−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-抱擁-




今年四才になるマリー・テレーズ内親王はオスカルにはよくなついていた。

ようやくちゃんと受け答えが出来るようになってきており、どうやらオスカルをきれいな王子様と思いこんでいるらしい。
やたら手を引っ張ってそばに居るように命じたり、だっこをせがんだりする。


なつかれるほうも決して悪い気はしないので、オスカルも出来る限りお相手をしているのだが、どうやら母親のアントワネットが第二子の王太子ジョゼフに構ってばかりで、マリー・テレーズは少し寂しい思いをしているらしい。

時折すねて、宮殿のどこかに隠れてしまうことがある。



心配させて構ってもらおうとしているのはわかっているが、アントワネットはすぐに熱を出すジョゼフから目が離せず、こういう場面でオスカルに「内親王殿下の捜索」を頼むことがある。


オスカルも要領を得たもので、たいていは礼拝堂の片隅にマリー・テレーズはしゃがんで隠れており、彼女が入っていくと飛び出してくる。


「おかあしゃまは私よりもジョゼフのほうが大事なのでしゅ」
彼女は相変わらず赤ちゃん言葉が残る話し方でオスカルに不満を打ち明けた。


マリー・テレーズは王室待望の第一子であったため、周囲もついつい赤ちゃん言葉で話しかけていたせいか今でも彼女は言葉づかいが幼い。

オスカルは子供なりに悩みを抱えていることを気の毒に思ったり、おしゃまな内親王を微笑ましく感じたりしていた。


「いえ、お母様はマリー・テレーズ内親王殿下をたいそう愛してらっしゃいます。このオスカルが申しますからには間違いはございません」

「だけど、ジョゼフばっかりかわいがってるのでしゅ」
マリー・テレーズは口をとがらせて今にも泣きそうだ。


「殿下は寂しくお感じなのでございますね。けれども殿下が四年前にお生まれになったときも、お母様は今の王太子殿下のようにつきっきりでございました、ほらこのようにして」
そう言ってオスカルはマリー・テレーズを軽々と抱き上げ、アントワネットの元へと連れ返しに行くのであった。


アントワネットはそのたびにオスカルに感謝し、子供も何かと敏感で、構ってあげないとすぐへそを曲げることに苦笑していた。

そして「マリー・テレーズはあなたに恋しているのですよ」と、こっそり教えてくれた。




**********




「内親王殿下の初恋のお相手か」
アンドレは少しおかしそうに笑った。


「お前は小さいとき、誰か好きな子とかはいたのか」
唐突にオスカルに聞かれて、アンドレは一瞬動きを止めた。


「…いたというのか、いないというのか、俺の場合は母親に対して大事にしてあげたいなぁなんて事をずっと思っていたよ」


アンドレの答えはまるで「はぐらかして」いるようだとオスカルは思ったが、彼にとって亡くなった母親は大切な存在であったことはよく知っていたのでそれ以上は聞かずじまいになった。


一方のアンドレはどうしてオスカルは「今、誰か好きな女がいるのか」と聞かなかったのだろうと思い、胸をなで下ろしていた。

元々、相手が切り出すまでは他人のことに干渉しないオスカルの事であるが、もしそう聞かれた場合、彼はしらを切り通さねばならなかったからだ。


確か彼がジャルジェ家のお屋敷に引き取られたのは10才頃だった。

すでに物心はついていたし、オスカルが女の子であることを意識もせずに無邪気に戯れる年ではなかったと振り返る。


出会ったその瞬間、彼女を大切にしなければという思いが自然とわき上がったのはついこの間のことのようだ。


もしかしてもっと幼くして引き取られていたのなら、母親の記憶もおぼろげで、オスカルの事も本当の妹のように感じていたのかも知れない。

いっそのこと、そうだったらもっと楽だったのかも知れないとも思う。




**********




コンピエーニュはパリの北東に位置し、森の多い地方である。

かつて王宮として使用されていた城もあり、アントワネットが輿入れの際、国王や王太子が出迎えに来ていた思い出の場所でもある。
この地方は森が多く狩りが盛んで、貴族の別荘も数多くある所だ。



アントワネットはこの地に来ると、狩りを楽しむ国王とは別に友人たちと野外でのピクニックを楽しんでいる。

オスカルは主に国王の供をして狩りに出ることが多く、この日は部下のジェローデル少佐も同行していた。

森の中は午前中までは天気が良かったのだが、午後に入り厚い雲が空を覆い始め、森の中はうす暗くなってきている。



「王妃は大丈夫かな」
と、ルイ十六世は少し心配げにしている。

普段は人に対して無関心で、妻のこともあまり口にしない彼だが、今日は特に王妃が野外の催しを楽しみにしていたので多少気になったのである。



「きっと大丈夫でございます。お供の者が丈夫な天幕を用意致しましたので、多少の雨でも平気です。王妃様も今頃はワインとおいしいお料理を楽しみながら、ご友人方の馬術をご覧になっていらっしゃる頃でしょう」
ジェローデルは落ち着いた様子で国王の相手をしていた。


彼は短気でプライドも高いのだが、こういう身分の高い相手に対しては礼儀正しく、非常に知的で冷静そうに振る舞ってみせる。

確か先日、国王のことを
「ここぞと言うときに決断力がなく、大臣の才能のなさにただうろたえるだけで、自ら先導する意志も持ち合わせていない事なかれ主義者」
と酷評していた。

彼の批判が全く根拠のないものならまだしも、妙に的を射ているので反論はしにくい。


それでもオスカルがたしなめたところ、「失礼致しました、単なる独り言でございます」とうやうやしく頭を下げてみせる。

どうやらオスカルに対しては、決して逆らうつもりはないらしい。


彼女は要領の良いジェローデルが国王に対して淡々と話す腹の内はどんなものなのだろうかと考えて、少しおかしくなった。
とにかく、色々な意味で頼もしい部下である。




そうこうしていると、王妃と供に来ていた侍従が馬を飛ばしてやって来て、内親王殿下が見あたらないとオスカルに告げた。

ルイ十六世は獲物を追って森に入っていったので、オスカルはジェローデルをここに残し、国王への報告と、周囲があわてても事を大きくしないよう、落ち着いて対処するように頼んでアントワネットの居るほうへと馬を走らせた。



「隊長、お気を付けて」
ジェローデルは真顔で一礼して見送った。





ここはベルサイユ宮殿ではないが、マリー・テレーズがいつものように機嫌を損ねて森へ入っていった可能性が高い。

彼女は女の子にすれば言葉巧みに自分の想いを話すほうではなく、内気な父に似たのか、すねると黙りこくってしまう。

時にはぷいと飛び出していってしまうこともあるのだが、今日はいつもと違い、慣れない森の中なので居合わせた大人たちは大騒ぎになっていると侍従は言っていた。




「マリー・テレーズ内親王殿下!」


オスカルは子供が入り込みそうな木の根元や、花の咲いている所などを見渡し、彼女が着ていたピンク色のドレスを探し歩いた。

どうせ幼い女の子のことである。そう遠くへは行っていまい。


彼女は時には馬を下りて目線を下げ、けもの道を塞ぐ倒木の向こう側へも入って行く。


幸い、狩り場ではないので、銃で狙われる危険は少ないが、森にはどんな危険が口を開けているかわからない。

不安を押さえつつ声を上げてしばらく探している内に、ようやく遠い所で「あーい」という返事が聞こえてきた。




オスカルが方向を見定めて駆けつけると、下草のあまり生えていない沢にマリー・テレーズが中腰でおそるおそるさらに下へと下りようとしている所だった。

坂は急で、ほぼ崖のようになっている。



「殿下、そちらは危のうございます」
オスカルは出来るだけ相手を驚かせないようにゆっくりと声をかけた。

でないと、子供は大声におびえて体をこわばらせてしまい余計に危ないからだ。



「あ、オチュカル、ここにきれいなお花が咲いているのよ」
マリー・テレーズは足下に咲いている小さな白い花を指さしていた。
確かに彼女の足下に、カモミールらしき白くて可憐な小花が点々と咲いている。


「私が代わりに花をお取り致します、殿下はそのままじっとなさっていて…」


と、オスカルが話しかけながらゆっくりと彼女に近づく間も、幼い子は無防備に次の一歩を踏み出していた。

下草がないとは言え、地面は折れた枝が幾重にも重なり、ちょっとしたくぼみなどは目に入らない。もしも尖った石や裂けた木の枝が潜んでいたらと思うと気が気ではない。

特に午後に入って日が陰ったせいか、高木の影に入ると足下は余計に危なっかしい。

しかしあわてて駆け下りると、大人でもあっという間に足を取られて転落しそうだ。



オスカルがマリー・テレーズに手をさしのべようとしたその瞬間、「あっ!」と小さな声を上げて彼女は足下をすくわれて転げ落ちて行った。




「殿下!」


オスカルも足場の悪い場所に構う間もなく、幼子を急いで追いかけ転げながら崖を下りていった。

折れた小枝や覆い被さる低木のトゲ、とがったゴロ石が体のあちこちに擦り傷を作り、彼女の軍服の肩章をはぎ取っていく。



マリー・テレーズが大きなくぼみにはまりそうになる一歩手前でオスカルが下に回り込み、つき立っていた枯れ木の根に足を挟み込んで体勢を立て直すと、しっかり内親王を抱き止めた。

この時、オスカルの右足は違った方向にねじれたのだが、夢中なので痛みすら感じない。



「もう大丈夫でございます、殿下。さあ、お母様の所へ帰りましょう」

突然転がり落ちた衝撃で泣きじゃくるマリー・テレーズはそれでも小さな花をしっかりと掴み、オスカルにしがみついて離れそうもない。

幸い、びっくりしただけで彼女には怪我はないようだった。

「今度からは遊びに行くときは、お母様にちゃんとご挨拶してからに致しましょう、殿下」

オスカルは幼い子の髪やドレスにからまった枯れ葉を取りながら、やれやれと大きく息を吐いて背中をなでてやった。

マリー・テレーズは黙って何度もうなずいていた。





王妃一行の天幕では一通り目に付くところを探し尽くし、途方に暮れる侍女や、相変わらず森の中を這うように探すアントワネットが、悲壮な声で子供を呼ぶ声が休みなく響き渡っていた。


オスカルがマリー・テレーズを抱きかかえ、白い馬に乗って彼女らの前に現れたときは、まるで天の使いのように神々しく見えたらしく、一同は奇蹟を見るような顔で駆け寄ってきた。


「森の入り口で迷ってしまわれたそうでございます」

すぐに馬から下り、駆け寄ってくるアントワネットに内親王を無事に引き渡しながら、オスカルは幼子の手を取って、しっかりと握られた小さな花束を王妃に見せた。


「内親王殿下をお叱りにならないで下さいませ。心細い迷い子になっても、これをお母様に渡すのだとおっしゃっておられました。どんな時でも内親王殿下には王后陛下が光の元なのでございます」


「お馬鹿さんねえ、全く」
アントワネットは娘をしっかりと抱きながら言葉を詰まらせた。




**********




狩り場にいるジェローデルまで事の次第を報告するよう部下に命じると、オスカルは少し顔を険しくしながらこの場を辞した。

あまりこの場に留まると、かえって軍服の裂け目などを見てアントワネットから根掘り葉掘り、迷子の様子を詳しく聞かれそうな気もする。



ところでアンドレは今回、狩りに同行したジェローデルとは裏腹に、馬の扱いが上手だと言うだけでアントワネット一行の元に置いてけぼりを食わされていたのだが、思いがけずオスカルが戻ってきたので妙にはしゃいでいた。

オスカルも再び狩り場に戻る訳でもなく、アンドレに合図し、そっとこの場を立ち去ると言うので迷わず付いて帰ることにした。


「ちょっと待ってくれ、すぐに俺の馬を取ってくる」
彼は暇を持てあましていたので喜々として走って行った。




**********




コンピエーニュにはジャルジェ家の別荘もある。
ひとまずそこへ行くというのだが、オスカルは先ほどから表情を曇らせ、やがては無口になってしまった。


「どうしたんだ」
異常に気付いたアンドレがあわてて近づくと、彼女は冷や汗をかいてうめいている。


「さっき沢で転倒した時に足をひねった」


「もっと早く言えよ!」
アンドレはつい大声を出した。


「そんなこと言えるものか。近衛隊の大佐ともあろう者が足をくじいただけで青い顔なんて出来るか!」
オスカルも思わず言い返す。

しかしプライドの高さ以上に、誰にも余計な心配をかけたくない彼女の本心をわからないアンドレではない。



「ま、それだけ威勢が良いのなら大丈夫だろうけど…」
アンドレはそう言いつつ、その他に痛むところはないかとあれこれたずねた。


結局、足だけではなく背中や腰も強打したらしく、息苦しさも有るらしい。

一時的なことだとは思うが、一刻も早く安静にしてやりたい。
人前では気を張っていたが、アンドレと二人だけになると安心したのか、オスカルの体からはたちまち力が抜けていた。

具合が良くないことをもっと早く訴えていれば、馬車の用意もできたのだか、妙なところで意地を張る彼女の気持ちがアンドレにとっては誇らしい。

彼はそんなことを考えつつ、馬の背に体を預けて次第にぐったりしていくオスカルの手綱を取り、別荘まで馬を引いていった。



「ばかだなぁ」
どうせ意識がないと思って彼が独り言を言ったら、「ほっとけ」としっかりした返事が返ってくる。




もし、お前が男ならきっと親友になっていたと思うよ。


さすがにそう思ったが、彼は口には出さなかった。今度はどんな憎まれ口が飛んでくるかわかったものではない。

しかし、こうやって他愛ないことを言い合うときこそ、オスカルは安心している証拠なのだ。





別荘に着いて彼女を馬から下ろしたものの、すでに足はしびれて歩けないらしく、アンドレは彼女に肩を貸し、大事そうに抱えて屋敷に入った。



この分では足は相当腫れ上がっているに違いない。

マリー・テレーズを無事にアントワネットの手元に届けた時、この状態でオスカルはどうやって歩いていたのだろうと彼は首をかしげた。




「お前、本当に良い奴だな」
アンドレはしみじみと言ったが、この時は返事は返ってこなかった。



彼はオスカルの重みを幸せに感じながら、自分を省みない彼女の無垢な心まで腕に抱いているかのように、気持ちが昂ぶっていた。

そしてやはり彼女を誰にも渡したくはないと、彼は改めて自分の心にくすぶる炎を確認するのであった。





2005/9/4/



2005/9/7/up



コンピエーニュ(Compiegne)の位置ですが、地図の右上のあたりです。
パリとベルサイユは左下です。


地図は再び地図サイトからもらってきた無断転写でございます。(^_^;)
著作権者の方のクレームがあれば取り下げます。

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