−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定、本質及び情景は、「でっちあげ」です。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-絆-
(きずな)



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1763年 シェーンブルン

春まだ浅いシェーンブルン宮殿のバルコニーでその貴婦人は義妹からの手紙を食い入るように見つめていた。
何度も何度も読み返し、ほっとしたように小さく息を吐く。


手紙にははげましの言葉と、簡単ながら神への賛美が書き添えてある。


「なんと心休まることでしょう」
イザベラは肩の力を抜き、自分がとてもつまらないことでクヨクヨしていたことに思わず苦笑した。


義妹のクリスティーネは年も一つ下で、話がとても合う。

世の中の楽しみを享受し、おおらかに育ったハプスブルク家の子供たちの中でも、クリスティーネは物事を熟考し、尚かつ相手の気持ちを洞察する力がある。

又、彼女はまだ未婚の女性だが、将来を約束した相手がすでにいて、気持ちは落ち着いている。
嫁いで来てからこっち、イザベラは寂しくなりがちな心を彼女にどれほど慰めてもらったかわからない。


早く男の子を産まない私が悪いのだわと、つい自分を責めていたところへ、義妹から最初の子供は女の子の方が育てやすいと言いますから、それは神様が気遣ってそうして下さったのですよと返事が来たところだ。



今日は一歳になる娘、マリア・テレジアの誕生日で、周囲からはそろそろ次のご懐妊はまだかと期待し、彼女はじわじわと重圧を感じ始めている。

ちなみに娘の名は偉大な義母の名をもらったものだ。



イザベラは器量も良く、尚かつ頭脳明晰な女性である。
パルマ公女として厳しくしつけられたが、心優しい女性に育ち、見目もうるわしい。



義母マリア・テレジアと比べると彼女は少しはかない感じがしないでもないが、オーストリアをヨーロッパの列強国へと押し上げた女帝と比べる方が間違っていると言えよう。


イザベラがパルマ公国から嫁いで来たとき、馬車から降りてきた美しい彼女を見て、迎えに来ていた誰もが満足げに笑みを浮かべたのは言うまでもない。

夫になるヨーゼフ二世も絵姿で見ていたよりも数段美しい彼女を一目で気に入ったし、彼女も若く優しい彼をすぐに気に入った。


殊にイザベラは華奢な体つきで、体格の良い母マリア・テレジアが隣に並ぶと「まるで巨木と小枝のようだ」と、ヨーゼフと弟のレオポルドは失笑した。




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1777年 パリ

アントワネット夫妻の危機を救うべく女帝マリア・テレジアがフランスに遣わしたのは長兄のヨーゼフ二世だった。

彼は父の死後、神聖ローマ帝国皇帝に即位してからかれこれ12年ほどが経っているが、オーストリアは今もって母マリア・テレジアとの共同統治が続き、息子として偉大な母を越えられないジレンマを感じている。

マリア・テレジアからすれば、ヨーゼフは性格的に人と人との情に薄く、時期を見計らう能力がまだまだ足りず、包容力にも欠けていたので、政治をすんなりとは渡せないでいた。

だが、彼女もそろそろ年には勝てず年々弱ってきている。
いつかヨーゼフは彼なりのやり方で切り抜けていかねばならない。


今回もそんな母の思いが込められたフランス行きなのだ。




このフランス訪問の一番の目的は、完全な夫婦生活が営めるように義理の弟ルイ十六世に簡単な手術を受けさせることである。

そして同時にウィーンにヨーゼフ二世ありと、パリ中に声高らかに知らしめるためでもある。

事実、彼は神出鬼没で人々を驚かせ、民衆の中に飛び込み、自分が陽気で物わかりの良い皇帝であると、パリ市民に強く印象づけていた。



はらはらしていたのはただ一人、アントワネットその人であろう。

確かに長兄はしっかりしていて子供の頃から頼りがいがあった。だが時には父のように厳しく、遊び好きなアントワネットにとって耳に痛い説教もさんざん聞かされた相手でもある。

どんな風にやってくるのか、嫁いできてから今まで怖いものなど無かった彼女もさすがに縮み上がっていた。




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1763年 シェーンブルン

イザベラが二人目を身ごもったのはそれから間もなくだった。

今度こそ男かしらと彼女は宮廷の期待を気にして夫のヨーゼフに聞いた。


「大丈夫だよ、私は男でも女でもいいから、あなたの体に無理がないように祈るばかりだ」
夫はあまり体が丈夫ではない妻を心配した。



二人は同い年で、夫婦というものの時には友のように語りあった。

だがイザベラは決して尊大にはならず夫に従順で、その事によってかえって夫は妻を尊重し、彼女の言うことに何でも耳を傾けた。



このように優しい夫を持ち、私は何と幸せな妻なのでしょう。
彼女は義妹に宛てた手紙をしたためていた。


しかしイザベラには心のどこかでこの世の出来事は全て写し絵に過ぎず、本当の幸せは天上の世界にあるという気がしていた。

そんな思いも義妹には包み隠さず打ち明けている。



皇后の座も、オーストリア帝国の栄光も、夫婦の愛もいつか時間と共に朽ち果てていく。

永遠なのは天の御国だけであり、魂の安らぎを得る場所は地上の世界には無いと思っていた。




「あなたは決しておごらず、私や家族のことを思ってくれている。それだけで充分なのだよ。母には子供の頃から人には優しい真心が大事なのだと言われ続けていたのだが、あなたが私の妻になってくれたことで、その意味がはじめてわかったような気がするのだ」
ヨーゼフは疲れて横たわる妻の手を取って心から感謝の意を述べていた。


「とんでもございませんわ、陛下。私もあなたの元に嫁いできて大変幸せでございます」
絵に描いたような幸せを手に入れたイザベラの言葉に嘘はない。
ただ、彼女はこのような幸せを、幸せとして心から味わうだけの世俗性を持ち合わせていなかった。



後になってからヨーゼフは思う。

心が繊細な妻は、幸せな生活の中でさえ孤独に陥っていたのだと。
それに気が付いてやれなかった自分は大馬鹿者である、と。




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1777年 パリ〜ベルサイユ


ヨーゼフ二世はパリのモーリスの花屋にまで出没していた。
目立つことが好きな皇帝が繁華街であるパレ・ロワイアルに立ち寄らないはずがない。

売り子のロザリーの手を取って店の前に連れだし、周囲の人だかりに手拍子を打つようにと陽気に言い、ウィーンのワルツを教えてあげようとエプロン姿も質素な彼女を相手にひとしきり踊った。

どちらかと言えばロザリーは振り回されていただけなのだが。



モーリスの店の実質の所有者であるオスカルも後でその事を聞いて、是非見てみたかったと惜しげにしていた。

すでにパリでは民衆の中に飛び込んできた皇帝として新聞もにぎやかに書き立て、オーストリアからやってきた王妃の陽気な兄というパンフレットもばらまかれていた。

太陽と同じとさえ考えられていた王様が、それはそれは庶民的で親しみやすいとなれば、お祭り好きなパリッ子なら誰でも熱狂的に迎えたくなるのも不思議ではない。


そもそも彼のような積極的な行動は、国王のルイ十六世も王妃アントワネットもかつてしたことはなく、国民から愛される皇帝とはこんな感じだよと言わんばかりに新聞は王室を皮肉ってあった。


もちろん、ヨーゼフとしても、この機会を借りてフランス人に良い印象を与えようという計算済みではあったのだが、彼の思惑通り、計画はほぼこの時点で成就されていたと言えよう。





さて、それらの前評判をパリで巻き起こしたオーストリア皇帝・ヨーゼフ二世はようやくベルサイユ宮殿に現れ、妹と対面することとなった。


顔をこわばらせるアントワネットに対してヨーゼフ二世はいかにも優しい兄を装い、周囲に詰めかけた宮廷貴族たちに優雅な身のこなしを見せつけていた。


彼のために開かれた舞踏会でもそつはなく、アントワネットも胸をなで下ろしていた。

オスカルの事はアントワネットからの手紙に何度か名前が出ていたらしく、親身になって王妃の身を気遣う廷臣であることは皇帝にも伝わっていた。もちろん、女性であることも。



「あの年になってまだまだアントーニアは子供なのでお困りでしょうが、これからもお世話になりますぞ」
と近づいてきては気さくに皇帝から声を掛けられた。


「話には聞いていたが女性ながらあなたは軍神のように美しい。もし女性として育たれていたら、きっと勝利の女神になられていたことでしょうな」


「はっ、誠に恐れ多いお言葉でございます。軍神や女神に笑われないようにこれからも精進致します」
オスカルもアントワネットの実兄から声を掛けられ、光栄に思う。




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1763年 シェーンブルン 
イザベラの書簡


クリスティーネ、私は思います。

この世にどうして心安らかな場所がないのかと、人の幸せとは何なのかと。
私の想いははるか遠いところにあって、この足下にちりばめられた宝石の光さえも、私の目をくらますことは出来ません。


この命は神様が試練のためにお与えになったのではないかしらと憂え、あるいはまったく正反対に、今の幸せがいつか粉々になるのではないかという恐れで私の気持ちは千々に乱れます。


だけど最近になってようやく私は気が付きました。

何が幸せかわからなくなるほど、実は私は身に余るほど幸せの中にいるのです。

気が付かずにいることはなんと罪深いのでしょう。それはともすると周囲の人間すら不幸にしてしまいます。



人の幸せとは懸命に探したり築き上げるものではなく、気付くものなのですね。

私はこの幸せが永遠に続くことを願い、失うことを怖れていました。
この世での幸せが明日にでも消えて無くなりそう不安のために、幸せになることから逃げていたのです。



そう、私は何と欲深い人間なのでしょう。そして何と疑り深いのでしよう。


夫からは、あなたには虚栄心など無いと言われましたが、その実、自分の幸せを取り込むことで精一杯になっている心の狭い女です。


人の命が限られているのなら、生ある限り世の中をもっと謳歌すべきなのでしょう。

そしてまだ来ぬ未来を憂えて一人悩むことなく、陽気に今日一日を歌い笑うべきだという考えが最近になってようやく理解できるようになりました。


だけどそれはまだ「考え」だけです。私自身が実践できるかどうかまではわかりません。


今度、生まれくる子はきっと男の子であると私は確信しております。

信じることは強いことです。


私はこれまで神に祈りながら、何か大事な物を忘れていたように思います。
強く信じること、まずそこからはじめていくつもりです。


マリア・イザベラ




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1777年 ベルサイユ


さて、ひとしきり儀典事が過ぎ、公の兄妹会談が済んだ頃、ようやくヨーゼフ二世は本領を発揮してきた。


まず、義弟と話し合いをし、簡単な手術を認めさせること。



「女というものは、時々ベッドの上で懲らしめてやらないと不要に図に乗るのです。ここでそなたが勇気を出さないとアントーニアはとてつもなく嫌な女になりますぞ」
ヨーゼフ二世はルイ十六世に冗談交じりに、かつ真剣に詰め寄る。


だが、義兄に助言をもらう事自体、ルイ十六世にとって励ましになっていた。
手術についてもすんなりと頷いてくれた。


そしてヨーゼフは妹から聞いていたほど、この義弟が単なる「かわいそうな良人」ではなく、実は博識で、科学や歴史・地理など、かなり広範囲の知識を有しており、政治についてもしっかりした見識を持っていることもわかった。

ただ、内向的で自分に自信のない彼は、遊び好きで陽気で派手なアントワネットを相手にして会話が弾むような性格ではなく、彼女からすれば無能な良人にしか見えないのが気の毒なことである。

王としての資質ははなはだ疑問ではあるが、必要以上に彼をおとしめることは賢明ではない。
むしろこういう場合は妻であるアントワネットが王の権威を補うべきだとヨーゼフ二世は即座に思い当たる。


となるとウィーンへ帰る前に、夫を見る目が無く、「かわいそう」呼ばわりしている妹に一言、注意をしておかなければならない。
いやいや、言いたいことは山ほど有る。




彼は皆さんごきげんようとあいさつし、居間で貴婦人方とくつろぐアントワネットをつかまえて、いきなり夫婦としてのあり方を説教し始める。


「よいか、アントーニア。夫婦というものはお互いにいたわり合っていなくてはならん。特に相手のことを誰か他人に悪く言うことは、自分で自分の首を絞めるようなものだ。おまえはその点、どうだ。他人の前でちゃんと夫を敬ってきたのかね。どうだ、していないだろう。それがどんなに後になってお前に弊害が降りかかってくるかよく考えてみなさい。王のことを王妃が軽んじれば、廷臣も国王を軽く見る。最後にはお前もふくめて王室の信頼は失墜するのだぞ」

ヨーゼフ二世は話をしながら、どんどん怒りがこみ上げてきていた。


特に相手は身内である。こういうときは遠慮もなくなる。


アントワネットもすでにフランス宮廷の頂点、王后陛下である。

いくら兄でも、皆の前で「お前」呼ばわりされて平気でいられるはずがない。


「いくにお兄様だからと言って、そこまで言う権利があるのですか、私にも事情があります。いきなりやってきて、このような場所で突然私たち夫婦の話などをなされるのはちょっと場違いではないのですか」



「よかろう。では場違いついでにこの場を借りて言わせてもらうが、あの賭博騒ぎは何だ。母上もたいそうお嘆きだぞ。人民の事を放置して、事も有ろうか王妃が大金を賭けてカードで夜通し遊んでいるとは何事だ。どうせこの部屋も夜には賭博場になり、国王陛下の目を盗んでいかさまを繰り広げているのだろうが」


ヨーゼフ二世の怒り任せの言葉に貴婦人方は目を白黒させている。
一応それぞれに、心に思い当たる節があるらしい。



「いくら何でも言いすぎですわ。私もちゃんと節度を守っております。お兄様がおっしゃるのはどうせパリでばらまかれている口さがないうわさでございますわ」
アントワネットも顔を真っ赤にして応酬する。



こうなれば他人は誰も間に入ることは出来ない。
ポリニャック夫人もあっけにとられて会話を聞いているだけだ。




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1763年秋 シェーンブルン

イザベラの二人目のお産は厳しいものだった。

月を重ねる毎にイザベラは弱り、赤ん坊を産み出す力さえ無いように見えた。

それでもお世継ぎを産むことは私の生きた証しですからと、心配している夫に告げて弱々しく微笑んだ。


臨月になる前に彼女は産気づき、ごく身内だけが付き添い、イザベラは長い苦しみと戦った。

だがようやく生まれた赤ん坊はすでに息をしておらず、取り上げた医者はたちまち顔を曇らせた。


イザベラは意識がもうろうとしており、それでも「赤ん坊は…」とつぶやいている。


「安心をし、元気な男の子だよ」
ヨーゼフはそう言わざるを得なかった。でないと妻が今にも息絶えそうだったからだ。


事実、イザベラは弱り切っており、すでに自分の意志で体を動かすことが出来ないようだった。



「ごめんなさい、私はお役に立てなかったのでございますね」
彼女は途切れそうな声で言った。

勘の良い彼女はどうやら事実に気が付いていたらしい。



「いや、あなたは立派な未来の皇后だよ。私が言うのだから間違いない」
妻の手をしっかりと握りしめたヨーゼフの目には涙があふれていた。

イザベラも最後の力を振り絞って涙を流していた。




こんなにも強く結ばれた事を二人は実感しながら。






…ありがとう、あなた…




イザベラの最期の言葉はとてもか細く、やっと聞き取れるほどだった。

その後、彼女の意識は遠のき、三日後に息を引き取った。



残された幼いマリアは母の死を理解できず、泣き濡れる祖母に抱かれてはしゃいでいた。




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1777年 ベルサイユ


兄が去り、ようやく平和が戻ってきたベルサイユ宮殿では、再びアントワネットがポリニャック夫人たちを集めて何やらごそごそと良からぬ遊びを再開していた。

だが兄には色々と反論したものの、素直な彼女は気持ちの上では彼の忠告を有り難いと感じていた。

だからといって、こんな楽しい遊びを今日明日にやめようとは思えないが、いつかはお開きにしなければと思うのであった。



それに兄が最後に手紙に残していった言葉。

「お前が今の浮かれた生活を改めず、民衆をないがしろにし続けるなら近いうちに革命が起き、お前を残酷な運命に放り込むだろう」



アントワネットはこの手紙の内容をさほど気にも留めず、ビューローの奥にしまい込んだ。

その予言めいた言葉は、嫁いできた時、母からもらった王妃としての訓辞と共に、二度と引き出しから出てくることはない。


どちらも、毎日、読みなさいと言われたにもかかわらず。




一方のルイ十六世も宮廷医師のラッソンをさっそく呼び、出来るだけ早い時期に手術をしたいと述べていた。




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皮肉なものだな。



ヨーゼフ二世はウィーンへの帰路に就いた馬車の中で考えていた。


最愛の妻を亡くし、二度と愛などと言う感情はわき上がってこない自分が、妹のために夫婦の愛を説くなどと、ばかげている。


イザベラが残した愛娘マリアも数年前に亡くし、彼はますます自分の人生に重い影を背負っていた。
自分の事では何もかもが虚しいとさえ思いつつ、妹には叱咤激励をする。


たとえ多少、仲が悪くとも、夫婦がそろって元気でいるだけでも充分幸せではないかと自問し、人には人の考えがあると思えば、ルイ十六世をぞんざいに扱っている妹を必要以上に叱りつけたのかも知れないとも思い返す。



亡き妻が人生を夢幻のように考え、この世での幸せを捨てて、天国に理想を見いだしていたことは、後になって妹のクリスティーネとのやり取りを聞いて知った。


自分にとっての幸せな日々が、彼女にとって平安ではなかったという。

彼はそんなことに全く気付かなかった自分を責め、あるいはこの世の幸せを拒否し続けていた妻のかたくなな心を責めた。
だが最後には自分に彼女の心を開く力量がなかったことを何より責めた。




もしかして、最後の瞬間に彼女はこの世の幸せを実感したのかも知れないと思うと、それだけが彼の慰めになっていた。




幸せなどというものはこの世にもあの世にも存在するはずはなく、ただあるのは、楽しい時間はあっというまに通り過ぎてしまうと言う事実だけだ。


母が自分になかなか政治を任せようとしないのは、性格的に他人を心から思いやれないからであると同時に、妻の死からこっち、自分がますます皮肉屋になっているからだということも承知している。




「私はかつてのあなたのように、今頃になって幸せというものが何なのかわからなくなってきたようだよ、イザベラ」
彼は不意につぶやく。


「陛下、私は陛下と共に暮らした日々がとても幸せだったのですよ。私たちを結びつけたのは神の御意志。それもお信じにはなりませんか」
イザベラの声がどこからともなく聞こえてくる。


「よくわからない。私は永遠にあなたを失ってしまったのだからね」
ヨーゼフは悲痛な声を上げた。


「いいえ、私は今もあなたとご一緒しておりますわ。それに神様の強い愛を信じて今はとても心やすらかですもの。人は死の門を隔ててもなお、つながっていられるのですよ」


天から響く彼女の声は満ち足りてとても幸せそうだ。




“私は神を誉め讃え、苦しみ多きこの世が神の愛で覆われるよう、常に祈りを捧げます”

さわやかな風がイザベラの声を、再度、ヨーゼフの元へと運んでくる。





見上げれば雲一つ無い四月の青空が無限に広がっていた。




2005/5/29/





後書き

めずらしく主な参考文献などを書き記します。

講談社現代新書 「ハプスブルク家」「ハプスブルク家の女たち」
著者:江村 洋 氏

この本はベルばらにはまってすぐに買った物ですが、ベルばら離れてこれだけを読んでいても楽しくわかりやすい二冊でした。
シシィの事もこの本で読んでから興味を持ちました。

一つの王室の歴史をたどることは、つまり人の生き様をたどるのと一緒で、こういう人々の人生にもうちょっと興味を持っていれば、学生時代の世界史の成績はもっと良いものだったのにぃ〜と、済んでから好き勝手に言ってます。

どうしてもわからなかったのはイザベラはシェーンブルン宮殿に住んでいたのかと言うことです。未来の皇后なのだからそうだよなぁと勝手に解釈しました。

だけど未婚のクリスティーネと手紙を出し合っていたというのですが、未婚ならクリスティーネもシェーンブルンに住んでいたんじゃないかと思うし、同じところに住んでいて手紙?と言うのも不思議で、本当はどうなんでしょうね。

わからんことばっかしです、どうせ世界史苦手だし。(^_^;)

up2005/6/5/



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