−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-抵抗-



波乱の始まりを予感した1787年が始まった。


1月にはロシアとの通商条約が締結され、2月にはカロンヌの提案した名士会が招集された。

名士会とはその名の通り、貴族や領主、高等法院の高官、地方知事や市長など各地の重要人物、総勢144名を集めたものである。


国王も、そして財務総監のカロンヌも、その威信にかけてよもや自分たちが招集した名士たちがこのたびの改革に反対するなどと考えもしていなかったのである。


だが、時代の流れはすでに変わっていた。

名士会の前にはすでに、国王に反抗的な高等法院は改革に反対する煽動ビラをまき散らし、名士たちも特権が奪われる事を恐れ、会が開かれるやいなやカロンヌに対し、国の財政が絶望的に悪化していることを食ってかかった。


特に名士たちは、財務長官を務めていたネッケルが以前に提出した報告書では国庫には余剰金があるとの事だったので、今回の増税に反対したのである。


しかし反撃されたカロンヌは、ネッケルがアメリカ独立戦争にかかる費用をひねり出すため、少しでも融資が有利になるよう財政状態を詐称したことを暴露せずにはおられなかった。


しばらく前にパリに舞い戻っていたネッケルは、カロンヌの発言に対し、仕方ないときもあると反論したが、虚偽が明らかになった以上は何を言っても無駄で、彼はついに国外追放を言い渡され、あわてて荷物をまとめて再びパリを出て行った。


そして名士たちの反対に遭ったことで、カロンヌの立場は失墜した。

彼の過去が暴かれ、かつて国庫を利用して行った投機なども明るみに出、一気に形勢は不利になった。

もちろん、カロンヌも黙ってはいない。

特権階級の不当な利益を報告書にして広く国中にばらまき、広く民衆を味方につけようと試みたのである。

しかし勢いを失った彼にはすでに勝機はなかった。敵に回った特権階級の者たちは彼を罷免するよう国王に迫り、民衆も又、カロンヌを信用しなかった。




**********




アントワネットは色々な事で心配事が増えていた。

王太子のジョゼフは再び体調を悪化させ、寝込みがちになっていたし、末の王女ソフィーも又、病がちだった。


養育係のポリニャック夫人は王太子をサン・クルー離宮かムードン城に移す事を提案したのだが、医者や世話係の力関係が王太子の正しい治療を阻んでいだ。

王太子を手元に置いておきたい人々が、それぞれに理由をつけてジョゼフを静養に出す事を渋ったのである。


二人の子の健康を心配する母としてのアントワネットは、ままならぬ我が子の治療にやきもきし、王室につきまとうしきたりや権力のみを追求する自分勝手な貴族たちにうんざりさせられていた。


オスカルが謁見した時もアントワネットはどこか落ち着かず、しきりに子供たちの健康を気にしていた。


特にジョゼフは小さい頃からオスカルがお気に入りで、いつか大人になったら彼女のような立派な軍人になるのだと言って、皆を微笑ませてきた。

まだ彼が元気に駆け回っていた頃、共に宮殿の庭園でかけっこをし、乗馬の練習をし、色々と王太子のお相手をしていた楽しい思い出がよぎると、オスカルも又、胸が痛む。


しかしオスカルは王妃の心労が子供たちのことだけではないのはわかっていた。


この年のはじめ、ルイ十六世が即位してからこっち、王室に尽くし、長きにわたって助言してくれていた側近が相次いで亡くなり、王は後ろ盾を無くしてしまったのだ。

アントワネットは肩を落とす夫の姿を見て、窮地を救うのは妻としての義務と奮い立ち、経験もない政治の世界に足を踏み入れる決意をしていた。


しかしアントワネットにとっては、これまで政治は無関心な対象に過ぎず、いきなり夫の助言者になる事は出来るはずもなく、ただ彼女は自らの強運を頼りに判断していくしかない。


何も好んで政治に口を出したいわけではないのだが、亡き母が偉大な女帝だったという意地もある。そして王室が存続する事を誰かが声高に叫ばなければ、ある日突然、世界が変わってしまいそうな予感すらある。


アントワネットは考えていた。

自分が神から授かった使命はフランス王室を存続させる事であり、今、ここで誰よりも王室のために力を注ぐべきなのは私しかいないのだ、と。

又、そうする事がフランスのためなのだと自分に言い聞かせていた。




**********




オスカルはひょんな事からフェルゼンと少し話をする機会を得た。

この日のベルサイユ宮殿の庭園には、日差しに誘われた人々があちこちにたたずんでいる。

王妃がプチ・トリアノンに建設中の庭園を造園家と見回っていると聞きつけたので、遠巻きに警護していたオスカルは、たまたま近くにいた彼の姿を見た。

フェルゼンも又、馬に乗る彼女を見つけると、右手を高く上げて笑いかけながら合図した。


「フェルゼン、久しぶりだな」
久しぶりに見る彼は少し元気がなく、アントワネットの事で色々と考える事も多いのだろうとオスカルは推測した。


「アントワネット様は気丈に振る舞われているが、王太子殿下の様子も思わしくない。普段は他人に言わない弱音を私にはそっと打ち明けて下さるのだが、次の日には又別の問題が出てきて、結局は心晴れやかでは過ごせないことも多いのだ」
フェルゼンも口の堅いオスカルには包み隠さず現状を漏らす。

だが、アントワネットと会って親密な話をする時には、秘密に作った庭園の洞窟を利用していることは決して口には出さない。


やましい行為をしているわけではないが、二人だけで密かに会っている事だけでも、一国の王妃という立場上、フェルゼンは危険を感じている。


「王妃様は今、大変な立場にいらっしゃる。まるで地図を持たぬ者が古い船に乗り、暗闇の海にこぎ出して舵を取るようなものだ」
オスカルはアントワネットを心配しつつ、王妃の度量を図りかねていた。


確かにアントワネットにはただ黙って立っているだけでも威光があり、強運が付いていると思えてならない。

しかし、彼女は政治経済などにはこれまでほとんど興味を示した事は無く、何の経験もない。

今では賭博もやめ、パリでの遊びも控えている王妃なのだが、もはや原因が何であるかという問題ではなく敵対視さえされている彼女が、どうやって今から貴族や民衆から信用を得ていくことが出来るのか、それは難しい状況であった。


アメリカ独立戦争に参戦し、自由と平等を勝ち取る喜びを体験した兵士たちは帰国後、人々に「アメリカには身分制度はなく、そこに存在しているのは市民だけだ」と熱く語り、「この自由をイギリスからもぎ取るためにフランスは大きく貢献したのだ」と声を張り上げていた。

もはや民衆は王室に自らの運命を託すのではなく、自分たちの力で変えられるのではないかと思い始めている。


だが、アントワネット自身が自分の血筋を信じ、偉大な母と同様、国王よりも国を治める力があると信じている事は間違いなく、一歩間違えば諸刃の刃となることは目に見えていた。


「あなたはアントワネット様を良き女王へ導く事が出来る唯一の人だ」
オスカルは言う。

もしアントワネットの動きが世の流れに逆らうのであれば、それをいち早く察知して、より安全な道へ軌道修正できるのは彼しかいない。
オスカルはフェルゼンに未来への希望を託したかったのである。


「私はそのような立場にはない」
しかしフェルゼンはオスカルの願いを即座に拒絶した。

彼はあくまで騎士道精神をつらぬき、アントワネットに仕える事が自分なりの精一杯の愛情なのだと考えていたのである。

王妃にもの申す、ということは彼の信じる道からは大きく外れた行為なのであった。


もし彼がアントワネットを導くことになれば、その時は二人の力関係が崩れ、一気に深みにはまる事を彼自身がよくわかっていたのだ。



アントワネットの移動と共にオスカルはフェルゼンと別れたが、彼女の心には釈然としないものが残った。

彼が密かにアントワネットと庭園で密会している事をオスカルは前々から知っていたのである。

二人の様子から見て怪しい雰囲気はない。
しかし人目を忍び、密かに二人きりでの時間を過ごすアントワネットとフェルゼンを、ある時はそっとしておき、又ある時は衛兵が近づかないようにと配慮してきた。


全ては王妃のために良かれと割り切っていたはずのオスカルにも、心の中で迷いがないはずはない。

惹かれ合う二人の気持ちもよくわかっていたし、自分がフェルゼンを密かに慕う気持ちもわかっていた。

気持ちを理性で抑える事はつらい。

だが、それよりも肝心なのは、何のために自分はここにいるのだろうか、という自分自身の問いかけにいつか答えを出す事だ。


結果ははっきりしていた。

アントワネットはフェルゼンが守り続けるであろうし、オスカルが近衛兵として彼女を護衛する事にもはや意味はほとんど見いだせなかった。


又、世の中が変わりつつある中、貴族たちは自らの保身ばかりを考えて改革を拒み、権力を盾に押し切ろうとしている。

オスカルは自分も貴族として、その一員である事を自覚していた。


一体、この国は誰のためにあるのか、どうすれば腐りかけた土台が修復できるのか。

フランス王妃を守るため、部下たちの見本となるため、これまで自分を鼓舞し、高めようとしてきた彼女の心に、時代の変化は容赦なく入り込んでいたのである。


これから自分がどうするべきか、今までの自分は何であったのか、オスカルはいよいよ自分で自身の未来を切り開こうと考えていた。




**********




アントワネットはこれから自分が国王を支え、時には自らが主軸となって国を守っていかなければならないと考えていた。


まず手始めにカロンヌに代わる財務総監を決めなくてはならない。

そこで彼女が選んだのは名士会で力強く発言していた大司教のブリエンヌだった。

実は国王はブリエンヌをさほど信頼していなかったのだが、何より王妃の願いもあったのでやむを得ず承認することにした。


このことにより座を追われたカロンヌは、結局4月に罷免され、自らしたためた報告書のために敵に回した貴族たちから浪費を問いただされ、失意のままイギリスへと逃げていった。


一方、カロンヌに反論したブリエンヌも、いざ財務に携わるとともに国庫の危機的な状況を知り、結局はカロンヌ同様、特権階級に課税するという改革を推し進めなければならなかった。

又、王権に反抗する貴族たちと、実力を持つ平民層とが団結しないように、各地方に創設した地方議会において、平民議員の数を貴族・僧侶の両特権階級を足した数と同数に設定し、互いに反目し合うようにし向けた。


そして、後ろ盾を無くした国王を支えるのは王妃しかいないと判断したブリエンヌは、アントワネットを閣議の一員に加えることにした。


実のところ、アントワネットは自ら願って政治の表舞台にしゃしゃり出てきたわけではない。

やむを得ない状況で押し出されてきただけなのだが、結局、アントワネットはいつかこうなるように、自分を運命づけていたということは充分考えられる。

彼女はこれから始まる苦難を受け入れる覚悟の元、王妃として立派に振る舞おうと決意したのである。


しかしそんなアントワネットの危機感とは裏腹に、民衆たちはこぞってアントワネットの参政に反対し、オーストリアがフランスを乗っ取っていると激しく批判していた。


同じ頃、オスカルは名士会が荒れている事に危惧していた。

「どうして国王陛下は一刻も早く全国三部会を招集なさらないのだろうか」
彼女はいらだった。

国民の大多数を占める平民、つまり第三身分の声を聞き、彼らを味方にすれば、王室に対抗する貴族も高等法院も力を失うのではないか。

もし、貴族たちが平民を味方に取り込んで王室に対抗してきたとすれば、ますます国王の立場は危うくなる。


だが、王室は自ら三部会を開く事を恐れていた。
かつて行われた三部会では議会政治を求める反乱が起き、王宮で事件が起きた事があるからだ。


しかし、永遠に王権が絶対なものと言い切る事は今のオスカルには出来なかった。

民衆は平等を叫び、貴族は権力を求めている。

彼女が危機を感じた「王の立場」というものについて、いかなる事態にも絶対に安泰であるという神話は、今では国王と王妃以外に誰も信じていなかったのである。


彼女の様子をいつも見つめているアンドレは、最近のオスカルにある変化を感じていた。

書斎にこもって本を読んだり、一人で遠乗りに出て気分を変えたり、彼女は時折、考え事をしている事が多くなっているようだった。

准将に昇格し、直接の指揮権をジェローデル大佐に一任したことも原因にあるのか、一つの責任を果たし、次の目標を探しているかのように見受けられる。

以前のようにフェルゼンに対する気持ちを持てあましているのとはまた違う、何かを見極めようとする彼女の沈黙を、アンドレはどういう心境なのだろうかと考えていた。

そして彼は、オスカルもまた自分同様、この先の生きる道について考えているのではないだろうかと、同じ年頃の人間として共感を持って見守っていたのである。




**********




世の中の不安定な動きを作り出していたのは人為的なものだけではない。

去年に続き今年も寒い夏で、ここ数年の作物の出来は凶作であった。

民衆は生命の危機を感じ、社会不安は一気に高まっていた。

農村部から大都市に出てきた労働者は年々増え、特に食糧難はパリでも大問題となっていたのだ。


5月に入り、パリへ向かう母の供に付いていたオスカルは、不意に暴動事件に巻き込まれた。

ちょっとしたはずみで不具合が起きた車輪を直そうと、馬車の外へ出たアンドレはどこからともなく集まってきた民衆にいきなり殴打され、馬車に飛びかかってくる者たちから母を遠ざけようと馬車の外へ出たオスカルも又、棒きれでの殴打や投石に遭った。

彼女は後頭部を激しく打たれて意識が遠のく中、それでも尚、御者に早く逃げるようにと合図した。


この急場に御者は機転を利かせ、何とかジャルジェ夫人を乗せたままその場から逃し、たまたま近くにいた小隊の兵士たちに事態を伝えた。

そして彼らはさっそく現場に駆け付けたのだが、すでに石畳の道に突っ伏したアンドレは民衆に囲まれ動けない状態で、上着や靴は奪われてひどい有様になっていた。


しかし彼は主人であるオスカルの上に覆い被さり、身を挺して彼女を守った事は誰の目にも明らかだった。

ジャルジェ夫人は単に従僕が主人を守り通したという以上に、彼の子供の頃からの純粋な決意が今も尚、生き続けている事に胸を熱くした。


一方のオスカルも腫れ上がったアンドレの目を見て、昔のようにケンカであれば「おかしな顔だな」と笑うところを、この時ばかりは何も言えずにぼう然としてしまった。

殺気だった民衆の怒号が飛び交う中、アンドレはひたすらじっと動かずに堪え忍び、彼の重みはオスカルにとって非常に頼もしかった。

もうろうとした意識で、「自分が守られている」という事をこれまでになく感じたせいなのだが、殴打された体をゆっくり起こし、「お前が無事で良かった」とゆがんだ顔で笑われた時は、さすがのオスカルも言葉が出てこなかった。

そしてパリの貧窮を自ら知る事で、オスカルは急激な変革期が間近に迫ってきている事を感じざるを得なかった。



又、6月のある日、アントワネットの末の王女ソフィーが亡くなった。わずか十一ヶ月の短い命であった。

アントワネットは嘆き悲しみ、お悔やみに訪れる家臣たちに対し、うつろな目で謁見していった。

しかしオスカルが駆け付けた時、王妃はこらえきれずに泣き崩れ、かわいそうなソフィーと言葉を詰まらせた。

見回すとフェルゼンは不在で、表立ったところにいないのはわかっているが、オスカルは心の中で彼にこれからもアントワネットの心を支えてくれるようにと心から祈った。


実はフェルゼンはこの時、王室礼拝堂の隅でそっと祈りを捧げていたのだ。

アントワネットの悲しみが少しでも癒えるよう、そして幼い王女が神の御手に包まれて永遠の命を生きるようにと、心から願っていた。


しかし彼が黙祷を捧げているさなか、礼拝堂に入ってきたのはアントワネットと夫のルイ十六世だった。

悲嘆に暮れるアントワネットを支えた夫は、祭壇に近くに無言でひざまずき、彼女と心を一つにして祈り始めたのである。

二人の様子を見届け、フェルゼンは足音を消しつつ退去するしかなかった。



パリの自宅に戻るフェルゼンの心は複雑な思いで混乱していた。

王女の死は彼を迷わせる大きなきっかけになった。


実はこの数日前、彼は重大な内容が書かれた手紙を受け取っていた。

故国の王グスタフ三世からの親書で、一日も早くフェルゼンがフランス王妃アントワネットを誘惑し、取り入って操るようにとの催促である。

王の思惑は理解できるが、とてもフェルゼンには実行出来ないことだった。


だがこれは今に始まった事ではない。

一国の王妃を自由に操ればスウェーデンの国益につながる、という打算は前々から知らされていた事だ。

グスタフ三世は、潔癖なまでに騎士道にこだわるフェルゼンに業を煮やし、最近では大使であるスタール男爵のほうに、より信頼を置きはじめている。


少なくともアントワネットから得た情報のうち、差し障りのないものを故国に報告し、何とか今の立場を保ち続けてはいるが、一歩間違えればいつ国に帰るように命じられるか、その可能性がないわけでもない。

そうなればアントワネットのそばにいる事すら出来なくなる。

騎士道と故国の王への忠誠心に、彼は板挟みになっていた。


そして礼拝堂で共に祈りを捧げるアントワネットとルイ十六世の後ろ姿を見て、彼は自分の存在が二人にとって邪魔ではないのかと思い始めたのである。

特にフェルゼンがフランスへ戻ってきてから、アントワネットの苦難は増え続けていた。

それは偶然に過ぎないのだが、ひょっとして自分の存在が彼女を不幸にしているのではないかとさえ思える。


長い夜が始まり、フェルゼンは眠れないまま苦悩した。


そしてようやく明け方近くになった頃、彼は一つの希望を見いだしていた。

彼が信頼し、そして彼を信頼してくれているフランスの親友、オスカル・フランソワなら、この持てあました気持ちをどうにかして解きほぐしてくれるに違いないという考えに至ったのである。




2006/3/19/


up2006/4/9/

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