閉じた空間 −クローズド・スペース− 「暗闇は慣れている…」 アンドレは時々、不思議なことを言う。 オスカルはふと思った。 (なぜだ?お前の言う暗闇って…) だが、彼女はそう言い出すのをやめた。ここではとても無意味な質問に思えたからだ。 二人がそこに閉じ込めめられたのは、単なる不運だった。 パリ市内巡回の途中に、テロリストをかくまっているという噂のある商人の屋敷に入ったまではよかった。が、彼らの質問に商人はなかなかしっぽを出すはずもない。 それどころか、案内された部屋に入ったとたん、壁が迫ってきたのだ。たちまち二人は狭く薄暗い部屋の中に閉じ込められてしまった。 「盗賊よけのからくりが仕掛けてあったんです…ご無礼をお許し下さい」 商人はいかにも済まなさそうに、ドアの外からあやまった。 「すぐにからくり職人を呼びにやります」 …どうせ、テロリストを逃がす時間稼ぎなのだ。それにどのみち、外で待機しているアランが心配して駆けつけて来る。…あわてることはなかった。 しばし待てばよい。 オスカルとアンドレはどちらが先ともなく、床に腰を下ろした。 オスカルは、暗い宙を見たり床を見たりして黙っている。必死で闇になじもうとしているのだろう。 アンドレは片目になってから、特に闇を感じるようになっていた。視力が衰えたから、というのではない。暗く閉じられた世界、それは彼の心のあらわれであった。 愛する女性に想いが届くこともない。女をあきらめ、血を燃やす果てしない戦いに身を投じることもできない。だが、静かな時間が過ぎていく闇の中。 「…昔、こんな事があったな…」 アンドレは何げなく言う。 そう言えば、馬小屋?屋根裏部屋? この薄暗がりはオスカルにも、どこか懐かしい。 「遠い話だ」 「何を話していたっけ」 「父上の悪口…」 オスカルは笑った。 「…バカヤロウってな…色々、思った。でも父上は私に期待していた。私もそれにこたえたかった。今では…心配ばかりかけていることを済まないと思う」 彼女は父にすすめられた結婚話を蹴ってしまったのだ。今となっては、父の望みは娘の平凡な幸せだというのに。 「そんな気にはなれなかったんだ」 オスカルはジェローデルとの婚約を破棄した自分を振り返る。 任務のためか、意地のためか。ただ、出来ないと感じた。 「俺は、それで良かったと思う」 「……」 それはどういう意味だ?オスカルは心の中で彼に問う。 しばらくの沈黙。 「アラン、遅いな…」 オスカルはシーンと聞こえて来る静けさを破るように言った。 「たまには、いいんじゃないのか。お前は働き過ぎだ。たまにはのんびりしたらどうだ」 アンドレは両手を首の後ろに組んで、背を伸ばした。 「お前はどこまでもマイペースなんだな、アンドレ」 呆れ顔のオスカルは暗闇にぼんやり浮かぶ彼を見た。だが、アンドレは何か他の方へ気が向いているのか、上の空だ。 「ほら、見てみろよオスカル。あの天井のシミ」 「…ん…?」 見上げるオスカルの目に映るのは、所々雨が漏ったのか茶色く染まっているまだら模様の天井だけ。 「あんなシミや…空の雲を見て、あれは馬だとか、鳥だとか言ってたよな」 「うん、懐かしいな、何だか…」 「だのに、俺たちはいつのまにか大人になって、社会に組み込まれて、毎日を追われているんだ。空では相変わらず雲の馬や鳥が自由に遊んでいるのに。俺たちはいつから、そんな他愛のない話をしなくなったんだろうな」 「……」 彼の言葉はまるで、フェルゼンが現れてからじゃないのか、と言っているようだった。 だが、フェルゼン。もうこの名前を聞いても、オスカルは心動かされることもない。それどころか、彼の姿を見つけてはときめいていた夢見る乙女のような自分が懐かしいとさえ思える。 「私も女だったんだな」 オスカルは自嘲ぎみに笑っている。 「何をいまさら?」 「いや、何でもない。…それにしても、しくじったな今回は」 こんな狭い所に閉じ込められるとは、思いもよらなかった。 「そういえば、何か物音がするって言って、この部屋に飛び込んだのはお前じゃないか」 「私にだって、予測のつかないこともある」 オスカルはそっぽを向いて立ち上がった。そしてふと、壁をたたいてみる。ボコボコと音がするだけで何も変化は起きない。 「よいしょっと…」 アンドレも腰を上げた。 だが立ち上がった二人が並ぶと接近し過ぎて、なぜか人に隠れてよからぬ事をしているような、妙な雰囲気になる。 「座っているのも楽じゃないけど、立ってると余計、狭いな。ここは」 彼はいいわけのようにつぶやく。 「ふう…」 今度は二人は並んで腰を下ろす。そうしていると今度は、子供時代の事が昨日のようによみがえって来る。 「ポケットに何かないのか、オスカル」 「子供じゃないんだぞ、何も入ってるか」 「そうか、どれ…」 アンドレはそう言って、自分の身の回りを何やら探し始めた。 「あ…」 出て来たのは、町で拾った卑猥なビラ。それもアントワネットとフェルゼンが、指をくわえた寝ぼけまなこの国王の前で公然と…という代物だった。 あわててしまい込むアンドレ。 「何なんだ?」 「何でもない」 「今のは何だ、アンドレ」 「ここで出したくない」 「どーして?」 「お前が女だからだ」 その瞬間、オスカルにもそのビラの中身がわかったような気がした。 沈黙…。 「男と女…か。でも、どうしてこの世には男と女がいるんだろうな」 オスカルはかたわらに座っているアンドレの指先を見つめた。特に深い意味はない。いつかもし、その指が、その腕が彼女を捉えたなら、彼女は力ずくで抱き締められてしまうであろう「女」なのだ。そして彼は突然の衝動をかかえている「男」なのだ。 オスカルにはその事実が、今ひしひしと感じられる。 「一人じゃ生きられないからだよ」 「えっ?」 顔を上げたオスカルは、ついにアンドレと目線がからんでしまった。もう逃げられない。 …こいつはお前の幼なじみで、ケンカもしたし、かけっこもしたし、ある日ばあやが屋敷へ連れて来た少年なんだぞ、オスカル… と、彼女はあわてて自分に言い聞かせた。そうでもしないと、二人の関係が違うものになってしまいそうなのだ。ああ、それに心臓の音がだんだん激しくなっている。 二人は見つめあった。 なるようにしかならない…。オスカルがそう思ったとたん、いきなり壁は動き始めた。 「大丈夫ですか、隊長」 アランの声がする。ドアが開く。二人はあわてて飛びのく。兵士たちもやって来る。屋敷の主である商人は、その後ろからのぞき込んでいる。 「ああ、大丈夫だ。心配をかけた」 オスカルは何事もなかったかのように答えた。 そう、確かに、何も起きなかった。 「いい目に合っちゃってよぉ。又、ここへ入りたいだろう」 背後でアランがアンドレに小声で話しているのが聞こえる。私の地獄耳を知っているはずなのに…オスカルは思った。 「何がいい目なんだ、アラン」 アンドレの返事はとぼけている。本気か、本当にとぼけているのか、それすらわからないほど、アンドレは心とは裏腹に普通に振る舞っているのだろうか。 閉じた世界から出てきた彼らには、再び現実が待っていた。 オスカルは「女」ではなく貴族で衛兵隊の隊長へ、そして、アンドレは「男」ではなく一介の兵士へと戻って行く。 とんだトラブルで成果はなかったものの、オスカルは平然とした表情でさっそうと屋敷から出ていった。 外は良く晴れて、所々に何かをかたどった雲がいくつか浮かんでいる。 いつもと変わらない景色に過ぎない。 だが今日は背後に従えている兵士たちの靴音が妙に大きくオスカルには響いてくるのであった。 おわり 書いた時期:不明 2000.12月頃最終保存 up2004/12/ 戻る |