−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-嵐の日-



ジェローデルは近衛連隊を任され、ますます自信を持ち、部下たちの指導に当たっていた。

「案外、楽なものです。彼らは総じて怠慢で、働きもせずに出世したいと思っていますが、プライドは人一倍高い。家名に傷が付くと言えばがんばります」


相変わらずの彼の毒舌ぶりに、オスカルはかえって頼もしささえ覚えていた。


「ある程度は仕方あるまい。ちやほやされて育った者が多いのだから。近衛隊は選りすぐった兵士たちで構成されているが、裏返せば王室の飾り人形と揶揄されているぐらいだからな」
確かに近衛隊は国王直属の軍隊とあって、家柄や見栄えが重視されていた。

それでもオスカルは単なる人形になりきるのではなく、兵士たちの中に才能を見いだしていたし、武術に励むことを奨励してきた。

ただ、彼女自身も大貴族の跡取りという立場があったからこそ近衛隊に配属されたのではあるが。


「我々は優遇されているのです。かといってそれを引け目には思ってはおりませんよ。むしろ自分の強運に感謝しています」
ジェローデルは勿体つけたように袖口のレースをきれいに直し、羽根飾りの付いた帽子を整えた。


「うむ、指揮官はあらゆる面で自分を信じる事が大事なのだから、せいぜい自信過剰にだけならぬようにな」
オスカルは少しだけ釘をさす。


「隊長のお言葉は何でも有り難いものです」
彼は全くへこまない男だった。


オスカルは偶然とは言え、ジェローデルと会って、近衛隊について話そうとは思いもよらなかった。

もはや直接指揮権のない彼女にとって、隊をまとめるという任務はかえってやりがいのあるものに感じられた。

今、与えられた地位が不服なのではない。
ただ、今のままでは居たくないという思いが彼女の中でくすぶりはじめていた。

近衛隊など単なる王宮の装飾品、という批判が気になったのではない。
今まで自分が与えられたものの中で、決められた道を歩いてきた事が、どこかひずんで見え始めていたのだ。




**********




気持ちの良い朝だった。

今日は前々から決まっていた休暇で、オスカルは昨夜アンドレと遠乗りに行く約束をしたばかりだった。

だが、ばあやが早朝からいきなりのぎっくり腰を起こして大騒ぎをし、アンドレの手を煩わせていた。

オスカルは騒ぎが収まるまで仕方なく書斎にこもり古い詩などを読み返していたのだが、そうなればなったで無駄に時間の過ぎるのが惜しく、誰か客人などが来ないだろうかと他力本願なことを考えたりした。


その甲斐あってか午後になってから、さほど取り急ぎの用はないのだが、と前置きし、フェルゼンがジャルジェ家の門をくぐった。


朝の陽気はどこへ行ったのか午後になってから雲が太陽を覆い、泣き出しそうな空になっている。

オスカルは普段は日当たりの良いサンルームに彼を通し、あいにくの曇り空を皮肉に思いつつ、フェルゼンに掛けてくつろぐように勧めた。


アンドレが何か気の利いた飲み物を出すために部屋を退いたのとほぼ同時に、二人はとりとめのない会話をはじめた。

見たところ彼は顔色が良くなく、元気もない。

何かを打ち明けたそうに思い詰めているフェルゼンに、オスカルは妙な胸騒ぎを覚えたが、それでも平静を装っていた。


近頃の宮廷での出来事などを持ち出し、軽い雑談を交わした後、フェルゼンは切り出しにくそうに、そして覚悟を決めたように語り始めた。


「私はあれから色々と考えて、それに故国に帰っている間、友人たちと共に、今までの人生に起きた夢のような出来事について語り合った。人の話を聞くにつれ、私に起きたあの出来事がいよいよ夢ではなく現実のものではないかという想いが強くなるばかりで、最近ではほぼ確信に変わってきている」
フェルゼンは指を組み、伏し目がちに話す。


彼はしばらくの間、故国へ戻り、国王グスタフ三世に付いて諸国を巡っていた時、旧知の友と夜を明かして色々な事を語り合った。

その中で、酒に酔った彼は謎の貴婦人の事を持ち出した際、友人たちから思わぬ事を聞かされたのだ。


その貴婦人はかねてよりフェルゼンに思いを寄せていた女性で、その夜は名を明かさずに思いを遂げるために現れたに間違いないであろう、と。



「……」
オスカルはただ、フェルゼンの語りに凍り付いたように聞き耳を立てている。


アンドレは二人が歓談しているはずのサンルームへ軽い食事とワインを出来るだけ急いで運んできていた。

今日のフェルゼンの様子がいつもと違い、よそよそしいような落ち着かないようなそぶりなのは、はじめから気が付いていた。

だが彼も又、異様な雰囲気に飲み込まれ、部屋の手前で立ち止まるしかない。


「オスカル、私がは過ちを犯したのであれば償うつもりだ。全て忘れたなどと言ってしまえない事を私はしてしまったのだろう。そして君も又、あの時覚悟を持ってそうしたのであれば、私はこれも運命なのだと受け入れる」
フェルゼンははじめて顔を上げ、オスカルを見た。彼の様子は真剣そのものだ。


顔は青ざめていたが男らしい眉はいつにもまして引き締まり、責任感の強そうな瞳が彼女を見つめている。

オスカルが長い間、あこがれてきた彼らしい表情だ。


しかし今度はオスカルが何かを答えなければいけない番になっていた。


「何のことだ?フェルゼン。私にはさっぱりわからないぞ」
オスカルはあきれたように肩をすくませ、足を組み直した。

フェルゼンがあの夜の事を思い出し、謎の貴婦人がオスカルであると確信している事に、彼女も動揺を隠しきれない。

それもあの夜の出来事に関して、ひどく深刻な事態だったと思いこんでいるらしい。


「オスカル、君はどういう結末を迎えたいのだ、ああ…私は…、私はどうなのか…わからない。今となっては、あの方にとって私はただ苦しめるだけの存在なのだ。それなのに、あの方を不幸にすると知りつつ、いまだに未練たらしく宮殿に出入りしているとは…!」

フェルゼンはここ数ヶ月、今までになくアントワネットとの関係を野卑に噂され傷ついていた。
決して深い仲にはなるまいと理性を働かせ、耐えに耐えていた彼ではあった。


むしろ彼はどのような中傷にも耐えられたであろうが、その矛先はアントワネットに向けられ、フェルゼンとの道ならぬ恋が彼女の子供たちに暗い未来を投げかけるであろうという怪文書があからさまに横行し、ついにはアントワネットの目に触れることとなった。

その時のアントワネットの真っ青になった表情を思い出すだけでフェルゼンは身震いする。

折り悪く、ちょうどソフィーを亡くしたばかりのアントワネットの悲嘆に追い打ちをかけるかのような中傷に、フェルゼンはすっかり弱り切っていたのだ。

「オスカル。私はあの夜、君が忘れていった片方の手袋を持っている。よもや知らないなどと言い張らないでくれ」
そう言って彼はポケットから白い手袋を取り出した。


「やめてくれ、フェルゼン」
オスカルは立ち上がった。

アントワネットとフェルゼンの間で、何かあったのかはわからない。
ただ、彼は様々な出来事を一人で背負い込み、ついに不幸な未来を想像し、思い詰めてしまったに違いない。


「あなたらしくないことを言う。私の知っているフェルゼンはアントワネット様のことを誰よりも理解し、無償の精神であの方を支えるような、そんな男らしい人だ」


オスカルの激しい口調にフェルゼンはかえって落ち着きを見せた。
「何を言われようと構わない。私が知りたいのは君の真意だ」


真意と言われてオスカルは押し黙った。


私の真意?

では私が今、この瞬間、アントワネット様の大切な男性であるフェルゼンを恥ずかしげもなく横取りし、武官であることも辞め、今更、私は女ですとドレスをまとって公言しろというのか。

オスカルは今にも叫び出しそうになった。


アントワネット様の身代わりとなって、今もこれからも、永遠にアントワネット様を愛し続けているフェルゼンの、便宜上の妻にしてくれと言って欲しいのか。それで私が満足できると思っているのか。

いや、何よりお互いの気持ちを偽ったまま、私は幸せな花嫁として皆から祝福されると言えるのか。


今まであれほど片恋を苦しみ抜いた問題はそんな単純なことだったのか。

何よりフェルゼン、あなたはそれで良いと思っているのか。
私の気持ちは誰にもわからないのか。


オスカルの心は千々に乱れた。


フェルゼンへの想いが今となっては何なのか、混乱してよくわからない。

長い間かかえていた彼への想いは、石のように固まったまま、胸の中に居座っている。

もう自分自身すらそれを割って中を確かめることすら出来ないほど、それは硬く閉ざされていた。




**********




フェルゼンの事を命がけて愛していたのかと言われると、それも又違うような気がしている。

彼と共用した時間は全て友としてであり、恋を語ったことも愛を交わしたこともない。

一方的なオスカルの秘めたる片思いだったのだ。


ただ、あの時はどうしても自分を女として認めて欲しかった。

恋に身を焦がし、アントワネット様に負けぬほど女らしく、フェルゼンすら魅了するほどの美しい女性であることを自分のプライドにかけてどうしても証明したかったのだ。私の中の女としての部分がそうしたいと欲していたのだ。


ひょっとして彼を奪いたい気持ちが心のどこかにあったかも知れないが、そうしなかった結果が今、ここにある現実なのだ。

その時の、自分にも押さえようのない乱れた感情を、今さらここで正確に思い出す事も、語る事は出来るはずもない。

まして、済んだ事を思い出したくもない。


しかしその反面、今もフェルゼンを正視できないほど彼に対しての熱い想いは相変わらずこみ上げてくる。

その腕に抱かれると、どれほど幸せであろうかと彼女の感情は欲している。

自分が女性として愛されるべき存在かどうかを、フェルゼンの気持ちを利用して確かめたかったのは、自分の身勝手な自尊心なのにもかかわらず!!

私が抱きしめたいのはフェルゼンではなく、もしかすると自分自身のプライドなのかも知れないのに。


オスカルは一瞬、自分自身がわからなくなった。




**********




「だめだ、フェルゼン。それは出来ない」
オスカルはめまいを感じて、片手で顔を覆った。


「何がだめなのだ、オスカル」
フェルゼンも立ち上がり、つかつかとオスカルに歩み寄り彼女の手を取った。


だがその瞬間、オスカルはフェルゼンの手を振り切った。

「帰ってくれ!もうこんな事はおしまいにしよう!あなたはアントワネット様のために生涯、結婚しないと誓った。あの誓いはそんなに安っぽいものだったのか」
オスカルは叫んだ。


そう言われてフェルゼンは頬を殴られたかのような衝撃を受けた。


「私は誰とも結婚…しない…」
彼はオスカルの言った言葉を繰り返した。

そのとたん、フェルゼンの顔には苦悩とも快感とも取れる表情が浮かび上がってきた。
彼はようやく目が覚め、答えを思い出したのである。


だが、一方のオスカルはとたんに堰を切ったように涙があふれ、はかない恋の終わりに胸を痛めていた。

これで全て終わったのだと彼女は感じていた。


「オスカル、私は…」


「もういい、お別れだ、フェルゼン。帰ってくれ」

オスカルは今はこれ以上、彼の優しい言葉を聞きたくなかった。聞いてもどうしようもない事だ。

そして彼女は早足でドアに向かい、勢いよく取っ手をつかむと廊下へ飛び出した。

ドアの外にいたアンドレにぶつかり、けたたましい音を立てて食器や中身のワインを床にぶちまけながらも、振り返りもせずに外へ走り出て行った。


残されたフェルゼンと、呆然としながら割れた食器の中にたたずむアンドレはただ無言でそれぞれの想いを胸に秘めたまま、ただ無言でいた。


屋敷からオスカルが馬に乗って駆け出すところまでフェルゼンは押し黙っていたが、彼女がすぐに帰ってくる気配はないとあきらめたのか、彼も又、上着を手に取った。


「オスカルによろしく言っておいてくれ。そしてすまなかったと彼女に伝えておいて欲しい」
フェルゼンは残った気力を絞り出すようなかすれ声で、アンドレに最後の伝言を頼んだ。

ようやく冷静さを取り戻したフェルゼンは、ただオスカルを傷つけにここへ来てしまった事を済まなく感じ始めていたのだ。

去っていく彼女にただ一言「済まない」と言う事は出来た。
しかし、それはあまりにも都合の良すぎる話だ。


オスカルの拒絶により、フェルゼンは自分の行く道を再び見いだすしかなかった。

いや、思惑通り、オスカルによって励まされ、ようやく自分を取り戻したのである。
ただ、無二の親友を自分勝手な悩みに巻き込み、深く傷つけてしまった。


「済まぬ、オスカル。お前の気持ちを気づきもせず、その上、踏みつけるような事までしてしまった私を許してくれ」
ジャルジェ家を後にして、振り返ってフェルゼンはそうつぶやいた。




**********




オスカルはこらえきれない涙をどこかに捨ててしまおうと屋敷から飛び出していった。

これまで自分を押さえてきたことに、もう限界が来ていたのだ。


フェルゼンの苦悩がわからないではない。

ただ、ここまでしてフェルゼンとアントワネットを気遣う自分は一体何なのだと自問を繰り返し、胸が張り裂けそうになっていた。

人は誰もが自分の事で精一杯で、相手の気持ちをくみ取る事など出来ないのだ。


気持ちが乱れていたのは彼女だけではない。

ただならぬ話を聞いたアンドレも又、深い疑念にさいなまれ苦しんでいた。
以前から疑いはあった。だがそのようなことをオスカルに聞けるはずもない。


しかし当のフェルゼンがあの夜、起きたであろうことについて、その口から直接語られてしまった今となっては、アンドレのオスカルへの想いは怒りに達するほど激しく沸き立っていたのである。

たとえ、今の会話をアンドレが勝手に解釈してまったのであろうと、それが彼の勝手な思いこみであろうと、もうきっかけなどはどうでもよくなっていた。

彼はただ二十年余、オスカルをひたすら愛し続けていたのである。




2005/2/22/




up2006/4/15/

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