アンドレの独り言



 アンドレはオスカルの用事で、パリの仕立て屋に来ていた。
彼女の軍服を新調するために、今日は採寸と生地を見に来ていたのだ。
この間、高利貸がテロの標的になり、たまたまそこでヤマを張っていたオスカルは爆破事件に巻き込まれてしまった。幸いケガはなかったものの服をボロボロにしてしまったのだ。
それに、そろそろ軍服を一着新調しておかないと、あとがない。


 だがアンドレはオスカルが服を脱いで採寸するのに立ち会うわけではなく、ただ単に、馬車で待っているだけのお供であった。衛兵隊の休暇はオスカルの屋敷に帰っているので、休暇中は自動的に彼女の従僕になる。

つまり、アンドレには休暇がないようなものなのだ。

だが、オスカル一筋のアンドレにとっては、世界は全てオスカル中心に動いていたので、休暇であろうが、何であろうが、へこへことお供に付いて来た。
女もそこまで想われたら、そらぁ〜ええやろなと思うが、不幸なことにたいていそういう場合、想われている当の本人は気が付いていない。
愛とはただ、奉仕あるのみ。報われぬものである。


 俺って、一体なんなんだろうな……。アンドレはふと思った。
オスカルの為に働き、オスカルの為に盾になり、身を粉にして生きて来た。
悔いこそなかったが、本当に俺の人生の大部分は、オスカルに捧げていることになる。……でも、捧げてもいいくらい、オスカルはいい女だった。デレ〜ッ。


 意外と誰も知らないが、アンドレにもそれなりの趣味があった。
ルネッサンスの絵画鑑賞や、けっこう小難しいドイツ文学を読むのも好きだ。
実は料理にも凝っている。家事なら何をやってもテキパキこなせるし、自慢じゃないがオスカルよりも上手いはずだ。
もし結婚したら、オスカルにはこのまま衛兵隊で働いてもらって、俺は主夫をやってもいいな、と思うこともある。どうせ稼ぎはオスカルの方が上だし、その方が合理的かも知れない。意地を張ってまで絶対女は家にいろと言うタイプでもないし、尽くすのにはもう慣れているのだ。


 そうそう、それから歴史も好きだし、文章を書くのも好きだ。今、揺れているフランスの、特に王政批判や、民衆の行動など、心に残ることは書き留めることにしている。
それが何になるかはわからない。ただ、動乱の世に生きた者の証しとして、何かを残したかったのかも知れない。平民として生まれ、身分が低いというだけで、これまで何度もやり場のないいきどおりを味わってきた。
神の前に人は全て平等であるはずなのに、それとは全く相反してきた今までの身分制度の行き詰まりを、この目で最後まで見届けようと思っていた。


 仕立て屋の玄関に馬車を着け、そんなどうでもいい事を考えたりしてぼんやりしていたアンドレは、そこの玄関に美しいバラが咲いているのに気が付いた。

バラの木は、苔むした石積の壁に沿うようにして生えている。土の少ない、どちらかと言えば環境の余り良くない、陽もあまり当たらない所で、必死に天を仰いでいるけなげな姿だ。
白い花が一輪、誇らしげに咲いている。


オスカルのようだな……と思った。


どんな時にもどんな所でも、前を向き決して振り返らず、なおかつ清らかな心を持ち続けている彼女の姿を見るようだった。


 だがアンドレは、イメージ的に清らかな物や、りんとした物を見ると、何でもかんでもオスカルのようだと思ってしまう傾向がある。そしてそのような物とオスカルの類似点を見つけては、思わずウルウルしてしまうのだ。恋する者のサガとは言え、ほとんどビーョキと言えよう。


 そうこうしているうちにオスカルが用を済まして店から出て来た。
「待たせたな、アンドレ」
「いや、早かったじゃないか」
アンドレはそうとう退屈していたが、オスカルの前で《アホほど》待ったとも言えず(怒ると怖いし……)、いつものように適当に返事した。


「そうか、良かった。じゃあ、屋敷へ帰ろう」
オスカルはアンドレが待ちくたびれていないようなので安心した。いつもの事だが彼には無理を言っている。
そのうち怒りだすのではないかとも思うが、彼は気が長いのか一向に爆発しない。
アンドレはきっとボーッとしている人種なのだ。私のように気を使って胃が痛くなるなんてないのだろうな……。
マイペースなアンドレがうらやましい、とオスカルは思った。



「ところで新しい軍服はいつ出来るんだ?」
「来週の中頃だ。出来上がったら仕立て屋が屋敷まで届けてくれることになっている」
「やはり楽しみだろうな、新しい服は」
「……そうでもない」
オスカルは馬車の窓に目をやった。裏通りには食べ物にもありつけない人々が、命の危機にさらされている。


「こんなもの……着なくてよい平和な時代が来ればいいのに。それに私は恵まれた身分に生まれたから当たり前のように贅沢をしてきたが、民衆は飢え、すぐにでも暴動が起こりそうだ。のんびりと軍服を新調していていいのかなと思う」

「もし、暴動が起こって、お前が鎮圧を命じられたら、……お前は民衆に銃を向けるのか?」
アンドレは鋭いところを突いた。

「私は、なんとしてでも流血は避けたい。王家が国民に銃を向けるなどという事態にならぬようにと。それが今の私の願いだ」


 だが、アンドレにはわかっていた。オスカルが民衆に銃を向けることは決してないと。長年、そばにいて感じるのは、オスカルが心から平和を望んでおり、王家だけではなく、民衆をも含めてのフランスというこの国を愛しているということだ。彼女はその為には命すら投げ出す覚悟をしているはずだ。


彼女は女ながら武人として育てられたので、自分の正しいと信ずるものの為には命がけの戦いをも辞さないという強い信念を持っている。


 だが、オスカルの本当の幸せとは一体何なのだろうか。信念の為に命をかけ、矢弾の中を駆け抜ける事か?

女ながらそこまで自分を犠牲にして、ひたすら弱い立場の民衆をかばおうとしている彼女のひたむきな生きざまは、血を流しながら歩むイバラの道にも似て、アンドレは悲壮感すら感じる時がある。

男ですらそこまでの情熱を燃やせる者は少ない。ましてや、女というだけで周囲からの反発もあったはずだ。それに女であればこそ、時には誰かに守ってもらいたいと熱望する心を、ひそかに耐えたこともあっただろう。


 おお、オスカルはさながら白いバラの冠を戴き、宝石をちりばめた聖剣を片手に、雄々しいペガサスの背にまたがり天に昇る美しい女戦士だ。
アンドレはどっぷりと自分の世界にはまってしまっていた。



 ふと、我に返ると、オスカルは意外なことを言っていた。「私も普通に女として育っていたら、姉上たちのように幼くして嫁いでいたのだろうが、それはそれなりにやっていたかも知れないな」
オスカルはぼんやりしているアンドレに語りかけるというより、ほぼ独り言のようにつぶやいていた。

「以前、ドレスを着たとき、こんな物は二度と着ないぞと思ったが、ドレスが似合う自分もまんざら嫌いじゃないと思ったのも事実だ」
オスカルの言うことはいつも小難しい。きっと血液型は典型的なA型だろうな。

が、よくよく聞いていると、《私も一応は女なのだから、ドレスを着るのは嬉しい》と言っているらしい。



《えっ、そんなものなのか?!》


確かにドレスを着たオスカルはきれいし、ずっと眺めていたいほどだ。だが普段のままの男の格好も体の線がバッチリ出て、なかなか捨て難い。
それに第一、服より中身だぜ、中身。

どうせ、《目的は〜ひとつ〜》なのに、服なんかどうでもいい。
女なんてやたら見た目に捕らわれがちだか、そこが女の女たる由縁だな。
男にとってドレスであろうが軍服であろうが関係ない。要はそれを脱がせやすいかどうかが問題なのだ。


 おあずけ状態が長い間続いているアンドレにとっては、よからぬ想像が膨らむばかりで、今は服より何よりとにかく「中身」が第一なのだ。
ドレスがどうした!そんなもん、どうでもいいぜ、とアンドレはオスカルに忠告したかった。
(言えばきっと怒るので言わないが……)

オスカルは相変わらず憂いを帯びた表情で窓の外を見ている。
…よもやアンドレがそのような事を延々と考えているとは知らずに……。



 このように男と女ではそうとう考え方が違うし、お互い相手の立場に立って物を考えるなんて絶対無理なのだ。
全くちがう思惑の二人を乗せて、馬車は屋敷へと帰って行くのであった。        


おわり


書いた時期:1997年頃


up2004/12/

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