−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-心の贈りもの-



1785年1月末、ジャンヌはローアン枢機卿に一枚の紙を差し出した。

「アントワネット様は高価なダイヤのネックレスを近々ご購入予定なのだそうです。枢機卿、いかがでしょう。これをあなた様が買われてアントワネット様に贈られるとさぞお喜びになると思うのですが」


彼女が差し出した紙は偽の契約書で、160万リーブルの首飾りを4回の分割払いで購入することが書き記してあった。

購入者のサインはローアンがいつも手紙で見ている「アントワネット・ド・フランス」の筆跡で入っており、いかにもそれらしく仕上がっていた。



160万リーブルと言えば相当な大金である。

たとえ資産家の彼でもすんなり引き受けるような額ではない。

だが、ジャンヌにアントワネットの名を持ち出され、ここで嫌と言うには彼のプライドは高すぎた。
好きな相手のためにお金を出し渋るなど、それもひと癖有るジャンヌの前でけちな振る舞いをすることは彼にとって屈辱とさえ思える。

何よりアントワネットが喜ぶのであれば、ローアンは満足なのである。



『これよ、この感覚。もうすぐこの手にとてつもない財産が転がり込んでくる幸せ。さあ、ローアン、早く返事をしなさい』
ジャンヌは心の中で彼をせかした。



「よろしい、私の名でアントワネットに差し上げることにしよう。さっそく宝石商を呼んでくるが良い。ジャンヌ、お前からは王妃様に是非私の真心の品だとお伝えしてくれ」
ほんの数秒の沈黙の後、彼はこの提案を受け入れた。


「おほほ、アントワネット様もきっと大喜びなさいますわ、急いで手配いたします」
ジャンヌも又、親友のために動いているかのようにつとめて平常心で対応した。

いつになく興奮した面持ちの彼女は、思わずその手で契約書を握りしめていたのだが、ローアンに怪しまれないよう、うわずったりしないでゆっくりしゃべろうと必死になっていた。



これが済んだら、次はベメールの所に行って、王妃が密かに首飾りを購入する決意をし、彼女と親密な関係のローアン枢機卿が分割払いに応じたのだと知らせに行くのだ。


こういう事は大胆かつ慎重に進めなければならないのだ。ジャンヌはとにかく大急ぎで手はずを整え、数日後にはローアンの屋敷で契約を交わすまでにこぎ着けた。




話は無事に進み、契約の当日。


「ではこちらがそのお品でございます」
宝石商のベメールは客相手にいつもそうしているようにうやうやしくローアンに挨拶し、宝石箱の中身を取り出して見せた。


宮廷御用宝石商である彼はいつもそつがない。
もったいぶった箱の中から出てきた見事な首飾りは一同の顔を照らすほどまばゆく、思わずローアンは手に取って感嘆の声を上げた。


「これほど見事な首飾りを今まで見た事はない」
彼は感激して驚き、この首飾りによってアントワネットの寵愛がますます得られるに違いないとばかりに喜び震えた。


ベメールは再び首飾りを箱にしまい、支払いの段取りを確認し、商売人らしくつとめて明るく振る舞った。
「では最初のお支払いは今年の8月とさせて頂きます。その後半年ごとに分けて合計4回の分割でよろしゅうございますね」
彼は肝心な事を言うのを忘れない。



ジャンヌはと言えば、彼らの話が済むまで一言も口をきかず、あくまで王妃の代理人として粛々と儀礼事に関わっているかのようだった。

最後にローアンはジャンヌに首飾りの入った宝石箱を手渡し、全ての契約事は完了した。

外には立派な身なりをした王妃の使いが、白い馬車に乗って待機している。
彼女はそのまま使いの者に首飾りを渡して、全てが完了する手はずだ。



「ではジャンヌ・バロア様、こちらの首飾りをアントワネット様へお渡し頂きますようお願い致します」
と、ベメールが言うまで彼女は舞い上がる心を抑え、我慢強く耐えていたのだ。




**********




1785年3月、アントワネットに第3子、ルイ・シャルルが誕生した。

祝いに駆け付けたオスカルは、健やかな寝顔の赤ん坊に思わず心暖かいものを感じ、久しぶりに安堵の気持ちを感じていた。


出産までの大事な時期はアントワネットも遊びを自粛していたし、悪いうわさの元になるような軽率な行動も減っていたことは、オスカルにとって有り難かった。


特に去年は王太子のジョゼフの体調が思わしくなく、身重のアントワネットを何度となくはらはらさせていたのだ。
空気のきれいな田舎の城に静養に行ったり、良く効く薬を取り寄せたりして彼はどうにか元気を取り戻したのだが、その間、アントワネットは非常に良い母として振る舞っていた。




少し前の話である。

「もう少し先に延ばして頂きたいのです」
アントワネットは国王に何か小声で訴えていた。
アルギスという若者に不利な裁判で死刑判決が出て、すぐに処刑される事になっていたのだが、アントワネットは彼が恩赦を願い出る時間を作ろうと、ルイ十六世に処刑の延期を頼み込んでいたのだ。

妻の言う事を何でも聞き入れていた彼は願いを聞き入れ、一人の若者の命をつなぎ止めた。
たまたまそばに控えていたオスカルは、これこそ王妃の美点であると、内心でこの君主を誇らしく思い、胸を熱くしていた。


今に始まった事ではないが、普段は遊びにうつつを抜かしているようでもアントワネットは決して他人に冷淡ではなく、人の命というものについて深く考え、無実の罪をかぶった者を放免したり、前王時代に不当な判決で投獄された兵士を助けたりしていた。

彼女はただ単に王権が神から与えられたものとたかをくくるのではなく、自分の意志で与えられた権利を行使し、自身の人間味あふれる行為を迷うことなく実行していた。

ただ、惜しむらくは彼女が民衆の生活を全く知ろうとせず、考えもなく浪費している莫大な国家予算が彼らの血をしぼったような税金だという事をほとんど意識していなかった事である。



いつもの事ながら、アントワネットには中傷がつきまとい、ルイ・シャルルの誕生についてもとやかく言う者も多くいて、フェルゼン伯の子だと言いふらしている。

これは月の満ち方から言って単なるデマだが、どちらかと言えば、体が弱い王太子のジョゼフにもしもの事があってもこれで安心という不謹慎な声も聞こえ、相変わらず歯に衣を着せぬ批評が飛び交っている。


アントワネットと言えばそのようなうわさには気も留めず、子供が増える事は何と幸せな事だろうと、つかの間の平安の中にひたっていた。


「子供って良いものでございますわね。皆、生まれた時は天使のように清らかで、こちらも心が洗われるようです」
オスカルと共に参上したジャルジェ夫人は小さい頬を優しく触りながら、昔を懐かしんでいた。




「あなたも生き方が違えば王妃様のように子供を抱いていたのでしょうね」
ルイ・シャルルの顔立ちがよほど愛らしかったのか、帰りの馬車の中でも夫人はオスカルの子供時代の事を色々と思い出しているらしい。


「母上、何だかそれでは私の居心地が悪うございます。私は誰が何と言おうと今の生き方に満足しております」
オスカルは母がこれ以上、余計な心配で悩む事を望まなかった。


何より与えられた人生の中で、ジャルジェ家の跡を継ぐという目的を持ち、主君に仕えるための努力をし、自分の手でつかんできた達成感は何ものにも代えがたい。

他人が言うような漠然とした「女の幸せ」というものも、別段、欲しいと思った事はなかった。

特に年明けからジャルジェ将軍は風邪をこじらせて寝込んでおり、今後の健康も決して安心はできない。

ならば自分が一日も早く父のような存在感のある人物になれるよう、もっとしっかりせねばと思うばかりである。


ただ彼女としては、フェルゼンの存在だけが今も少し気になるだけだ。




**********




その日、ベルナールは小ぎれいな格好に身支度を調え、ポケットに入れた贈りものを何度も確認し、落ち着かない様子でひとつのことばを繰り返していた。


「ロザリー、僕と結婚してくれ」



アンドレはベルナールの計画を前もって知り、久しぶりに再会するロザリーと彼のために一役買う事になっていた。

大切な事を彼女に伝えるための場所は、自分が通い詰めている古本屋があるポン・ヌフ橋の上がいいのか、初めて彼女を見かけたパレ・ロワイアルがいいのか、又はロザリーの供に付いて行った花の常設市場があるシテ島がいいのかさんざん悩んでいた。

あげく、結局ベルナールはセーヌ川のそばの方が自然の力も借りられそうだと自分勝手な解釈に納得し、アンドレにはロザリーをどうにかパリのポン・ヌフまで連れてきて欲しいと頼んだ。


ベルナールがロザリーに会いたがっている事を、アンドレがオスカルに伝えたところ、彼女もだいたいの事を理解したのか、「何よりロザリーの意志が大事だろうな」と言うだけだった。

アンドレにすれば、オスカルがロザリーを手放したがっていない事もわかっていたが、それ以上に彼女がロザリーの幸せな選択を希望しているに違いないので、とりあえずオスカルは経過を見守る心境なのであろうと推測していた。



周囲の根回しを全く知らないロザリーを乗せた馬車がパリに入ると、彼女の顔はいつもの事ながら明るく輝いていた。

生まれ育った場所が懐かしいのと共に、にぎやかな通りや町並みの活気によって、まるでここに来ただけで力を与えられているような気がするのだ。


偶然を装ってポン・ヌフでベルナールに出会う段取りになっていたのだが、ロザリーがパリに着くなり真っ先にパレ・ロワイアルにあるモーリスの花屋に行くと言い出したので、アンドレが仕方なく彼女の言う通りにすると、事前に気合いを入れて花を買いに来ていたベルナールと鉢合わせになってしまった。


モーリスを含め今日の計画を知る男たちは、予定外の出来事にあわてふためいてしまい、つい成り行きでベルナールとロザリーの二人を花屋の外へと送り出した。

かつて質素な縦縞の服を着てエプロン姿が日常着だったロザリーから比べると、今の彼女は全くの別人のようで、白い毛皮のついた襟に光沢の良いドレスが見た目にもまぶしい。



「久しぶりだね、ロザリー。何だかすっかりきれいになってしまって僕の知っているロザリーとは別人みたいだよ」
ベルナールはます彼女の外見をほめた。


「まぁ、以前の私はきれいじゃなかったの」
自分が町娘であることが今も忘れられないロザリーは、身なりの違いだけできれいと言われても少し複雑だったのだ。

それでなくても普段は誰にも遠慮がちに話す彼女も、なぜかベルナールには遠慮がない。
親しく思っているからこそなのだが、彼にしては切り返しに戸惑うばかりだ。


「いやそうじゃなくて、貴族の屋敷があまりに居心地良くて…僕の事を忘れてしまったんじゃなかなって一瞬思ったからさ。そんな事より最近どんな暮らしをしているのか教えてくれないかな」


「あなたの事は絶対に忘れないわ、ベルナール。だって私たちはお友達でしょう」
彼に対するロザリーの無邪気な意識は、少なくともベルナールの決意をくじきそうだった。


「実は最近になって実のお姉様の存在がわかって、とても楽しいの。ジャンヌという名前で…」
ロザリーはジャルジェ家の生活やベルサイユ宮殿での出来事、ジャンヌに出会ってからの事を彼に話し始めた。



最初は楽しそうにうなずいていたベルナールだが、ジャンヌの事に話が及ぶと次第に顔を曇らせ、ロザリーにもはっきりとわかるような困惑の様相を見せていた。



「どうしたの」と彼女か言いだすのとほぼ同じにベルナールは重い口を開いた。


「ジャンヌという女には近づかないほうが良い」


「どうしてなの、だって本当のお姉様なのに」
ロザリーは特にベルナールには姉の事を認めて欲しかったのだ。下町で暮らした者同士にしかわからない共感を持って姉を気に入って欲しい。

いつか機会が有れば彼に姉を誇らしく紹介したかったのである。


「こんな事を言うと君が気を悪くするかも知れないけれど、ちゃんと聞いてくれ。ジャンヌ・バロアという女は王妃と親友だとか言いふらしているし、取り巻きも怪しい奴らばかりだ。夫のラ・モット伯爵もパレ・ロワイアルで豪遊したあげくあちこちで借金を作って金貸しに泣きついている。それに彼女は詐欺師のレトーの愛人で、それ以外にも金持ちの枢機卿に色仕掛けで迫って金を巻き上げているというのもうわさだがほぼ事実だ。特に最近では妙に金回りが良くなって、近所の貴族を呼んで毎晩のように大騒ぎをしているという。領地もなく主人の俸給も限られているのに、どこからそんな費用が捻出できるのか、考えただけでも不自然だ」


「ベルナール!」


「あの女には危険な匂いがする。僕の勘ではジャンヌ・バロア・ラ・モットは間違いなく詐欺師だ。あの女と関わると君がどんな目に遭うかわからない。早急に手を切ってくれ」


「ベルナールのばかっ!」
彼が必死で話している途中でロザリーは怒りの表情をあらわにして叫ぶと、くるりと向きを変えて去っていった。

少なくとも大好きな姉を非難されて笑っていられる者はそういないだろう。



ロザリーは引き留めようとするベルナールの手を振り切り、いつになく低い声でアンドレに「早く屋敷へ帰る」と言い始め、その後はそっぽを向いたままベルナールの方へ決して顔を向けようとしなかった。

普段は内気で可愛らしさが目立つ彼女だが、ここぞという所は頑固で決して譲らない。そんな所も含めてベルナールは彼女の事が好きなのだが、今回は少し言い方を間違えたようだ。


実は仕事柄、ベルナールは詐欺師のレトーとは知り合いなのだが、ジャンヌがレトーの愛人である事は本人から聞いた事があった。

そのレトーもつい先日、盗品らしきダイヤを換金しようとして警察に捕まりかけたり、何か隠し事をしているようで行動が怪しい。

その他にもジャンヌのせいで人の良い貴族や豪商が大損をした話など、彼女が常識外れの事をしでかす人物であることをベルナールはつかんでいる。


翌日になって、ベルナールはアンドレにジャンヌの悪いうわさを知らせ、充分あの女に気をつけて、オスカルと共にロザリーを守って欲しいと頼んだ。

結局、彼のポケットには渡しそこねた金の指輪が紙包みに入ったまま取り残されていた。
ベルナールは己の無力さに脱力しながら、その紙包みを握りしめていたのである。




**********




ロザリーはベルナールの言った事を大変気にしながらも、ジャンヌを信用しようと思っていた。今となってはただ一人の肉親である。大事にしないわけがない。

しかしベルナールの言った事が嘘だというのではない。ただ、誤解や勘違いによってジャンヌは悪者にされやすい性質なだけだと思い込もうとした。


今、彼女の手にはお世辞にも上手とは言えない刺繍入りのハンカチーフが握りしめられていた。
ハンカチーフは薄紫色の木綿生地で、モチーフに青の花が所々に刺繍してある。


アントワネットがハンカチーフを正方形の物として流行らせてからこっち、貴婦人たちもこぞって正方形の物を好んで使うようになっていた。

ジャルジェ家でもハンカチーフのレース模様は特に凝っており、固有の意匠デザインを持ち、刺繍を施されたものも含めて夫人の趣味でコレクションしてある。
たいていはシルク地やレース製だが、ロザリーは刺繍の練習に木綿の物をよく使っていた。


彼女は刺繍があまり得意ではないのだが、何か姉にプレゼントしたいと前々から思っていて、このような小さい物なら邪魔にならないだろうとハンカチーフにしたのだ。



「ジャンヌ姉さん、これ私が作ったんだけど…使いつぶしたら又作るから、普段づかいにでも…よかったら使ってね」
あらたまって渡すとなるとどう言っていいのかよくわからないロザリーだった。


「あ、そう。じゃあもらっとく」
ジャンヌはさも何事もないように、ひょいとロザリーからハンカチーフを受け取ると、ポケットにさっさとしまい込んだ。


あまり喜ばれなかったのかしらとロザリーが残念に思う間もなく、ジャンヌは市場のあるレ・アールへ買い物に行こうと彼女を誘う。

こう言う時、たいていはジャンヌの買い物に付き合うだけだが、商品を手にとってほめたりけちを付けたりと、あらゆる話術で相手から安く買ってしまうのを見るのがロザリーは好きだった。



特に機嫌が良い時、ジャンヌはよく鼻歌を歌う。
楽しく弾むようなリズムなので、何気なく聞いていたらロザリーもうつってしまったのだが、いつだったか、その曲が好きなのねと姉に言うと、「これを歌うと気分が良くなるのさ」と返事が返ってくる。

するとロザリーも気分が塞いだ時はその曲で鼻歌を歌う事が癖になってしまった。



だが、今日のジャンヌは機嫌は良さそうだが鼻歌は全く出てこなかった。

まるで人が違ったかのように、あちこちの店でひたすら高価な衣装や宝飾品を買いあさり、ロザリーが心配するほど散財していたのだ。


そういえば最近、ジャンヌの羽振りはすこぶる良い。
毎日のように舞踏会を開き、ヴァロア家の紋章入りの派手に飾り立てた4頭立ての馬車を乗りまわしている。

今日も両手には大きな宝石のついた指輪をはめ、体の至る所で宝石が踊っている。
ある日を境に突然金回りが良くなったというのなら、ベルナールのように金の出所を怪しむ者もいるだろうが、ロザリーはただ、過剰装飾な姉に苦笑していた。


又、ジャンヌの舞踏会には何度か誘われていたが、人の多いところと夜が苦手なロザリーはほとんど行った事はない。

「体が弱いので」と言うと姉は無理強いしないし、何よりオスカルがジャンヌを警戒しているようで、彼女はそちらにも気を遣っている。




「知ってるかい、ロザリー。ちょっと前に海峡の向こうのイギリスまで気球で飛んでいった奴がいたんだってさ。あっちへ行かなきゃいけない用事もないのに男って変な生き物だねぇ。ただ空を飛びたいだけだなんて」

ジャンヌが言うのはこの年の初めに熱気球でイギリスに飛んだ二人の男のニュースの事だ。
初の海峡横断という事で新聞にも載ったのだが、関心のない者にとっては無駄としか写らない。



「用もないのにイギリスまで行って帰るだけなんて、なんて無駄遣いなんだろうね」


「だって姉さん、熱気球って夢があるじゃない」
いつもはうんうんと聞いているロザリーも、言い過ぎている姉に対してたまには言い返す。


「夢にもよりけりだよ。どうせならこれをネタに本を売るとか、誰か金持ちを乗っけて行って大金をせしめるとか、何か儲け話ぐらい引っかけたらいいのにねぇ」


ジャンヌはいつものように話しているつもりなのだが、この時は頭で全く考えずに適当な事を口から繰り出しているような状態だった。

今の彼女の頭の中は160万リーブルもするダイヤモンドの首飾りの事でいっぱいだったのである。

あの首飾りをどうやって売りさばき換金してやろうか、やはりイギリスに行ってバラバラにして粒売りするしかないだろうかと、そんな事ばかり考えていたのだ。


おかげでロザリーからもらった心のこもったささやかな贈り物も、他愛ない雑談も、すべてうわの空になっていた。

ただひたすら、莫大な金が目の前にぶら下がっていることがジャンヌの気持ちを捉え、すっかり舞い上がっていたのである。



しかしロザリーにすれば、今日の姉さんは感情が高ぶって言いたい放題になっているという程度にしか見えず、ジャンヌの身に何が起きたか、などという事は全く知る由もなかった。

しばらくしてジャンヌがふっつりと行方不明になることも、ロザリーには予測することは出来なかった。




**********




アンドレはここ何日か沈みがちなロザリーを心配して見ていた。

声をかけようとすると、彼女は小さく何かの曲を口ずさんでいる。
聞いているとアンドレの知っている曲だった。

子供の頃、楽器好きのオスカルがピアノの練習で弾いていた事がある。


「ロザリー、その曲はお気に入りかい」

「えっ、どうしてかしら。この曲を口にすると気分が良くなるって、ジャンヌ姉さん…いえ、お姉様が言っていたの」


「その曲はアマリリスと言って、ルイ十三世陛下が作られたんだよ」
彼がそう言うと、ロザリーは驚いて口をつぐんだ。単なる子供向けの曲だと思っていたのだ。


「いや、止めなくてもいいよ。楽しい曲だからね。だけどロザリー、何だかここんところ浮かない顔をしてないか」
アンドレはこの間ケンカになったベルナールの事で何かあったのか気になったのだ。
だが、返ってきた返事は意外なものだった。


「ジャンヌ姉さんと連絡が取れないの。屋敷には誰もいないし、行きつけのお店にもここ何日か顔を出していないらしくて、何か大変な事でもあったんじゃないかと心配しているんです」
最近、特に金回りの良さそうなジャンヌだった。賊に遭ったのではないかとも思える。


「よし、じゃあ、ベルナールに言って手がかりを探してもらうよ」
アンドレは彼女の両肩にそっと手を置き、にこりと笑った。


「だけど、私この間ベルナールにひどい事を言っちゃったの…。それなのに頼み事までしてしまうなんて」
ロザリーは半泣きになっていた。


「ベルナールはそんな心の狭い奴じゃない。ロザリーが心配している事なら何が何でも必死になってくれるさ、あいつはそんな男だよ」
アンドレはそう言いつつ、この事が二人の仲直りのきっかけになるに違いないと内心喜んでいた。



それにしてもジャンヌという女は人騒がせな人物に違いない。

ロザリーはすっかり振り回され、彼女が原因でジャルジェ家はどことなく落ち着かない。


しかしベルナールはジャンヌを詐欺師だと警戒しているが、今のところはうわさにすぎず、貴婦人のあいだでは中傷合戦などありふれている。

王家の血を引いた貴婦人がどう悪事をはたらこうと、そんな大それた事は出来まいとアンドレは事を甘く見ていたのである。




2005/11/09




160万リーブルというとだいたい1リーブルが今で言う12000円ぐらいなんだそうです。
電卓ではじくと桁が足りません。
ざっと見て190億円ぐらいでしょうか。
3億円の年末ジャンボがものすごく安く感じました(涙)。

ピアノの歴史は…又、興味のある方は調べてみて下さい。とりあえずオスカルも弾いていたことにしたので。(^^)





up2006/1/9


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