−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-嬉しい知らせ-



1778年が明け、この年の2月には米仏友好通商条約が成立し、フランスの世論はアメリカ独立戦争参戦に向けて沸き立っていた。


その最中、アントワネットは全く別のことに夢中になっていた。


今日はポリニャック夫人と大切な約束をしている。

王妃はプチ・トリアノンに隣接して小劇場を建てたいと計画しているのだが、どのあたりに建てるか、又はどのような建物にするのか、あれこれ知恵を借りようと建築家を呼んで相談する予定にしていたのだ。

だが、この日はなぜか胃がむかむかして起きあがれない。

体に悪いものを食べた記憶もないのに、体の中心が引きつり、吐き気がして力が出ない。
ベッドから起きあがることも出来ないまま、寝室係の女官にポリニャック夫人を呼ぶよう指示し、全ての公務は休むことにした。


ポリニャック夫人はすぐに駆け付け、アントワネットの様子を見るなり「おめでとうございます」と満面の笑顔を浮かべた。

すぐに医者が呼ばれ、お目出たいニュースは瞬く間に宮廷に広まっていった。





パレ・ロワイアルでは苦虫をかみつぶしたようなオルレアン公が立ちつくし、王妃ご懐妊の知らせに力が抜け、今すぐにでも発行しようと手元に置いていた「国王夫妻には世継ぎが出来ない」というパンフレットを怒りにまかせて暖炉にぶち込んでいた。



又はプロヴァンス伯とアルトワ伯、これら王の二人の弟たちも、これで自分たちには王位継承権がほぼ絶望になったと肩を落とし、人生でこれまでにない失望感を味わっていた。



オスカルは我がことのように喜び、さっそくお祝いに馳せ参じ、アントワネットの健康と王室のこれからの益々の発展を祈る旨、申し述べた。





「これでしばらく遊びは中止です」

アントワネットはつわりのために少しやつれていたが、ごく短い時間だけ謁見しており、オスカルのように心から喜んでくれる廷臣に言葉をかけていた。


「おかげで私はとても品行方正な王妃になれそうですよ、オスカル。あなたもそうおっしゃりたいのではないですか」
アントワネットは茶目っ気ある言い方で、隣の王座に座る満足げな国王に目配せした。



「とんでもございません」
オスカルはただ苦笑してひざまずくだけだった。





ジャルジェ家では父である将軍が、今夜は召使いまで全て含めてお祝いすると張り切り、ばあやが腰を抜かすほどのごちそうを用意するよう命じていた。

「まだはっきりとわかったわけではないですよ」とジャルジェ夫人が言ったのだが、気の早い将軍やばあやはすでに聞いていない。


「それにしても、あやかりたいものでございますよ。うちのお嬢様も」
ばあやは又いつもの愚痴を言い始める。

ジャルジェ夫人はいつものことで、ほのかに笑いつつ黙って聞いていた。

いつかオスカルがアントワネットのようにドレスをまとい、たくさんの子供に囲まれて過ごすことが出来るようにと、ばあやが密かに屋敷の中の空いている部屋にドレスをはじめ、さまざまな輿入れ準備品を並べているのを夫人は黙認している。


子供の頃、オスカルはこの部屋のことで何度も激怒したものだ。

男として育ったせいか、女の格好をする事や、当時、一般的に貴婦人のすることを、オスカルが必要以上に嫌っていた時期がある。
が、難しい年頃を過ぎて大人になってからは、それもばあやなりの愛情なのだと理解している。

今では新しいドレスや嫁入り道具を買いそろえるたびに「又、ばあやの趣味か」とまるで他人事のように言っていた。




折りも折り、ジャルジェ家にもアントワネットと時同じくして、姉の一人がお産のために屋敷へ帰ってきている。

オスカルも姉の大きくなったお腹を見ては、人の命とは不思議なものだと感じ、アントワネット様もこうして母になられるのだろうなと感慨深く見つめていた。


月が満ちて生まれたのは男の子で、ばあやを筆頭に屋敷中の人々は一気ににぎやかになっていた。
ジャルジェ夫人は新しいおむつを用意し、赤ん坊の世話に手慣れた召使いを世話係に選んだ。



そうこうしているうちにアントワネットは安定期に入り、お腹の子供が動き始めてますます母になる喜びにひたっていた。

ようやく初夏に公式発表がなされ、パリも久しぶりの明るい知らせにわき上がった。
待ちに待った明るいニュースに、一度は地に落ちたアントワネットの評判も瞬く間にあがめ奉られる。

特に7月にはフランスがついにイギリスに宣戦布告しており、王妃のご懐妊を受けて、国内は何かと活気づいていた。


もうすぐ父になるルイ十六世も今までになく感情豊かになり、時には若い夫婦が庭園を散歩しつつ、お腹に耳を当てたり仲良く腕を組む場面も見受けられた。


又、この時期から早くも生まれてくる子供の養育係にポリニャック夫人が内定し、ゆるぎない地位をさらに固めていた。

初めての事ばかりで不安になりがちなアントワネットを安心させ、無事に出産を迎えるまでは、絶大な信頼を持つ彼女のサポートなしにはあり得ない。



さすがにこういう事にはオスカルも手も足も出ない。

経験も豊かなポリニャック夫人にアントワネットの世話を任せ、彼女はいつもの通り衛兵隊の隊長として儀式・式典などの任務を果たす。

特に近衛隊は国王の直属軍としての威信がかかっていた。
見た目も重視される彼らの勇壮な行進と華麗な軍服は見る者を惹きつける。


又、彼ら衛兵隊には、陣痛が起きた時にベルサイユ近郊に居住する王侯貴族たちにそれを伝達する役目がある。

オスカルは自らも含めて、近衛の中から抜擢された兵士たちと精鋭部隊を組み、徹底した騎馬訓練も行っている。



その忙しい合間に、ジャルジェ家ではおむつをめぐって論争も起きる。



召使いが出払っていたので、夫人が孫である赤ちゃんのおむつを替えていたのだが、のぞき込んだオスカルに「あなたもやってみますか」と声を掛けたのが事の起こりだった。




「そのようなことは女の仕事でございます。男はおむつ替えなど致しませぬ」
オスカルは軽くあしらった。


「ほほほ、そうですね」
夫人も他意はない、笑ってやりすごす。
ちょっと複雑な思いもあるのだが顔には出さない。


「へぇ、俺ならできるぜ」
口をはさんだのはアンドレだった。


「貴族と平民は違うかも知らないけど、俺ならオムツぐらい換えてやるよ。昔は慈善活動でやったことあるんだ、隣のぼうやのおむつ替え」


「はぁ?」
オスカルは怪訝そうだ。男がやることではないだろう、といわんばかりでアンドレを見る。


「別段、男だからとか女だから、だなんて堅苦しい事じゃないんだ。愛があれば相手に何でもしてあげたいと思うだろ、それだけだよ。で、奥様、よろしければ私に代わって頂けますか」
アンドレは夫人に代わって手際よく赤ん坊のおむつを替えはじめた。


「あら、アンドレはなんでも出来るのね」
夫人もおかしそうだ。


オスカルはただひたすらムラムラと対抗心に燃えていた。

そう言えばアンドレの母親は教会の奉仕活動をしていたらしい。
母親の影響で少年時代の彼に色々な経験があるのは知っていた。


彼女としては男らしさを意識して断ったおむつ替えだが、アンドレが上手にやっているのを見たら対抗意識が湧いてくる。

それに女の仕事を平気でこなすアンドレには、男だ女だなどと肩肘張らない大らかさがあり、ならば余計に「本物の男」には負けたくない。


オスカルはこの場はひとまず引く事にし、「ふうん」と言いながらさも興味なさそうに、二人を残して部屋を出て行った。
ちらりと夫人が目をやったのには気付かずに。




さて、公式発表がなされて間もない8月、アントワネットが陣痛を訴え、王室のしきたりにのっとった形式でお産が始まった。

世継ぎが正当なものであることを証明するために、陣痛が始まったときから王侯貴族が部屋に詰めかけ、誕生の瞬間まで見守るのである。


近衛隊もここ数日、交代で兵士が24時間体勢で待ちかまえており、王妃の陣痛の始まりと共に、立ち会う貴族たちに知らせるために各地へ馬を走らせていく。




やがて民衆が首を長くして待ちかまえていたところに、王女誕生の二十一発の大砲がとどろき、国中は歓喜に包まれていた。

お世継ぎを期待していた分、多少の落胆はあったが、まだまだ王妃は若く、民衆もこれからの希望に期待を託した。



真っ先に帰ってきたオスカルは、ちりぢりに出かけた部下たちが帰ってきて無事に任務を果たした報告を受け、直後に騎馬隊が各国に特使を立てて、王女の誕生を知らせるために出発するのを見守りながら祝いの乾杯をした。

その後も祝いの言葉を交わしあう貴族たちとの浮かれた話に上機嫌でつきあい、ようやく翌日の昼頃に屋敷へ帰り着いた。



するとさっそくアンドレがパリでの祝いの様子を見に行こうとオスカルを誘い、彼女は心地よく疲れた体を押して絶え間なく動きとおした。

パリではお祭り騒ぎのパリでもみくちゃにされ、老若男女が楽しそうに踊る様子に、この国の明るい未来を見るようで、オスカルもようやく実感が湧いてくる。



これを期に恩赦や寄付、気前の良い出来事が続き、特にパリではしばらくの間、お祝いムードが漂っていた。





アントワネットは産後の経過も順調で、すぐに元気を取り戻し、母になった喜びを実感していた。
殊に、小さな手が精一杯の力で指を握りしめてくるとき、命の不思議さを感じないではいられない。


女にはこのような幸せを授かる権利があることをしみじみと感じ、又、国王も王妃としての義務を果たすアントワネットにこれまでにない愛情を注いでいた。

王女はオーストリアの母の名をもらい、マリー・テレーズと名付けられ、無骨な父王の手でぎこちなく抱き上げられていた。




オスカルは何より王室にこのような平和が訪れたことにこれまでにない喜びで胸がいっぱいになっていた。

このたびは内親王ではあったものの、一つの家系はこうやって生まれくる命によって受け継がれていくのだと言うことを間近に見、彼女もまた親と子という血の絆を再確認していたのであった。



**********



いまだ王女誕生の喜びがさめやらぬとある午後、オスカルは、プチ・トリアノンにて貴婦人たちがアントワネットを囲んでお茶会を催しているところに登場し、
「内親王殿下のお姿を拝見致したく参上致しました」と、うやうやしくお辞儀をしつつ、手には軍服とは似つかわしくない木のおもちゃなどを持っている。


不釣り合いな取り合わせも貴婦人方にはたいそう好印象だったらしく、彼女らの賞賛の声を尻目に、オスカルはさっそく隣室のゆりかごで眠るマリー・テレーズと対面していた。



「だっこしてみますか、オスカル」
アントワネットも機嫌が良い。

「あ、いえ。よくお休みになられているようですから、このたびはご遠慮しておきます」
オスカルはのぞき込んではみたものの手を出せないでいる。

まだ首もすわらない赤ん坊は慣れない者にとって、あたかも壊れ物のように感じられるのだろう。



アントワネットは今まで自由に振る舞うオスカルを何度となくうらやましいと思ってきた。

もちろん、身分や特権などの事ではない。それは初めからオスカルなど比べものにならない。
いっそのこと夫という存在がなければいいのにとか、行動にもっと自由があればいいのに、などという自分の不満なところについて、である。


だが、今では夫との情愛も深まり、こうやって母となり、今までの何事にも代え難い喜びに包まれた事により、そういう羨望の気持ちはどこかへ吹き飛んでいってしまった。

むしろもっとたくさん子供が欲しいし、この上なく安定した生活を与えてくれた夫に感謝すらしている。

大変な痛みを伴ったものの、この世に生まれてきてくれた我が子の無垢な表情を見ているだけで、幸せと感謝の気持ちがこみ上げてくる。


確かにオスカルは出世していき、兵士を統率する事は成果も評価もあり、やりがいはあるには違いないが、女としての幸せは又それとは別である。

どちらかというと、女性なのに男として生きるオスカルの事を今では「女としての経験も知らず、気の毒に」とさえ思う。




「子供って良いものですよ、オスカル」
さりげなくアントワネットは言う。


だがオスカルはあまりその意味を深刻には受け止めず、王女の健やかな成長を願い、さらにこのままの平和を願うのみであった。

特に今はただひたすら、近衛隊の戦闘能力や統率力の向上につとめている。
彼女にとっては子供の誕生も自分の身に起こるという意識はなく、自分の能力をいかに生かすかということにやりがいを感じていた。

アントワネットとは違うが、オスカルにとっても、王家の繁栄を見守るという幸せの中にいる。





と、その時、隣室から食器が割れる音と共に貴婦人たちが大騒ぎをはじめた。

どうやらお茶をこぼしてしまったらしい。
「どう致しましょう、大切なカップが」と弱り果てている。

アントワネットは慌てて飛んでいき、「心配なさらないで」と一同に声を掛ける。
一人残されたオスカルの目の前では、マリー・テレーズが騒ぎのために目を覚まし、泣き始めようとしていた。





「申し訳ございません、私の不注意で」
貴婦人方は口々に「悪いのは私です」と言い張り、最後にはアントワネットが笑い出し、一同そろって笑ったところで事は解決した。


ただ、ポリニャック夫人は隣室のマリー・テレーズの事が気にかかっていた。

きっとこの騒ぎで目が覚めたにちがいない。
養育係の彼女のことである。責任ある立場として、たとえ隣室とは言え、常に赤ん坊の動きには耳を澄ませている。


それと同時に、オスカルが泣きじゃくる赤ん坊に手を焼いて、困ったところに登場してやろうと思っていたのである。


だが、一向にマリー・テレーズは泣き出さず、アントワネットたちは代わりのカップとお茶のことできゃあきゃあと盛り上がっている。




“今日は寝覚めのご機嫌が良いのかしら…”
夫人は気がそぞろになっていた。


しばらく様子を見たもののどうにも気になるので腰を上げると、ちょうどオスカルが何事もなかったかのような顔で隣室から出てきて、「そろそろ兵が気になりますので、この辺でおいとま致します」と王妃たちに一礼して去っていった。





「オスカル様はお子様を産んだりしないのかしら」

彼女が帰った後、お茶会では、貴婦人方の他愛ないおしゃべりが花を咲かせていた。

「いやでございますわ、オスカル様はオスカル様。永遠に私のあこがれでございますとも」
「いえいえ、わ・た・く・し、のあこがれです」
彼女たちの話は尽きない。


そしてポリニャック夫人はその間にさりげなくマリー・テレーズのおむつの具合を確かめ、濡れていないことを確認して首をかしげていた。

そろそろ濡れている頃なのにおかしい。


と、彼女はちいさく「あっ」と言った。

ゆりかごの足下に小さくまとめられた濡れたおむつが置いてあったのだ。
手に取ると、ほんのり暖かい。


先ほどの短い時間、あの部屋にはオスカル以外、誰もいなかった。乳母や召使いも追い出していたので、ほぼ間違いない。


「一体、誰が…」
彼女はくるりと丸まったおむつを手にして、首をかしげた。

アントワネットも続いてやってきて、ポリニャック夫人が手に持っている物を見て、はたと気が付いたらしく、二人はきつねにつままれたような顔で見つめ合った。





同じ頃、すっかり影が薄くなったオルレアン公であるが、アントワネットの人気上昇に対抗して、何か人目を引くような功績を挙げようと、アメリカ独立戦争で功績を挙げるラ・ファイエット候に負けじと軍艦に乗りこんでいた。

だが派手に戦闘をしたもののあっけなく敗退し、せっかく英雄になれるチャンスを逃したばかりか人々の失笑を買っていたのである。




2005/5/2/



up 2005/6/17




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