−お知らせ− このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。 一部に実在した人物も登場していますが、その行動や性格設定は、「でっちあげ」です。 それを承知の上、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。 -落陽- 4月末のある日、国王は狩りの途中に気分が悪くなり病に倒れた。 苦しそうな彼をベルサイユ宮殿に運び込み、医師団が総出で診断と看病に当たっている間、寵姫のデュ・バリはつきっきりで看病し、女官たちは非常時にうろたえ、大臣は右往左往した。 オスカルの元へはジェローデル中尉が事の次第を報告した。 「陛下は天然痘にかかられたそうです」 彼の言葉を聞いてオスカルは顔色を失った。 「つい先日までたいそう元気にしておられたはずだ。間違いはないのだな」 誰しもオスカルのように国王が突然、重い病に倒れることになど心の準備はしていない。 しかし人の心は移ろいやすいもので、しばらくすると病に苦しむ国王のことより、彼亡き後に即位するはずの新国王へと目が移る。 もはや助からないとわかったとたん、王の権力は急速に失われていく。 人々は新たな権力に吸い寄せられるかのように、我こそはと先を争って新王に取り入ろうと画策していた。 又、王にも最後の仕事が残されている。自らの死が近づき、懺悔の証しとして愛人であるデュ・バリをやむを得ず追放しなければならない。 その結果、彼女は瀕死の王から引き離され、近くの居城に移された。 かつて王太子妃すら足下にひざまずかせた彼女は、すでに臨終にも立ち会えないほど立場は弱い。 アントワネットと王太子は王の病室から隔離され、刻一刻と迫る瞬間をただひたすら待っていた。 二人にはまもなく権力は転がり込んでくる。 だが栄光の座を待ち望むと言うよりは、未知への不安でこわばっている。 こうなれば感情の起伏があまり見られない夫のどんよりした表情がかえって頼もしく感じられるアントワネットだった。 実のところ、彼女自身も老王の死に悲しみと言うよりは、見送る義務という気持ちのほうが大きい。 王家に生まれた者の定めとして、身内のみならず自分も含めて命を引き継ぐという点で、死を受け入れることも誇りだという思いがある。 今、アントワネットの周囲で全ての世界が変わりはじめていた。 やがて長い苦しみの後、王は崩御し、新たな王が誕生した。 宮廷の人々はあわただしく「国王崩御・国王万歳」と連呼し、アントワネットたちを祝福した。 すべてが用意してあった通りに、ただちに新国王夫妻を乗せた馬車は死の影が覆ったベルサイユ宮殿から一時的に非難するために出発した。街道では民衆が新時代に期待し、新王を大歓迎で迎えている。 王様が変われば世の中は全て良い方向へ向くだろうと誰もが思っている。 前王は忘れ去られ、うしろだてを失ったデュ・バリは追放を言い渡された。 近衛兵はデュ・バリを修道院へ移すように命じられ、オスカルは自らその役を買って出てジェローデルと共に彼女の元へと向かった。 王位の移り変わりという一大事で、めまぐるしく変わる状況にオスカルたちは悲しむ暇も喜ぶ暇もない。 尊厳ある人の死に直面してなお、我が身の保身のことしか考えない身勝手な人々の姿に、水のように移ろいゆく権力の不思議を目の当たりにしているような気がしていた。 又、民衆たちも王の死によって古くて苦しい時代が終わることを期待して歓喜の声を上げている。 とは言え腹立たしいとかたくましいとかいう感情はわき出てこず、臣下として人に仕える間には色々ある事をひたすら実感していた。 特に若い彼女にとって国王の死を経て、自分自身が限りある命を生きるということがどういうものかと、思い抱かずにはおられない。 しかし実のところ、伝染の危険から彼女たちは王の最後の姿すら見ることが出来なかった。 いまもって、王が亡くなったことすら信じられない気持ちもある。 仮住まいの居城の部屋ではすっかり色つやを無くしたデュ・バリが長いすにぼんやりとした表情で腰掛け、途方に暮れていた。 服は長い間着替えていないせいかくたびれ、髪はボサボサと乱れ、泣きはらした目でオスカルを振り返る。 贅沢をしつくし、宮殿を我が物顔で牛耳っていた彼女とはまるで別人のようだ。 「デュ・バリ夫人」 「わかっているわよ。すぐに支度をするわ」 オスカルが修道院へ行くことを告げかけたところ、彼女は見た目よりもしっかりした返事をし、ようやくしゃんと立ち上がった。 王から引き離され死に目にも会えず、この部屋で我が身の処分を待つ間に、色々と考えていたものか、覚悟は出来ている様子だ。 だが、疲労のためか動きは緩慢で、何を持って行くものかとばかりに気も回らない。 「あ…」 何かオスカルに言いかけてやめてしまった。 彼女はなぜここに近衛隊の大隊長であるオスカルがわざわざ来たのかと言いたかったのだが、野暮な質問に思えて口には出さなかった。 「ご自身で準備をして着替える間、お待ちしましょう」 彼女のことを誰がどう批判をしようと、一国の王が愛し、最後まで励まし看取ろうとした女性である。オスカルは彼女を尊敬していたわけではないが、最後の礼を尽くすことが亡き王への心くばりと考えている。 「隊長、しかし時間が」 ドアの外で夫人の様子をのぞき込もうと首を伸ばしていたジェローデルがせき立てる。 「女性の着替えがそんなに見たいのか」 オスカルが冷たく笑いながら振り返る。 「失礼な!」 ジェローデルがふくれっつらをしながら勢いよくドアを閉める。 二人がしばらく待っていると、彼女は着替えもせずにそのままの姿で小さい荷物を一つ手に提げて出てきた。 指には王からもらったのであろう、色鮮やかなルビーの指輪を付けている。 貧しい家に生まれ、人一倍豊かな生活に執着していた彼女のことである。 どうせ金目のものはこのような日が来ることを見越して処分していたに違いないが、今こうして王との思い出の品を身につけている姿を見ると、亡き人を偲ぶ人の情を感じ取れる。 思えば王が亡くなって、一体どれほどの人間が心から悲しんでいるのだろう。 民衆に批判もされ、色恋沙汰の多い王ではあったが、少なくとも様々な温情をかけてもらったオスカルは、国王の死を悼んでいる。 デュ・バリに会いに来たのも、どこか共通する気持ちが有ったからなのだろう。 「身の回りのものだけ持って行くわ。あとは捨てておいて」 欲が深いと思ってはいたが、さすがにプライドがあるのか、この期に及んであさましいことをする気はないらしい。オスカルはこういうときに人の本性をかいま見ることが出来るのだなと思う。 よく見ると部屋の中は思った以上に片づけてあり、調度品もそのままになっている。 「では参りましょう」 オスカルはデュ・バリに腕を添え、迎えの馬車へと向かった。 「あたしみたいな女に親切にすることはないでしょ」 デュ・バリは自嘲したような口調で言う。 「あなたに対してではない、私は亡き王に対する礼を尽くしたいだけだ」 オスカルはそう言い切る。 「そうね、だけど…ありがと…」 「最後に一つ聞きたいことがあるのだが、よろしいか。デュ・バリ夫人」 護送する馬車に彼女が乗り込む直前、オスカルは聞いた。 「ええ、いいわよ」 今更、とばかりに少し戸惑うようなデュ・バリ。 「あなたはアントワネット様を憎んでいらしたのか」 オスカルはごく個人的なことも淡々と聞く。 「ううん、ちっとも。生まれた境遇が違うことは確かにねたんだわね。だけど、私があんな立場で生まれていたら、きっとあたしも…あたしみたいな女を毛嫌いしていたと思うわ。それだけの事よ」 「そうですか」 オスカルは少し安心していた。 「だけど私は私。他人がどう思おうが関係ないわ。あたしには私の人生しかないんですもの」 貧しい境遇からはい上がり、自分の思うように生き、そして又、振り出しに戻ったデュ・バリには様々な思いが去来しているにちがいない。 人知れず王のために流した涙も、誰から慰められることはない。 あきらめたような、又は新たに決意したかのような彼女に対し、オスカルは自分の幼さを感じていた。 デュ・バリがたとえ贅沢におぼれ、権力にひたった生活をしていても、そこまで成り上がってきた女の苦労や経験をオスカルには推し量ることは出来ない。 少なくとも彼女は大人で、自分は子供であることは痛いほどわかっていた。 「これからの心安らかな生活をお祈り致します」 オスカルは馬車に乗り込んだデュ・バリに敬礼をした。 後は部下が引き継いで彼女を修道院まで護衛する。 二人を交互に見つめていたジェローデルもつられて同じように敬礼で見送る。 デュ・バリの顔が少しゆがんだように見えたが、すぐに気を取り直し、オスカルたちを見つめかえした。 ちいさく会釈したようにも見えるが、もう遠くてはっきりとはわからない。 「権力などというものは永遠であるように見えてあっけないものですね。終わってみれば夢か幻のようなものです」 ジェローデルは視界から消えていく馬車と亡き王の最後の栄光とを重ね、万感の思いで見つめているらしい。 彼女も同じように、今ようやく王がこの世からいなくなったことを現実のこととして受け止めていた。 「だからこそ、無駄に生きてはいけないということだ。さあ、行くぞ」 「はっ」 オスカルの仕事はまだ残っていた。亡き人を弔い、墓所へは近衛兵が付き添う。 それまではしっかりと気を引き締めていこう。 彼女はこの悲しみを誠意で乗り越えようとしていたのである。 1774年5月。 しめやかな葬儀の後、過去の人となった王は静かに人生の舞台から退場して行った。 2005/4/2/ up2005/4/7/ 戻る |