−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-にぎやかな天使-



ジャルジェ家に女ばかり六人も娘がいれば、たとえ嫁に出したとしても、何かと折に触れて里に帰ってくる。

母のジャルジェ夫人も一人二人と娘を嫁に出し、最後のオスカルを除いて全て片づけてしまうと急に寂しくなったのだが、今度は出ていった娘たちが孫を連れて帰ってくるのを楽しみに、暖かく迎えていた。


滞在中、台風のようににぎやかな孫たちが、引き上げてしまう時はさすがに寂しくなるが、またすぐ次に別の娘がひょっこりと帰ってくる。
思ったほどに屋敷の中は寂しくならないものだった。




オスカルもまた、子どもの相手は苦にならないのか、特に男の子を相手に剣のけいこや勉強などを時間の空いたときに教えていた。

女の子たちも、小さくても貴婦人として扱ってくれるオスカルをすっかり理想の王子様扱いし、何かと理由を付けてそばに寄ってくる。



他の娘たちと同じように普通に育てていたとしたら彼女も今頃はどこかへ嫁ぎ、こうやって孫を連れて帰っていたのだろうと、ジャルジェ夫人は孫たちを膝に抱いては、ふとオスカルの行く末を物思う。

幸い、彼女は子どものことは嫌いではなさそうだし、どちらかと言えば子どもたちに慕われている。
母親になれば、どれほど心優しい貴婦人になるのだろうかと考えるだけでわくわくする。


思い返せばオスカルが生まれた時、頑固な夫が彼女を男として育てると言いだし、無駄と知りつつ反対して口論になったものだ。

時は瞬く間に過ぎて彼女も一人前になって独り立ちし、宮廷の中で立ち回り、自分なりに進む道を見つけている。

いまだ世の中では女性の権利は認められておらず、女とは子供を産む道具と公言する者もいる中で、オスカルの出世は異例中の異例だ。

その陰で彼女が様々な努力を積み重ね、いっぱしの男性よりも高い水準に昇っていったのは母にとって自慢すべきことなのは言うまでもないが、やはり男ではないのだから、男性主体の組織の中に居続けると、どこかでひずみが出てこないかと心配もしている。


特にあれほど野外の訓練や式典をこなしても、疲れも見せない体力・気力にも感心するが、日に焼けてもすぐ元に戻ってしまうオスカルの白い肌の美しさは、我が子ながら不思議に感じている。

初めから女に育てていたら、ばあやが常々言うように、六人姉妹の中で一番美しいというのもうなずける。


しかし女であれば幸せな結婚をと願いつつ、本人にその気がないのであれば、娘を他所にやらずにそばで常に見守ることが出来るのは夫人としても有る意味、いつまでも親でいられる喜びもある。

まして今となっては自分の意志で軍人への道を歩んでいる娘に、やっぱり家庭に入れだなどと再び親のエゴを押しつけるのは身勝手というものだ。
もし又、オスカル自身が女性として生きたいと言いださない限り、今のままの彼女を見守っていくつもりだ。


もしかしたら、夫もジャルジェ家には跡取りが必要なのだからとかたくなになっていたが、実のところは子どもの内、一人ぐらいは一生手元に置きたかったのかもしれないと思う。

だからといって、これで良いのかという自問は常に心の中にあり、夫人は複雑な心境でいた。





**********





冬の朝は特に寒い。

ジャルジェ家ではばあやが気を利かせて、毎朝オスカルの部屋へお湯を届けに来る。

顔を洗う水が冷たいとお嬢様がかわいそうだと言うのだが、当の本人は冷たい水のほうが一気に目が覚めて気持ちいいなどと言っている。


仕方ないので、彼女はせっかくのばあやのお湯を桶に入れ、両足をしばしお湯につけて体を温めるために使っている。

特に毎月の決まった時期、彼女も女として不快な時期がある。
外気が冷え込み、足下が冷たくなると体にも響いてくる。

このような時にはお湯が重宝する。


鏡に顔を写してもこの時ばかりは少しむくみ、どうにも精鋭に欠ける。

なぜ女にはこのような面倒があるのだろうと常々思うのだが、いっその事、男に生まれていればという考えがどうしても頭をもたげてくる。


確かに軍の職務については厳しい反面、実力を認められることで自分に自信がつき、やりがいもある。

今のところ、自分に合っているとさえ自信を持って言える。

士官学校に入ってからこっち、廻りを見渡しても男ばかりに囲まれていたが、特に違和感はなかった。

彼らとの会話にしても訓練にしてもごく自然にこなしていたし、反面、日常の些細なことをとりとめもなく話し合う女性たちの輪にはどうしても入れなかった。

それに女たちはすぐに「そんな事らしい」とか「もし?だったら?」などど、不確定な話をうわさしたり、いきなり現実から離れた仮定の話で男たちを困らせている。


彼女らは世の中の理不尽な出来事をおしゃべりで整理し、頭の中のモヤモヤを口に出し合って発散しているのでしょうと母から聞かされたが、オスカルにすれば時間の無駄としか考えられない。


女に生まれたのに男として生きろと言われたり、ある時は本当は男ではないと言われ、彼女が子どもの頃は、自分が女の体であることに反発を感じ、母に「どうして私を女にお産みになったのでございますか」と泣きついたこともある。

彼女は自分の立場が誰にも理解されない孤独なものだとわからないまま、混乱していたのだ。


両親も、うすうすどこかの年代で彼女が迷路に迷い込むことは覚悟していた。

しかし父にすれば、人というものは全て孤独なものであり、誰にも理解されぬ孤独をバネに、たくましくなっていくものだと信じ、オスカルに対して、全てのことは自分に厳しくすれば解決するものだと突き放した。

一方、母からは、自分の生まれ持った性を大事にすることは、あなた自身を大事にすることなのですよと言われ、ひいては、弱さをごまかしたり嫌な一面から逃げたりせずに、余裕を持って自分を見つめるようにと教えられた。



もちろん、彼女なりに性というものについて色々と考えてきた。

言われてみると自分が男らしい性格なのか女らしい性格なのかは実のところよくわからない。
人の性格をたった二つに分けられるはずもない。

オスカルには女性の親友はいなかったが、男として育ったからと言って女性に恋心を抱くこともなかった。

過去にほのかな恋心を男性に対して抱いたような気もするが、その相手が誰だったのか、今はもう記憶も定かではない。


では同じ女性としてアントワネットに対する思いは何なのだろうと考えると、もちろん主君であり、あらゆる意味で誠意を持って仕えようとしている女性ではあるが、同い年であるせいか心のどこかで、オスカル自身が女性として育っていた場合の写し身として見ている部分が少しはあると自覚している。


しかし、士官として日々、自分の成長に喜びを感じているオスカルに、いちいち自分が女だからと気にしている暇はなく、まして恋に落ちるなどという心の隙はなかったのだ。



ばあやは「男に囲まれていると、性格まで男になってしまうのでございますよ」とぼやいている。



「じゃあ、ばあやみたいなのに囲まれていると、オスカルはばあやになっちゃうのかい?」

とアンドレが口をはさむと、ばあやは間髪おかず、持っていた鍋でアンドレの尻を思いっきり叩き、「減らず口をたたいてる間があったら、とっとと庭の雪かきをしておいで」と大声でとなりつける。


何かと尻を叩かれることの多いアンドレだが、これも彼が愛されている証拠なのである。






外に出ると、降り止まぬ雪が屋敷内の馬車道をすっかり覆い尽くし、辺り一面を雪景色にしている。


すでに早朝から召使いや下男たちが雪にまみれ、通路の雪を除ける作業を始めている中へ、アンドレもまた「ヤッホー」と奇声を上げて飛び出していった。





今日はオスカルは窓から見守っているだけだ。

当然、雪かきは召使いの仕事なので、主人である彼女が手伝うわけではない。
昔は子ども同士で雪投げをして遊んだものだが、今はもうそのような遊びはしなくなっている。


ただ、いつもなら厩を見に行ったり、屋敷の被害がないか見回るために外へ出てくるのだが、まれに彼女は行動がおとなしくなる。



アンドレにはその訳は何となくわかっていたが、男として彼女の事情に触れるわけにはいかない。

いつもは何の垣根もなく話し合っているはずの相手なのに、こういう時には自分と彼女は違うものなのだと思い知らされる。

自分の知らない性を生きるオスカルが女として何を考えているかはわからないが、彼としてはやたら張り切って見せて、沈み込む彼女を励まそうとがんばってしまうのだ。




一方のオスカルは窓からアンドレの元気そうな姿を見て、いかにも彼らしいと思わず微笑してしまいつつ、身動きの取れぬ体にいらだつばかりだった。

まれに襲ってくる激しい痛みは例えようもない。

こんな事では、いざ何か非常事態になれば軍務はどうするのだと自分を叱咤していると、だんだんいらだちが腹立ちに変わってくる。



医者に言っても病気ではないので直しようがないと片づけられ、「子どもを産むと直るかも知れませぬ」と無責任な返事が返ってくる。

誰かに相談すると言っても、彼女の立場を理解する相手は誰一人いないし、そもそも、負けん気が強い彼女がわざわざ人に相談する事もない。



しかもたいていのことなら遠慮のないアンドレすら、何か感づいているのだろうが、決してオスカルに対して体調の事は何も言いださない。

誰に聞いたわけでもないが、彼が故意に触れようとしないのはよく解る。

二人の間でお互いに触れない部分は必ず「性」についてのことで、こうなってみれば男と女には深い隔たりがあることをひしひしとオスカルは感じる。





だが、屋敷を我が物顔で走り回る子どもたちは別だ。

いつか嫁に出すために厳しくしつけられる女の子たちとは違い、男の子はのびのびと育てられている。


オスカルにすれば、具合も良くないし人に構うこともできないので、部屋に誰も入るなと言っていても聞く耳は持たない。

軽い足音がそろりと入ってきて、寝込む彼女をのぞき込む。


決して悪気はないのだろう。
耳元で小さな鼻息がフーフーと音を立てて、オスカルを観察しているのが気配でよくわかる。


今、二番目の姉の子どもたちが屋敷に帰って来ているのだが、その中で三男のリュックはまだ小さいながらもなかなかの世話焼きで、言葉を話すのが早い男の子だった。

かわいらしい声をしているので「天使のようね」とジャルジェ夫人もこの男の子を気に入っている。



多分、オスカルの具合が良くないと聞いて、様子を見に来たのだろう。

こちらとしてはどうしても治まらない腹痛のために脂汗を流して寝込んでいるので、この時ばかりはいつもの天使もうっとうしく、早く出ていってくれないものかと息をひそめている。




だがその時、子どもは彼女の枕元で突然、大きな声で叫んだ。





「おちゅかる、ガンバレ!ガンバるんだ、おちゅかる!」





思わずオスカルはガバッと半身を起こし、リュックを振り返る。

すると子どもは手を腰に当てて足を踏ん張り、オスカルにエールを送っていた。

「おちゅ…………」


どこでそのようなポーズを教えられたのかは知らないが、あまりの純粋な励ましに彼女の痛みは一瞬、遠のいた。

つい笑いがこみ上げて抱きしめようかと思ったほどだが、オスカルがあまりにも驚き、痛みのためによほど険しい顔つきになって起きあがったらしい。

リュックは叱られると思ったのか大あわてで逃げ出してしまった。





アンドレでさえ遠慮をし、誰も踏み込まないところに、なんの躊躇もなく平気で入ってくる子ども。

その素直な心にオスカルは暖かいものを感じ、一人取り残された部屋でリュックの姿を思い起こし、おかしさのあまり笑い続けていた。

そして痛むお腹を押さえては「子どもって良いものだな」と不意に独り言をつぶやいていた。





オスカルに遊んでもらえないリュックは仕方なく、今度は祖母のジャルジェ夫人の膝に陣取り、楽しいお話をして欲しいとせがんでいた。

こうやって孫を膝に乗せると、オスカルを同じようにしていたのがついこの間のように思い出される。


それに子どもの暖かい体を抱いていると、この上なく安心する。

「親って良いものよ」

彼女は誰に言うでもなくつぶやいていた。





折しも雪かきを終えたアンドレたちが、暖かい飲み物を欲しいと口々に言いながら、玄関でにぎやかに騒いでいる冬の午後であった。




2005/6/20/


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