−お知らせ− このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。 一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。 それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。 -華- ロザリーは今では見違えるほど貴族の暮らしになじみ、すっかり見た目も貴婦人らしくなっていた。 よもやパレ・ロワイアルで働いているとうわさになってはいけないので、今ではほとんどパリから足が離れている。 おかげで花屋の店主モーリスは落胆し、婚約者希望のベルナールも途方に暮れていた。 「こんなことならどうしてもっと早くプロポーズしないのか」とモーリスは彼に皮肉を言い、以前は彼女に近づかないよう、番犬のごとくベルナールににらみを効かしていたことなどすっかり忘れ去っている。 今では深窓の令嬢になってしまったロザリーに釣り合わない自分を、彼女はどう思っているのだろうと、ベルナールは近くて遠いベルサイユに思いを馳せていた。 さて、ジャルジェ家の屋敷で暮らすロザリーは最近になって、ようやく母の形見の品を広げて見ることができるようになっていた。 洗礼を受けたときの記録も残っていたのでアンドレに連れられてパリの教会を訪ねると、運良くその時に立ち会った司教が居た。 当時、うっかりロザリーの綴りを間違えかけて、サインが少しいびつになっている所や、彼女の右の耳の後ろに星の形をしたほくろがあった事などを司教は覚えていた。 生後間もない記録や司教の記憶などから彼女が貴族の娘であることはほぼ間違いない。 「良ければ私が証明書を書いておきましょう」 司教はそう言いつつ、確かその時に母親と一緒に、人なつっこい黒い髪の女の子が付いて来ていたことも語った。 愛想の良い子で、つやつやした黒髪が印象的だったらしい。 ロザリーは金髪なので髪の色がかなり違うし、父親の女好きは有名だったため、母親が違うかもしれないが姉である可能性が高いと言う。 とりあえず事実ははっきりしないが、ロザリーは天涯孤独ではないことを喜んでいる。 ********** 「ちょっと家具工房に寄り道するけど、いいかな」 アンドレは用事が済んで馬車の中でほっと一息ついていたロザリーに聞いた。 「なぁに?そんなこといちいち断らなくてもいいのに、アンドレ」 ロザリーは少しあらたまった彼が妙に感じた。 「いや、だって貴族のお姫様ってわかったんだから丁重に扱わないといけないと思ってさ。俺は平民だし、身分ってものがあるだろ」 「いやだぁ、アンドレ。あたし、ほとんど貴族の暮らしなんか知らないのにお姫様扱いされたら困っちゃうわ」 ロザリーはつい以前の口調に戻っていた。 それに子供の頃から貴族の屋敷で育ったアンドレのほうが彼女より何かと貴族の暮らしに詳しい。 いずれにしても身分で人格まで測れないことは彼女もよくわかっている。 「本当言うと、貴族って窮屈すぎてあたしに合わないって思っているの。オスカル様は今からどう生きるかはお前次第だよっておっしゃって下さるけど、もし安心して暮らせるならパリに戻って働きたいって思うわ。だけどオスカル様のそばから離れるのも嫌だし…」 「ベルナールがいるじゃないか」 貴族として生きることよりもオスカルのそばにいたいというロザリーの無邪気な理由が、アンドレには可笑しかった。しかしベルナールのことを思うと少し気の毒な気がする。 「彼とは単なるお友達ですっ」 ロザリーは真っ赤になりながら言い返してきた。 ********** アンドレは時々、修理する家具を持ち込むためにフォーブル・サンタントワーヌ地区にあるジャコブ家具工房に足を運んでいた。 この地区は優秀な職人が集まって住んでおり、貴族や裕福な商人相手の高級な家具を作る工房が数多くある。 ジャコブはアントワネットのお気に入りの家具職人で、ジャルジェ家でも彼の工房の家具を数多く使っていた。 アンドレは簡単な修理の場合は待っている間に、子供たちの遊び相手をしたり、時には子供ばかりではなく読み書きを教えて欲しいという人のために時間を割いている。 この地区では子供を優秀な大学に入れたり、幼い頃から専門的な仕事をさせたりと人々の生活は様々だ。 ここで知り合った蹄鉄職人の息子ジャンは好青年で、パリでは有名な大学を卒業し、今は父親のマチュランの期待に応えて跡を継ぐべく修行している。 父親思いのジャンはマチュランにとって自慢の一人息子で、学歴をひけらかすこともなく、体格も良く、職人としての腕も素質がある。 アンドレも彼に負けぬほど上背があり、毎日体を動かして鍛えられているせいか、女性にすれば長身のオスカルを横にしてもひけは取らないのだが、こうやって立派な青年が二人も並ぶと何とも言えずたのもしい。 アンドレはマチュランから、職人になれと半分本気で声をかけられているほどだ。 ところで、アンドレが時々パリの教会で貧しい人たちの世話をしているように、ジャンも又同じような奉仕活動をしていた。 そのせいもあってか二人はいつからともなく知り合い、機会が有れば色々と話をすることがあるのだが、アンドレにすれば自慢できるほどの活動はしていないので、どちらかと言えばジャンの愚痴を聞くことの方が多い。 「出稼ぎ労働者の多い地区では子供の教育どころではなく、生きていくだけで精一杯なのですよ。貧困は想像以上でした」 ジャンは自分が見てきた社会の底辺の有様が納得できないと言う。 「なのに遊びほうけている貴族からは税金も取らず、貧しい者は飢えているのに取り立てに追われている。誰だって今の状態にはいつまでも我慢できませんよ」 彼はもうすぐ世の中は新しく生まれ変わり、もっと自由な社会になると信じていた。 だが、身分制度をかたくなに守る仕事一筋の父・マチュランは「啓蒙思想など弱虫の戯れ言」と言い放ち、息子の意見になど耳も貸さない。 こんな時に二人の間に入るべき母親は、ジャンを産んですぐに亡くなっており、彼は父との間で確執があることをたいそう悩んでいた。 大学を出るまで親から援助してもらい、跡を継ぐことで親孝行している彼だが、全く考えの違う親子ほどお互いの立場を譲らないものはない。 ケンカをしても最後にはジャンが折れて、愛する父の言うなりになるのだが、腹の中では自分の考えを捨てる気にはなれない。 そのせいか教えている子供たちの中でも元気で素直な子より、わざとケンカを仕掛けてくる乱暴な男の子や、隅っこでこちらをうらめしそうに見ている子のほうが記憶に残ると言う。 親にあまり相手にされずすねしてまった子がまるで自分に重なって見えることや、数々の失敗談など、立場をわかってくれるアンドレには親しげに話しかけてくる。 「男の子は成長の過程で年上の男にぶつかってみたいものなんだろうな」 以前、アンドレも子供の相手をしていて同じような経験があった。 それは、もしかすると息子が父を乗り越えようとする気持ちに似ているのかも知れないと思っている。 彼も時々、父を越えたのかどうかと言うことをふと考える事があるのだが、かつて大工をしていたという父の記憶はもう遠い。 「そうなんです。言いたいことと態度は必ずしも一致していなくて、子供の話をよく聞いてみたら色々な悩みをためこんでいて、仲良くなるとそんな子ほどなついてくれるんですよ」 ジャンは嬉しそうに言う。 仕事一筋で頑固な父親ばかりではなく、子供の言うことに無関心な母親、幼い弟や妹に世話に明け暮れ、誉められることもなく何かあると叱られてばかりの子もいる。 子供相手にさんざんケンカをし、少しずつ話を聞き、結局、後になってどこかにはけ口を求めていたのだろうというのかわかる。 「相手が子供だとはいえ、一人の人間として解り合うのは大変です」 ジャンの言葉は切実だった。 彼はいつか父とちゃんと話をして解り合いたいと願っているのだ。 アンドレも又、パリへ通うことは楽しいばかりではないが、自分も教えられることも多い。 それに片言でもいいので、少しでも文字が読める人が増えるのは嬉しいと感じている。 結局、人と接することは相手が大人でも子供でも気は抜けない、と、二人は顔を見合わせて苦笑した。 ********** 「この部屋だけはどうにもならないわ」 アントワネットはため息をついた。 彼女の寝室はフランス王妃の権威を示すために過剰なまでに装飾がなされ、かえって落ち着きのないものになっている。 はっきり言って、本人は全く気に入っていなかった。 ここで目の前にあるものを受け入れ、ある程度我慢するのが慎ましやかな王妃としての第一歩なのだが、アントワネットはそうではなかった。 彼女はベルサイユ宮殿にあるプライベートな居間を改造し、寝室の代わりに自分がくつろげる小部屋を作ったり、先頃亡くなった叔母の部屋まで取り込んで自分専用の空間をどんどん広げていった。 三人の叔母たちのうち今も元気でいる二人は、やがで自分たちがいなくなったらアントワネットがここぞとばかりに部屋を奪い、改造してしまうものと信じて憤慨している。 アントワネットは全てがしきたりだらけのフランス宮廷そのものに疑問を感じていたし、従順に従う気持ちもなかった。 彼女の個人を重んじる風潮はそれまでのしきたり重視の貴族から反発もうけたが、アントワネットは相手に合わせるよりも自分らしさを追求することを優先した。 その考えの根底には故国のオーストリアが大きく影響している。 偉大な母は国を背負う責任を果たし、夫よりも優れた政治家であった。 又、王家とはいえ家族はプライベートな空間を持ち、家族としても個人としてものびのびと過ごすことが出来た。 それら全てがフランスには存在しなかった。 嫁いできた時、最初に驚いたのは、前王ルイ十五世が無類の女好きで、肉体美を誇るデュ・バリ夫人に骨抜きにされていたという事だ。 おかげでアントワネットの前王に対する尊敬の念はあっという間に消えてしまった。 それに数多くのしきたりについても、王室の権威を示すためとは言え、仰々しすぎて全くの無駄ばかりに思えた。 すぐ前にある物を手に取るにしても、誰かの手を経て受け取るので、そこに居合わせた人たちの身分の上下や手順があり、非常にまどろっこしい。 王妃の浪費は何か事あるたびに悪いたとえに持ち出されるが、これほどつまらぬしきたりのために召し使いを多く抱えること自体、無駄ではないのかと思えてしまう。 儀礼が優先されるだけの宮廷で、アントワネットにはしきたりとは心のこもらない無機質な物にしか思えなかったのだ。 それに宮廷貴族も表面では深々と頭を下げても、陰で何を言っているかわかったものではない。 心を許せるのはポリニャック夫人やフェルゼン、オスカルなど数少なく、かと言ってポリニャック夫人以外、彼らも決して常に寄り添ってくれる訳ではない。 例の三人の叔母たちも結局はアントワネットを取り込んで自分たちが権力の座に居座ろうとしていただけで、心からうち解けられるものでもなかったし、今となってはとんでもないほど王妃の悪口を言っている。 宮廷を真っ二つにしたデュ・バリ夫人との確執も、終わってみれば反オーストリアの貴族たちがアントワネットを失脚させようとデュ・バリの後ろで焚き付けていたに過ぎない。 彼女が尊敬してやまない母・女帝マリア・テレジアも、今も愛している故国のオーストリアについても、彼らは田舎者と見下しているし、むしろ嫌いなのだ。 アントワネットは王妃としてフランスの王家を守る決意でいたのだが、決してこれまでの慣習を保守的に続けるつもりもなかった。 確かに彼女の言い分は正しい所もある。 しかし、周囲にいる貴族たちの意向を無視し、オーストリアの方針を持ち込み、感情的に合わない人物を宮廷から閉め出していったことで、敵を多く作り出してしまったのである。 自我を押し通し、相手の言い分に理解を示さないのは、つきつめれば相手の存在そのものを否定しているのと同じである。 多くの人がアントワネットに自尊心を傷つけられ、宮廷を去っていったのだ。 ********** アメリカ独立戦争も終わり、その後の顛末としてフランスはさほど見返りを受けることは出来なかった。 アメリカは再びイギリスに接近して駆け引きをし、フランスではなく自分たちに有利になるよう事を運んだのだ。 彼らはアメリカ在住のフランス大使に対し、我々はこれからも英語を使うと明言し、決してフランスには従わないことを表明したという。 しかしフランスにとって莫大な借金を作った独立戦争であったが、国王のルイ十六世・オーギュストは、世論が盛り上がり、世界にその誇るべき地位を示したことは見えない功績だったのかも知れない、と思っていた。 その中にやがて王制を倒すきっかけが潜んでいることはまだ誰も表面立てて知っていなかったにせよ、今のところはそうすべき事だったのだと誰もが信じている。 実のところ彼は優柔不断で、政策も、特に大事な財政改革も、一体どうしたらよいのか全くわからなかった。 王妃や大臣の言うことのうち、どれが正しい判断なのか見極めることが出来ないし、できれば自分は座っているだけで、誰か勝手に政治をとりまとめてくれないものかと他人事のように思っていた。 彼は王としての資質を問われたとしても否とは言えないが、自分が王にふさわしくないと他人に指摘されることを大いに怖れていた。 そもそも前王のルイ十五世もほとんど女性を追いかけて生きていたようなものだった。 オーギュストは王位についた時、あまりの借金の多さと制度の不備、改革されないまま放置されていた法律に驚き、途方に暮れたものだった。 そもそも彼は王位につくために育てられたわけではないし、本人もなりたいと思っていたわけではない。 どちらかと言えば彼は地味で内気で、人前に出て目立つことは好きではない。 その上、彼の教育官は大のオーストリア嫌いで尚かつルイ十五世の女遍歴に眉をひそめ、彼に対して毎日のように女は魔物だと吹き込んでいた。 さんざん悪口を聞かされて育ったオーギュストが、よりによってオーストリアの皇女と政略結婚する事になったの皮肉な運命だったのかも知れない。 しかし彼にとってアントワネットは太陽のように明るく社交的で、人々を集めて楽しく遊び、自分にない魅力に満ちあふれていた。 宮廷内の楽しい催しを取り仕切ることを全てアントワネットに安心して任せていたし、彼女以外に魅力的な女性はいないとさえ思っていた。 人の言うことにあまり感激せず、錠前作りや狩猟などの趣味以外は何事にも無関心な彼だが、かつて成婚したばかりの時に、アントワネットから「これからは私たち二人は共に助け合ってフランスを繁栄させていくのですから、隠し事や遠慮はせずに何でも話し合い、仲良く致しましょう」と言われ、非常に嬉しかったことを今でもはっきりと覚えている。 誰からもまともに相手にされたことなどなかった彼にとって、アントワネットは初めて心を開いてくれて、尚かつ対等に扱ってくれた女性だった。 それだけではなく彼女は王太子を産み、家庭という名の多くの喜びを彼に与えくれていた。 ただ少し補足するならば、オーギュストの持って生まれた性質かそれとも放任された幼年時代の環境のせいか、彼は他人に対しての感情が希薄で、時折アントワネットや子供たちに対してさえ無関心だった。 しかし夫婦としての関係は長年のつきあいによって安定しており、フェルゼンの存在があったにせよ、波風はほとんど立っていない。 又、国政についても、少なくとも前王の時代から彼に味方し色々と助言してくれる臣下もいるので、アントワネットがよほど無理を言わない限り、違った方向に失速せず何とか舵をとり続けている。 ********** 「今度のベルサイユ宮殿の舞踏会にお前も参加するんだよ、ロザリー」 オスカルはさも平然とロザリーに告げた。 最初、その話を聞いた時、ロザリーは何のことか理解できずきょとんとしていたが、遅まきながら社交界デビューであることに気づき、一気に怖じ気づいた。 それにアントワネットと言えば、パリではオーストリア女と言って軽蔑されている王妃で、気に入らない大臣を解雇したり、好き嫌いが激しくて貴族の大半が迷惑しているとか、税金を無駄遣いする悪女といううわさしか耳にしていない。 特にオルレアン公の居城であるパレ・ロワイアルで働いていたのだから悪いうわさが声高に聞こえてくることは仕方ないが、それを差し引いてもアントワネットと言えばとにかくわがままでこわい女というイメージしかない。 「お、王妃様でございますか、え、あの、怖いんです、あた、私は…えっと…」 ベルサイユ宮殿と聞いただけで、彼女がすでにうろたえているのは明らかだ。 「何を言っているんだ、ロザリー。アントワネット様はお前を取って食べたりしないぞ。かわいいお嬢さんを紹介して欲しいと言われているんだ」 以前からジャルジェ家では美しい遠縁の娘を預かっているとうわさになっており、一度舞踏会に連れていらして下さいなとアントワネットからも声をかけられていた。 王妃の悪いうわさしか知らないロザリーの狼狽ぶりに笑えないオスカルだったが、ひとまず彼女を安心させてベルサイユ宮殿に連れて行かねばならない。 アントワネットとの約束と言うこともあるが、それよりもロザリーに貴婦人の生活を少しでも多く教えてやりたいと思う。 ただし、貴族として生きるかパリでの庶民暮らしを選ぶかは、最終的に彼女に任せようとはじめから決めている。 舞踏会当日のロザリーは、すみれ色の小花が散らしてある薄桃色のドレスを着て、いかにも若い令嬢らしい姿で登場した。 結い上げた髪や首には光沢の良い真珠が輝き、彼女の白い肌をよりいっそう際だたせている。 さらにオスカルがロザリーの手を取って鏡の間に現れると、二人は一気に人目を引き、特にロザリーは貴婦人方の羨望のまなざしと、嫉妬と好奇の目にさらされ、たちまち顔色を失っていった。 特に慣れない場所に慣れないいでたちで現れることで、緊張は頂点に達していた。 もし、頬に紅をさしていなければ、誰でも彼女が今にも卒倒しそうなことに気が付いたであろう。 ロザリーはまず鏡の間の立派さに圧倒され、たくさん集まった人々の豪華な身なりや、高い天井、豪華なシャンデリアや見事な絵画、そしてきらびやかな装飾品に目を奪われていた。 だが何より、侍女と従者を従えて現れたアントワネットの神々しさには言葉すら失うほどだった。 王妃はすぐにオスカルとロザリーに気が付き、にこやかに微笑みながら近づいてきた。 「オスカル、舞踏会に来て下さるのは久しぶりね。是非ゆっくりしていって下さいね。ところでこちらにいらっしゃる方がこの間約束したお嬢様かしら」 アントワネットは優しいまなざしでロザリーを見た。 「はい、王后陛下。私の遠縁に当たるロザリーと申します。さあロザリー、陛下にご挨拶を」 オスカルは妹を見守る兄のように彼女を促した。 「初めまして。ロ、ロザリー・ラ・モリエールと申します」 彼女は取り囲んだ人々の好奇の視線の中、緊張に耐えながらもオスカルが思った以上に優雅にお辞儀をした。 「まぁ、可愛らしいお嬢さんね。ベルサイユはあまり慣れていないとオスカルから聞いていますが、とても良いところですから是非楽しんで下さいね」 はにかむような初々しい態度が微笑ましいと思ったのか、王妃が可愛らしいと告げるやいなや、周囲の人々も口々に彼女をほめはじめた。 ロザリーもアントワネットの美しさとその優雅さに圧倒され、悪いイメージもどこかへ飛んでいき、この方ならフランスのみならず、世界に誇る王妃様であると、即座に信じてしまった。 舞踏会はあぶなかっかしいロザリーの会話にアンドレが付き添って無難にこなし、アントワネットにも気に入られたことでオスカルも一安心していた。 王妃を取り囲む雑談の輪にも、隅っこのほうながら参加し、「わからない時はただ黙って笑っているように」と、オスカルに言われたことを守り通している。 ちょうどその時集まった人々の間で、先日アントワネットが東洋から手に入れた焼き物のツボの話題になり、モチーフになっている薄青い花の名前が何だろうという事になった。 架空の花だとかスズランだとか、誰も確かなことはわからないまま言いあっていたその時。 「恐れながら申し上げます。この花はヒメシャジンでございます」 ロザリーは隅の方からよく通る声で言った。 彼女は市場に入荷する珍しい花の名をよく覚えていた。多くはモーリスが仕事のためにとたたき込んだのだが、それ以上にロザリーも花が好きだった。 時にはジャルジェ家の図鑑で山野草なども眺めたり、つい好きが高じて絵画や壺のデザインも暇が有れば時間を忘れて眺めている。 ヒメシャジンは図案化されているとは言え、以前に同じ物を見たことがあるのでほぼ間違いない。 ロザリーはさきほど王妃との初対面でのおどおどした態度ではなく、自信を持ち目を輝かせていた。 アントワネットもこの時、彼女が純粋な心を持っており、本当に花が好きなのだと感じ、好感を持った。 ********** 舞踏会も無事に済み、ロザリーは魂が抜けたかのようにして屋敷へ帰ってきた。 場所にもう少し慣れるように何度でも舞踏会へ行くようにオスカルが勧めたが、元々庶民のロザリーは、あのような立派な所にいたら疲れるし、晴れがましい席はやはり苦手だと遠慮した。 だが、結果的に彼女はその後何度も王妃に会うことになった。 ロザリーはただオスカルの遠縁で若くてかわいいというだけではなく、花に対する思いの深さがアントワネットに気に入られたらしい。 実はアントワネットは無類の花好きで、部屋中に花や草木のモチーフにした装飾品をたくさん集めていた。 内気そうな令嬢が花の話になると顔が輝いていたのを彼女は見逃さなかったのだ。 ロザリーは後日、すぐにベルサイユ宮殿にある王妃のサロンや、果てはプチ・トリアノンにまで招待されたのだが、彼女はすっかりあがってしまい、アントワネットと何を話したのかも後で記憶に残っていないと言う。 「そうかな、落ち着き払ってポリニャック夫人の足を踏んでいたぞ」 アンドレにそう言われてロザリーは震え上がっていた。 「おい、アンドレ。嘘をいってはいかん。ロザリーが気絶してしまう」 オスカルも笑った。 「もう、なんてこと言うのよ、アンドレ」 ロザリーは怒ってソファのクッションを彼に押し当てた。 本当は、プチ・トリアノンで緊張してコチコチになっていたロザリーの様子がよほど野暮ったくて可笑しかったのか、ポリニャック夫人はロザリーが歩いている前でわざと足を出したのだ。 だがドレスをさばくことに慣れていないロザリーは足を高く上げ、つまずくどころか夫人のつま先をドカッと踏みつけてしまっていた。 当然本人は気付かず、自業自得のポリニャック夫人がただ一人、顔をゆがめていたのだが、オスカルたちはさすがにこの事は内緒にしておこうと話していたのである。 ひとまずロザリーのデビューは無事に済み、ジャルジェ家では貴婦人への第一歩を成功させたことを喜んでいた。 この先、彼女がどう生きていくのかまだ決まってはいないが、この平和がいつまでも続くよう、アンドレは祈らずにはいられなかった。 2005/11/9/ ※一応、自分なりの設定ではこの時点で1784年の初め頃です。 なのでアンドレは29才になっているので、青年と呼んでいいのかどうか少し悩むところです。 今なら雰囲気が若ければ、青年と言ってしまいそうですが。 up2005/11/15 戻る |