−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-黒い騎士事件-



ロザリーが屋敷から去り、幾分寂しい感じがただようジャルジェ家では、ばあやがいつものように暖炉の薪をたくさん用意しておくようにと孫のアンドレに指図していた。

去年に続きこの夏も涼しく、薪は多めに用意しても足りない。

他にも若い召使いはいるのだが、特に身内に対して厳しくしてしまうのは律儀なばあやらしい性格だ。


誰のおかげでここで生活させてもらっているのかと、彼女はアンドレが子供の頃から事あるたびに口に出し、ジャルジェ家のために尽くすようにと言い聞かせてきた。

そして彼も又、期待に応え、なおかつ自分の意志でオスカルという主人のために尽くしてきたのである。


いつも顔を見合わせるとにぎやかな祖母と孫が、裏庭で半分けんか腰になりながらも楽しそうに薪割りの作業しているところを窓から見下ろすオスカルは、そんな二人を暖かく見守っていた。


ばあやは母親と同じように子供の頃から彼女に愛情を注いでくれていたし、アンドレに至ってはいつも影のように寄り添って力を貸してくれた。


今、パリで平民たちが身分制度について理不尽さを感じ、不平不満を訴えているのを見るにつけ、アンドレにはアンドレ本来の生き方もあったはずではないかという思いが、いつからともなく彼女の心に芽生えてきていた。


平民と貴族では確かに身分は違う。

だが、制度などというものは神が作ったものではなく、不完全な人間が作ったものだ。

パリの街角で声高に叫ばれている民衆の熱望、そして革新的な書物などで訴えられているように、人として生きることは誰にも平等であるという考えは、オスカルの心に強く働きかけていた。


聞けばアンドレは奉仕活動に出かけることもあり、ちょっとした読み書きを教えたり古家の修理なども行っているという。

そう言えばかつて彼の父親は大工をしていたと言うし、運命が違えば彼は今頃大工になり、立派な親方になっていたかも知れない。


アンドレは剣の腕前も飛び抜けて上手くはならないし、人を惹きつけるカリスマ性がある訳でもない。

若い頃は茶目っ気のある冗談も飛ばしていたし、世の不平についてもオスカルの前ではっきりと批判を言ったりしていた。

ただ、いつもオスカルの気持ちをくみ取ろうと彼が努力してくれている事はあきらかであるし、年を重ねるにつれ無駄口を叩かなくなり、寡黙になっていく彼の心の奥が、非常に暖かいものであるのは彼女自身が一番よく解っている。

何よりそれらがオスカルを安心させてくれていたのは間違いない。


決してジャルジェ家の召使いとなった事を彼の不幸とは考えていないが、もしこの先、彼が独立して生きる道を希望するのであれば、今までの事に感謝し、その時は喜んで見送るべきだとオスカルは密かに思っていた。




**********




いつもなら楽天的な財務総監のカロンヌもさすがに険しい顔の日々が増えていた。

アメリカ独立戦争からこっち、国の借金は増えるばかりで少しも状況は改善していなかった。


官職を売ったりパリを入市税関でかこんだり、貨幣のちゅう造を行い、集められるところから借金をし、あらゆる努力を惜しまなかった。

しかしかつてネッケルが虚偽を書いて提出した黒字の報告書の内容を信じた高等法院は、財政に危機感を持つカロンヌと何かと対立し、抜き差しならぬ状態になっている。


ついにカロンヌは勇気をしぼって国王に相談し、崩壊寸前の財政を立て直すには財政面だけではなく、根本的なところから改革をしなければならないと訴えた。

つまりは今まで税金を免除されていた貴族からも税金を取るというものだった。


この日、ルイ十六世は自室でたくさんの書類にサインをし、大きな体を丸めて机に向かっていた。

いつものようにマイペースで動きはゆっくりしており、カロンヌの焦り具合とは対照的な態度である。

王たるもの、多少の事では動揺しないものと心得ているのか、話を聞く様子はカロンヌにすれば本当に理解してもらえているのだろうかとさえ思わせる。


カロンヌは続けて訴えた。

土地に対する税金をかければ、身分の差もなく平等に徴収できる。

そして地方議会のない国王直轄の地域においては、不公平がないように地方議会を創設することも必要になってくる。状況は少しずつ改善するはずであると。


「確かに財政は持ち直さなければいけない。しかし世はいいとしても、高等法院が認めなければどうにもならない話ではないか」
相談をかけられたルイ十六世は彼の話を一つ一つをしっかりと聞き、静かに答えた。


「しかし、全ての者にまんべんなく税金をかけ、その代わりに国内関税を廃止すれば、経済面での活性が期待できます。これ以外によい手だてはありませぬ」
カロンヌはもう引き下がれなかった。


「よろしい。では名士会を開いて、その席でこれらの改革を承認するように働きかければいいのではないか」
国王はそう言うと、何事も無かったかのように再び手元の書類に視線を落とした。




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パリではいつものように新しいゴシップ本が次々と発売され、市民たちを賑わしていた。


「オスカル様、申し訳ありません」
ロザリーはそう泣きながら謝った。


新しいゴシップ本はイギリスで出版されたもので、飛ぶように売れている。

その名も「ジャンヌ・バロア回想録」という本は、脱獄したロザリーの姉がイギリスに渡って好き勝手に書いたデマをそのまま本にして売り出したものらしい。

特に目を引くのはアントワネットの退廃ぶりを暴露したという内容で、ジャンヌはアントワネットと同性愛の関係にあったと書かれている。

それだけではなくポリニャック夫人や、若くして夫を亡くしたランバール公爵夫人らの名前も挙げ、全て王妃と深い関係にあると断言してある。

もちろんオスカルの名もアントワネットのお相手として登場してはいるが、書き方があいまいでごく手短なものに留まっている。


「一応、世話になったという気持ちがあるんだな。少しは恩を感じているんじゃないのか」
アンドレは笑ったものの、ロザリーは相変わらず泣き顔のまま。


「いや、ロザリーには関係ない事だ。金儲けが出来る上に、あわよくばフランスの国力を弱らせようと考える輩がいるだけのことだ。ジャンヌは利用されているにすぎないし、そもそもこれがジャンヌ自身が書いたかどうかすら断定できない」
オスカルもただロザリーをはげますしかなかった。

今さらジャンヌがゴシップ本を出そうが、落ちるまで落ちたアントワネットの信頼にこれ以上の悪影響を及ぼしたとは考えにくい。

民衆はとにかく、日々の憂さ晴らしの対象が欲しいだけなのだ。
最近では黒い騎士と呼ばれる盗賊が出没し、貴族の屋敷を荒らしいてるといううわさもよく耳にする。




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アントワネットはプチ・トリアノンから見渡す庭園が刻々と姿を変え、まるで一枚の絵画のように、のどかな村落へと姿を変えていく様子を嬉しそうに見守っていた。


国王やカロンヌが税金の事で頭を悩ませている事などほとんど知らないし、知っていたとしても別世界の事としか考えていない。

ましてジャンヌのゴシップ本が飛ぶように売れていようが、気にしないように振る舞っていたし、ちまたで黒い騎士という盗賊が現れようが、彼女には全く興味はない。

そんな事より自分の計画した村落が、どのような形で完成するかが近頃一番気になる事だった。


「貴族にも税金をかけるだと」
オスカルはカロンヌの話を聞きつけてなるほどという顔つきをした。


「これで貴族も平民から寄生虫扱いされずに済むわけだな」
彼女は少し安堵していた。


「喜んでいる場合かなあ」
アンドレもあきれている。
しかし、彼にもさまざまな思いがあった。


生まれた時からこの世には身分の違いがあり、貴族は尊い身分だと教えられてきた。

それに対して疑問も感じず、しごく当たり前と思っていたのだが、こうやって貴族の屋敷に引き取られてからは考え方もだんだん変わってきていた。


又、実力をつけて貴族社会を脅かす商人たちの台頭や、世の中がいかに不平等かを言葉巧みに語って、民衆の気持ちをつかむ者や、思想的なパンフレットも出てきている。

身分の差によって様々な不公平が平民側にあるのは明かで、彼とて憤りを感じた事は今までに一度や二度ではない。だが、それらの負の感情をオスカルにだけは向けたくはなかった。

結局は大切な女性には安全な所に留まって欲しいという気持ちが、彼の批判精神を押さえつけていた。


「それにしても物騒な話だな。最近立て続けに黒い騎士という盗賊がパリやベルサイユの貴族の屋敷に忍び込み、ごっそり金目の物を盗んでいるなんて」
アンドレが言うのは、最近になって特に頻繁に出没する黒い騎士という盗賊の事である。


以前から黒い騎士という賊は名前だけは有名だが、何時頃からか誰ともなく言い始めたもので、正体は全くわからない。

事実、舞踏会での単なる仮装だったり、人目を集めるために出てくる偽物だったりと、その存在自体が怪しい。

盗賊の中には盗んだ金品を貧しい人々にばらまいているそうだが、それらの正体が黒い騎士だという証拠もない。


ただ、うわさによると黒い騎士は黒い衣装に身を包み、肩にかかる黒髪をなびかせ、黒いマントに黒い仮面を付け、黒い馬に乗って現れるという。

仮面に隠しているが、実はなかなかの好青年らしいとの評判だ。

中には黒いウシという贅沢太りをした偽物まで現れており、黒い騎士騒動は盛り上がりを見せていた。


「アンドレ、その長くて手入れの面倒そうな長髪を切ってみたいと思わないか」
オスカルは薄っすらと笑いを浮かべながら彼に問いかけた。




**********




アンドレが黒装束に身を包み、黒い仮面を付けて夜のパリの町を徘徊しはじめて一ヶ月ほどが過ぎていた。

オスカルの発案で母の友人宅に協力を得て、ニセの黒い騎士に扮したアンドレが計画的に宝石類を盗みだし、本物の黒い騎士を怒らせておびき出そうとしていたのだ。


「髪を切ってもなかなか似合っているぞ」
オスカルはどこか楽しそうだ。

殊にこの一ヶ月というもの黒い騎士の容姿は非常に評判が良く、若い女性たちは想像を膨らませて勝手にときめいていると言う。

最初は抵抗していたアンドレだが、召使い仲間からも「男ぶりがあがった」とほめられ、今ではまんざらでもない。


又、パリに住むブランヴィリエ侯爵夫人はオスカルの母とは古いつきあいで、今回の件でも率先して協力をしてくれていた。

だが、相変わらずあちこちで黒い騎士にやられたという被害は増えているものの、おとりとなっているアンドレと本物の黒い騎士が遭遇する事はなく、空振りに終わっていた。


パレ・ロワイアルに居住するオルレアン公も又、かつてニセの黒い騎士になってからこっち、うわさに聞く本物の黒い騎士に会いたいと思っていた。

できれば自分の手で黒い騎士を捕らえる事が出来たとすれば、貴族のみならず、一躍時の人として多くの人々から注目してもらえると考えていたのだ。



“もし本物の黒い騎士がプライドを持ち、アンドレの存在を目障りに思っているのであれば、そろそろどこかで出会っていてもいいはずだ。”


オスカルは妙な胸騒ぎを覚えていたが、それはやがて現実の物となった。

ブランヴィリエ侯爵夫人は賊に入られたために、多くの知人たちから同情されたり、命までは取られなかった事だと喜ばれていた。

だが中には「夫人もこの手を使われましたな」と含み笑いを浮かべる貴族もいて、この話を聞いたオスカルは不意に事実を察し、憤りを感じた。


カロンヌが貴族にも税金をかけると言い始め、来年の初めには名士会を開く事になっている。

少しでも結果が貴族優位に運ぶよう、はじめから居もしない黒い騎士の名をかたり、賊に遭ったと言いふらしているに違いない。




**********




その夜、パレ・ロワイアルで出動を待っていた黒装束のアンドレは、ロザリーから軽い食事を用意してもらい、オスカルの到着を待っていた。


ややあって現れたオスカルはいきなりアンドレに聞いた。
「アンドレ、お前、泳ぎは得意だったか」


「何だよ、唐突に。そりゃあまあ子供の頃は川や湖で泳いでいたから、人並みには泳げるさ」
オスカルの手前、弱気な事は言えない彼であった。だが、元々は田舎の育ちで泳ぎは得意である。


「そうか、なら安心だ。さあ行くぞ」
オスカルは人通りの少ないパレ・ロワイアルに飛び出ていき、アンドレは人気の無いのを見計らってオスカルの後に続いた。


「おーい、ここに黒い騎士が居るぞ!黒い騎士だ!」
オスカルは少し離れたところから突然、大声で叫んだ。


驚いたのはアンドレである。彼女の声に反応して店や外から人がわらわらと集まってくる。
そしてついにオルレアン公の警備兵までもが姿を現した。


「やばいじゃないか、これって」
アンドレは青くなって駆けだし、近くで待たせていた馬に飛び乗った。
だが後ろを振り返るとオスカルをはじめ、警備兵、そしてオルレアン公その人も一緒に追いかけてくる。


「どうなってんだ、一体」
彼はとにかく馬に鞭打ち必死で逃げた。パレ・ロワイアルを出てルーブル宮殿を通り過ぎればセーヌ川に出る。

このまま逃げ続けていても追いつかれるのは時間の問題だ。

かれはとっさに先ほどのオスカルの言葉を思い出し、川に飛び込むべく馬から飛び降りると、ポン・ヌフ橋の欄干に登った。


その時、彼が後ろを振り向くと、追いかけてくる兵士たちの中で、群を抜いて先頭を切って馬を走らせてきたのはオスカルだった。

いつもは後ろで見る勇姿も、こうやって真顔で追いかけられているとなるど冗談抜きで背筋が寒くなるほど怖ろしい。

冷たい水に飛び込むか、オスカルに襲われるか、何より彼女の意図がわからずに躊躇するアンドレはもう一度振り返り、一瞬、動きを止める。

しかしオスカルはいきなり馬から飛び降り、軽い身のこなしで橋の欄干に飛び上がった。


「黒い騎士、覚悟しろ!」
彼女はすかさず剣を抜いたかと思うとアンドレに斬りかかっていった。


「うわぁ、何をするんだ?!」


と、アンドレは叫んだが、すでにバランスを崩した彼の半身は宙に舞っている。
しかし落ちる瞬間、小さな声で「次の橋まで泳げ」という彼女の声はしっかりと耳に届いていた。




**********




目の前で黒い騎士が川に落ちていくのを見て、追いついた兵士たちはあわてて馬から下り欄干に寄りかかった。

オスカルの行動が早すぎて、あまりにあっけない盗賊の最期にぼう然としている。


「オルレアン公、ご覧になった通り、黒い騎士を追いつめました」
オスカルは欄干から折り、すぐ後を追ってきていた公爵と兵士たちに向き直った。


「ただ川にはまっただけではないか」
公は暗闇の川面をもどかしげに見つめた。


「いえ、落ちる前に私の剣が奴の利き腕の筋を切りました。もし生きていたとしてもあの怪我では今後、賊など出来ますまい」
オスカルはそう言って血の付いた剣をさやに収めた。


「黒い騎士をしとめたのはオルレアン公でございます。もし今後、黒い騎士を語る輩が出てきたとしても、それは偽物でございましょうぞ」


「うむ、わかった」
有名な賊をしとめた手柄を譲られて、オルレアン公はまんざらでもない様子で胸を張った。


ところで一方のアンドレは事の次第がわからないまま、必死で泳ぎ切り、次の橋のたもとで待機していたモーリスに助け上げられた。

店じまいの済んだ花屋にたどり着いた時にはまだガタガタと震えている。夏とはいえセーヌの水は冷たい。


「すまぬ、お前に前もって言うと迫真の演技が出来ないと思ったのだ」
少なくとも彼を混乱させた事は悪く思っているオスカルだった。

だがそれ以上に、この強引な作戦に巻き込まれ、訳もわからないまま川に突き落とされたと言うのに、なんなく切り抜けるアンドレの体力と幸運には、さすが准将であるオスカルも大いに敬服していた。


「すまぬじゃないぜ、全く」
と、アンドレは一応すねている。


「それにしてもアンドレは計画も知らないのに川に飛び込んだんですね」
ロザリーは不思議そうだ。


「アンドレが単純な奴だというのはとうの昔にわかっている。ここを出ていく前に泳ぐ話をしておいたから、間違いなく川に飛び込むと信じていたぞ」
オスカルはアンドレをちらりと見て淡々と答えた。


「じゃあ、オスカル様は最初からわかっていらしたんですか」
ロザリーもくすくす笑った。


「勝手にしろよ」
オスカルに信頼されて、アンドレは嬉しいのかくやしいのかよくわからなかった。


「結局、この黒い騎士という盗賊は実在などしない。単なるうわさを利用して賊に遭った事にしておきたい連中がいただけのことだ。税金がかからないとは言え貴族にも苦労があるのだと、財務総監に対してささやかな抵抗を示したかったのだろう」
オスカルはそう結論づけた。


黒い騎士騒動は一応下火になり、あれは何だったのだろうと人々は首をかしげた。

オルレアン公が黒い騎士をしとめたと言うのだが、賊の被害にあったと言う貴族たちは何かの間違いだと主張した。

元々いない者をしとめることなど出来ないのは、彼らが一番よく知っている。

しかし今後、黒い騎士が現れたとすればそれは偽物だというオルレアン公の言葉は広く浸透し、彼らは次第に声を小さくしていった。




**********




この年の秋、フランスはイギリスと通商条約を締結し、経済の発展を願った。

しかし産業革命による大量の工場生産が可能になったイギリスとの格差は激しく、ブドウ酒などを輸出しようとしていたフランスにとって、余計に国内の産業を圧迫することにつながることになった。


又、オスカルは久しぶりにフェルゼンと出会った。

聞けば今年二十歳になるネッケルの娘ジェルメーヌが、フェルゼンの友人でフランス外交官であるスタール男爵と結婚するという。

仲を取り持ったのはフェルゼンで、後ろでは世話を焼くのが好きなアントワネットも後押ししていたらしい。

ジェルメーヌの婚約を巡って、フェルゼンと王妃が親しく相談する様が脳裏に浮かび上がったのだが、オスカルにはそれがどこか遠い別世界の事のように感じられていた。


黒い騎士事件はひとまず治まったが、その後も時々、贅沢太りをした黒いウシという盗賊はパレ・ロワイアルの周辺で時々出没し続けているという。




2006/3/8/





up2006/4/4

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