−お知らせ− このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。 一部に実在した人物・地名も登場していますが、その行動や性格設定、及び情景は、「でっちあげ」です。 それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。 -ひとかけの勇気- ポリニャック夫人がアントワネットの親友となってからすでに一年あまりが過ぎていた。 彼らによる王室支配はとどまることがないばかりか、勢いは増すばかり。 夫人はアントワネットに次々と新しい遊びを紹介し、彼女の気を引く。 あるいは王妃の遊びにはとことんつきあい、忠誠心をアピールする。 夫人に絶大の信頼を寄せる王妃は、もはや彼女の手のひらで踊っているだけだと宮廷中でささやかれていた。 又、夫人への極端な寵愛ぶりとあいまって、アントワネットは賭博にも夢中になっていた。 ポリニャック一族に国庫から多額の出費がかさむ事も問題だが、今となっては、国王によって禁止されているにもかかわらず、毎夜賭博に明け暮れる王妃の人望はかなり危ぶまれている。 もちろん、ポリニャック夫人も王妃を止めることもなく、賭博の相手になっていた。 時には掛け率の高い危険なゲームも紹介し、たとえアントワネットの負けがこんできても「いつか返せますとも」とはっぱをかける。 もしも本当の親友なら王妃を危険から回避すべきではないのか? オスカルはポリニャック夫人への不信感を日増しにつのらせていた。 怠惰な日々にアントワネットを引きずり込み、現実から逃れて遊ぶという甘い生活に閉じこめてしまうこと。 悪いつきあいの典型とさえ思える。 ********** オスカルはその日、弱り切った三人の男と対面した。 一人は偶然出会い、もう一人はあらかじめ約束をしていた。 最後の一人は対面ではないが、久々に手紙での再会である。 彼女はパレ・ロワイアルにあるモーリスの花屋に来ていた。 この店は元々パリの動きを探るために密かにオスカルが出資したものだが、ジャルジェ家の花瓶に生けてある花は全てこの店から購入していた。 表向きはジャルジェ御用達の店と言うことになっている。 以前アントワネットが髪に飾る花を注文したことからいつのまにか評判の店になり、貴族やパリの有名人たちもやってくる人気店になっていた。 今日もベルサイユの貴婦人方の使いが花を求めてひっきりなしに店を訪れている。 ちょうど今朝、仕入れたての花が入ったことを知っているのだ。 「もしやあなたはテュルゴー殿ではないですか」 めざとくオスカルが声を掛けると、初老の男はロザリーに花を選んでもらっている手を止めて振り返った。 男の身なりは良く、年の割には茶目っ気のある表情をしている。 テュルゴーは前の財務総監である。 彼の父はかつてのパリ市長で、「テュルゴーの地図」と呼ばれたパリの地図を世に送り出した有名人である。 宮廷のうわさでは、彼は頭が切れる一方で他人の話を聞かない頑固な面もあり、きつい一言も平気で言う人物像がまかり通っている。 今、会ってみるとそのような先のとがった印象がないのは、これまでの振る舞いはある程度、職務のためだったのかと思わせられる。 彼もどうやらオスカルの事は知っており、嫌な顔もせずに今は見ての通り隠居のような生活をしておりますよと愛想が良かった。 普段からオスカルは無駄口はきかない。そのせいか、口も堅いオスカルの印象は決して悪くない。 特に軍籍の彼女が剣を携えたまま政治に加わったり思想を広めることは、宮廷貴族や人民を威圧する事になりかねないので、そういう話にはあくまで聞き手に廻るようにと、父からも言われてきた。 実際に社交界に出ると父の言葉は確かに一理あることが解り、以後、彼女なりに人の話は内容を客観的に捉えるように心がけ、何でも鵜呑みにせず逆説も考慮するように心がけている。 テュルゴーは様々な財政改革を試みたもののあらゆる階級の人からも支持が得られず、結局は貴族への金銭的な負担増を政策に掲げたために罷免されていた。 又、先頃始まったアメリカ独立戦争への援助についても政治の裏方では対立もあったと聞く。 「私はフランスがアメリカの戦争に荷担しても大した成果はなく、財政を枯渇させるだけだと主張し、外務大臣と言い争ったのです」 買った花束を片手にパレ・ロワイアルの中庭を、二人は雑談を交えながら歩いた。 「しかしイギリスの台頭を押さえ込むには我が国もアメリカ解放の戦いに参戦すべきではないのでしょうか」 オスカルは世の中の風潮が参戦に向けて盛り上がるのとは、全く逆である彼の見解に少なからず驚いていた。 「戦争の投資には莫大な予算がかかる。王后殿下の浪費などそれに比べたら微々たるものです。特にアメリカはしたたかです。きっとフランスの思い通りにはなりますまい。その事を国王陛下に申し上げたところ、大いに納得されていました」 「国王陛下は宮廷ではあまり目立たぬご性格とはいえ、お心の中ではかなりしっかりしたお考えをお持ちです。できればもう少し声を大きくして頂きたいものです」 オスカルもここぞとばかりにルイ十六世を持ち上げる。 「うむ。国王はともかく、問題はその周囲の取り巻きの影響力が強いという事です。私は長い目で見て、この国に大混乱が起きないように改革を進めようと思っていました。こう見えても私は国王陛下に生涯の忠誠を立てておるのですよ。が、しかし私は誰からも求められてはいなかったようです。結局、敵を多く作り、今ではこの通り自由な身です」 テュルゴーは苦笑し、一呼吸置いた。 「どうしても気になったので、国王陛下には最後に一言進言致しました。意志の弱さはいつかご自身の首を絞めることになりましょうぞ、と」 「あなたは本当にそのような怖ろしいことをおっしゃられたのか」 オスカルはがく然とした。国王の首を絞めるだなどと。 「なに、大げさなことではありません。過去の歴史を見れば同じ事例は転がっているものです。私はこの国を混乱に突き落としたくはないですし、王制が長く続くことを望んでいます。そのために最後の苦言を申し上げることなど躊躇致しませんな」 テュルゴーはパレ・ロワイアルの出口まで見送るオスカルに、花束の中から白いバラを一輪、オスカルに差し出した。 「これからも国王陛下を是非お守り下さい。ただ、帯剣貴族のあなたが直接動くときはかなりせっぱ詰まっているとは思いますが、そのような事にならないよう隠居の身ながら祈っていますよ」 「私も末永い王家の繁栄を願っています」 オスカルは花を受け取り、頷いた。 見送る後ろ姿が小さく見える。失脚した男は雑踏に消えていき、まるで一つの物語が終わったようだと彼女は感じていた。 事実、彼は革命の勃発を見ることなくこの世を去ることになるのだが。 その日、オスカルが会う約束をしていたのはリアンクール公爵である。 彼女はパリから引き返し、広大なベルサイユ宮殿の庭園を散歩する公の姿を見つけた。 庭園はさほど人気がなく、人に聞かれてはまずい話もここではあたかも雑談のように傍目には見える。 リアンクール公爵は何度か会って話もし、時にはオスカルも頼まれ事を引き受けたこともあり、折に触れ彼女も目にかけてもらっている。 決してオスカルが女性だからというのではなく、物事のとらえ方に偏りがなく柔軟に対処できるという所で彼からの信頼を得ているようだ。 育ちのせいか落ち着いた面持ちの公爵は一見学者のようだが、よく見ると体も鍛えてひきしまっており、しっかりとしたあごがいかにも意志が固そうな感じである。 軍での出世も早く、今では少将の地位にある。 領地の活用にも積極的で、オスカルは参考のためにも是非領地を見せて頂きたいと以前から表明していた。 「最近では見るに見かねる事が多く、憂慮しているのだよ、ジャルジェ少佐」 「私も同じ思いです。それに同じような事を他でも耳にすることがあり、少し心配しております」 すでに言わずと知れたポリニャック一族のことである。 彼のような王室とのつながりが深い大貴族を差し置いて、さしたる功績もないのに成り上がった者に、公爵は不信感をあらわにしている。 「王后陛下に取り入って、今では鉄壁の守りで他の貴族たちの入り込む隙間もない。結果としてまんまと罠にはめられている王后陛下の評判こそ落ちても、ポリニャック一味は何一つ傷つくこともない。見ていて歯がゆい思いでいっぱいだよ、実に」 普段はおだやかな人物がこれほどポリニャック家をこき下ろすのはよほど腹にすえかねているからだろう。 口には出さないもののよほど嫌なことがあったのか、普段はおだやかな彼からここまであからさまに批判を聞くのはオスカルも初めてだ。 「王后殿下はお輿入れされてからこっち、寂しい気持ちを持てあまされておりました。私もずっとそばにいながら、陛下のお心をお慰めできなかった事が悔やまれます」 男として育ったオスカルにアントワネットのおしゃべりの相手になれと言うのは無理な話だが、女性士官という特殊な立場ながらポリニャック家の台頭をやすやすと許した自分にも隙があったと考えざるを得ない。 「私はベルサイユ宮殿に伺候する機会を少し減らして、領地の改革にもっと力を入れるとするよ。どっちにしろ居ても居なくても同じような扱いをされていては、こちらとしてもつらい。いつまでもあのような状態をそばで見守っていたら、私自身の心がが王室からどんどん離れていってしまう。なので都合の良いお願いだが君にはこれからも殿下のおそばで見守って欲しいと一言伝えたくて今日は呼び立てたのだよ」 「はい、私もそのつもりですし、これからもできるかぎり陛下をお守り致します」 オスカルは迷いもなく答えた。 そう、迷いはない。 ただ困惑しているにすぎない。 振り返るとアントワネット一行が陽気に誘われて庭園に出てきている。 まるで二人の会話が聞こえたかのように、今日は珍しくポリニャック夫人の姿は見えない。 「まぁ、軍人同士で難しいお話でもなさってらっしゃるのかしら」と、女たちは何も知らずにはしゃいでいた。 同じ日、オスカルの元に届いた手紙の差出人はフェルゼン伯からであった。 最近の近況などが簡単に綴られた後、彼の気がかりは王妃その人のことについてである。 どこから話が漏れ聞こえるのか、彼の所にはアントワネットが危険な賭博にはまっているという噂が広まっているらしい。 長い手紙の大半は王妃が賭博にはまる危険と、改善の余地を探るものだった。本当は駆けつけたいらしいが、今となっては国の仕事で身動きが取れないと言う。 どこの宮廷にも他国の使者は入り込んでいるせいか、あながち民衆より早く外国の宮廷に醜聞が伝わっていることにオスカルは一刻の猶予もないことを感じていた。 「すでに賭博のことは噂ではないのだ、フェルゼン」 オスカルは不意につぶやいた。 テュルゴーもリアンクール公もその事は口に出さなかったし、オスカルもまた黙っていた。 「目に見えるドレスや宝石への浪費の陰で、莫大なお金が賭博にやり取りされているなんて、さすがにフェルゼン伯はそこまでご存じないのだろうな、いや、もうご存じなのだろうか」 ジャルジェ家の居間で手紙を読みふける彼女の背後にアンドレがいつのまにか立っている。 フェルゼンからの手紙と聞いて気になったらしい。 とは言え彼にすれば、遠くに去った友からの便りという意味である。 「言うな、私もその事は今までになく心苦しい」 特に賭博の話題は彼女にとって禁句のようだ。 「だが、このような事はいつかあばかれる。人民がその額面を知ったらどうなると思う」 オスカルには見えないがアンドレはすでに真顔になっている。彼の心のどこかでアントワネットに対する不信感が芽生え始めているらしい。 もっともアンドレの言うように王妃が賭博に夢中になっているのは誰でも知っている。 それに王妃の賭博好きはポリニャック夫人と知り合ってからさらに加熱している。 外国の宮廷だけではなく、もうすぐオルレアン公などが面白おかしく王妃の賭博好きをパリで流布されるパンフレットなどで暴露することだろう。 王妃の寵愛を受けられない廷臣や貴族が少なからず反目していることも事実だ。 それに今はもう親交のかけらもない三人の叔母たちも敵に回っていると考えても不思議ではない。 その上、王妃が賭博にはまり、周囲が見えなくなれば、さらに人望が失われることは間違いない。 オスカルはそのうち王妃が自分自身でえりを正してくれるであろうことを祈っていたが、一向に改善の様子はない。 今こそ私が進言すべき時だろうか。彼女はその時期を見計らっていた。 だが王妃に苦言を述べることは場合によっては我が身と一族を滅ぼすことにもなりかねない。 今までに何度となくアンドレに袖を引っ張られた事もあり、彼女は慎重になっていた。 それにただでさえアントワネットの隣にはポリニャック夫人が大きく立ちはだかっている。 最近では王妃は夫人を伴ってプチ・トリアノンで一日を過ごすことも頻繁で、オスカルが進言する機会もなかなか見つからない日々が続いていた。 しかし王妃の行為が良識の範囲から外れていく事は出来れば未然に防ぎたい。 何より沈黙したまま心にわだかまりを持ち、いつか自分の心がアントワネットから離れていくことは何としても避けたい。 オスカルはようやく立ち上がりひとつの決意をした。 ********** ノワイユ女官長はアントワネットが嫁いで来てから彼女を見守り続けていた。 王太子妃に宮廷でのしきたりを一通り教え込むためという表向きの役柄とは別に、アントワネットがオーストリアの皇女としてフランスに不利益を及ぼすことをしないか、あるいは機密情報の横流しをしていないか、そしてオーストリアからの指示を受けてアントワネットが政治的に介入していないかなどを注意深く観察する役目もある。 一方のメルシー伯も又、オーストリアの国益になることには敏感である。 両国が同盟を結び、アントワネットをオーストリアの使節として嫁がせた母マリー・テレジアの想いは、自国の発展と末永い繁栄のために他ならない。 だからと言ってアントワネットにフランスの王室を牛耳るようにと言い含めたわけではないが、多少の融通が利くことを願うのは当然である。 そう言う意味でノワイユ女官長とメルシー伯は、お互いにそれぞれの国の思惑を持ちながらアントワネットの身近に控えていることになる。 それでは二人は仲が悪いのではと思われがちだがそうでもない。 実際の所、アントワネットには両国の思惑などには無頓着であった。とにかく今は王后陛下という玉座の居心地に酔いしれている。 そんな彼女を御することは大変難しく、何を進言してものれんに腕押しでいっこうに効き目はない。 先日のテュルゴー財務総監の罷免についてもアントワネットが幾分影響したと言われているが、それは特別オーストリアからの指示があったわけではなく、王室の予算を削減することに彼女が反発したからである。 又、追い打ちをかけるようにポリニャック夫人への多額の支援や贅沢品の購入、さらには賭博まで、王妃の奔放な生活は予想を超えており、すでに両国の国益や駆け引きなどどころではなくなっている。 オーストリアの母も、アントワネットに期待することはやめ、少なくともフランスで愛される王妃になってくれるよう願っていた。 そして肝心のご懐妊の報告すらまだ聞こえてこない。 「お世継ぎはなかなか出来ぬものですなぁ」 国王に追従する貴族たちはのんきなものだ。 嫁いでから7年、いまだに世継ぎを産んでいないアントワネットの無意識のいらだちが、彼女の贅沢三昧やパリへの奔放な遊びに姿を変えていることは知れている。それがゆるされているのは彼女が女王だからである。 メルシー伯は悲壮な思いで故国へ向けて手紙をしたためていた。 このままではアントワネットがフランスの国母となり、王室の存続に貢献する事すら危ぶまれる。まして、彼女の失脚を望む者はうようよといる。 彼の急ぎの手紙は事態の打開を求めるものだった。 2005/5/2/ up2005/5/22/ 戻る |