−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-苦悩ありて-



1783年1月、フランスはイギリスと仮和平条約を調印するに至った。

いち早く帰国したラ・ファイエット候は国王に戦果の報告をし、ごく短くではあったがフェルゼンが無事でいることも付け加えた。

そして彼は帰国に際して新世界の英雄として讃えられ、功績を認められて少将に昇格し、自らの進路に自信を得た。



ラ・ファイエット候が戦地へ向かったことは決して名声を得るためだけではなく、若さ故の純粋さで自由主義に感銘したからである。

だがしかし、これまでのように、単に国王に忠節を誓うのではなく、目に見えない自由という理念を掲げ、国家という名の巨大な力に対する信奉を、彼はいち早く取り入れたのである。


変わりゆく世界の中で、貴族である彼も安易に構えているのではなく、これからの時代をどう生き残っていくのか模索していたのである。





「しかしですね、ラ・ファイエット候は単に新しいもの好きで目立ちたがりに過ぎません。人々の注目を浴びることが第一で、信念など二の次に考えているのです。私からすれば彼は軽薄な人物にしか見えませんがね」
ジェローデルは風になびく自慢のくるみ色の髪をなでながら、いつもの厳しい一撃を放っていた。


彼はオスカル隊長に付いて、アントワネットのいるプチ・トリアノンを周回し、異常がないことを確かめ、馬でベルサイユ宮殿に戻るところだ。

広い壮麗な庭園を悠然と駆けて行く近衛兵の二人は、背景に負けぬほど立派ないでたちで、端正な姿はまるでそのまま絵になるほど優雅で美しい。



「本人にそう言ってみたらどうだ、ジェローデル。さぞ彼も喜んで手袋を投げつけてくれることだろう」
オスカルは時の人となったラ・ファイエット候を皮肉るジェローデルをあしらっていた。


彼の皮肉はいつものことで今に始まったものではない。

だが功績を挙げた者に対するねたみも多少は有るだろうが、確かに彼のように批判的な意見もわからないではない。


ラ・ファイエット候が熱弁を振るって推し進めた独立戦争参戦の代価は、おびただしい赤字となって国家財政を締め付けていたし、フランクリンのように世慣れたアメリカ人が、たとえ同盟を組んだからと言ってフランス有利になびくという保証は何もない。


「ラ・ファイエット家は歴史も古い名家だ。武人として名を上げたご先祖を持てば、彼としても意地もあろう。だがラ・ファイエット候の名声より、我がフランスの名声が大事だ。結果として国の意向が反映されたのだから、彼も所詮はチェスの駒に過ぎぬ。もちろん私もお前もだがな」


「はぁ、まぁ、しかし私が申し上げているのは、ラ・ファイエット候がいくら名声を得ても、彼にこの国を先導する実力などはないし、そんな彼を必要以上に英雄視するのはいかがなものかということです」
ジェローデルは言いたい放題だ。


「確かに歴史は必ずしも正しい先導者を選ぶわけではない。かといって悪政が永遠に続くわけでもない。肝心なのはまだ見ぬ先のことを必要以上に悲観しても仕方ないと言うことだ。人の良識はどんな世にも捨てたものではないぞ」
宮殿へ到着したこともあり、オスカルはそろそろ抽象論は切り上げるよう、ジェローデルに軽く目配せした。


彼が真剣に討論したがっているわけではないことをオスカルは知っている。
ただ時折、毒を吐きたいだけなのだ。



ジェローデルは彼を残して立ち去るオスカル隊長の後ろ姿を見送りながら、確かに彼女の言うことは上司として間違いのない答えであることを認めていた。

だがいかにももっともな答えの裏で、オスカル隊長の本心はどのようなものなのだろうかと、彼は不意に気になったのである。




**********




アントワネットはラ・ファイエット候の報告をきいて非常に満足し、心の落ち着きを取り戻していった。


「色々と考えて眠れぬ夜もありました。遠く離れて解ったことは、私が今まであの方に対してうわべだけしか見ようとせず、心を通わせることを考えてこなかったことです。…今なら離れていてもフェルゼンの気持ちがわかるような気がするのですよ」
王妃はベルサイユ宮殿の運河をオスカルを伴って、そぞろ歩きをしながら今の心境をしみじみと語った。


王太子のジョゼフはプチ・トリアノンで、養育係のポリニャック夫人が様子を見ている。

それに弟が出来てからというものの、マリー・テレーズは母親を弟に取られてしまったせいかすっかりすねてしまい、最近ではアントワネットと口もきかず、ポリニャック夫人や乳母のスカートにしがみついていることがほとんどだ。

人に対して奥手な少女は、きっと父王に似てはにかみ屋なのだとアントワネットはしばし様子を見ている。



誰にも邪魔されずオスカルと二人きりで話す時、アントワネットはこの運河沿いをゆったりとした歩調で歩く事が多い。

普段は何をするにつけ、広く浅くそして全ては楽しければ良いという陽気なアントワネットだったが、フェルゼンの事を語るときはしんみりと感傷にひたっていた。




「どんなに離れていても、空はつながっております。同じ空の下で今頃フェルゼンもアントワネット様の幸せを祈っていることでございましょう」
オスカルも又、フェルゼンが元気でいることを知って一安心していた。




実は先日オスカルはラ・ファイエット候と再会し、フェルゼンからの手紙を受け取っている。

詳しいことは帰ってから直接話したいので、王妃に手紙のことは黙っていて欲しいと書いてあったので、アントワネットにはこのことを伏せていたのだが、その内容はアメリカでの戦場体験が彼を強くし、王妃に対する忠誠心はどんな状況下でも揺るぎないものである事を確信した、と、強い筆跡で綴ってあった。

さらに、どんなに離れていても、王妃とは強い絆で結ばれており、常に祈るのはアントワネットの幸せであると書いてある。


オスカルにとって彼の強い意志は尊敬に値し、自分がこの男性に心惹かれることは決して間違いではなかった事を思わずにはいられなかった。

だがその反面、オスカルのフェルゼンに対する思慕はますます募り、アントワネットへの忠誠心との板挟みで苦しい思いをしていたのである。

決して打ち明けることのない切ない想いは、長い年月を経た今も尚、オスカルの心の中で燃え続けていた。




**********




ジャルジェ家のとある部屋に、若い娘のためにしつらえた衣装部屋がある。中にはどっさりと嫁入り道具が並んでおり、着る主もなくほこりをかぶっていた。

オスカルは「開かずの間」と呼んで、ほとんど寄りつきもしないが、ロザリーは時折、部屋の空気を入れ換えると称してこの部屋に入っていく。


部屋の中には色とりどりのドレスや小物、細かな細工が施されたレースの肩掛けにシルクのシュミーズ、ふんわりと広がるペチコートに靴、扇子、アクセサリー、化粧品や高級な香水など、若い娘がうっとりと憧れそうな品々が所狭しと並んでいる。

後で彼女はこの部屋の品々がオスカルのためのものと聞いて仰天したのだが、いずれにしても眺めているだけでも幸せな気分になる。


最近では花屋の仕事と共にジャルジェ家での用事もこなすようになり、召使いをたばねるばあやも助かっていた。

召使いの仕事はだいたい身につけていたし、元々は内気だと言うが花屋で接客しているうちに鍛えたられたのか、誰ともいさかうこともなくすんなりとつきあっている。


ただ毎日ベルサイユとパリを往復して花屋の仕事をするのは彼女の負担になるので、今までの半分ほどしか店に立つことができなくなり、店主のモーリスは看板娘を取られてしまったせいか、しょげかえっている。


又、そろそろ屋敷の暮らしに慣れてきたこともあり、ジャルジェ夫人はロザリーの行く末を心配し、教養として貴婦人の作法も徐々に教えようとしていた。


オスカルも「それなら開かずの間のドレスを片っ端から着ていったらいい」と笑っているし、「お嬢様はいつこのドレスに袖を通して下さるかわからないから、寸法が合えばロザリーが好きなのを着ていいんだよ」と、ばあやにも言われている。

さらにジャルジェ夫人からは「もうすでにロザリーのためにドレスの仮縫いを手配していますよ」と聞き、卒倒するほど喜んでいた。



しかし貴婦人への道のりは遠い。
言葉遣いや作法は何とかなりそうなものの、衣装の着こなしはさっぱりであった。


「くっ、苦しい〜!」
ロザリーはばあやに着慣れぬドレスを着せてもらい、コルセットを締め上げられてつい大声を出した。


「こんな苦しい思いをしなくちゃいけないなんて、私、まがいなりにも貴族になんてなれそうもありません」
彼女は息をするのも苦しそうで、すでに涙目になっている。


「そのぐらい締めた方が、見た目のシルエットがいいのですよ。もう少し我慢なさい」
ジャルジェ夫人とオスカルは、ばあやがロザリーの着付けをしている所に居合わし、女だけで盛り上がっていた。

外で何事かと聞き耳を立てるアンドレは、この時ばかりは部外者になっている。


「貴婦人とはこんな苦しい思いをしていながら舞踏会では平気な顔で踊っているんだな」
オスカルも他人事ながら感心して見ている。

それにしてもジャルジェ家にロザリーを迎えたのは正解だったと彼女は思う。
屋敷の中はたちまち華やかになったのだ。




**********




この年、フランスでは空へのあこがれが高まっていた。

6月には世界初の熱気球が飛び、パリではにわかに気球ブームがわき起こっていた。



そんなさなか、ジャルジェ家の屋敷に一人の男がいかにも急ぎの様子で、尚かつ力強い足取りでやってきた。

旅の装束そのままで、古ぼけたマントがいかにも荒々しい長旅であったかを物語っている。



たまたま庭先にいたアンドレはどんどん近づいてくる男の姿に驚いて立ち止まり、彼が忘れもしない大切な知人であるにもかかわらず、つい会釈することも忘れ、あたふたとあわててオスカルを呼びに屋敷に飛び込んでいった。





「フェルゼン!」


アンドレの大声を聞きつけて大急ぎで階段を下りてきたオスカルは、目の前に立つ彼の姿を夢ではないのかという顔で見つめていた。


「オスカル!」


フェルゼンは久しぶりに元気そうな友の顔を見てよほど感激したのか、握手しようと手を出したオスカルをかっきと腕に抱きしめ、大声で笑った。


「どうだ、幽霊ではないぞ、私は無事に帰ってきたんだ」
彼は生きて再びフランスの地を踏みしめた喜びを全身で表した。

日に焼け頬はそげ落ち、野営生活のなごりをとどめた面持ちは、やつれていると言うよりはこの上なく精悍に見える。



「いい、いいからフェルゼン、離してくれ」
オスカルは突然の抱擁に戸惑い、頬を赤くしている。



アンドレはただ呆然と二人の様子を少し離れたところで見守り、ひとり取り残されたような感覚を味わっていた。

そして彼は召使いとしての立場をすぐに思い出し、軽く首を横に振りつつ台所へと消えていった。
主人の大切な客人をもてなすために、先日仕入れたばかりのコーヒーを入れるのだ。



だが、しばらくして玄関のホールへ戻ったアンドレは、そこにはすでに誰もおらずもぬけの殻になっているのに気が付いた。

通りかがった洗濯係の召使いに聞くと、フェルゼン伯爵が「すぐにでもベルサイユ宮殿に伺候したいので一緒に来てくれ」とおっしゃられたので、オスカル様は上機嫌で出て行かれました、と言う。



アンドレはこの時ばかりは非常に暗い気持ちになり、開け放たれたジャルジェ家の門から飛び出していきたくなる衝動に駆られていた。




**********




「ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン、ただいま戻りました」
ベルサイユ宮殿であわただしく謁見を願った彼は、白い歯をさわやかに輝かせ、国王と王妃に挨拶した。



「まぁ…」
無事の帰還をねぎらう国王とは裏腹に、アントワネットはただ驚きと喜びが入り交じった顔で、元気そうなフェルゼンを見つめるだけだった。




何も以前と変わりはしない、劇的な再会でもない。

以前と全く同じである。


フェルゼンはアントワネットに再び仕えるために戻ってきたのであるし、アントワネットも彼を高く評価し、旅の話を聞いて時折相づちを打つ。


彼は船の到着と同時に馬を飛ばし、一目散に王妃に会いにやって来たに違いない。

その誠意、そして少年のような純粋さは相変わらず変わっていない。

だが、二人は以前とは違い、離ればなれになったことによって、より強い信頼の絆で結ばれているのをオスカルは知っていた。


と同時にフェルゼンの帰還によって、今まで押さえていた感情が解き放たれたかのようにオスカル自身も心が高揚し、曇りがちな顔に輝きが戻っていった。



いつもそばにいるアンドレは、彼女の変化に心が乱れるばかりで、なすすべもなく密かにため息をつくしかない。

彼女を密かに想う気持ちに耐えきれず、今すぐにでもどこかへ逃げ出せればどれほど楽だろうと思う反面、それ以上に彼女のそばにいて守り続けたいという気持ちが、かろうじて彼をここに留まらせていたのである。




2005/5/24




up2005/10/5


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