−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-新しい夜明け-



そろそろ春の兆しが訪れる4月、どんよりと曇る冬空の間からようやく日が差し始めた頃、ジャルジェ夫人がいそいそと復活祭のために焼き菓子を用意し、ばあやの目をかすめてアンドレがつまみ食いなどをしているところをオスカルが目撃し、最後にばあやに見つかって大騒ぎになる。

ジャルジェ家ではゆったりとした時間が流れていた。


アメリカの戦果はまずまずという情報も入り、一年の中でも比較的「希望」が芽生えるこの季節、ジャルジェ将軍とオスカルはたまたま一緒にベルサイユ宮殿に伺候したある日、アントワネットは二人を直々に呼び出し、オスカルに大佐への昇格と近衛連隊長に昇進させることを伝えた。


なびいてくる貴族たちにもいい顔をするアントワネットではあったが、王室に対して実直なオスカルに対しては正当に評価していた。


オスカルはこれほど早く大佐に昇進などと、自分の分際では早すぎると一旦は丁重に断ったのだが、同席していた父に「王妃様のお心を台無しにするとは何事だ」と激しく叱咤され、両方の面目を立てるためにこのいきなりの栄誉をありがたく受け取ることにした。


後で父が言うには、彼女は実力を認められており、以前から大佐への昇格の話も有ったので、父としては王妃から直々に有り難く頂戴する形にこだわったらしい。


気ままで気に入った者だけを寵愛するアントワネットにしては、任務優先でどちらかというと融通の利かないオスカルを取り立てるのは、周囲から見ても非常に珍しい。

当然、フェルゼンを心配する王妃が、オスカルを心のよりどころにしていることは表沙汰にはなっていない。

しかし、それ以前にアントワネットはオスカルが誠実に仕えてくれていることが何より心の安まることだったのである。



最近ではベルサイユ宮殿の中でもアントワネットの信頼度は落ちてきている。

儀礼事を嫌い、プチ・トリアノンにこもった事が大きく影響しているのだが、王妃もそれとなく召使いたちの冷たい雰囲気を感じているのだろう。


だがオスカルにとって、かつてのように王妃がわがままに振る舞い、彼女の決死の進言すら聞き入れて下さらないと悩むよりは、今では不思議と、子供っぽいアントワネットに惹かれるものを感じ始めていた。


自分の感情に素直に、自分の思うまま生きたいという姿は、王妃としての態度にはふさわしくないし、オスカルにもかばいようはない。

又、その事が他の貴族や民衆に嫌われることも危惧している。


だが、自分の女としての心を封印し、今も尚、男として生き続けようとしている自分と比べると、オスカルはいつのまにか王妃という事ではなく、マリー・アントワネットと言う天真爛漫で芯の強い一人の女性に魅力を感じていたのである。





**********





5月の末頃、夕刻にパリへと馬を飛ばすオスカルの姿があった。

行き先はネッケルの館。

ドアを開けたのはネッケルの娘ジェルメーヌで、意外な訪問者に対して挨拶する前に「あっ」と言った。


「特に怪しい者もここには来ていませんし、私たちも無事です」
近衛隊の将校があわててやって来たことで、ジェルメーヌはかえって驚いている。

父が多くの貴族を敵に回したことは聞いているが、誰かが刺客をよこしたのではないかと一瞬考えたからだ。


「驚かせてすまない。遠方へ旅立たれると伺ったので是非それまでに一度ネッケル殿にお会いしたかったのだ」


オスカルがプライベートでやって来たことを知って、ジェルメーヌも安心したようだった。
ネッケルと妻のスザンヌも顔を出し、旅の用意の手を止めてオスカルたちを歓迎した。


「私も出来るだけのことをしましたが、あれほどの反発を食らうとどうしようもありません。しばらくスイスとイギリスを廻ってこようかと思っています」
ネッケルも宮廷に反発するのかと思いきや、意外としおらしい。



うわさではオーストリアやロシアがネッケルを欲しがっているらしいが、あえて彼は誘いを断り、沈黙しているという。彼の真意はわからないが、失脚しても尚、フランスという国に愛着があるのかも知れない。


「そうですか、納得されているのなら安心致しました。私は国王陛下のお心を是非わかって頂きたくて参ったのです」

オスカルは貴族たちの陰謀が裏にあり、何事も全てアントワネットが指図しているかのような誤解を解いておきたかったのだ。



「ははは、わかっておりますよ。ご心配なく。私は国王陛下も、そして王后陛下も恨んではおりません」
彼は皮肉混じりに軽く笑い飛ばした。


どうせ王妃の後ろには我が身の保身しか考えない貴族たちが潜んでいる。
それは宮殿の中の空気で大体は把握できることだ。

王妃は自分に頼ってくる者をかばう性質がある。
そのためにプライドにかけてでも自分の絶対的な力を彼らに示そうとするし、結局、宮廷の中にはそういう彼女の性質を利用する者がいると言うことだ。


「王后陛下はあのようにプライドの高いお方です。ご本心はネッケル殿が憎いのではなく、ただ王后陛下としての立場がおありなのです。是非、理解いただけるようお願いしたい」


「問題は王后陛下ではございません。特権を手放したがらない貴族たちです。おっと失礼、あなた方も貴族でしたな。だが、いつまでもこの状態は続きますまい。鍋の底は煮詰まり、今にも焦げ付きそうになっておりますから」

ネッケルはそう言い残して去った。


少なくとも王室に恨みはないというものの、自分を見捨てた者を祝福するのは容易ではない。
彼が再び戻ってくるときには、どれほど王室に味方するかは定かではない。


ただ、もう一度彼が返り咲きたいと思っているのであれば、いつか貴族たちを見返してやりたいという意地を持っていると言うことだろう。




ネッケルが去っても貴族たちの間には新しい時代に対する不安は消えそうになかった。

当面の間はフルーリーとドルメソンという人物が財政を任されたが、目新しい政策を見いだせず、ネッケルのやり方となんら変わりはなかった。


しかし立て続けに続いた財務総監による解放改革のために、このままでは貴族としての権限をせばめられると怖れた廷臣たちは、反動で国の要職から平民を追い出しにかかっていた。

又、地方では宮廷貴族と違い、生活苦で没落する者もあり、経済力を背景に台頭してきた市民に権威を奪われないためには、どうしても自分たちの特権を法律で守る必要が有ったのだ。



「国王の軍たるもの、脱走者や裏切り者を出すことはまことにけしからん。身元がしっかりした貴族、それも過去から長きにわたって国王に忠誠を誓った貴族のみが、軍を指揮することが出来ましょう」
そう訴える帯剣貴族の訴えはすんなりと聞き入れられた。


将校になるには四代以上続いた貴族以外はなることが出来ないと定められ、教会においても平民は高い地位を追われた。




まさに、時代に逆行した決まり事が平然とまかり通ったのである。


ある時は改革、ある時は保守。
全く筋の通らない事が次々と起きていた。





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パリのパレ・ロワイアルでは今日も花屋の売り子のロザリーが忙しそうに働き、夕方になればいそいそと家路につく。

店主のモーリスは彼女が友達のベルナールと遊びに行くのかと様子を見ていたが、あながちそうでもなさそうで、聞くと母親の具合があまり良くないという。


モーリスも時々、状態を聞き出そうとするが、ロザリーも心配をかけてはいけないと思ってか具体的なことは言いたがらないようだった。

ベルナールともさほど親密にはなっていないらしく単なる友達のままのようだし、この先彼女が独りになってしまったらさぞ心細いであろうと彼は気にしている。


そう言えば質素な身なりをしているがロザリーは傍目に見ているとかわいい娘で、時々意外なほど上品な表情をする事がある。

なぜか花の種類もよく知っていたし、作法を習ったはずもないのにひょっこり難しい言葉やていねいな言葉遣いをする事もある。



母と二人暮らしというので、色々とお金に不自由して育ったのではないかと勝手に想像していたが、ひょっとすると彼女は元々は裕福な商家の出で、子供の頃は不自由ない生活を送っていたのかも知れない。

そう言えば何度か会った事のある母親も、すれたところはなく愛想も良く頭の低い女性だった。

モーリスは他人の人生なんてそうそう見た目だけで判断できず、色々あるものだと肩をすくめた。




そしてモーリス以外にもロザリーを心配している者がパレ・ロワイアルにもう一人いた。

この広い邸宅の回廊を一般に開放し、複合施設として金儲けを成功させたオルレアン公、その人である。



公は若い頃から女性問題で何度も痛い目に遭ってきたが、なおも懲りず若い娘が大好きである。

モーリスの花屋は賑わっているので彼も何度か顔を出していたし、女性に花を贈るときにもよく利用している。

ロザリーの事は以前から知っており、密かに好意を持っていた。



使用人にさりげなくロザリーの情報を集めさせたら、母親が病気で寝込んでいるので彼女が働いて看病しているという。

あまりの美談にオルレアン公は感動していたのだ。



だが女性関係で相当悪評の立っている彼のことである。

ロザリーはモーリスからもさんざん聞かされているように、オルレアン公に最大限警戒していたのである。

公が彼女に母親への援助の申し入れても全て断られ、花の配達を頼んだ時もロザリーは本人と口をきかずに逃げるように帰っていく。

どうせ下心があるに違いない、あんな男に引っかかってはきれいな体に傷が付くとモーリスも疑っているので、最近ではロザリーに近づくことさえ難しい。



「旦那様、たかが小娘でございます。どうしてそんなに構おうとなさるのですか」
オルレアン公の執事は不思議に思っていた。


普通なら力ずくか金ずくであっという間に狙った女性を手に入れる公の事である。


「なんの、男の美学に決まっているだろう。美しい野花は野にあって美しい。私は時折陰から水を与え、踏み荒らされないように柵をこしらえたいだけなのだ」
公は少し自分に酔っていた。これもたまの気まぐれであろう、執事はあきれていた。


「では匿名で援助なさればいいのではございませんか」
執事はそう切り返した。



当時、パリでは黒い騎士という名の盗賊が時折出没していた。

貴族や、欲張りで悪名高い裕福な商家から金品を盗み、貧しい人々に分け与えるという正体不明の覆面男である。

その姿をはっきりと見た者は誰もいないが、黒装束を身にまとい、すらりと美しいと言う。




「それでは黒い騎士と言うよりは黒い牛ではございませんか」
と、執事が小さい声でブツブツとつぶやくのを尻目に、オルレアン公は全身を黒装束で包んでいた。

確かに放蕩と不摂生で彼の体はたくましいとは言い難く、贅肉がたっぷりと付いている。

騎士というよりは、黒光りしている霜降り肉の国産肉牛と言うほうが正しい。



「日没と共に黒い馬を裏門に用意しておけ」
彼は執事の皮肉をかわし、何度も鏡で自分の姿をチェックしつつ、召使いに指示した。






この夜もロザリーは急いで家に帰り、夕食と母親の世話をしていた。
最近はすっかり娘に頼り切っている母親はロザリーのけなげな姿を見て、申し訳がないと涙もろくなっていた。


「お前にはずいぶん迷惑をかけてしまったねぇ。私なんて早く死んでしまえばいいのに」
母親はかなり弱気になっている。


「何て事を言うの、お母さん。私はお母さんのために働けると思うだけでとても元気が出るのよ。だから早く良くなってね」
励ますロザリーも必死だ。

母の弱気の分、元気で明るく振る舞わなくてはいけない。その方が母の病気にも良いと思っていた。


ロザリーの家は三階建てのアパートの一階にあり、道に面した小さな窓は調理中のために半開きになっている。


物陰からこっそり二人の話を聞いていたオルレアン公は、絵に描いたような孝行話に思わずもらい泣きをしていた。

彼はこの時、黒装束に黒いマスクをし、闇にまぎれていた。
別に黒い騎士になりきっているつもりはない。

闇にまぎれるのには黒い衣装が都合も良く、たまたま黒い騎士に似てしまっただけだ。
そして彼はこの夜の計画通り、窓から紙に包んだ金貨を投げ込み、様子を伺った。


「あら、何かしら」
ロザリーが飛び込んできた包みを開け、驚きの声をあげた。


「お、お母さん、金貨よ!」


その声を確認し、公はうむうむと満足げにうなずき、待たせていた黒馬に乗ってさっそうと去って行った。


しかし直後ロザリーが、金貨を投げ込んだのは誰なのかを見ようとあわてて外へ飛び出し、明るい大通りへ出て行く黒装束の男の後ろ姿をしっかりと目撃したことは計算外だった。

ついでに大通りに出ると彼の黒装束はやたらと通行人に目立っていた。





「本当なんです、黒い騎士が金貨を窓から投げこんで…」
ロザリーは昨夜の出来事をモーリスや近所の店の店主たちに語っていた。


実は今朝になって彼女は事の次第を警察に話したのだが、どこからも盗まれたという被害は聞いておらず、それはきっとロザリーのファンが好意を持って匿名で投げ込んだ金貨だろうと相手にしてくれなかった。

モーリスから報告を受けたオスカルも、この場合は警察の言い分が妥当だろうと判断し、もし後で何かあったら面倒を見ようと引き受けた。

ロザリーもこれで高い薬を買って母親に飲ませることが出来ると、降ってきた幸運を素直に喜んでいる。




「黒い騎士ってすらりと背が高くて男前なんだってねぇ」
パレ・ロワイアルで娼館を営む小母さんが面白そうに口をはさむ。


「うーん、だけど…顔は見えなかったけれどあごのあたりは二重あごで…それにとても太っていたわ」
ロザリーは思い出しつつ答えた。


店主や集まった通りすがりの客は遠慮もなくギャハハと大声で笑い、黒い騎士のとんでもない正体を面白がった。

それに昨夜、大通りに出没した黒装束の男を目撃した者もいて、確かによく太っていたと話した。





「それって偽物じゃないのか」

「黒い騎士じゃなくて、それはきっと黒いウシだろう」

「本物の黒い騎士もさぞかし迷惑してるだろうなぁ」

「そのうち金貨じゃなくて、牛肉をばらまくんじゃないのか」

モーリスたちはお腹の皮がよじれるほど笑い転げた。
彼らのうわさはウィットにとんでいると言うよりは、率直にこき下ろしている。

黒いウシの話はしばらくパレ・ロワイアルの格好の話題となり、この上ない笑い話になっていた。




「正義の味方はつらいものよ…」
柱の陰から彼らの話をうらめしそうに聞いていたオルレアン公は、密かにつぶやいた。





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「聞いたか、オスカル。ヨークタウンの戦いでイギリスは大敗したぞ」
アンドレがパリからあわてて帰ってきて、最新のニュースを報告した。


米仏連合軍がイギリスに圧勝した、との事だ。
もちろん、フェルゼンの悪いうわさも聞かないので無事に違いない。


特にアメリカに有利な戦果を聞くたびに、アンドレはオスカルに知らせるようにしていた。
一刻も早く、戦争が終結するように。


そして、アントワネットも又、フェルゼンの無事を耳にし、安堵の中で陣痛を迎えた。
今度は公開ではなく、ごく身内だけが立ち会う出産となった。




10月22日、待ち望んだ王太子ルイ・ジョゼフ・グザヴィエが誕生した。
百一発の祝砲が轟き、パリも又、熱狂に包まれた。


その規模は前回の第一子マリー・テレーズどころではない。
再びフランス中がお祭り騒ぎとなった。


普段は感情を表さない国王だが、この時ばかりは感極まって涙を流し、疲れて横たわる王妃を抱きしめて感謝した。



王太子の誕生によって、希望も一緒にこの世に生まれ出てきたかのようだった。
今度こそ、全てがやり直せそうな気がした。




少なくともオスカルにはそう思えた。




2005/7/21/



2005/8/12/up


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