ…」 ドアを開けて一礼して出ていくアンドレは、気遣う夫人の気持ちを思うと涙が出そうになった。気持ちが弱っているのは自分でもよくわかっていた。 「無茶をしてはいけませんよ」と最後に聞こえたが、アンドレは礼の言葉すらのどが詰まって出てこない。 しかし夫人はわざと彼を見ないように、すばやく窓の外へ視線を移したのである。 あとで腰を抜かしそうになったのはばあやである。 彼女は結局、何も聞かされず、ジャルジェ夫人から事の次第を聞いて失神しそうになった。 孫が何か取り返しの付かない失態をしでかしたと思いこんだのだ。 「その歳になったのだから自力で生活をするすべを身につけなさいと言って、あえて外に出したのですよ」 夫人は苦笑しながら、ばあやを何とか納得させた。 オスカルが別荘から戻ってきた時、アンドレは屋敷から姿を消していた。 彼が出ていった理由はわかっていた。オスカルを少しでも苦しめたくないという配慮に違いなかった。 確かに互いに気まずいまま、そばにいる事は難しい。 「もう、いつも一緒ではないのだな」 ふと彼女は以前の何もなかった頃を思い出してつぶやいたが、寂しいと言う気持ちはあえて封印した。 彼女もまた人生の大きな分岐点に自分が立っているのをひしひしと感じていたのだ。 ********* それから間もない7月のある日、オスカルはアントワネットに謁見し、近衛隊からの転属を願い出た。 「近衛隊以外ではどの隊への転属でも構いません。降格も覚悟しております」 オスカルはひざまずき、淡々と願いを伝える。 「あなたの考えがわかりません、オスカル。もしあなたが望めば、私はもっと高い地位を与えたいぐらいなのですよ」 アントワネットは動揺を隠しきれず、ため息をついた。 元来、彼女は去る者は追わない性質だ。 しかしオスカルはフランスに嫁いできてからずっとそばにいてくれた臣下である。 時には愚痴をこぼしたり、困った時に助けてくれたりと、今まで誠意を持って仕えてくれたし、見返りを要求しないという点では他に類を見ない。ならば、そのような人物をむざむざ手放すのは非常に惜しい。 「色々と考えた結果でございます。私もいつまでも若くはありませし、今のうちに自分の力量を試してみたいのです」 オスカルは決意も固く顔を上げた。 「わかりました、色々と私に仕えてくれたあなたのことです。今回の事もあなた自身がよく考えた末のことなのでしょう。是非にとおっしゃるのなら認めましょう」 王妃は最後にはそう言って微笑んだ。 誰が好きこのんで安定した座を捨てるというのだろうか。 オスカルの真意はとうてい理解できなかったが、彼女の願いは出来るだけ叶えるべきだと王妃は考えたのだ。 「今、空いている配属先は衛兵隊のベルサイユ常駐部隊の中隊長の地位ぐらいなものです。でも衛兵隊は近衛隊と違い、素性の怪しい者も含まれているかも知れません。私としてはあまりお勧めしませんし、あなたが不服ならもっと別の有利な配属先が空くまで待つ事も出来ます」 「いえ、私には申し分ない配属先でございます」 オスカルは間髪おかず答える。 「あなたも頑固者ですね、オスカル。よろしい、すぐに辞令を出しましょう。これからもあなたの活躍を祈ります」 アントワネットは苦笑した。 「ありがとうございます、王后陛下。陛下のご温情を心より感謝致します」 オスカルは深々と頭を下げてその場を辞した。 さて、残りの問題は父である。 案の定、ジャルジェ家では将軍がいきり立ち、オスカルに大声で怒鳴りつけた。 「お前のような世間知らずが近衛隊以外で通用すると思っているのか、この大ばか者めが」 さすがに平手打ちは飛んでこなかったが、父の望む道からそれていく娘の決意は相当腹立たしいものだった。 まして、王妃付きの仕官という地位を捨てる事で、王妃の機嫌を損ねてはジャルジェ家の体面に傷が付くかも知れないではないか。彼は拳を振り回し、怒りをあらわにした。 「父上、お言葉ですが私も准将という責任ある地位の武官でございます。ですから自分の進むべき道は自分で決定致します。おかげさまで王后陛下には直接お許しを得ることが出来、有り難い事に激励までして下さいました」 有無を言わさぬ目つきで父を見据えると、さすがの将軍も二の句が出てこなかった。 「好きにするが良い、どうなっても私は知らぬぞ」 そう捨てゼリフを吐くしかなかった。 二人の会話を見守るジャルジェ夫人とばあやはほっと胸をなで下ろしつつも、今後のオスカルの運命がどうなるものかと心配した。 今まではジャルジェ将軍の思う通りにオスカルは出世していき、これからも安泰した日々が続くものと思っていた。 しかし今回の移動がオスカルにとって、どのようなものになるのか、全く予測が付かなかったのである。 ジャルジェ将軍は今ひとつ気分がすっきりせず、アンドレを探そうと屋敷中を探し回っていた。 今回のオスカルの決意について何か知っているのではないかと考えたからだ。 しかし彼はようやくアンドレがいなくなった事に気が付いたのである。 ********** 財務総監のブリエンヌは熱意を持って改革を推し進め、カロンヌと同様、名士会において特権階級への課税を叫んだ。 しかし名士会は当然ながら反発し、この場では課税の話は決着できないとし、全国三部会を開く事を要求した。 さらにアメリカにならって、ラ・ファイエット候は国民議会の創設と定期的な議会の招集も要求した。 これらの急進的な要求に対して、ブリエンヌは名士会を解散する事で火種をもみ消し、決着を図ろうとした。 収拾のつかない事態になるかも知れぬと思ったのだ。 ところが一度勢いづいた王室への攻撃姿勢は収まらず、高等法院が先頭になってさらに反抗を強めていった。 税金の是非を問うならば全国三部会を開会するしかないと要求し、王室の無駄遣いをやめるように詰め寄ったのである。 実のところ、高等法院は三部会そのものにこだわっているのではなかった。 もし三部会が定期的に開かれ、様々な決議がその場で決められるのであれば、国王の権限のみならず高等法院そのものの権威も失われる。 ただ、三部会は民衆が自分たちにとって新たな未来が開かれるはずだと考えている。 それを支持すれば、国民の大多数を占める彼らを味方につけて国王に対抗できると、高等法院は考えたのである。 高等法院は貴族の特権を今後も維持し、国王の権限を少しでも削り取るために、三部会を持ち出したに過ぎない。 一方の国王側も高等法院の反抗的な態度に怒りをあらわにし、国王臨席の親臨法廷会議において、新税を国王命令によって強引に押し通そうとした。 それでも高等法院は命令を拒絶したので、8月に彼らは国王によってトロアへと追放されることになった。 しかしこの決定は高等法院みのならず、法服貴族や、第三身分の中でも実力を誇るブルジョア階級にまで動揺を引き起こした。 今では高等法院は民衆に絶大な人気を得ている。世論が高等法院に味方している以上、ブリエンヌはただちに新税の決定を撤回せざるを得なかった。 高等法院の追放は一ヶ月も持たず、9月の初めにパリへと召還されたのである。 ********** オスカルは衛兵隊に転属し、初日を迎えた。 隊を仕切るダグー大佐は見た目にも実直な人物だが、もう長い間、出世から取り残された堅物で、無口で地味な将校だった。 ひょろ高い背と、よく整えた髭がいかにも真面目な雰囲気をただよわせている。 彼は淡々と兵舎の中をオスカルに案内し、「兵士たちを待たせております」と練兵場に向かった。 そしてオスカルは練兵場に集まった兵士たちと初めて顔を合わせ、確かに近衛隊とは違う空気を感じ取ったのである。 決定的に違ったのはオスカルを見る目つきだった。 彼女が女である事はどこからともなく知れ渡っていた。 さらに大貴族が酔狂で近衛隊から転属してきたといううわさも流れ、貴族の令嬢の気まぐれに振り回されるのはごめんだとばかりに、兵士たちは不審のまなざしをオスカルに投げかけていたのである。 閲兵式は完全にオスカルをなめたもので、兵士たちは太鼓に足並みも合わさず、いかにもやる気のなさを見せつけていた。 しかしオスカルも又、最初とあって鼻息は荒い。 「諸君の普段の訓練の成果はさすがなものだな、これほど次元の低い閲兵式は初めて見た。軍人の誇りとはほど遠いとはこの事だ。それでも諸君らは男なのか、見損なったぞ」 オスカルはよく通る声を響かせてあざ笑った。 「何だと」 「女のくせに生意気な」 兵士たちの怒号が飛び交う中、オスカルはさらに挑発を続ける。 「そんなセリフは、女に勝ってから言ってみろ」 彼女がそう言い終わらないうちに、兵士たちは剣を抜きものすごい形相で襲いかかってきた。 オスカルも又、むしゃくしゃしていたのだ。喜々として剣を抜いた。 「やめんか、お前たちぃ」 ダクー大佐の虚しい声が練兵場に響き渡った。 ********** アンドレはパリに出てきてからしばらくの間、捨て鉢な生活をしていた。 飲んだくれては路上に寝そべり、住むところにもありつけず、時には慈善活動をしている貴婦人の世話になり、食べ物を恵んでもらったりした。 オスカルを深く傷つけた事をどうしても許す事が出来ず、自分が長い間思い続けた気持ちがいかに身勝手で汚れたものであったかを思い出すにつけ、胸をかきむしるような苦しみを味わっていた。 自分などもうどうなっても良いとばかりに、教会の石段にすっかり弱った体を投げ出して酔いを醒ましていると、中から若い女性が出てきた。 「アンドレさんじゃないですか」 女性はそう言った。 彼が振り返ると、どこかで会ったような若い女性が親しげな面持ちでこちらを見ている。 「私です、モンプザのアンヌです」 小柄な女性はアンドレの腕を力強く掴み、そのまま教会へはいるように促した。 教会の椅子にかけるように言われ、その女性の顔を見ているうちに、アンドレは徐々に過去の事を思い出していた。 アンヌという人はその昔、ボルドーへ旅をした時、色々と世話になった少女で、聞くと父親に連れられてパリに出てきたらしく、暇を見つけては慈善活動をしているのだという。 あれから10年ほどが経っており、彼女は二十歳過ぎになっていた。 「どうなさったのか知りませんが、ずいぶんご苦労をなさっているのですね。私でよければ何か力になれますか」 アンヌはあの時と同じに、むしろそれ以上に優しかった。 アンドレは彼女に比べ、自分の情けなさがみじめで、何より苦しみの出口が見つからない事が悲しかった。 「俺は大切な人を傷つけてしまい、自分がどうしても許せない。こんなみじめな姿を君に見せたくはなかったのだけれど、馬鹿な奴だとせいぜい笑ってくれ」 アンドレは自暴自棄になって言った。 「いいえ、どうして笑えましょう。自分で自分が許せないなどと、あなたが苦んでいることで私も悲しく思います。だけど聞いて下さい、神様はあなたを罰したりなさいません。どうか本当の心の声を聞いて下さい、愛は全てを許すのです。あなたの本心が真の愛を求めているのなら、もう一度立ち上がれるはずです。あなたの大切な人もあなたが苦しむ事をきっと望んではいないはずですよ」 アンヌにはアンドレの事情はわかるはずがないし、ありふれた話を言って励ましたに過ぎない。 だが彼には、たとえありきたりな愛を説く話も、今は心にしみた。 彼女の汚れのない気持ちは、かつての自分に通じるものがあった。 あどけない少女だったオスカルを守ろうと決意した少年時代の事も昨日のように思い出す事が出来る。 時には逆にオスカルに守られる事もあったが、二人は信頼を築いていったし、その時間の積み重ねは貴重なもので、まぎれもない真実だった。 もし、オスカルを欲望の的としか見ていなかったら、とっくの昔に彼女に見捨てられていたに違いない。 「あなたは充分苦しまれたじゃないですか。もうご自身を許してあげても良いのではないですか」 アンヌは心からアンドレを心配していた。 「俺のために…ありがとう…」 今、ここでこうして再会の約束をした少女と出会い、立ち直るきっかけになってくれている事も、アンドレにとっては神の許しに違いないとさえ思えた。 行く道はおぼろげで見えにくいが、彼の頭の中でようやく一筋の光が見えた。 オスカルを見守り、そばにいるというのは今までの彼の使命であり喜びだった。 たとえオスカル自身に理解されなくとも良い。 迷いや不信を振り払い、自分の信じた事を貫くのが自分の生きる道なのだ。 真の愛は信じ続ける事、愛し続ける事、ただそれだけなのだから。 愛は全てを許す。 それはまだはるか先の小さな明かりに過ぎなかった。 だが彼の歩むべき道は、暗闇の中でもはっきりと浮かび上がっていたのである。 2006/4/9/ up2006/5/14/ 戻る |