−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-変化-



「総監は一言、多すぎませぬか」
このところアントワネットはネッケルのことをあまり好ましく思っていない。

元々は彼女が財務総監にネッケルを推薦したのだが、その時は王室の予算を削ることなく、何とかフランスの財政を立て直しましょうと彼が言ったからである。


だが、最近は違う。

少なくとも前財務総監のテュルゴーのように、貴族の所有する土地から税金を取るなどと言い出さないだけましだと思っていたが、民衆の意見ばかりをくみ取って改革を推し進めている。

結局は世論と民衆に味方しているだけで、あれこれと国王に進言し、王室の権威など無視しているようにさえ感じられる。

少なくともアントワネットにはそう写っていた。



「今度何かあったら財務総監を入れ替えなくては」
アントワネットの怒り混じりの言葉を、事なかれ主義の国王はあえて聞かないふりをした。


王妃の怒りは寂しさの裏返し。誰がその心を知っているだろうか。





フェルゼンが去ったとオスカルから聞いたとき、これほどまでにと言うほどアントワネットは悲しみ泣き崩れ落ちた。

少なくとも、この場に国王やポリニャック夫人や一緒にいたら、もう少し我慢が出来たかも知れない。





「あの方は…何か…おっしゃっておられませんでしたか」
王妃は言葉を詰まらせながらオスカルに聞いた。


フェルゼンはいつも別れの言葉もなく去っていく。昨日までそばで微笑んでいた人が、今日突然いなくなる。

アントワネットはまるでもう二度と彼とは会えないような錯覚さえ覚えた。


居なくなってから気が付くというのも因果なものだが、志願兵として危険なところへ旅立ったフェルゼンに、アントワネットはこの上ない尊敬と、彼の深い愛情を感じていた。


彼女には王妃としての立場がある。そしてすでに内親王をもうけ、夫婦としての絆も確認し合った夫、ルイ十六世の体面もある。

フェルゼンを愛しているかもしれない、だなどと言うことはこれまで極力考えないようにしていた。



むしろ彼がそばにいて楽しかったときには、そのような愛などと言うものについて全く考えてはいなかった。

彼が俗に言う、洗練されていると言われるフランス人ではないことに同情し、同じ外国人であることに共感し、王妃の立場で彼を庇護しているつもりだった。


いくら絶対的な権力者であるとは言え、アントワネットは宮廷内で敵対する貴族や民衆から、いつまで経ってもオーストリア人と言われ続けていた。

彼女は流行の先端となり、貴婦人たちの羨望のまなざしを集め、貴族や群衆にかしずかれて来たにもかかわらずやはり外国人なのであった。


人の輪の中心になることも得意で、多くの取り巻きに囲まれても来たが、彼女は複雑な人間関係が渦巻く宮廷において綿密に考え、先を読んで行動することは性格的に苦手だ。


天性の勘で、敵意を持つ者を素早く察知する一方で、特に友好的に接してくる者に対しては大らかで、たとえその腹の内がどうあれ受け入れてきた。


場合によっては、取り巻きの宮廷貴族が王妃にさりげなく有ること無いことを耳打ちし、大臣を失脚させたり、あるいは身内を取り立ててもらったりと、王妃をいいように利用している事もある。


よって、古くからのたたき上げの貴族からは、やはり王妃はフランス人ではないし、洗練されていないと陰口をたたいている。

それでなくともただでさえ、過去の権力を取り戻したい貴族は王室に反抗的だ。


だが、アントワネット自身も嫁いできたときから、フランスに染まりきろうとは思ってはいなかった。


自由に過ごしてきたオーストリアと違い、フランスの宮廷は堅苦しい形式やしきたりばかりでうんざりしていたし、彼女がフランス以外の世界で生きてきた外国人であることによって、かえってフランスという国を客観的に見つめることが出来た。


アントワネットは真の優雅さや威厳というものは、フランスの洗練された宮廷とは別の次元のことであると信じていたのだ。

それにそもそも、陰で事を運び陰謀をたくらむことなど、あっけらかんとした彼女の性に元々合わない。

どちらかと言えば、周囲の方こそ自分に合わすべきだとさえ思っている。


だが、彼女の態度は圧倒的に数の多い宮廷貴族からすれば、自分たちの存在を無視する行為と受け止められていた。

彼女と貴族たちの間の溝は埋まるはずもなく、敵意は攻撃に変わり、王妃を批判するビラがばらまかれ、王室の権力を弱めるための陰謀がたくらまれる。



かつて母から、嫁いだ国のしきたりをちゃんと守るようにと諭された真の意味をよく考えもせず、彼女はかたくななまでに自分のペースを守り通しているのだ。



そんなふうに自分らしさを通してきたことで、今までそれとなくくやしい思いをしてきたアントワネットにとって、フェルゼンは心許せる存在であり、かけがえのない同士でもあった。


皮肉にも、王妃に惹かれていたフェルゼンが想いを断ち切ろうとし、全ての情熱を戦場へ持って行った事によって、アントワネットはようやくフェルゼンの存在の大きさを思い知らされていた。

彼が居なくなったことで、アントワネットははじめて自分から、彼に対する強い愛情を抱いたのである。




彼が去った後のこのむなしさときたらどうだろう。

まして、戦地に行ったとなると生きて再び会えるかどうかわからない。
そんな王妃の嘆きを誰も知らないし、知られてもいけない。



ただ、オスカルだけは言わずとも心の内を知っていることだろうと、王妃は確信している。



「フェルゼンは王后陛下に対する自身の気持ちを示すためにアメリカへ渡りました。彼はアントワネット様のお幸せを何より願っております」
そう言うオスカルも悲壮な気持ちで、思わず涙がこぼれそうになった。


王妃が孤独であるのと同様、オスカルの気持ちを知るものは誰もいない。

ただ一人、知る者がいるとすれば彼女の召使の男だけであるが、彼も又、オスカルの苦しみを知りつつ、片恋の思いを胸に秘めたまま沈黙している。



「あの方はもしや命を投げ出そうなどと思ってアメリカに行かれたのではないですよね、オスカル」
アントワネットは涙を拭い、同意を求めるようにオスカルの手を取った。


その時、オスカルはフェルゼンの力強い声をまざまざと思い出していた。


「いえ、王妃様。彼は必ず帰ってくると約束いたしました。フェルゼンは律儀な男でございます。ですから、待ちましょう。その日が来るまで」
オスカルは自分にも言い聞かせるように言った。





**********





フェルゼンが去って間もなく、アントワネットはめでたく懐妊した。


それを薄情などと言うのは人の勝手である。
アントワネットは思い詰めて立ち止まるよりは、何か新しい希望に目を向けようとする力を持っている。


又、成婚当時、周囲をハラハラさせた国王夫妻は、今では互いに相手をいたわり、個性を尊重する間柄になっている。

何事にも楽しみを見つけてはしゃぐ妻を見て、国王は明るい気持ちにさせられていたし、アントワネットも又、書斎にこもって静かに過ごす夫について、自分の世界を持つ穏やかな人柄であると尊敬していた。

内気で自分の感情を出すのが苦手、その上、遊びも下手で引っ込み思案な彼を、嫁いできた頃は頼りないと感じ、何かあると八つ当たりさえしてきた。

しかし、夫はそれでもアントワネットに愛想を尽かすこともなく大切にしてくれている。

それだけではなく、夫はマリー・テレーズもかわいがり、家族を大事に守ってくれており、王妃という身分が彼のおかげで安泰であることにも感謝していた。


あけほど悲しみに打ちひしがれていた王妃だが、胎内に宿る新しい命に自然と心が向き、寂しさも半減していたのである。



「王太子を産むことは私の義務です。そして王たる者が、どう振る舞い、どう生きるかを教え伝えるのも私の仕事です」

偉大な女帝の娘として生まれ、絶対王制のフランスに嫁ぎ、今や権力を手中に収めたアントワネットは自信を持って言い切る。

それは決して国家予算を浪費したり、遊びに夢中になる少女のような王妃とは別の、母の顔である。



オスカルはどれほどの誹謗中傷にも負けず、毅然とするアントワネットの精神力を非常に強いものと認めている。

王家という選ばれた血筋に生まれ、威厳と誇りを持って生きる定めを自らに宿命づけた女王の生き様をアントワネットは知らす知らずのうちに身につけているのだった。




次こそお世継ぎでは、といううわさで宮廷に活気が出る反面、国王の弟であるプロヴァンス伯やアルトア伯は、又、内親王殿下ではあるまいかと逆のうわさを流しにかかる。


パレ・ロワイアルでは相変わらずお騒がせな男、オルレアン公が指を折って満ちる月を数え、よもやフェルゼンの子供ではないかと疑いをかけている。



そして困ったことに、つわりと称してアントワネットがますますプチ・トリアノンにこもりがちになり、お気に入りの貴族ばかりと戯れ、ベルサイユ宮殿に伺候する貴族たちから遠ざかろうとしていた。


オスカルは王妃の気持ちも知りつつ、ベルサイユ宮殿に詰めかけた貴族の対応に追われていた。

たいていは不服そうな面持ちで帰っていくのだが、中には待たされたあげく追い払われた者同士で憂さ晴らしに喧嘩をはじめる者もいる。

時には礼儀をわきまえずに悪態をついたり大声を出す。



「恐れ多くも国王陛下のおわす宮殿を何と心得るか」

異変に駆け付けたオスカルは、その程度によってにらみを効かしたり、部下と共に宮殿の外へつまみ出したりと、少しばかり気の重い任務になっていた。


それだけではなく、アントワネットが留守ばかりしているせいで、ベルサイユ宮殿に伺候する貴族たちはもちろん、せっかくの忠義心を持てあました廷臣や召使いたちの心が、次第に王妃から離れはじめているのは明らかだった。



さまざまな変化はそれだけではない。



国王の妹に当たるエリザベート内親王は、近頃では兄が子供に構ってばかりでちっとも相手をしてもらえず、寂しい思いをしていた。

それに性格的に堅実で物静かな彼女はアントワネットとあまり接点がない。

幸い、敬虔な信仰を持つエリザベートと、社交的で深く物事を考えることが嫌いなアントワネットの間に親交はあまりないものの、距離を置いてつきあっているせいか仲たがいすることもない。


エリザベートはまさに宮殿の太陽のようなアントワネットの光にかすみ、貴族たちも彼女を相手にしてこなかった。

ルイ十六世も政治的に彼女を利用しようとしなかったこともあり、彼女は他の国からも輿入れの引き合いはなく、本人も特に希望しなかったことから、今まで独身で過ごしてきた。


ただ、国王は兄として妹の生活に責任を感じており、アントワネットに「私たちの妹の幸せを共に考えよう」と持ちかけ、世話好きな王妃の心を刺激した。


ちょうどアントワネットの友人でもあるド・ゲメネ夫人がお金に困り、パリの東外れにあるモントルイユの城を王が買い取ることになっていた。

ド・ゲメネ夫人はエリザベートが幼いときに家庭教師をしており、彼女は幼いときこの城へ遊びに行っていたという。


アントワネットは楽しい計画を実行するようにエリザベートを誘ってこの城に連れて行き、その場で義妹にプレゼントをするという粋な計らいをした。


エリザベートは兄夫婦に感謝し、この時こそ神様が私にお与えになった機会と奮い立ち、モントルイユの城に定着し、貧しい人たちの援助と慈善事業に乗り出した。
彼女もやっと心休まる定住の地を見いだしたのである。




「私はモントルイユの城をとても気に入っています。菜園、酪農、慈善事業、私を忙しくする仕事はたくさんあります。ここでは私を必要としてくれる人々がいて、充実した日々を送っています」

時折、エリザベートの護衛に付いたオスカルは、生き生きとした彼女の話を耳にしていた。

本当に彼女は居心地が良いらしく、夜と式典の時はベルサイユにいるようにとルイ十六世に言われた以外は、ほとんどの時間をモントルイユで過ごしている。




率先して人の世話を焼くのはアントワネットの良いところだが、反対に独断で物事を運ぼうとする事もある。

ついに彼女はネッケルを辞職に追い込んだのである。



アメリカ独立戦争に派兵したことにより、財政の悪化はネッケルの予想をはるかに超えていた。
そもそも国王と諸大臣の間で話がかみ合わず、参戦の規模について方針があれこれと変わり、ネッケルも計画的に国家予算を組むことが困難な状態にあった。


彼も貴族から税金を取ることが一番手っ取り早いことは知っている。

だが予想するだけでも貴族の反発は必至であった。

それに税金という言葉に敏感なのはむしろ一般市民の方である。ネッケルは税に苦しむ平民へも配慮し、増税を出来るだけしない方針をとっていた。


しかし余計な摩擦を避け、貴族への課税は考えず、何とか改革をして行こうとした彼の改革は戦争にかかる莫大な経費のために頓挫しようとしていた。


彼はフランス政府がいかにも信用があると見せかけ、時には収支報告書を偽造してまで借りられる限りのお金を集め、財政に活力をもたらそうとした事が結局、最終的には赤字が増えただけに留まり、その責任が全て自分の肩にかかってきたのである。


莫大な借金の後は、倹約しかない。


貴族の年金を減らし、無駄な職務を整理し、特権を制限することを決めたのだが、財産の目減りを少しでも抑えたい貴族は彼を拒絶し、最近ではあからさまに無能扱いし始めている。


「この国の貴族どもは何を考えているのだろうか。自分たちの国が破産寸前に追いつめられていると言うのに、いまだもって自分たちの特権を守ることだけに終始している」
ネッケルも負けてはおらず、貴族たちの年俸を会計報告書にしたため、財務総監を辞任した。

彼も又、貴族たちには不信感を募らせていたのだ。


これは元々、健全な財政をアピールするための報告書なのだが、特権階級による国庫独占の額面が暴露してあり、やがて一般市民の目にも触れることになり、民衆は不公平を怒り、パリでは大騒ぎとなった。


おかげでネッケルは今までよりも民衆からの人気が高まったが、悪者にされた貴族たちも黙って指をくわえてみていたわけではない。

民衆の要望で彼が復帰してこないよう、出来るだけへこませる必要がある。



彼らはネッケルの信用を地に落とそうと、アントワネットにあれこれと吹聴したのだ。
「彼は王室の予算をもっと減らすつもりでございましたぞ」

そう一言、言うだけで王妃が動くのを誰でも知っていたからだ。
結局、ネッケルは失脚し、パリの館に閉じこもった。




財政を救うためにネッケルの解雇が最良の選択だったかどうかという問題はこの際、関係ない。

要はアントワネットが国王よりも前に出て、政治を我が物顔で操っていると誰からも決めつけられることだ。

「王后陛下は今、とても大切なお体でございます。決定事は是非、国王陛下にお任せ下さい」
オスカルの懇願の真意はアントワネットに届いたかどうかは不明である。





さて、失意のオスカルが少しでも明るく過ごせるようにと、アンドレはパリへ行く用事にオスカルを誘った。

彼はフォーブル・サンタントワーヌ地区にある家具工房に簡単な椅子の修理を頼むつもりなのだが、オスカルにしても久しぶりにパレ・ロワイアルの花屋でパリの動向を聞いてみたいと思っている。

ちょうどよいと言うことになり、さっそくアンドレは馬車を用意した。



オスカルは見たところ、普通に振る舞っているし、軍務もきちんとこなしいてる。

規則正しく宮殿に伺候し、アントワネットの予定を把握し、自ら護衛として付く場合は前もって待機しておく。

全て、これまで通りと変わらない。

今日もパリへ行く道中も他愛ない話で笑っている。




だが、アンドレにはオスカルの落胆はわかりきっていた。

屋敷にいても時折、遠いところに彼女の魂が行ってしまっているような場面に何度となく遭遇していたし、切ない目をアンドレに向けるとき、どこか助けを求めているような錯覚すら覚える。

彼女なりに苦しみを独りで持てあましているのはわかるのだが、よもやフェルゼンに恋しているのかと、彼から聞くことはない。


アンドレとしては、フェルゼンが遠くへ去ったことである意味ほっとしていた。

戦場とはいえ、将校であるフェルゼンがそう簡単に最前線に出るとは考えられなかった。

遠く離れた危険な場所であることには変わりはないが、フェルゼンが生きて帰ってくることは高い確率で予想できる。

もし戦争でなければ彼自身も一度は新天地アメリカに行ってみたいとさえ思う。


しかし反面、フェルゼンが遠く離れたことで、かえってオスカルの気持ちがいっそう彼に傾いてしまったことに対してどうしようもなく自分の無力を感じていた。



いずれにしても、オスカルが自分の中だけで悩みを抱えている以上、彼女の傷心を受け止め、立ち直るための手助けをする方法はどこにも無いのである。

ただ彼としては、いつものように明るく振る舞い、彼女の心を常にわかろうと努力し、彼女が再び心から笑えることが出来るように見守るだけである。
アンドレも本心はつらいのである。



パリのパレ・ロワイアルにあるモーリスの花屋では、いつものように売り子のロザリーが忙しそうに働き、彼女の気を惹こうと新聞記者のベルナールが花を買い求めに来ている。


アンドレは家具工房へ行く前に、屋敷に飾る花を選ぶために花屋に立ち寄っていた。


そこでオスカルはモーリスから、以前の財務総監であるテュルゴーが少し前に亡くなったことを耳にした。


「最後の最後まで戦争には反対なさっておられたそうでございます。ついこの間まではお元気でしたので、このようなことになるなどと思いもよりませんでした」
モーリスは何度となくテュルゴーと話をしていたので彼の死を残念がっていた。


「彼は他に何か言っていたのか」


「はあ。何でも、自分が戦争に反対しているのは多くの人命が失われるからばかりではない。戦争を続けるために他の全てが犠牲になることだ、とおっしゃっていました」
そんなものなのかとモーリスは聞き流してしまったらしいのだが、今も強く耳に残っているという。


「大臣をなさっているときは厳しいお方と伺っていたのですが、私の知っている限りでは柔和な方でございまして、何と言いますが、時々、未来が見えるんじゃないかと思われるお方でした」


オスカルもまた不運な改革に失脚したテュルゴーのことは印象に深く、彼の予言めいた言葉は今も忘れられない。

国王に対して、「いつか首を絞めることになる」などという、冗談にしても怖ろしい発言だ。




だがこの時、あと十年足らずで世の中が激変し、国王が処刑されてフランスが共和国となるなどとオスカルは夢にも思っていない。

又、共和国となったフランスが徴兵制度を国民に義務づけ、諸外国を相手に果てしない戦争へと突入していくことを、そしてそのために恐怖政治が行われることも、この時点で想像しろと言うほうが無理である。




2005/7/21/


後書き:ネッケルが失脚したことなんですが、もしこのまま彼が財務総監でいたなら、革命はもっとおだやかなものだったかも知れない、という見方もあります。

とは言うものの、終わったことへの仮定はどうあがいても覆ることはないですけれど、歴史の選択肢はある意味、人生の選択に似て、賭けみたいなもんなんでしょうか。


「外国人でしかも新教徒だったので、ネッケルは財務総監という肩書きをもらうことはできなかったが、実際には財務総監と同じ権力をふるっていた」・・・カッコ内(株)現代書館FOR BEGINNERS シリーズフランス革命・・・より引用。

なのですが、こんがらがりそうなのでここでは「財務総監」に統一してます。


それとたびたび出てくるパレ・ロワイアルのお店ですが、資料によって違うかも知れないけれど、実際はオルレアン公がパレ・ロワイアルを開放して商業施設にしたのは1782年からです。すでに大ウソついてます…。事後報告(^_^;)



2005/8/12/up


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