−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-予言-



パリ東方の外れにモントルイユの城がある。

ここは国王の妹であるエリザベート内親王の居城になっているのだが、今年18才になる彼女は贅沢な暮らしよりは、救いを待つ数多くの人々を助け、つつましく生活したいという希望を持っていた。


彼女は民衆の暮らしにほとんど顧みないアントワネットとは全く異なる考えを持ち、受け取る年金を貧しい人々の役に立てようとしている。


今、彼女は特にアメリカ独立戦争の動向が気になるらしく、オスカルは時折パリに行く際にこの城に立ち寄り、独立軍について話をした。

エリザベートは幼い頃からオスカルを話し相手にしていたので、今も気を遣わずに話しが出来るらしい。

彼女はオスカルに対し、戦争の勝敗だけではなく戦いの場で相手を人とも思わない、残酷な行為が起きない事を祈るばかりだと語っていた。



又、エリザベートは例のデュ・バリとの一件で有名な叔母上たちと特に親しい。

お騒がせな叔母たちは今ではすっかり権力の座から滑り落ち、アントワネットの敵に回って悪口の発信元になっているほどだ。

アントワネットやルイ十六世は、妹が叔母たちに影響されるよりは、考えに偏りのない誠実なオスカルと触れる時間を増やしたいとさえ思い、彼女がモントルイユに行くことを歓迎している。




かつて王妃付きの近衛仕官として常にそばに仕えてきたオスカルだが、アントワネットがポリニャック夫人と親交を深くし、ベルサイユ宮殿を離れてプチ・トリアノンにいる時間が増えるようになってから、彼女の立場は微妙になっていた。

それだけではなく、アントワネットに仕える多くの召使いたちも、主がいないままベルサイユ宮殿でたいくつな一日を過ごすことになり、不満の声が起きている。


プチ・トリアノンにはアントワネットが仕立てた護衛の兵がおり、オスカルの役目はない。
かと言って職務に忠実なオスカルがたいくつしのぎに貴婦人たちとの戯れにつきあうはずもない。

今ではアントワネットと簡単な挨拶を交わす程度で、彼女は王妃が困った時にだけ助けに現れるような状態だ。


しかしオスカルも彼女なりにアントワネットを遠くから常に守ることを考えており、主のいないベルサイユ宮殿でじっと控えているわけではない。

王妃と疎遠になった貴婦人や、王室との確執でやがて敵に回りそうな人物にさりげなく面会し、ほころびを修復しようとしていた。



王妃の権威にすがり、時には一財産稼ごうと言う取り巻きとは違い、アントワネットを影で支えるメルシー伯やランバール公爵夫人などはオスカルの動きをちゃんと観察している。

アントワネットは彼らから色々な事を伝え聞き、オスカルの行動を制限することなく自由にしていた。





意外なことに、オスカルはモントルイユでもロザリーと同じく、ヴァロア家に縁のある人物の話を聞くことになった。

最近、ベルサイユ宮殿で気分が悪くなって気を失ったジャンヌ・ド・ラ・モットという女性を、たまたま通りがかったエリザベートが介抱したのだという。


聞くとヴァロア家の血を引きながら父の散財で没落し、今は後ろ盾に恵まれず生活がままならないと嘆く。

黒い髪をした気の強そうな女性で、見たところ二十代の前ば頃、質素な身なりながら上品な身のこなしをしており、逆境にあってもせめて品位だけは落とすまいと心がけているところが又、憐れみを感じさせたのだという。


ただのペテン師ならともかく、かつてブランヴィリエ公爵夫人という人物ががジャンヌを庇護し、貴婦人として育て上げたという実話もある。

気の毒に思ったエリザベートは、ジャンヌの夫を竜騎兵に取り立ててやり、生活に困らないほどの俸給を約束したらしい。



ヴァロア家をかたる者は多いと聞くが、同時に同じような話を二つ聞き、一方は自分が貴族かも知れないのに遠慮して名乗ることもせず、もう一方は貴族の名前を利用しようとする。


ひょっとしてジャンヌという女はロザリーの身内である可能性もあるが、運良く内親王の前で気絶するなどという陳腐な話を聞く限り、どうにもうさんくさい。

それを考えると、あえて親類を捜そうとしないロザリーの態度も正解なのかも知れぬ。

人それぞれなものだとオスカルは何の気無しに思った。





**********





1782年の11月にはパリで仮和平条約が結ばれ、イギリスはようやくアメリカの独立を認めた。


間もなくフェルゼンが帰ってくると、はやる気持ちを抑えて毎日を過ごすオスカルだが、いっこうに彼の帰還の知らせもなく、同じように顔を曇らせているアントワネットのため息を聞かされるはめになる。


「大丈夫でございます」
と、励ますことすらオスカルにはつらいものだった。


ただ、彼女のそばにいるアンドレは非常に楽観的で、フェルゼン伯は旅慣れているし、今度のことも彼を一回り大きくするための試練に他ならず、こちらも彼に負けないように精進しなければと、オスカル相手に剣の修行をはじめたりしている。

しかし力なら負けないが、彼は剣がそう得意ではない。ジャルジェ家の庭では、いつもオスカルの怒号が飛んでいた。


だが肝心なのは、何かに打ち込むと言うこと。


そうすることでオスカルだけではなく、アンドレ自身が得体の知れないもやもやした気分から解放されるだろうと考えたのだ。




又、この年の暮れ、イギリス本土上陸をもくろんだラ・ファイエット候の艦隊は、激しいイギリス軍の抵抗と疫病の流行により、ついに計画を断念した。



フェルゼンは無事なのだろうか。


戦闘での負傷の心配をしていたオスカルだが、今は彼が何か悪い病気を患い苦しんでいるのではないかと気がかりになりはじめる。

立ちこめる暗雲の中から一筋の光が差し込んだかと思えば、オスカルの心は再び闇に閉ざされていた。




そんな折り、モーリスの花屋でたまたま居合わせたベルナールに、オスカルとアンドレは酒場に誘われた。


彼は以前のお詫びがしたいと前々から言っていたのだ。

それでは行きつけの「熊の手」にしようと決まり、三人は夕暮れの町に繰り出していった。





酒場ではすでに酔って盛り上がった客であふれており、あちらこちらで熱い激論が交わされている。

そうかと思えば独立戦争で戦死した兵士の話や、暗い世相を嘆く一団もいて、耳を傾ければ色々な話が飛び込んでくる。


オスカルは独立戦争の悲惨な話に聞き入ってしまい、気持ちが塞いでいた所へ追い打ちをかけるように、隣のテーブルの男がアントワネットを下品にこき下ろした歌を歌いはじめる。


ここの酒場に出入りする者は圧倒的に平民、もしくは平民に味方する者がほとんどだ。

アントワネットがみだらな行為にふけったあげく愛人の子供を産み、国王を尻に敷く歌の最後は「とっととオーストリアに帰れ」というオチがついており、人々の笑いを誘っていた。



「気にするなよ、こんなのは日常茶飯事だ」
ベルナールは先ほどから顔色を変えているオスカルを牽制した。


しかし先ほどから不安といらだちがオスカルを支配していた。

アントワネットから民衆の心が離れ、日常の不満の憂さ晴らしに利用されているのはわかっているつもりだ。

だが王妃の本当の姿も知らず、日常茶飯事にアントワネットを愚弄する輩には腹が立つ。

不意に彼女の頭の中で、理性の糸がぷつりと切れた。



アンドレがいやな予感を感じて彼女の肩をさりげなく押さえようとしたとき、オスカルはすでに隣のテーブルにいた男に「お前のはずれた歌のおかげで耳が腐りそうだ」と立ち上がって挑発していた。


男はいきなり怒り出してオスカルに殴りかかり、反対に彼女の拳を食らってドオッとあおむけに倒れ込んだ。

次に後ろから椅子を振り上げた小男がかかってきたが、これも身軽にかわして背中を押すと、隣のテーブルをなぎ倒して店の壁に激突する。



「やっちまえ!こいつ王妃の味方だぜ」

店の中は混乱を極め、男たちは皆立ち上がり、ついにアンドレとベルナールも参加せざるを得なくなった。



最初の原因はすでにどこかへ行き、結局、敵も味方もわからずに殴り合いが始まった。

オスカルは無心で男たちを殴り、時には殴られてうっぷんを晴らした。

店の親父も「喧嘩の分も勘定に入れてるから仕方ないよ」と、おびえる給仕の娘にあきれ顔で言った。




しばらく続いた騒動もだんだん収まり、深夜になって店の客も入れ替り、雰囲気が変わった頃、オスカルたちも殴り合いに疲れ果てて帰ることにした。

ベルナールは腫れ上がった右目を押さえて、明日は早いからと先に退散した。




「お前も相変わらずだな」

アンドレはようやく落ち着きを取り戻したオスカルにあきれつつ、彼女の塞いでいた気分がこれで少しは晴れたのなら、ここに来て良かったと感じている。


オスカルがケンカを買った引き金はアントワネットへの批判ではあったが、その実、フェルゼンの消息が知れず、不安な気持ちを蹴散らそうといらだっているのを、アンドレは痛いほどわかっていた。





すでに時間も深夜に近く、アンドレは疲れてうなだれるオスカルに肩を貸し、辻馬車を拾うために外へ出ようとした。

二人とも服や髪はぼろぼろで、あちこちひっかき傷だらけになっている。

しかしさすが身が軽いだけあって、誰も彼女の顔に触れることは出来なかったらしい。

傷ひとつないオスカルの顔をしげしげと見つめながら、頬を殴られて口の中を切ったアンドレは妙なところで感心する。




「お待ち」
後ろから声をかけてきたのは時折、占いをするためにやってくる老婆だった。

小太りし、安物の首飾りをじゃらじゃらと身につけ一見インチキくさいが、先日の王太子の誕生日をぴたりと当てるなど、腕は酒場の皆から認められている。



「なんだい、婆さん。今日はもう残りの金がないんだ。占いはもういいよ」
アンドレは疲れていたので、面倒くさそうに答えた。


「あんたじゃないよ、そっちの将校さんだよ」
その言葉にオスカルは老婆を振り返った。


「金が欲しいって言ってるわけじゃないよ。ただ、アンタの未来が今ちらっと見えたから話してやろうって言ってるんだ。アンタ、男の姿をしているけれど女だろう」


「……」
オスカルは黙って老婆を見つめた。一目見て女と当てられることは珍しい。

それに彼女としては未来というのが、何かフェルゼンに関する事かと気になったのだ。



「この婆さん、意外と占いが当たるんだ」
アンドレはそっこり言った。


「アンタ。将来、意中の男と結婚するよ、間違いなし」
老婆は自分の予言を自信たっぷりに告げた。


「……あは…は…」
何のことかと思い、オスカルは笑い出した。


結婚?
オスカルは自分が結婚するなどと考えてはいなかった。やはり占いというのは所詮当たらぬものだと彼女はおかしくなったのだ。


「さ、行こうアンドレ。構ってるひまなんてない」
オスカルは冷めた口調でアンドレを促し、先に店を出て行った。


「失礼な奴じゃ」
老婆はせっかくのいい話を笑い物にされ、顔をしかめて怒っている。
だが、アンドレはオスカルの後についてすぐには出ていかず、再び老婆に聞いた。


「婆さん、その相手は誰なんだ」
彼は肝心なところが気になっていたのだ。




「わかりきってるだろう、あんただよ」
老婆は吐き捨てるように言った。


「ありがとう」
アンドレはとたんに顔を輝かせ、ポケットに入っていた50スゥを老婆の手に握らせると、オスカルの後を追って外へ飛び出した。





その後、やっと拾った辻馬車でジャルジェ家に戻るアンドレは自信に満ちあふれ、隣でうたた寝するオスカルを愛しく思う気持ちで胸がいっぱいになっていた。

一方のオスカルも又、酒に酔って陽気になったせいもあるが、占い師に意中の男と結婚すると言われ、その言葉通りではないにせよフェルゼンが近いうちに無事に戻ってくるのではないかという甘い夢を見ている。


殴り合いに疲れ果てた彼女が馬車の窓に寄りかかり、閉じたまぶたに疲労の色濃い様子で眠り込んでいるのを見つめていると、アンドレは何とも言えない気持ちになり、静かに彼女に語りかけていた。





「お前は昔からつらいことは何でも自分一人で抱え込んでいた。人前で弱音は決して吐かないし、厳しい任務も平気な顔でこなしてしまう。だけどお前が苦しんでいることは俺にはよくわかっているよ。そんなお前だからこそ、俺は守り抜いて行きたいんだ。これからもいつまでも、絶対に」
彼はそう言いつつ、感極まって目頭が熱くなっていた。



「だけどこんな事、面と向かっては言えないよな…」



オスカルは彼の言葉を聞こえているのかどうかはわからないが、身をよじって窓側へ寝返ってしまった。

ただ、閉じた瞳から一筋、涙がこぼれ落ちたのをアンドレは知らない。





**********





馬車が静かに屋敷に到着すると、安堵のためか激しい疲労が彼らを襲いはじめていた。
そろそろ酒の力も抜けてくる頃で、妙に寒気すら感じる。

正面のホールにはぼんやりと明かりがついており、誰かがオスカルの帰りを待っているのだろう。

しかし扉には鍵がかかっており、召使いはたまたま席を外しているらしい。

眠そうなオスカルは召使いを起こすのは不要だからと言い、裏口へ廻ろうと言い始めた。



「それにこの格好では、もしばあやに見つかるとうるさい」
オスカルは所々破けた自分の軍服の袖を手の甲で二、三度軽く叩いた。



あいにく裏口の外の明かりは落としてあり、アンドレは足下が見えないからと先になって歩きはじめ、時折振り返っては小さな声でさっきの喧嘩のことを面白可笑しく話した。

しかしオスカルはそんなことはもうどうでもいいような顔をして黙っている。



二人はようやく裏口から屋敷に入り、皆が寝静まった薄暗い廊下を黙々と進んだ。

そしてオスカルの私室に上がる階段まで来た時、彼女は大理石の手摺りに手をかけ、アンドレに「もうここでいいから」と言い、いまだ少し名残惜しそうな彼を制止した。


「部屋の前まで送るよ」と彼はオスカルの前に立ちふさがったが、「子供でもないのに」と返事が即座に返ってくる。


「どこまででも同じだろう、どうせ二階にあがってすぐそこなのに」と言い返しても、「ならここでも一緒じゃないか」とオスカルもつい真顔になる。


しかし互いにつまらないことを、夜中にひそひそと言い争っている事を彼女は先に気がついたようで、口の端が可笑しそうに少し上がった。

その様子にアンドレも思わず笑ってしまう。


どうでもいいことで言い合うのは久しぶりのような気がした。


ほっとしたように小さくため息をつき、彼女が「おやすみの…」と何か言いかけて止めたとき、二人の間でいつもとは違う雰囲気が生まれた。


アンドレはごく自然に彼女の腰に手を回し、そっと顔を引き寄せて唇を合わせた。
オスカルも静かに目を閉じる。


そして彼は少し躊躇した後、今度は強く彼女を抱きしめ、少し長い口づけを交わした。

ややあって、オスカルが彼の体をほどこうとしたので、アンドレはふと我にかえって彼女を解放した。


互いに視線をはずし、何となく気まずい空気が流れる。




今まで二人は親しい友人だと思っていた。

いや、昔から共に育ち、同じものを見て共に楽しみあるいは悲しみ、重ねる日々の中で信頼を育ててきた。

だが、いつの頃からか少しずつ距離が出来はじめ、二人は互いに孤独を背負うようになっていたのだ。


こうして抱き合うと、昔のようにとても近い存在であった頃の事がまざまざとよみがえる。



「…おやすみ、オスカル」
アンドレはそれ以上何も言えずに、暗い廊下に姿を消した。




今の出来事は何だったのだろう。
彼女はまだ酔いがさめていないのかも知れない。


単に、彼が他愛ないおやすみのキスを頬にするだろうと考えていた、とも思える。
何より、彼女が誰を相手に想定してアンドレに唇を任せたのかは彼にはわからない。


ただ、オスカルが恋いこがれるフェルゼンより早く、彼女の唇に到達できたことを、今夜のアンドレはこの上なく幸せに感じていたのである。




2005/8/9/



2005/9/24/up

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