−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-新しい風-



アメリカの植民地にはフランス人ジャーナリストが多く住んでおり、独立軍が優勢であることを、刻々と伝えてきていた。

ラ・ファイエット候ら独立軍は勢いづき、イギリス本土への上陸も計画されているほどで、独立戦争の勝敗はほぼ決まったかのように見受けられた。



しかしフェルゼンからは何の便りもなく、無事かどうかすらわからない。
亡くなったという知らせがないだけである。


オスカルの心配は募り、いらだちへと変わる。
ただひたすら人を待つ気持ちも、そろそろと限界を迎えようとしていた。


特に大佐に昇格後、近衛連隊を任された責任もあり、オスカルは以前にも増して立ち振る舞いに気を抜かず、堂々と落ち着いた態度を取るように心がけていた。

又、王妃からの信頼も厚く、プチ・トリアノンの取り巻きではないにもかかわらず、彼女は相変わらずいざという時にはアントワネットの心の支えになっている。


彼女は常に高い風格を求められていたし、本人もそれに応えるだけの実力、精神力を持ち合わせているという自信を持っていた。

特にジャルジェ家の家督を誰が継ぐのかということも含め、オスカルには考えなければならないことが多くある。

個人的な悩みでクヨクヨしている暇などない。




**********




パリでアンドレが行きつけの酒場に「熊の手」という店がある。

地方から出てきた判事や地主、情報収集に立ち寄る新聞記者などの知識人が出入りする、比較的上品な酒場だ。

彼はとりわけ好んでここに来ているわけではないが、パリで活動をしていたら何かとつきあいもあり、こういう場所を利用して色々な人の話を聞いていた。

世の中がどう変わっていくのか、事件や事故をたくらむ動きがないかどうか、それらは全てやがてオスカルの役に立つはずだという思いがある。


だがいずれも酒を飲めばただの酔っぱらいである。

看板娘の尻を触ったとか触らないとかで喧嘩もおきるし、真面目な人間が熱い討議の果てにビールをかけ合うことなども頻繁にある。

いかがわしい商売の女たちが鼻につくような香水の香りを振りまいて出没したり、占いの婆さんなども客を引こうとやってくる。


とにかく賑わう酒場は町の四つ角のように人が交差し、特に深夜になれば混沌とした雰囲気に包まれていた。



ここでアンドレが新聞記者のベルナールと知り合ったのは去年のことである。

お互いに飲んで暴れる性格でもなく年も近いこともあり、たまに出会うと軽い世間話をする仲になっていた。

アンドレがボルドーへ行った時の事も、地方の話題としてコラムに載ったりしている。


ベルナールによると、最近の新聞の話題は独立戦争や貴族の浪費、王太子の誕生など事欠かないと言う。

地方の話も耳に入り、どこで一揆が起きたとか今年のワインの出来がどうしたとか、世の中の動きがよくわかる。


仕事以外では今、口説いている女の子の話も出てきたが、聞いているとそれはパレ・ロワイアルのモーリスの花屋で働くロザリーであることがわかった。


アンドレもロザリーはよく知っていることから、色々と協力して欲しいとベルナールに頼まれ、意外なところであてにされていた。



**********




そのロザリーなのだが、ようやく春の兆しが見えてきた頃、母親が亡くなったという知らせがジャルジェ家に入ってきた。

前々から具合が悪く、ロザリーが働いて家計を支えていたのだが、母親はこの冬の冷え込みで何度も風邪を引き、弱った体は春まで持たなかったという。


訃報を聞いてオスカルとアンドレも又、モーリスと共に教会へ駆け付けたが、葬式の最後までしっかりとした表情で母親の棺を見守っているロザリーの姿に思わず目を伏せた。


近所つきあいも良い彼女のことなので、色々と人に助けてもらい、何とか無事に葬式を済ませたものの、一人取り残された部屋で夜を迎えるとなると、思い出すことや心細さで眠れない。

覚悟を決めていたとは言え、さすがに母一人子一人の二人暮らしから、いきなり一人ぼっちになるのは誰しもつらいものだ。


モーリスもたとえ一時でも彼女を引き取ろうとしたのだが、自宅の古いアパートには息子一家が同居しており、彼女が入る隙間がない。

日々やせ細る彼女を見るに見かね、彼はオスカルに事情を話し、何とかしてあげたいのだがとこぼした。



そんなある日、店を閉めて帰ろうとしていた彼女を、オスカルはいきなり抱き上げて馬に乗せると、一目散に屋敷へ連れ帰った。


門番のいる豪華なロートアイアンの門扉をくぐり、木々が立ち並ぶアプローチを抜けると、広い敷地に建つ豪華な石造りの屋敷の前に到着する。

わけがわからぬまま、連れてこられたロザリーはジャルジェ家の玄関ホールで呆然と立ちつくし、戸惑うばかりだ。



「今日からお前はここに住むんだよ」

オスカルの意外な言葉をロザリーはしばらく理解できなかったらしい。


屋敷の中は華やかで様々な調度品や美術画などがほどよく並び、暮らす人々は召使いたちも立派な身なりをし、にぎやかで活気がある。

あまりの暖かい雰囲気に、ロザリーは張りつめていたものがふっつりと切れたかのように、床に伏せて泣き始めてしまった。



「あらあら、もうお嬢さんを泣かせてしまったのね」

ジャルジェ夫人がホールに出てきて、座り込むロザリーをそっと起きあがらせた。


「母上、私はロザリーを泣かせていたのではありません」


「まぁ、かわいい方。オスカルが思わず連れてくるのもわかるわ」


オスカルの反論を無視して、夫人はロザリーの世話をはじめた。
彼女のために用意した部屋へ連れて行き、体を洗い、ゆったりとした新しいドレスに着替えさせる。




「オスカルのためにおいてあるドレスがこんな時に役立つなんて、嬉しいわ」
夫人はすっかりロザリーを着せ替え人形にしたてて、楽しそうにしている。

以前に養子騒動で孫のリュックが帰ってしまい、反動で誰かを世話したくて仕方ないのだ。


「奥様、あたしのような者にこんなにも親切にして下さるなんて、もったいなくて…あの…」
ロザリーは花屋の仕事があるので、いきなりお屋敷暮らしと言われてもどうすればいいのか困っている。


「明日から花屋へは御者に送らせるから安心しなさい。どうしても前の家に帰りたければお前の自由だが、ここにも帰る部屋がある事を忘れるんじゃないよ」


「オスカル様……」
オスカルのぶっきらぼうな言い方もロザリーには心強く、ただあふれる涙と共にうなずくだけだった。


「ロザリーさん、明日はお仕事をお休みなさい。あなたは疲れているから少し休んだ方がよくてよ」
夫人は痩せて目の落ちくぼんだロザリーの様子を心配していた。


ジャルジェ夫人が言ったとおり、ロザリーは安心したせいか翌日に軽い熱を出して寝込んだ。

鍵も壊れやすい古アパートで一人寝起きしていたロザリーは、久しぶりに人気のある屋敷で安心したのかぐっすり眠っている。

疲れが出たのは間違いなく、ジャルジェ夫人は彼女をしばらくそっとしておくことにし、前から顔見知りのアンドレに時折様子を見に行かせることにした。



騒動が起きたのは午後からで、門番の制止を振り切り、興奮した様子の青年がジャルジェ家に駆け込んできた。


「ロザリーを返せ」とものすごい形相で、たまたまホールにいたばあやに食ってかかり、騒ぎを聞きつけた召使いが、各自仕事に使っていた鞭や包丁を手にして駆け付けた。


「ロザリーを誘拐したのはどいつだ、出てこい」

騒然とした空気が張りつめる中、召使いに取り囲まれても青年はなおも勢いよく大声を張り上げ、どいつにまず飛びかかってやろうかと剣を抜き、あたりを見渡している。



まさに一触即発の状態になった時、二階のホールからオスカルが落ち着いた態度で顔を出した。


「何の騒ぎだ、病人がいるというのに」
彼女は怪訝な顔つきで、大騒ぎの真っ最中の玄関ホールを見下ろした。


「誰だ、お前は」
オスカルは鋭い眼光の青年をじろじろと見つめた。確かどこかで会ったような気がする。


「お、お前が犯人だな!ロザリーをさらって行ったのは。お、お、俺のロザリーをどうしたんだ、もしや…あうっ…あうっ…」
青年はオスカルを見上げて抗議したのだが、興奮のあまりろれつが回らない。


花屋の親父から聞いた話では、ちゃんとした貴族に引き取られたとのことだが、昨夜ロザリーを目撃した者は、馬に乗った金髪の男にさらわれていったという。

今頃、彼女がどんなひどい目にあっているのかと想像するだけで血が逆流しそうになっている。



「安心しろ、ロザリーは無事だ。それに今は疲れて眠っている」
一方のオスカルはだいたいの状況を理解し、この逆上した青年をどうしずめようかと思案した。


「なにぃ?そんなウソが通用すると思ってるのか。ここにロザリーが出てこれないのはひどい目にあってるからだろう。俺は、おっ、俺はロザリーを嫁にもらおうとずっと前から決めていたんだ。それなのに…」

ベルナールは感情が高ぶって涙声になっている。


「ものわかりの悪い奴だな。そんなに気になるのならロザリーに会わせてやるよ」
オスカルはあきれながら階段を下り、ベルナールを取り囲む召使いたちに退くように手を振った。



「くっそぉ〜!お前っ!」

それでも気が収まらないベルナールはいきなりオスカルに剣を振り上げて切りかかってきた。

一度高ぶった気持ちはそう簡単には冷めない。とにかくロザリーをさらっただけでも腹が立つ。



オスカルがひょいと身をかわし、バランスを失ったベルナールの足に払いをかけると、彼はあっという間に床に横倒しになった。

持っていた剣は勢いでホールの端まで滑っていき、召使いがあわてて走って取りに行く。



「一体、何の騒ぎだ」
今度は二階のホールにアンドレが現れた。

ロザリーの様子を見ていたのだが、あまりに騒がしいので出てきたのだ。


「あっ、お前、ベルナールじゃないか」
アンドレは倒れている男を見て叫んだ。


「何だ、アンドレの知り合いなのか。それにしても血の気の多い奴だな」
オスカルはやれやれという顔をしている。



「えっ、アンドレ…一体どうなっているんだ」
ふらふらと起きあがってきたベルナールは、あ然としている。


「ベルナールそこ何やってんだよ。ああ、さてはロザリーの事だな。安心しろよ、疲れが出たから眠ってるだけだよ」

「はぁ?」




ベルナールはすぐに事態が飲み込めないらしく、首をかしげていたが、幸いアンドレが知り合いだったことから誤解はすぐに解けた。

又、オスカルが女だと言うことを知り、ベルナールは早とちりを大いに恥じ、床に頭をこすりつけるほど小さくなって謝った。

オスカルもこの時になって彼がモーリスの店で見かけた顔であることに思い当たっていた。確かロザリーの母親の葬式にも居たような気がする。



「お屋敷の旦那様が留守で良かったよ。余計に大事になるところだった」
アンドレもホッとしている。

短気と早とちりではジャルジェ将軍がベルサイユ一だと彼は信じている。


「…何かあったんですか、あっ、ベルナール」
騒ぎで目を覚ましたロザリーも二階からひょっこり現れ、場違いなところにいるベルナールを見て驚いた。



「ロザリー、このベルナールがお前をお嫁に欲しいって言ってるぞ」

オスカルは淡々とした顔で、ベルナールがいつか命をかけて言おうとした求婚の言葉をさりげなく彼女に伝えてしまった。



「ああっ!やめてくれ」
ベルナールは今度は真っ赤になって床に伏せてしまった。




**********




ぐっすり眠ったことでようやく頬にも赤みが戻ってきたロザリーはいまだ居心地が悪そうにジャルジェ家の屋敷の中をさまよっていた。

あまりの衰弱ぶりを見るに見かねてオスカルがさらうように連れてきたので、待遇も決めてはいなかったが、本人は召使いとして働くと言い張ってなかなか聞かない。

花屋の仕事も続けると希望しているが、ベルサイユとパリを毎日往復するのも彼女の負担になるだろうし、とりあえず週の何日かは屋敷にいて、オスカルの世話係をするということで落ち着いた。



「あたしみたいなのがこんなお屋敷に住まわせてもらうなんて、ご迷惑なんじゃないかしら」
ロザリーはあまりの好待遇に戸惑っている。

「なに、お屋敷の人は前々からかわいい娘がいたらいいなと思っていたんだよ。奥様は世話をする娘が出来てたいそう喜んでらっしゃるし、オスカルもお前のように明るい娘がいると、難しい事ばかりの毎日にホッと一息つける。ロザリーはちゃんと役に立っているんだから堂々としてればいいんだ」
アンドレは彼女にそう伝えた。



確かにオスカルには連隊長の責任があり、最近特にベルサイユ宮殿の近辺で物騒なひったくりなども起き始めており、衛兵隊が王宮を警備しているとは言え、彼女もうかつに隙は見せられない。

そして特にフェルゼンの事を思い煩う彼女にとって、屈託のないロザリーの存在は大きかった。



又、後日ロザリーの母親の形見を整理しているととんでもないものが見つかった。

彼女の出生証明書や名門貴族のヴァロア家の紋章が入った指輪、彼女が貴族の娘であるという書き置きなどである。

亡くなった母親の手紙には、貴族として育つことが決して幸せとは限らない、娘にいつ事実を打ち明けるか悩んできたが、自分が亡くなってからロザリーの好きなように任せると書いてあった。


ヴァロア家と言えばかつての王族でブルボン家とも縁がある。

直系の血筋は途絶えたとは言え、今も細々と血脈は生き残っており、反面、その名をかたる偽者も数多い。

ロザリーが本当にヴァロア家の血を引く者なのか、母が亡くなった今となっては聞き出すすべもないが、もし真実であったにせよ、後ろ盾もない彼女にとってはたとえ名門の血筋も役には立たない。



母がいない今となってはロザリーの生い立ちは謎のままなのだが、彼女は自分が貴族の娘であることを喜ぶよりは、むしろ亡き母と暮らした質素な生活が恋しいらしい。


オスカルが彼女の母親の形見の品を検討し、親戚を捜そうと言ってみたものの、ロザリーは今さらパリの下町の娘がのこのこと見知らぬ貴族の屋敷に、身内の顔をして名乗り出るのは心苦しいからと遠慮してしまう。


又、母の遺品だけでは自分が貴族と証明された訳ではないと、自分の生い立ちをはっきりとさせることに消極的で、どうにも自分が貴族の娘であることに現実味が伴わないらしい。

母親が亡くなってそう日が過ぎておらず、形見の品も悲しみがぶり返すからと、じっくりとは見ていないという。


ジャルジェ家としては事情がどうあれ、本人さえ希望すればロザリーを屋敷に置くと決めていたので、貴族の娘であれば後見人となり、それなりの教育をしなければとさえ考えはじめていた。

放っておけば弱り切ってしまうロザリーを引き取るつもりはしていたが、予想もしなかった事が色々と起きていた。


いずれにせよ、彼女がやってきただけで、かつて六人の娘たちがいた頃のような華やかさが再び屋敷に戻ってきていたのである。


2005/8/9/



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