−お知らせ− このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。 一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。 それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。 -闇の中の真実 後編- 翌1786年、首飾り事件の決着がまだ着かないことにいらだちを感じるアントワネットは軽いつわりも伴って、気持ちは塞ぎがちになっていた。 そんな中で、何も知らない子供たちが無邪気に遊んでいるのを見ると、彼女は励まされたような気持ちになり、やはり以前のように日々の中で小さな幸せを見つけることも大切なのだと思い返し、次第に冷静さを取り戻していた。 この日、王太子のジョゼフはオスカルに銃の扱い方を教えてもらうと約束していたので、朝から落ち着かなかった。 彼はいつも父王ルイ十六世の戴冠式の様子や、近衛隊の勇壮な行進、盗賊を追った時の話などを何度も聞かせて欲しいとせがみ、その都度オスカルは初めて話すかのように心を込めて王太子の相手を努めていた。 最初に生まれたマリー・テレーズとは違い、王太子は生まれた時から体が弱かった。 女の子に比べると男の子は大人になるまでは何かと健康面で手がかかるものですからとポリニャック夫人は言っていたが、気休めに過ぎない事は誰にもわかっていた。 冬になれば長い間風邪を引き、高熱を出しては女官たちをあわてふためかせていたのはついこの間の事だ。 やがて王位を継ぐ彼には何としてでも健康になって長生きして欲しいとアントワネットは心から願っている。 だが、彼女自身はといえばなりふり構わず長生きをしたいというよりは、誇りを持って自分らしく生きたいと思う気持ちが強かった。 「私は死を恐れてはなりませぬと母から教えられたのですよ、オスカル」 アントワネットはソファにゆったりともたれかかり、子供の頃の話を語っていた。 「偉大な母君の心優しく勇ましい一面が目に見えるようでございます。隙があればすぐに気を抜こうとする一部の兵たちに聞かせてやりたいものです」 唐突にハプスブルク家の教訓が飛び出し、オスカルは何事かと思っていた。 アントワネットの昔話は珍しい事ではない。 ただ、首飾り事件が起きてからこっち、病がちなジョセフの健やかな成長を望む気持ちや、お腹にいる子の無事な誕生を思うと、この大事な時に心安らかでおられないことをアントワネットは少なからず気にしているようだった。 両親が健在で独り身のオスカルとは違い、異国から来たアントワネットには頼りになる両親もすでにこの世にいない。 今、王室の中心人物として君臨するアントワネットの、我が子とその行く先を想う気持ちがどれほど強いものかは想像して余りある。 又、王室に反目する一部の貴族たちや民衆の意志がどうあれ、自分のプライドを優先させる度胸は、生まれながらの王族の血なのであろう。 ただ、我が道を行くと言えば聞こえは良いが、これまで王妃は財政を浪費することに何も躊躇すらしていない。 人々の想いや世の移り変わりを感じ取っているオスカルにすれば、自分中心に物事を判断するアントワネットとは生きている次元か違うと思わないではいられない。 「私がここにこうして居る事は神様から与えられた使命なのだとはっきり言い切る事が出来ます。しかし今、パリでもベルサイユでも人々は自由だとか、権利だとかいう得体の知れない熱に浮かれ、足が宙に浮いているとしか思えません。一体、その中でどれほどの人がしっかりと自分で考え、神様に恥じない信念を持っているのでしょう。私にはわかりません」 アントワネットは普段、貴婦人同士の他愛ないおしゃべりや音楽や芝居ごっこを楽しんでおり、難しい話はしたがらない。 たまたま相手がそういう話を真剣に聞くオスカルだからこそ打ち明けているのだろう。 自我を通すことがどれほど難しいか、今このような事件が起きた事によって王妃は色々と考えさせられているに違いない。 「流れに逆らってでも強い信念を持ち続けるのが人の本性であれば、流れに身を任せつつ自在に泳ぎ切るのも又、人の本性。しかしたいていの者は深い考えもなくただ流れに乗り、本人の思いも寄らぬ何処かへ流れて行ってしまうもの…だそうでございます」 オスカルは暗記していたかのようにすらすらと述べてみせる。 「まあ、それはジャルジェ家の家訓なのですか」 アントワネットは目を白黒させた。 「いえ、私の父が酒に酔うと必ず話し始める無駄な説教でございます」 オスカルは笑った。 ********** ローアン枢機卿が逮捕された時にはさすがにおとなしくしていたポリニャック夫人も、時間の経過と共に何事もなかったかのようにのように養育係としての日々を取り戻していた。 今回の事件で、彼女の苦手なジャルジェ大佐が准将に昇格するなどして大きく取り上げられ、アントワネットの信頼を今まで以上に得ている事も心配材料になっていたのだ。 だが少なくともジャルジェ准将がどう動こうと、王妃の寵愛が揺らぐとは思っていない。 ただ、アントワネットが民衆の批判を集中的に浴び、一部の貴族も反王室になりつつあるのをポリニャック夫人は気が付いていた。 特に王妃の気性からしても、民衆に歩み寄ったり反目する貴族たちと手を結ぶ事は絶対にないと思われた。 時代の空気を敏感に感じ取っていなければ、世の流れに乗り遅れてしまう。 彼女はそう考え、以前のように王妃のそばにいて王室の動向を冷静に見極めようと決意していたのだ。 一方のアントワネットも又、この事件を通して親しい友人たちがどう感じたかをさとっていた。 「あなたは大切なお友達ですもの。ご自身を大切になさって下さいね」 王妃のねぎらいの言葉には孤独を独りで背負う覚悟が見え、ポリニャック夫人は自らの保身を見透かされたことに恥じ入り、ただだまり込むばかりだった。 そしてこの年の5月、裁判は結審する。 裁判で言うべき事を言い尽くしたと言わんばかりのジャンヌは、オルレアンの少女よろしく神妙に頭をうなだれ、王妃の犠牲者を装っていたので、判決を聞きに集まった人々の涙を誘っていた。 詐欺罪をまぬがれたローアンに科せられる罪は王室に対する「不敬罪」が妥当と思われていた。が、しかし。 ベルサイユ宮殿で判決を待ち望んでいたアントワネットは、使いの者が述べた言葉を聞くなり床に崩れ落ちてしまった。 ジャンヌはむち打ちの刑の後、終身刑。行方不明の夫ニコラスも不在のまま懲役刑が確定した。そして偽の手紙をしたためたレトーは国外追放になったのだが、ローアンは無罪放免となった。 偽王妃を演じたオリヴァーはほとんど事件の核心からはずれていたので無罪が確定し、とばっちりで投獄されていたカリオストロ伯爵は釈放され、民衆から英雄のようにもてはやされた。 人々は高等法院とローアンに対してもばんざいを合唱し、パリではお祭り騒ぎとなった。 反対にアントワネットの嘆きと怒りは激しく、周囲の者もこれまで見た事もないほどの取り乱しようにただ戸惑うばかりだった。 結局、ローアンが無罪だった事で、この事件の発端は王妃自身のこれまでの無分別な振る舞いにあると物語っているようなものだった。 駆け付けたオスカルも言葉はなく、身重の王妃が泣きつかれて玉座に腰を落ち着けるまで、ただ立ちつくしていた。 無謀な裁判だった、とオスカルは振り返る。 王妃が身の潔白を問う事は正しい。 だが裁判を通じて問われたのは、これまでアントワネットが無分別な振る舞いをしてきたこと、そのものなのである。 しかしこれだけに終わらず、さらにアントワネットの評判を落とす事は続く。 ジャンヌは収監されていたコンシェルジュリ監獄でむち打ちと焼きごての公開刑を受けたのだが、猛獣のように暴れたために全裸をさらすことになり、人々の前で必死の抵抗を見せたのだ。 早朝だったために見物人はそう多くなかったが、監獄は異様な空気に包まれていた。 物見遊山で集まった民衆の表情はジャンヌに対する同情心に満ち、と同時に無実の女に罪を着せるなんて王妃はなんてひどい女だろうと怒りをあらわにしていた。 刑の執行人・サンソンは彼女の色っぽい外見からは想像できない激しい暴れ方に驚き、おかげで刑が終わるまでに手間取ってしまった事も、見物人には「王室の犠牲者・ジャンヌ」を強く印象づけた。 その後、終身刑を受けて収容されたサルペトリエール監獄には民衆のみならず、アントワネットに当てつけるかのように貴族たちも訪れ、ジャンヌに同情と金品を与えている。 ロザリーも又、ベルナールに付き添われ、久しぶりにジャンヌに面会する事が出来た。 「無事でよかったわ、…姉さん」 姉の元気な顔を見て、怒りも嘆きも吹き飛んだロザリーはいきなり泣き出してしまった。 「あんた、よほどの馬鹿だねえ。あたしがあんたなんかと血がつながっているってまだ信じているのかい。あたしはあんたを利用しただけさ」 ジャンヌはせせら笑った。 「姉さん、何を今さら」 ロザリーにはジャンヌの真意は測りかねた。しかし姉妹として過ごした時間はどうしても信じておきたかった。 「だからお人好しなんだよ、あんたって子は。いい加減にしないと悪い男にだまされちまうよ。そら、その隣にいる奴みたいにさ」 ジャンヌはベルナールを指さし、愉快そうに大声で笑った。 「何を!出まかせに変な事を言うな」 ベルナールは顔を赤くして怒り出す始末で、すっかりジャンヌに食われている。 だがそのまま面会時間は終わり、結局それ以上の言葉を交わさずに姉妹は別れてしまった。 これが最後の別れになる事を互いに知らないまま。 ********** 済んだ事を振り返るならば、この事件の最初から最後までを通し、王室には隙が多かった。 世論の扱い、ジャンヌの扱い、高等法院との関係などなど、全てにおいて裏目に出、王室は以前に増してより多くの敵を作ってしまったのである。 事件の顛末として、どうにも気が済まないアントワネットが夫に願い出て、無罪となったローアン枢機卿に対し、国王命令で現職の辞職と隠遁生活を言い渡した。 これによって枢機卿は裁判で無罪を勝ち取ったにもかかわらず、まるで有罪であるかのような扱いを受けたのである。 しかし、王権が公平な判決を覆したという批判はたちまち広がり、これにより民衆は国王を公然と非難し、判決を下したパリ高等法院は判決をないがしろにした王室に失望し、さらなる反発の火種となった。 最後には、裁判の判決から一ヶ月も経たないある夜、サルペトリエール監獄からジャンヌの姿が消えた。 王室に反目する貴族らが彼女をイギリスへ逃がしたのだろうと噂されたが、脱獄に関わった全ての人々はジャンヌに味方し、真実は見えてこなかった。 王妃を中心とする芝居の貴族一座も今ではすっかり場がしらけてしまい、プチ・トリアノン劇場はほこりをかぶっている。 一刻も早く事件を忘れようと、気晴らしにパリのオペラ座に行こうとしたアントワネットをオスカルは制止した。 「王妃様、今あなた様がパリに行く事は大変危険でございます。護衛に関しても私は責任を取りかねます」 特に今は王妃も出産を間近に控えている。ちょっとした出来事でも一大事になりかねない。 アントワネットは彼女の一言で、自分の置かれている立場をがく然としつつ理解したのである。 彼女への反発は目に見えて激しく、オスカルの進言もあり、以後パリへの遊びはやむなく自粛せざるを得なかった。 普段は過去など振り返らない王妃だが、今回の事件を通して、誤解を招くような軽率な行動や贅沢は控えようと思い始めていた。 その代わりにアントワネットは新しい楽しみを庭造りに見いだしていた。 以前から作りかけていたプチ・トリアノンの庭園に人工の農場を作り、より自然風で凝ったものに仕上げようと考えていたのだ。 パリならともかく、ベルサイユの中では彼女は今までと変わらず王妃として平穏な日々を過ごす事が出来たからだ。 狭い世界に閉じこもり、変わっていく世界に背を向けていれば、今までと何ら変わらないのだから。 そして相変わらず涼しい夏になった同年7月、王妃は月が満ちて第2王女ソフィーを出産する。 首飾り事件の中、王室は苦悩も抱えた時もあったが、新しい生命の誕生によって小さな喜びがアントワネットを包んでいた。 しかし祝いの言葉を述べるオスカルには、小さなソフィー内親王の弱々しい泣き声が、とても心細いものに聞こえていたのである。 ********** その日、ベルナールはロザリーを伴ってセーヌ川にかかるポン・ヌフにいた。 夕暮れが間近に迫り、古い建物の輪郭が薄紫の空にくっきりとシルエットになって浮かび上がっている。 彼女はジャンヌが居なくなってから沈みがちで笑顔が消えていた。 いつも張りつめていて、言葉をかけても返事は少ない。 ジャンヌに「他人」と言われてショックを受けたこともあるが、心の中で事件そのものが未消化でわだかまりとなって残っていた。 ベルナールは彼女の気持ちを推し量り、ただ一言だけ言った。 「姉さんの事、好きだったんだろ。それでいいじゃないか」 彼はさりげなく彼女の肩を抱いた。 「ベルナール」 彼女は自分のわだかまりが何なのか、よくわからないでいたのだ。 事件が発覚してジャンヌを少なからず憎んだ時期もあった。だがこんな形で別れ別れになるとは思いもしなかった。 風のうわさでは彼女はイギリスへ渡ったという。 今となっては血のつながりがどうこう言うのではない、ただジャンヌに「姉さん、楽しい時間をありがとう」と言いたかったのである。しかし今となってはそれもままならない。 「わかってくれているよ、ジャンヌも。あんな風でも人の子だろう。きっとロザリーの気持ちはよくわかっているよ。だってこの世でたった一人の姉さんなんだから」 「うう…」 ロザリーは彼の胸に飛び込んでいき、号泣した。 ベルナールも又、彼女の小さい肩を抱きしめ、この女性を一生大切にしようと心に誓っていた。 ********** アントワネットは過ぎた事をいつまでもくよくよしない性格だった。 オスカルは再び遠巻きに彼女を見守り、以前のようにポリニャック夫人や親しい貴婦人を集めてお茶会を催すアントワネットの優雅な表情を安堵の気持ちで見つめていた。 この頃、准将に昇格したのと同時に、彼女は直接的な連隊の指揮権を手放していた。 隊を率いるのは大佐以下の階級の仕官が務めることがほとんどで、つまり彼女はもうひとつ上の、戦略を練る立場になったということである。 オスカルは次期近衛連隊長の座は腹心のジェローデルを押しているが、こちらのほうも、首飾り事件の犯人逮捕の功績を認められているのでほぼ確実な話である。 かつてそうであったように、オスカルは今も尚、王妃付きの仕官であった。 だが、それも長続きはしなかった。 アントワネットが彼こそは心の支えと確信していた男が帰ってきたのである。 必ずフランスに戻ってくると言っていた彼は、ようやく任務を終えて戻ってきたのだ。 2006/1/6/ up2006/2/8 戻る |