−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-闇の中の真実 前編-



オスカルが素早く行動し、ジャンヌとその一味を捕らえてきた事は誰からも高く評価された。

アントワネットは個人的な居間に彼女を呼び、誠意を持って職務を果たしている事に感謝の意を伝えた。


あたりには誰もいない。ポリニャック夫人もカンパン夫人も、まるで人払いしたかのように消え失せている。

確か数日前までは芝居の稽古で王妃の親しい友人たちは盛り上がっていたはずだ。


「私が枢機卿を捕らえた事が皆には理解できなかったようです」
アントワネットは肩を落とした。

友人たちは王妃を恐れたのか、それとも抗議の気持ちなのか、あの鏡の間の出来事以来、すっかり身を潜めていた。

自分を侮辱した男を捕らえる事になんのためらいがあるだろうか。それを誰にも解ってもらえず、彼女は孤独をかみしめていたのだ。


もっとも、アントワネットは屈折した性質ではない。

親しい友人たちがすっかりなりをひそめてしまったこともあるが、本人も又、怒りにまかせてローアンを逮捕させたものの、心のどこかで自分の行為が行きすぎではないかと気になりはじめていたのだ。

だが少なくともローアンには王室を、王妃その人を侮辱した罪はあるに違いないと、その事だけははっきりと確信していた。



「あなたならわかって下さるわね、オスカル」
アントワネットはオスカルの手を取った。


「枢機卿の事も、他の者たちの行動も私には関係ありません。私が知りたいのは事実でございます」
オスカルの突き放したような言葉にも、アントワネットはたじろぐ事はなかった。

このような時に自分を恐れず、何かの形で力になろうと駆け付けた彼女を、王妃は頼もしく感じていたのである。




首飾り事件はある者には衝撃的で、またある者にとっては面白可笑しい事件となった。

ローアンは雪辱に燃え、裁判で潔白を勝ち取ろうと決意していた。

彼は少なくとも慈悲を示した国王の許可を得て、パリ高等法院での裁判を願い出ていた。
高等法院は皮肉にもルイ十六世が即位してから復権し、王室にたてついてきた所だ。
ローアンの無念の思いとあいまって、アントワネットに対抗する事は目に見えている。

裁判の流れは王妃にとって非常に不利だった。



事件が明るみに出た時、国王はこの事件を表沙汰にすべきでないと考えていたし、ローアンも又、首飾りの代金をそっくり支払うので許して欲しいと懇願していたのだが、怒りのあまり前後の見境をなくした王妃は、その願い出を感情的に拒絶していた。


アントワネットは何が何でも事件を裁判にかけて身の潔白を世に問おうとしたのだ。

実にあれほど世の中を見ようとしなかった彼女は、王妃を慕う一部の人々を除いて、今どれほど自分が人望を失っているのか理解していなかったのである。


自己中心的な振る舞いによって彼女はこれまでいかに多くの敵を作り出してきたことだろう。

王妃に寵愛されることもない多くの貴族や、王室批判の的となったアントワネットを嫌う民衆たち。

そんな王妃が今さら世論を味方にしようというもくろみは全くあてがはずれていた。



ベメールからの確認の手紙をうっかり燃やした事も王妃の証拠隠滅だと叩かれていたし、肝心の首飾りのダイヤが一かけも見つからなかった事で人々は想像力をたくましくしていた。

多くの人々はアントワネットこそが真犯人だと信じ、ローアンやジャンヌに濡れ衣を着せたという王妃の陰謀説をこぞって支持したのだ。


宮内大臣のブルトゥイユ男爵は裁判官に対して事前に根回しし、この事件の黒幕はローアン枢機卿だと断定するように念押ししていた。


しかし裁判官たちはロアン枢機卿の身内らと共に密かに事実を拾い集め、画策したのがジャンヌであると突き止めたのである。


それでもジャンヌは裁判が始まるなりあらゆる架空の物語を並べ立て、いかにも黒幕はアントワネットその人であり、自分は利用されただけだと自己弁護した。

中でも彼女は詐欺を計画したのはカリオストロ伯爵だと言い、無関係の伯爵はとばっちりで捕らえられていた。


新聞に書き立てられていたのはいかにも民衆が喜びそうなゴシップとデマが多く、アントワネットを責めるものばかりで、それを信じる者が多いという事実に王妃は打ちひしがれていた。


せめてもの気晴らしに出かけたパリの劇場でも、アントワネットが入って来るなり群衆ははげしくブーイングを起こし、いたたまれなくなって退場したのは昨夜の事だ。

プライドの高い彼女にとって、仮にも一国の王妃に対する民衆の侮辱は許し難い。




「あなたは悪くはないのですよ、ただ王室を利用しようとする輩が増えてきただけなのです。民衆はただ無知なだけで、誰か意図ある者に踊らされているのです。悲しい事ですが、それが時代の流れというものなのでしょう」

いつも感情などどこに置き忘れたのかよくわからない夫だった。

優柔不断な彼に隠れてこっそり買ったダイヤのイヤリングの支払いが出来ず、泣きついた事もあった。

だが、彼はアントワネットが何をしてもにこやかに笑って見過ごしてくれるし、彼女を頭ごなしに怒る事もない。ただ黙ってそばにたたずんでいるだけだった。

時には頼りがいすらないと感じる。



だが、今この瞬間、この世で唯一、彼女を救ってくれたのは夫なのである。

アントワネットは悔し涙を流しながらも、夫の胸に体を預けた。
そして間もなく、新しい生命が彼女に宿ることになる。




**********




ジャンヌの裁判を見守る中、ロザリーを支えたのはベルナールだった。

殊にジャンヌの巧みな弁舌はとどまるところを知らない。

彼女は真にアントワネットの友人であるかのように、プチ・トリアノンのイスからカーテンの模様、インテリアの数々など、様々な事を見てきたかのように語った。

それらはロザリーから引き出した情報であろうが、このような場で利用された事で彼女は深く傷ついていたのである。


姉に利用された事よりも、自分にもこの事件の責任があると感じて嘆くロザリーを、彼は毎日のように慰めていた。

自分の姉が尊敬するアントワネットを陥れ、多くの人に迷惑をかけたことは非常につらい事だ。
何よりジャンヌと血のつながっている自分がジャルジェ家に居候している事すら申し訳ないと言いはじめている。


「ジャンヌという女は何でも自分のために利用する奴なんだよ。だけど王妃もローアン枢機卿も利用されただけだとはいえ隙があったんだ。それが証拠にパリではベルサイユとは全く違う反応をしている。この件でローアンの味方をする者は多いし、ジャンヌは今では英雄扱いだ」

高価な首飾りをめぐる茶番劇はすなわち貴族の生活の贅沢さや廃退ぶりを物語り、それに対して重税に苦しむ民衆は特権階級に向かって一斉に不満をぶちまけている。


「だけど悪いのは姉さんだわ」


「そうだよ、だけどロザリーには関係ない事だ。そもそも本当に血のつながった姉妹なのかも疑わしい。君はただこの事実を見守るだけで良い。そしてジャンヌやこの件に関わった者たちの罪がひどく重くならない事を祈っていればいいんだよ」


「姉さんは死刑になるの」


「幸い、誰も死んではいないし、物証も出てきていないから判断が難しいはずだ。多分、そこまで罪は重くならないだろう。第一この裁判は王妃がローアンを悪者に決めつけようと無理に起こしたみたいなもんだ。ジャンヌがたとえ首謀者だとしても誰もアントワネットには味方しないさ」


「あぁ…」
姉が王妃を侮辱したと想像しただけでロザリーはめまいを起こした。

危うく道の真ん中で卒倒しそうになったのを、あわてて抱きとめるベルナール。
これほど傷つき苦しみ、それでも心のどこかで姉を大切に思う心を、是非ジャンヌ本人に知らせてやりたいものだと彼は思った。



又、ジャルジェ家でもベルナールに負けず、ロザリーを守ろうとしていたことは言うまでもない。
迷惑がかかるので屋敷から出て行こうとする彼女をオスカルは引き留め、相変わらず一族同様だと諭している。


不思議と彼女がジャンヌの妹である事は意外にもほとんど知られていない。

妹がいるという事でかえって腹を探られる事になると思ったのか、善意に取ればジャンヌがロザリーをかばっていたのか、それは誰にもわからない。

実は当のジャンヌにさえわからなかったのである。


又、この事件の嵐が吹き荒れる中、オスカルは准将へと昇格した。

ジャンヌを捕らえた功績を買われたのだが、それよりも彼女が我が身の保身を顧みず、孤立したアントワネットのそばから離れなかったことも大きく影響している。




そんなある冬の夜、ジャンヌが収監されているコンシェルジュリ監獄に一人出向いていくオスカルの姿があった。

様々な人間関係が取りざたされている事件の中、被告の妹・ロザリーの保護者という誤解を受けやすい立場の彼女がジャンヌの面会に行くのは危険な事でもある。

目立たぬ黒のマントを羽織ってはいるが、彼女のブロンドの髪は人目に付きやすい。

だが、どうしてもジャンヌに話しておきたい事があったのだ。


彼女の独房は思ったより快適な空間で、冬着や毛皮の敷物など、同情する人々からの励ましの差し入れがあちらこちらに置いてあり、冬の寒さも要領良くしのいでいるらしい。


「なんだい、隊長さん。あたしと何か取引きしようってのかい」
ジャンヌはオスカルを見るなり敵意に満ちた目を柵ごしに光らせた。


「私の用ではない。お前のことを心配してやせ細っている、とあるご令嬢のために来ただけだ」
そう言ってオスカルはマントの中から大きな紙の袋を取り出し、格子の間からジャンヌに手渡した。


ジャンヌがいぶかしげに袋を開けてみると、刺繍入りの綿のハンカチーフが山のように詰まっている。
相変わらず下手な刺繍で、お世辞にももらって嬉しいものではない。


「ロザリーが、『姉さんの罪が少しでも軽くなりますように』と祈りながら作ったものだ。我が屋敷にあふれかえっているので持ってきたのだ」


「馬鹿な子だね、全く」
ジャンヌはただそう一言つぶやくと、あれほどの雄弁な口はどうしたものかたちまち沈黙してしまった。


「お前には味方も多い。だが、打算も見返りも必要とせず、心から心配している人がいることを覚えておくがよい」
オスカルは紙袋を手にしてぼう然とたたずむジャンヌをそのままにして監獄を後にした。




**********




裁判の後半に入り、何がきっかけになったのか、ジャンヌは自己弁護の作戦を変えた。

無分別に他人に罪をなすりつけようとしていたのをすっかり止めてしまったのだ。

特に、極力アントワネットの名は出さないようになり、口ごもるようになっていた。


元々、彼女はお人好しのローアンだけをだますつもりでいた。

事の次第が王妃の耳に入り、怒りにまかせて裁判を起こすなど全く考えていなかったのだ。

最初の頃は「アントワネットが悪い」と叫んでいた彼女も、さすがに一国の王妃を事件の中心に持ち出す事に躊躇しはじめたのである。



もちろん、計算がなかったわけではない。

絞められた縄はもがけばもがくほど身に食い込んでくる。

彼女はあっさりと罪を認め、アントワネットには無関係だったとしおれる事にした。

そうすることで民衆はかえって王妃の罪をジャンヌ一人がかぶっているに違いないと思い込み、結局彼女は今まで以上に人気を独占していったのである。


一方、裁判所は事件の真相をあらかた把握し、この事件はジャンヌ一味の犯行である事を確信していた。



しかしこの裁判にはもうひとつの真相があった。
それはアントワネットのプライドそのものが裁かれようとしていたのである。




2006/1/6/





up2006/1/29


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