−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-夏の夜の夢 -
  


性描写・・・とまではいきませんが、内容の一部に性的な行為に関する表現があるので個人の判断として15歳未満(中学生以下)の方の閲覧はお勧めできません。大したものではないのですが、念のため。
お手数ですが、ここまでいらした15歳未満(中学生以下)の方は、以下に進まずお戻り下さい。



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男は品を作って妖しく笑いかける女たちを目の前に並べ、頭からつま先までまじまじと見回して品定めをした。

そして彼女らの中でも、特におっとりとした面持ちのオリヴァーという娘を選んだ。


通された部屋には天蓋付きの寝台が用意されており、ドアに鍵をかけるとオリヴァーは慣れた様子で踊るようにドレスを脱いでいった。


「王妃もこんな感じなのかな」
男はニヤニヤと笑いながら彼女の動きを見守っていた。


「わかんないわよ、王妃なんて会った事無いんだもん。だけどあたし時々、似ているって言われるのよ。おかげでお客が増えちゃってね、すっかり王妃のファンになっちゃった」
オリヴァーはあっけらかんと笑いながら惜しげもなく白い肌をさらし、仰向けになって寝台に倒れ込んだ。


「もっと初々しい態度ってもんがあるだろうに」
あきれたように言いつつ男は乾いた唇をひとなめし、彼女に覆い被さった。



男の名はニコラス・ド・ラ・モット伯爵という。

一見いかにも貴族らしい風体で育ちも良さそうなのだが、少しでも口を開くと軽薄な言葉しか出てこない典型的な遊び人だった。
小心者だが頭の中身はジャンヌと同じく金が大好きで、金のためなら何でも出来るとさえ思っていた。


今日、妻のジャンヌはサベルヌにあるローアン枢機卿の屋敷へ出かけている。

彼女は枢機卿に今流行のカード占いを披露するのだと言っていたが、いくらのんきなニコラスでもそんな話を頭から信用する気にはなれない。

自分が竜騎兵に取り立ててもらったのも、いつの間にか資産が増えているのも、ジャンヌがローアンの所でせっせと魔法を使って稼いできているからに違いない。


それもそのはず、ジャンヌには魅力がたくさんある。

情熱的な黒い瞳、長くつややかな黒髪、豊満な胸に引き締まったウエスト、白くて情緒豊かなすらりとした腕や足。

女好きの、それも高級な女を選り好むローアンが放っておくはずがない。
まして相手がヴァロア家の末裔と来れば、一度は征服してみたい気にもなろう。



ローアンだけではない。

けちな詐欺師のレトーも、今ではジャンヌのお気に入りだ。こいつには財力はないがなかなかの色男で、ジャンヌを楽しませる事に全力を注いでいるらしい。



夫として男としてのニコラスのプライドを妻はあっさりと切って捨てて、ひたすら富を増やすことに執着している。

だが、彼も妻と同じように貧乏で惨めな暮らしは嫌いだった。
俸給だけで小さく生きる事はうんざりだ。



出来れば楽をして暮らしたい。

毎日うまい物を食い、あびるほど酒を飲み、パレ・ロワイアルの娼館の女をとっかえひっかえして遊びほうけていたい。

そのためには疲れて帰ってきた妻の体をもみほぐし、心地よく眠らせるために支度する事などたやすい物だ。

特に金づるのローアンを手放すのはもったいない。ここは妻にがんばってもらわなくては困るのだ。


だが、そんな時には妻を抱く気には到底なれない。男なら誰だってそうだろう。
どうせジャンヌでなくても、金さえあれば女はいつでも自由になる。


全ては財力があればいいのだ。


ニコラスには、ジャンヌと組んでいる限り何でも手にはいるという自信すらあった。

夫婦は互いに裏切りを重ねて、尚かつ同じ目的のために同士として結束していたのである。




**********




フランスの名門貴族でローアン枢機卿という人物がいる。

彼には以前からどうしても叶えたい野望があった。
それはフランス宮廷で宰相の地位に上り詰める事だ。

彼は大貴族としてすでに数々の輝かしい肩書きと、宮廷の聖職者としては最高の地位を手に入れていた。
だが唯一、アントワネットに認めてもらえず、彼の野望は決して実現しないままになっている。


そもそもアントワネットとローアンには、今までこれと言った直接の因縁はない。

ただ、ローアンがオーストリア大使として彼の地に赴任していた頃、女帝マリア・テレジアが彼を毛嫌いしていた事によって、娘のアントワネットは決定的にローアン嫌いになってしまっていたのだ。


実のところ、人が良い彼はたいていの貴族から好意的に見られていた。

大貴族として家系を保ってきただけの狡猾さと、多少の自信過剰はあったにせよ、それは貴族なら誰でも同じようなものである。

多少着飾りすぎる事もあるが、外見もごく普通で、攻撃的なところもないし威圧的でもない。
初対面で誰とでも気さくに話ができ、人当たりの良い彼は経験も豊富で話題には事欠かない。


そんな彼がマリア・テレジアに嫌われたのは、俗に言うなら女にありがちな生理的に受け付けないというたぐいの物かもしれない。

神への信仰厚い女帝は、オーストリア宮廷のモラルが低下することを怖れ、享楽的な遊びを厳しく制限していた。

そこへフランスからやってきたローアン枢機卿が「人生は楽しまねば意味はない」とばかりに派手に振る舞い、オーストリアの貴族たちを巻き込んで豪遊し、時には羽目をはずして馬鹿騒ぎをした。

それまで清く正しい生活を強いられていた彼らも又「よくぞやってくれた」とばかりにローアンを歓迎し、多くの人々が彼を持ち上げたのだ。

ただひとり、マリア・テレジアその人を除いて。


根本的に大司教の生き方が理解できない女帝にとって、ローアンは目障り以外の何ものでもなかった。
アントワネットが王妃になって間もなく、マリア・テレジアがオーストリアのために娘の力を使ったのはローアンの召還だった。



しかしローアンはフランスに帰ってからも相変わらず高い地位を保ち、贅沢を楽しみ、多くの愛人を囲って面白可笑しく暮らしていた。

ただ、アントワネットからは声もかからず、長い間、冷え切った関係が続いているのが彼の悩みだ。




「お気の毒ね、ローアン様。私はてっきりプチ・トリアノンぐらいは招かれたのかと思っていましたわ」
ジャンヌはベッドに横たわり、素肌にシーツを巻き付けて妖しく笑った。
形のいいお尻がはみ出しているのを、手持ちぶさたのローアンが意味もなく撫でている。


ジャンヌはこのローアンの手が大嫌いだった。

男にすれば関節の節がすんなりとした繊細な指先なのだが、見方を変えるとまるでは虫類のような印象を受ける。
彼の手が尻のあたりを這っているあいだ、彼女は背筋に寒いものを感じていた。


「先日も王妃様の居間で開かれたお茶会では本当に楽しく過ごしましたわ。改装も済んだし、新しい家具も素敵で、それはそれは口では言い表す事が出来ないくらい調和の取れたお部屋なのですよ」



「ジャンヌ、お前の話はにわかに信用できない。王妃はそうやすやすと誰でも居間になど通すはずがないではないか」
ローアンは少しいらだっていた。

ジャンヌという女は心が読めず、素性に怪しいところがある。当然、言っている事も嘘っぽい。


「あら、申し上げておりませんでしたっけ。私は王家の血を継いでいるのですから、アントワネット様は私を妹のようにかわいがって下さっているのですよ」


「何か証拠でもあるのか」


「証拠もなにも、親しくしているのを説明することなんて出来ませんわ、出来るものならその場をお見せできればいいのですけれど」


「王妃は何か誤解をしているのか、私とは口も聞いて下さらぬ。私は決して敵意はないのだが、その辺をわかってもらおうにもきっかけがないのだよ」
ローアンはつい愚痴をこぼした。


「あら、そんな簡単なことなら私が取り持って差し上げますのに。明日にでも王妃様に枢機卿の事を申し上げておきますわ」
ジャンヌはいかにも親身な風を装って言った。

これで又、手間賃として金貨の山が増えるに違いないとほくそ笑みながら。




**********




ここのところオスカルの周囲では、平穏なようで心穏やかではいられない日々が続いていた。

「フィガロの結婚」上演騒動が終わったと思ったら、今度は「セビリアの理髪師」を自分たちが演じるとアントワネットが言いだしたのだ。


この物語はフィガロほどではないのだが貴族の有りさまを笑ったもので、作者が同じボーマルシェとくれば、普通なら王妃という立場上、プライドをかけて自分が演じる事は敬遠すべき物語である。
そうでなければここぞとばかりに、民衆がどのようにあざ笑うかわかったものではない。


「だって、ロジーナの役は私以外の誰が演じこなせましょうか」
アントワネットは舞台に立つ事を夢見て、気持ちはすでに主役の娘になりたくて仕方がないという様子でいる。

登場人物のドレスも舞台の装置も全て王妃自らが指揮し、やれベルタン嬢を呼ぼうとか設計家を連れてこようとか言ってはしゃいでいる。


アンドレが知る限り、今回の件でオスカルは特に動かない。
アントワネットは彼女自身の責任で行動しているのだから、前に言った事を再び進言するほど彼女も無神経ではない。


立場を越えて王妃に忠告することで、物事が良い方へ向かうというのは幻影に過ぎないと、そろそろオスカルも認めざるを得なかった。

アントワネットが王妃としての節度を忘れ、ただひたすら楽しく遊ぶことに時間を費やしているのを、彼女は複雑な思いでずっと見守ってきた。

民衆からの批判が高まるにつれ、アントワネットの心は彼らから離れていき、どんどん自分の世界へと深入りしていく。それは決して良い方向ではない。

ただ、いつか賢い王妃として目覚めるだろうという気持ちを、オスカルは今まで希望として持ち続けていたのだ。



もし異議を唱えても、アントワネットの反論は問わずと知れている。

「あなたは苦労性ですね、オスカル。結局、フィガロの結婚を上演させても何も起きなかったし、国中の者が楽しんでいる劇をとやかく言うのは野暮というものですよ。それにプチ・トリアノンの小劇場は私のお友達しか招待しませんもの。ごくごく内輪の上演なのですから」と言うに決まっている。


「本当に誰かが止められるものならとっくにアントワネット様の態度は違う方向へ向いていたはずだ」
オスカルはアントワネットが誰の言う事にも耳を貸さないことを憂慮していた。

メルシー伯も最近ではめっきり無口になり、彼女が真に国民から愛される王妃となる事を願った者たちも、結局は煙たがられて距離を置いて接している。

何より彼女を頭ごなしに叱るべき女性はすでにこの世を去っている。


王妃の周囲を見回してみても、いくら正しいからと言って自分の地位や一族の繁栄をひきかえに、王妃に反論する者などいない。
それも結局は解ってもらえず、無駄に自分の地位を失うのは目に見えているのだ。

危険な事をするよりは王妃に取り入り、利用する方が自分たちの利益になるし、そもそも誰も真剣に民衆の事など考えていない。


皆、アントワネットになびくだけで、そうでない者は敵に回り、王妃をますます悪者にしようとあおり立てる。
それほど王妃の持つ特権は、本人にとっても周囲にとっても、一歩間違えれば大きな代償を要求する危険な力なのである。


王妃にすれば自分の行動を誰にも邪魔されないのは都合が良いに違いないが、反面、誰とも立場を分かち合えず孤立している事を物語っている。
アントワネットが真に良き王妃になろうと自ら決意し、立ち振る舞いを改善しようとしないかぎり、どうにもならない。


しかし、かと言ってオスカルの忠誠心が消え失せたわけでも、アントワネットに対する愛情がなくなったわけではない。

「アントワネット様はご自身の立場を本当に理解なさっているのだろうか」

絶対権力の影には途方もないほど重い責任がのしかかっていて、一人で抱えるには相当強い精神力が必要になるに違いない。
王妃は出来れば敵を多く作らず、信頼できる味方を一人でも多く作る事が得策のはずであろう。


アントワネットのために今の自分が出来る事は何なのだろうか。オスカルは最近、そう自問する事が多くなっていた。
彼女はアントワネットとの今後を考え、今までとは違う王妃とのつきあい方や、これからの最善の関わり方を少しずつ探し始めていたのである。




**********




ローアンはその日、全く落ち着かない様子で昼間を過ごした。

ジャンヌによると、今晩ベルサイユ宮殿の庭園で密かにアントワネットが面会してくれるのだという。

おかげで午前のミサのあいだもうわの空で、誰かに話しかけられても適当に答えるばかりで会話がかみ合わない。

ただ、聖体拝領の時、アントワネットにさりげなく目配せした時は、いかにも嫌そうに視線をそらされたのだが、確かに人前で合図をするのはまずかったのだろう。


彼は喜びのあまり、天使のように今にも天に昇りそうな気持ちでいた。




「わかったね、じゃあ、もういっぺん練習」
ジャンヌはパレ・ロワイアルの娼館で働くオリヴァーという娘に、先ほど暗記させたセリフを繰り返させた。

今夜、ローアンに引き合わす王妃の役をこの娘にさせようと言うのだ。


「これが何を意味するかお解りですわね」
オリヴァーはたどたどしくそう言うと、手に持った赤いばらの花を差し出した。

目の前にいたローアン役のニコラスが花を受け取る。



「こんな事をして何が面白いのかしら」
オリヴァーは首をかしげた。

そもそもこれは娼館に客としてやって来たニコラスから「楽しい仕事をしないか」と言われて安易に引き受けた仕事だ。


聞けば王妃アントワネットが仕組んだ芝居で、偽王妃の役を探しているのだと言う。
自称、王妃のファンである彼女は、自分が役に立てるのならと思い、この役を買って出た。

それにいつもよりきれいなドレスを着せてもらい、その上、大金を褒美にやろうというのなら文句などあるはずがない。



「もっとすらすらと言えるように、夜まで猛特訓だからね」
ジャンヌは自らも気合いを入れた。




**********




オスカルはその夜、なぜか胸騒ぎがして落ち着かなかった。


「アンドレ!」
彼女が呼ぶと、彼は眠そうな目で「いつものやつだな」と付いてきた。

オスカルにはベルサイユ宮殿を警備する任務はないのだが、時折アントワネットが外の風に当たるために単身で庭園に出ていくことがあり、任意に夜間の見回りをしている。
深夜という事もあり、アンドレはいつも彼女の供をしていた。




7月とは言え、夜風は涼しい。
見上げると銀河が輝く美しい星空で、ついアントワネットが月に誘われて外へ出たくなるのもわかるような気がする。


二人はさっそくベルサイユ宮殿の木立の陰や、建物に潜む怪しい者がいないかどうか見回って歩いていた。

時折、宮殿警備の衛兵隊の兵士と会い、敬礼を交わしてすれ違っていく。




その頃、ジャンヌは今から始まる大芝居に誰も近づかないよう、庭園の一角でひっそりと見張りに立っていた。
そろそろ夫のニコラスがローアンを導いて、オリヴァー演じる偽王妃に引き合わせている頃だろうか。


自分が立ち会えないのは気がかりだが、見張りは重要な役目だ。

今は衛兵の交代時間ではないが、誰が気まぐれに夜の散歩に出てくるかわかったものではない。

とてもではないが、機転が利かない夫には見張りを任せられなかった。


せっかくの計画が台無しにならないよう、ジャンヌはあたりを見回して人の気配を探りはじめた。



「おお、危ない危ない。さっそく誰かこっちに向かっているよ」
彼女は近づいてくる複数の足音に耳を澄ませ、胸につけているブローチを素早くはずして、近くの茂みに放り込んだ。




**********




「誰だ、こんな所で何をしている」
オスカルはすぐ手前の木立の散歩道にうずくまる人影に気が付いた。


ふらりと立ち上がったのは小柄な人影で、ランタンで照らすと互いの顔がはっきりと闇に浮かび上がる。
黒い髪の女で、不安そうな青白い顔をこちらに向けている。


「あなたは…」
驚いて言ったのはアンドレだった。

こんな所でこんな深夜に、それもロザリーの姉に出会うとは予想もしていない。
さらに驚いたのは彼女が泣いていることだ。


しかしこの場の誰よりも一番驚いたのはジャンヌであろう。

顔見知りが庭園を見回りをしているなどとは全く考えていなかったのだから。
彼女は手に汗握るような緊張をひたすら押し隠した。


「びっくりさせて申し訳ありません。実は昼のあいだにこのあたりを散歩したのですが、お世話になっていたブランヴィリエ侯爵夫人から頂いた大切なブローチを落としてしまったのです」
夕方になって気付いたジャンヌは途方に暮れて探し続けているのだという。


仕方なく二人は顔を見合わせてブローチ捜索に加わり、ロザリーがいつもお世話になっていますと、世間話をはじめるジャンヌのとりとめもない会話に付き合っていた。

ほどなく茂みの中からアンドレがブローチを探し当てて彼女に返すと、ジャンヌは飛び上がるほどに喜び、何度も例を繰り返した。

「よければお送りしましょうか」
というアンドレの申し出を丁重に遠慮し、近くに御者を待たせてあるのですぐに帰るのだという。
二人は仕方なく、気遣って見送るジャンヌが早く家路につくよう、すぐにその場を離れた。




「妙な人だな。夕方から探して見つからないのなら、明日の朝にでも探せばいいのに」
オスカルは暗闇に消えていくジャンヌの後ろ姿に不自然なものを感じ、疑問を抱いた。




**********




同じ頃、ローアンはニコラスに袖口を引っ張られ、ベルサイユ宮殿の人気のない木立に連れて行かれていた。
明かりのない庭園の隅には、白いドレスの女性がぽつんと立っている。


深く帽子をかぶりはっきりと表情まで見えないが、上品な卵形の顔の輪郭をし、高貴な女性らしくおっとりと落ち着いた様子でたたずんでいる。

彼はこの方こそ王妃アントワネットに違いないと感動に震えた。



「これが何を意味するかお解りですわね」
偽王妃のオリヴァーは手に持った赤いばらを、おそるおそる近づいてきたローアンに手渡した。


たったこれだけの演技だが、彼女は慣れない事をしているせいが緊張してしまい、足ががくがくしている。
だが相手も同じぐらい緊張しているのか、ばらの花を受け取る手がぶるぶると震えているのだった。

よく見るとこの男は身分がよほど高いのか立派な法衣をまとい、指には大きな宝石をちりばめた指輪をたくさんはめている。

お芝居なのにどうしてこの男はこんなにあがっているのかしらと、かえってオリヴァーは気持ちが落ち着いてきた。



「大変です、間もなく警備の兵士がやって来ます」
ローアンがばらを手に感動して余韻に浸る間もなく、どこからともなくジャンヌが慌てて走って現れ、小さく叫んだ。

そしてそのまま「王妃様、見つかっては大変です」と言いながら偽アントワネットの手を引き、走って去って行く。

同じようにニコラスもローアンの手を引き、「ここにいては怪しまれます」と血相を変え、大急ぎでその場を離れ、待たせてあった馬車に枢機卿を押し込む。

二人の行動はとても素早かった。


ぼやぼやしていると警備の兵士に出くわすどころか、ローアンに何を怪しまれるかわかったものではない。いそいで二人を引き離し、早々に引き上げさせなければならなかったのだ。



「上手く行ったようだね。ニコラス、あんたもなかなかやるじゃないの」

「当たり前だ、大事な金づるに怪しまれちゃ困るだろ。だけどなかなか面白かったぜ。ところで見張りはどうだったんだ」

「それがもう、わくわくするほど楽しくってね。知り合いにばったり出会ったもんだから、しらを切るのにうっかり笑いそうになっちゃってね。苦労したわよ」

こう言う時、さすがに夫婦の息は絶妙に合っていた。



大芝居は一瞬のあいだに幕を閉じ、首尾は上出来だった。

ローアンはすっかりオリヴァーを本物のアントワネットと思いこみ、帰りの馬車の中でも感動に酔っていた。


ジャンヌのつけていた香水の残り香と、ニコラスが落とした懐中時計が現場に残されたのだが、やがて香りは夜風に飛んでいき、時計は翌日になって誰かがこっそりポケットに入れてしまい、密かな計画の痕跡を物語るものは跡形もなく消えてしまったのである。




オスカルとアンドレは庭園での出来事を不思議に感じたが、改めて検証するには至らなかった。
そんな些細な事より、もっと大きな話が飛び込んできたからだ。


セビリアの理髪師を演じると張り切っていたアントワネットなのだが、突然中止になったのである。


それは意外な顛末だった。
アントワネットがめでたく懐妊したからである。





2005/11/20/




up2005/12/4


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