−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・地名も登場していますが、その行動や性格設定、及び情景は、「でっちあげ」です。
それを承知の上、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-故郷への帰還-


「フェルゼン、フェルゼン」
よく晴れ渡った空の下、アントワネットの楽しそうな声が庭園に響く。

彼女の姿を求めてあたりを見渡すフェルゼンの姿をしばらく楽しんだあと、アントワネットは木立の影から飛び出してきて、彼にほほえみかけた。


「あ、アントワネット様。このようなところに…」
まるでかくれんぼで勝ったようなアントワネットに、彼はただどきまぎする。
傍目には恋人のように写る二人は今日も楽しい語らいに時間を忘れているように見えた。



ここのところ、フェルゼンはアントワネットにごく個人的に会う機会があり、二人きりで話す機会も多い。

当然フェルゼンも人目が気にならないわけではない。今では王妃となったアントワネットの行動は以前にも増して責任がある。
しかし自重しよと思う以上に、アントワネットの喜ぶ顔を見たいという矛盾をかかえていた。
彼にとって誰かに頼られているという事は至上の喜びであった。



どちらかというと、人目を気にしないのはアントワネットの方だった。
誰からも指図を受けず自分の好きなことをする権利があると信じる彼女に対して、誰も表だって逆らったり忠告することはない。




だが、アントワネットがこの世の春を謳歌しているすぐ横で、彼女の失脚を狙う者もうようよといる。

王の弟プロヴァンス伯や、ルイ十四世の弟の家系で由緒正しいオルレアン公など、いつか王座を我が物にしようと密かに企んでいる。


特にオルレアン公などは普段から王室に反抗的である。
曾祖父の時代に摂政をしていたこともあり、再び政治の表舞台に躍り出て脚光を浴びたい気持ちもある。

彼は前王ルイ十五世などより、我が家系こそが太陽王ルイ十四世の後継者と言わんばかりの尊大な態度を取っている。


若い頃には色々と自由奔放に暴れた事もあり、最近では新しい物好きの先祖の真似事をして化学実験と称して白い粉や黒い粉を混ぜたりこねたりしていた。

あるいは東洋の言語にも興味を持ち、中国語の翻訳なども手がけ、自分は博識であると自負もしている。

彼は自己顕示欲が強く、うすぼんやりとした国王よりは自分のほうが賢く、意志も強く、自分の方が百倍も有望だと思いこんでいた。

だがかと言って、オルレアン公自身に国を治めるためのはっきりした指針などはなく、今の安定した地位には有る程度満足しており、ただ単に正当な血筋と言うだけで権力の頂点にいる内気な男が国王だという事が、虚栄心に満ちた彼には目障りなのである。

それに外国から来たアントワネットが、国王の代わりに王室の華やかなところを全てかっさらっていく人気ぶりである。


権力の座をうらやむ気持ちから、彼らが失脚して自分の所に王冠が転がり込んで来ないものかと願ってはいても、一刻も早く国王に成り代わって国を興隆させようと言う覇気などはない。





そのようにちょっと危険な人物オルレアン公の居城はパリの中心部にあるパレ・ロワイアルというかつての王宮なのだが、中庭である回廊を一般に開放し、様々な店が軒を連ねて賑わっていた。

店には多くの人たちが集まり、中には娼館やサロンなどもあり、いかがわしい目的やあやしい陰謀なども渦巻く場所である。
反体制の危険な集団も巣くっていたが、国王打倒を目論むオルレアン公は秩序を乱す者たちも黙認していた。



現在の彼はと言うと、先日のルイ十五世の葬儀すら無断で欠席し、今はしばらくベルサイユ宮への出入りを禁止されて、すねているところだ。

又、デュ・バリ夫人と親しくしていた貴族、又はアントワネットから目をかけてもらえぬ貴婦人たちもアントワネットに対して良い印象は持っていない。

もっともアントワネット自身も対抗するかのように彼らを無視していたので、ひび割れた関係をすすんで修復する者はいない。
だが反面、アントワネットが信頼を置く貴族たちは彼女に忠誠を誓い、陰謀から守ろうとしていた。


まさにアントワネットの周囲には様々な人物がいるのである。





オスカルも又、ただアントワネットに仕えているだけではない。

領地の作物の出来高を毎年比較し、管理人を呼んで来年度の作付けについて指示を出したり、色々な取り決めにサインをしたり、一部の財産などの運営も、父に代わって管理を引き受けたものは責任を持って処理していた。


武人になれと父に言われている彼女であるが、フランスの財政も厳しい折、ただ俸給や領地の徴税に頼るのではなく、家督を継ぐには事務処理能力も必要な時代になってきていた。

ジャルジェ夫人はそんなオスカルの姿を見て、アンドレが将来オスカルの執事の役目をすることを願っていた。
出来れば外部ではなく、家の中に信頼できる人物を置くことは大切である。
今までの働きから見て、彼を一番に押すのは当然の結果と言えよう。


アンドレにしても、フェルゼンが現れて以来、オスカルの関心が彼に傾いているような気がして仕方がない。
自分こそがオスカルを守るのだと心に誓ってからこっち、何か彼女に尊敬される事をしたのだろうかと自問し、こういう時にこそ自分の存在をアピールしようと、見慣れぬ帳面相手に奮闘していた。


オスカルは最近では母の勧めでアンドレにも仕事の内容を覚えてもらい、作業を軽減しつつ、他の事にも気を配ろうとしていた。


特にベルサイユから少し離れたパリにはいつも不穏な動きがある。
パレ・ロワイアルは急進派の温床となっているし、戴冠式の前でもあり不穏な動きもちらほらと見受けられる。

彼女はジャルジェ家の古い使用人で、特に口の堅いモーリスという男を何年か前に花屋に仕立ててパレ・ロワイアルに店を構えさせ、道行く人々の気になる動きをそれとなく報告するように命じていた。

モーリスは身分は平民だがかつて軍に属していたこともあり、目先も効く。
本人も自由な花屋の暮らしを気に入って、すっかり本業にしているようだ。
今では下町の娘を売り子に雇い、なかなかの売り上げも達成しているという。



彼が言うには、買い物客を装う不審人物が、オルレアン公の元を訪ねてきた翌日には決まって王室批判のチラシやパンフレットがばらまかれているらしい。

不審人物の正体は街角の貧しい文士や絵描きで、新しい思想をばらまきつつ懐に収入も得て喜々としていると聞く。

当時は文字の読み書きが出来ない人も大勢いたのでパンフレットは絵入りのものも多く、子供の目に触れることもはばかられるようなものまで出回っている。

絵を描き文章を練り、それらを出版したりということは、一人の人間がやるには限界があり、影でオルレアン公が資金と場所を提供し、組織的に企てている可能性も否定できない。
どちらかというと、彼が裏で糸を引いているらしいという事は誰でも知っている。



アンドレは面が割れていないので、オスカルの頼みでパレ・ロワイアルに行き、時間つぶしに店をうろつきながら怪しいパンフレットなどを持ち帰る。

大した仕事ではないが、他国のスパイになったような気持ちで、彼も密使の大役を果たしているかのように楽しんでやっているらしい。



持って帰ったチラシの内容は根も葉もない妄想ばかりだが、貴族たちの軽薄な恋などが面白おかしく書いてある。
特に王室のゴシップは民衆の苦しい生活の憂さ晴らしになる。
又、宮廷貴族の不幸なネタは「ぜいたくの報いだ」と言わんばかりに人々にとっては蜜の味なのだ。

それに派手好きの王妃と尻に敷かれる内気な王などというものは、あたかもあげあしを取って下さいと言わんばかりの組み合わせである。
オスカルはいつかこのパンフレットにフェルゼンの名が出てくることを密かに恐れていた。





ある夜、母に頼まれてパリに本を買い求めに来ていたオスカルは、近くまで来たついでにパレ・ロワイアルのモーリスの花屋を訪ねた。

「あ、オスカル様。ちょうどよいところへ」
モーリスは複雑な面持ちで彼女を迎えた。

「こちらはいつもご懇意にして頂いているジャルジェ少佐様だ」
彼はそう言って店の売り子にオスカルを紹介した。

「ロザリーと申します」
若い売り子は恥ずかしそうに会釈した。オスカルをてっきり男だと思っているらしく、頬を赤くしている。


「実はロザリーが妙なものを預かりまして」
「妙なもの?」
ロザリーは手に持つ四角い金属の板をオスカルに差し出した。


それは銅の板で、何やら絵が彫り込んである。あまり詳しくはないが銅板版画の原板に違いないだろう。
「これは原板じゃないのか」
オスカルは描いてある絵を見てがく然とした。

『王妃アントワネット、新たな恋人に熱を上げる?!』
派手な絵文字の見出しに、稚拙な絵でしまりなく笑うアントワネットと顔が黒塗りの男性が抱き合っている様子が描いてある。

もし字が読めなくても、これを見ただけでアントワネットがふしだらな女だと勘違いするだろう。
今のところ新しい国王夫妻の評判も良く、問題になるようなアントワネットのゴシップは無かっただけに、オスカルのショックは大きい。

幸いフェルゼンの名は出ていないが、もう時間の問題である。




「どうしてこんなものがここにあるんだ」

「はい、実は先ほど私がお花の配達に行こうと店を出たところで、知らない人に声を掛けられたんです」
どうやらロザリーは人違いをされたらしい。

男は彼女が持っていた花束を見て「モーリスの使いか」と訪ね、ロザリーが「はい」と答えたら、何も言わずに原板を押しつけて去っていったそうだ。

「実はこのあたりで娼館に出入りするモーリスという同名の絵描きがいて、男はこれを娼館の女に預けるつもりだったんじゃないかと思います」



花束が合い言葉などとしゃれてはいるが、たまたま合致していたロザリーに間違って手渡ってしまった。幸い、暗かったので彼女の顔までは見られていないという。


オスカルは原板を持ち帰り、苦々しい思いで処分した。

でっちあげの恋など今までにもいくらでもあったのだが、今回ばかりはそれだけでは済まないという直感なのだから説明のしようがないし、それ以上にアントワネットとフェルゼンの組み合わせがどうしても不吉なものに思えて仕方がない。


後日、彼女自身はそれを「軽い嫉妬」ではなかったかと振り返っているが、それがフェルゼンに対してなのかアントワネットに対してだったのかは本人も定かではない。





オスカルはそのまま重い気分を引きずってフェルゼンの元を訪ねた。
深夜の来客ながらフェルゼンは彼女を快く招き入れる。ただならぬ事だとは感じているらしい。

「今はあなたに詳しいことは申し上げられない。フェルゼン、唐突な話だがすぐに故郷へ帰られることをお勧めする」

フェルゼンは微妙に眉をぴくりと動かし、全てを察したのか静かに立ち上がった。
「…見てくれ給え、これを」



彼は隣室にオスカルを案内し、まとめられたおびただしい荷物を彼女に見せた。
「実は明日の朝、…もし決心がつけば、の話だが…帰る段取りでいたのだ。君のところへは早朝に立ち寄るつもりでいたのだが」

「フェルゼン、あなたはご存じだったのか」
オスカルは風のうわさの早さに驚いていた。何かフェルゼンの耳に入ったのかも知れない。


「オスカル、君の真意はわかっているつもりだ。いや、知らせてくれてありがとう。私の存在が今のアントワネット様のお立場を不利にするのであれば、喜んで身を引かせて頂こう」



「うむ、私も不穏な動きを察知したので、いち早くあなたに知らせようと思って夜分と知りつつこちらへ伺ったのだ」
オスカルは原板の件をかいつまんで知らせた。

フェルゼンの肩が幾分、下がっていくように見えた。


「アントワネット様のお引き立てをいつも有り難く、ある時は他の方に申し訳なく思うときもあった。時には関係を誤解されるのではないかと知りつつ、あの方のお寂しい気持ちを思うと、私はそばにいて何かお役に立てることを探してしまう」
フェルゼンは大きくため息をついた。

すでにかなわぬ恋は始まっていたのだが、本人はそれと気が付いていないらしい。
そうではないかと勘ぐりながらも、オスカルは言うべき事を続けた。



「アントワネット様は見てのとおり、素直に愛情を表現なさるお方だ。その素直さと天真爛漫なお心は宮廷の者たちを引きつける絶大な求心力になっている。だが悪意は無くとも一方に厚くすると、別の一方は無視されたような不快感が伴うものだ。その中からあらぬうわさを立ててやろうという輩が出てきたとしてもおかしくはない。それに今はまだ戴冠式を控えた大事なときでもある。あまりあのお方の負担にならないように、火種は消しておきたいのだ」


「もうそれ以上、頼むから言わないでくれ給え、オスカル。私もよくわかっているつもりだ。わかっていてもいつかつまらぬうわさが出ると知りつつ放置していたのは私の責任だ。君に言われたからではない、前からそうすべきだと心の中で私はわかっていたことなのだ。ただただ君が後押ししてくれたことに感謝するだけだよ。私は今夜にでもフランスを発つ」


「フェルゼン、何か起きても決してあなたの責任ではない。悪いのはアントワネット様をを陥れようと企む者たちの方だ。私にもう少し力があれば、陰謀を暴くことが出来るのにと歯がゆいばかりだ。私の力不足をお詫びしたい」
オスカルはフェルゼンをまっすぐに見つめ返した。


「オスカル、君は真にアントワネット様のために尽くしている。私はそれを見てきたし素晴らしい臣下に恵まれたあの方にとっても幸せなことだと思っている。あまり恐縮しないでくれ給え。しばらくフランスを離れるが、君には色々と世話になった。たとえ離れても君は私の大切な友人だ。それだけはわかって欲しい」
フェルゼンは手を差し出した。


「あなたにそう言っていただけるのは光栄に尽きる。私も同じ思いだ」
オスカルは誠意を持って彼の手を握りかえした。
フェルゼンへのあこがれと、少しばかりの心の痛み。



『友人』、その言葉の意味をかみしめながら。






フェルゼンはその夜、フランスへの未練を断ち切ってスウェーデンに帰った。
アントワネットへの忠誠心を置き去りにし、親しくなった友と別れ、又その事を通して経験を積んだ彼は一回り大きくなって故郷へと向かったのである。




そのころ、オルレアン公は行方不明になった原板のことでカリカリと怒り、自分の陰謀であると疑われないように、ほとぼりが冷めるまでしばらく行動を控えざるを得なかった。


又、花屋の娘のロザリーはオスカルが女だと聞かされ、私の初恋は終わったとしょげかえっていた。



2005/4/1/



up2005/5/1/


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