−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物も登場していますが、その行動や性格設定は、「でっちあげ」です。
それを承知の上、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-フェルゼン-



『私がフランスに来てからもう2ヶ月あまりが過ぎようとしている。文化の違いを色々と感じさせられてはいるか、いたって快適な暮らしを享受している。歴史有る建造物やセーヌ川にかかる多くの橋などを見て歩くだけでも飽きない』




ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン伯爵。

彼はスウェーデンの貴族で、見聞を広げるためにヨーロッパ各地を遊学しており、フランスへは洗練された社交界を学ぶために来ている。
彼は故郷にいる妹宛に手紙で日常のことをしたためたり、日誌に書き記していた。


『驚くべき出会いだが、私はパリの仮面舞踏会で非常に美しい貴婦人と知り合った。こうやって日誌に書いている事すら未だもって信じられない。その方はフランスの王太子妃殿下であらせられた』



********************



フェルゼンはいい奴だ。

オスカルの思いは次第に確信へと変わっていた。
仮面舞踏会という素性の知れない所で出会ったときは先入観もあり、少なからず怪しい印象を持ったものの、昼に会い、夜に酒などを酌み交わしてみるとたいへん好印象の青年であることがわかる。

生真面目のカタブツでもなく、妙にひねくれもしていない。

まず何事も皮肉らず、人の悪口を決して言わないだけでも相当いざぎよい。

「実は仮面舞踏会で王太子妃殿下であると、お供の女官から聞いたのだが、よもや本当だとは思っていなかったのだ。いや、だが高貴な方には違いないとは思っていたのだが…。後で君に真実であると言われたときは震え上がってしまったよ」

と、アントワネットとの出会いについても少し恐縮しながら照れくさそうに打ち明ける。




『フランスでは新たに友を得た。オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ大尉という人物で、近衛隊の士官だ。驚くべき事に女性士官だった。たいそう剣の腕も立つらしく彼女には一分の隙もない。それに博学で、話をしていても分別があり頭も切れる。いつか君に紹介したい。非常に美しい人だ。彼女を見ればきっと恋してしまうだろう』



フェルゼンにとってもオスカルの存在は驚きだったらしい。妹に宛てた手紙に詳しく書いている。

『彼女は今まで女性だからと手加減されたことはないとも聞いた。そのせいか私はすぐには気が付かなかったが、見た目のほっそりした感じがやや中性的なので、アントワネット様に伺ったところ、おかしそうに笑いながら「彼女は女性なのですのよ」とお答えになった。しかしオスカルは本当に女性なのか。私は彼女に酒ではいつも負かされている』





特に酔うとフェルゼンはワインのうんちくが長い。

あまりに長くなると彼が酔いつぶれた証拠なので、一緒に飲んでいたオスカルはフェルゼンをパリにある仮住まいの屋敷に送り届けに行く。

酒の勝負ではオスカルがやや優勢と言ったところだ。





フェルゼンはフランスの貴婦人たちの厳しい品定めの目にさらされながらも、ややあか抜けない見た目がかえって誠実さを強調し、プラス要因となっている。

特に世界中を見聞したフェルゼンの話は誰が聞いても面白い。
知識だけ詰め込み、他人の体験談を我が事のように語る知ったかぶりの自称物知りとは全く違う。

少なくとも彼の話を知りたがるのはめざとい貴婦人方だけではなく、将校なども興味深く聞き入っている。





『自然に帰れ、というルソーの言葉が流行っている。この抽象的な表現を人々は好き勝手に解釈し、自分の快楽を追求することに当てはめている。だが人は自然の中で自分勝手に生きているわけではない。人々が平和に暮らすためには秩序が必要だ』



彼はフランスの上流社会を文化として吸収しつつ、決して同調しない。
ただ楽しいことを追求するだけの夜遊びや、退廃的な酒の席には現れない。


かと思えば剣の試合などではかなり活躍したり、不安そうな少女の舞踏会デビューをエスコートしたりと、さりげなく頼りがいがあるところを発揮する。
フェルゼンが巷の有名人になるまでにそう時間はかからなかった。

彼の正義感あふれる振る舞いはとても新鮮で、文句なしに宮廷に受け入れられていた。




オスカルは王室をお守りすると自分に言い聞かせ、アントワネットの護衛にやりがいを感じているものの、世界に出ていくというすばらしさを知り、自分とは違う生き方・考え方に触れて大いに刺激を受けた。

フェルゼンのように若いうちに色々な経験を積み、見聞を広げるのは自分の巾を広げることである。


子供の頃に夢見た冒険談を実現させた男が目の前にいて、自分と親友になりつつあることも彼女にとっては喜ばしいことであった。





『オスカルの屋敷に居候しているアンドレについて、今日、私は失礼な質問をしてしまった。君は貴族なのにどうして雇われ人のようなことをしているのかとたずねたのだ。アンドレは彼女の馬の世話をしたり、屋敷では給仕をしたり、ジャルジェ将軍にはへりくだっている。そんなに下手に出なくともいいのではないかと思ったからだ』




結局のところ、アンドレは臆面もなく本当のところを包み隠さず打ち明けた。
フェルゼンは別段、驚きもせずに聞き入り、「色々と事情もあるのだろうが、君と私は友人だ。だからこれからも是非今までと同じように接して欲しい」と、その後も親しい態度を変えることはなかった。




『アントワネット様とは事実を知ってからは正式に謁見を申し込んでお会いしている。あの方には一国の王太子妃様としてのお立場がある。私などが仮面舞踏会で軽々しくダンスにお誘いしたことが今では夢のようだ』




そのフェルゼンを初めて目に留めたアントワネットが、彼をお気に入りの一人に加えないはずがない。
彼女自身が外国から来たこともあり、異国の青年はどことなく同じ境遇のようにも思えるし、好意を抱くのも不思議ではない。


彼は宮廷一軽やかにダンスを舞う彼女をすすんでエスコートする。
浮かれたおしゃべりもちゃんと聞き、時には胸が踊るような冒険話を聞かせる。
特に世界中を旅した話はなかなか尽きることがない。
アントワネットにとっても彼と一緒にいる時間は楽しく短い。




『アントワネット様は見た目の通り、素直で明るい心をお持ちだ。楽しいことを探す時は少女のようにはしゃぎ、こちらまで明るい気持ちになってくる。私の話もたいへん興味を持って聞かれ、色々と質問までなさるのだ。時には旅で出会った人々のことにも触れ、アントワネット様のお優しい人柄が伺える』




王太子妃という立場もあり、フェルゼンを誰よりも独占できるアントワネットが、誰から見ても彼に惹かれているのはあきらかだった。

幸いなのは、フェルゼンがあくまで節度ある態度で一定の距離を置き、アントワネット以外の貴婦人などにも同じ態度で接していたので、特に問題視する者はいなかった。


それに彼が謁見に来るようになってからアントワネットのパリ行きは格段に減っている。
派手な行動を慎んでいるだけでもオスカルは一安心していた。
反面、フェルゼンが現れてから、アントワネットの夫に対する態度はますます高圧的になってきている。




書庫にこもる王太子に向かって、「本当にあなたは本の虫なのですね。外はよいお天気ですのにこのような薄暗いところにじっとしているだけなんて、本当に仕方ない子ですこと」などと夫を子供呼ばわりする。

だが反論できない夫がおそるおそるアントワネットに対して目を向けたとき、彼女は憐れみを含んだ表情で「ねえ、かわいそうな殿下」と付け加えた。

この時、フェルゼンに同行していたオスカルとアンドレだが、とっさに彼を部屋の外へと連れ出した。

彼が他言するとは思えないが、ご夫婦の関係がこれ以上暴露されることに抵抗があったのだ。
それほどアントワネットは夫に対しする口のきき方は遠慮がない。
たとえば二人きりだけの時ならまだしも、彼女は誰の前であっても夫を立てない。

男としてはプライドもなにもあったものではない。




その点はオスカルよりアンドレのほうが気になっている。

「何だかな、アントワネット様を見ていると、夫というよりはかわいそうな子犬と話しているって感じがするな。悪気がないのはわかるけど」
後でアンドレはオスカルにポツリとぼやく。

フェルゼンが相手の時とは全く話しぶりが違う。
夫に対する思いやりなどはもっとあってもいいのではないだろうか。

アントワネットが相手によって対応を変えるので、アンドレは男としてちょっと不満を感じる。だが、反論できない王太子に対しても同じようにいらだちも感じる。


「そんなことはないだろう。ご夫婦のことは私たちにはとやかく言う資格はない。ああ見えてお互いに無いところをおぎないあうお似合いのご夫婦なられたんじゃないのか」
オスカルは最初の頃に感じていた夫婦の危機は今では感じなくなっていた。

それなりの力関係で落ち着いてきたらしいというのが彼女の楽観的な考えだ。
しかし二人の会話はあくまで見た目での推測に過ぎない。




この頃、王太子夫婦に子供が出来ない原因はすでに宮廷の内部では明らかになっていた。
夫の身体的な問題で、妻に対して満足な性的な接触が遂行できなかったのだが、弱気な王太子がちょっとした外科手術を怖がり、なかなか解決に至らなかった。



アントワネットが夜通しパリへ繰り出して朝まで帰ってこなかったり、遊び好きな仲間と共に夜遊びに興じていた原因も、中途半端な性生活を嫌い、王太子の煮え切らない態度を不満に感じている部分が大きい。

だが、事が事だけに他所から強制しづらいものがあり、かえってアントワネットにさらなる努力が求められていた。

そう言うことも彼女の負担になっていたのは言うまでもない。



自分のことが原因でいらだつ妻を包み込むこともできず、夫はただ屈辱を耐えている。
若い二人は未だ、夫婦としてお互いがどう向き合って良いのかわからずに困惑していた。
しかし傍目にはやきもきさせられる夫婦にも、彼らの事は彼らでなければ解決できないという事情がある。




「フェルゼン。アントワネット様のことだが、殿下への態度は決して傷つけようとしておっしゃられているのではない。ただ、今はまだお世継ぎもままならず…」
オスカルは何気ない会話をきっかけにアントワネットの事を切り出した。

彼女の身近にいる者として誤解が広まらないよう、多少なりとも夫婦の事情を知らせておこうと思ったのだ。

「いや、わかっているよ、オスカル。ご夫婦のことをとやかくは私も言うつもりなどないし、他言する気もない。それにお二方ともいずれにはいたわりを持って落ち着かれる時がくると信じているよ」
フェルゼンはアントワネットに対しては非常に見方が甘い。





『私がアントワネット様にただひとつ、お役に立てるとすれば、あの方が重荷を少しでも忘れられるようなひとときを提供することだ』
フェルゼンのアントワネットへの忠誠心はこの頃から少しずつ養われていった。



彼が痛切に自覚したのは遠乗りに行こうとオスカルを誘った時だ。

ちょうど宮殿の庭園の樹や花は春の息吹が燃え立っている。
人もじっとしているより、動きたくなる季節になっていた。
前々から話は出ていたことだし、景色の良いところはアンドレがよく知っている。
決まれば早い、ではさっそくと言う事になる。



「私はここでお見送りをさせていただきます」
話を聞いていたアントワネットはにこやかに三人を見た。

そよ風が彼女のレースの襟を優しくなでていく。確かに見た目にも彼女の優雅な衣装は馬に乗るには適していない。
それにまず、大事な体であるアントワネットを誰も馬に乗せたりはしない。

き然と見送るアントワネットの瞳の奥に、捕らわれの身からの解放といったような、どこか救いを求める兆候があるようにも見える。
少なくとも、フェルゼンにはそう見えた。



「うらやましいわ、オスカルには夫がいないんですもの」

オスカルが軽やかに馬を走らせ、フェルゼンやアンドレと共に出かける姿が遠くなるのをアントワネットは宮殿の窓から見送る。

「世継ぎを産む義務もないし、なかなか男になりきれない夫を持たなくていいのですから。それに、何より彼女は自由だわ」
去っていくオスカルの後ろ姿を見つめつつアントワネットは深いため息をついていた。





『アントワネット様は陽気で愛らしいお方だ。だが、その瞳の奥に深い悲しみをしまい込んでおられる。あの方は深い孤独の中にいらっしゃるのだ。

時折、寂しそうに遠いところをぼんやり眺めておられるのをお見かけすると、もしかして本来は王妃などと言う華やかなお立場ではなく、ごく平凡な生活をお望みなのかも知れないとも思う。

だが現実はオーストリアの皇女としてお生まれになり、今はフランスの次期国王妃殿下というたぐいまれな定めにある。その孤独なお心を理解できる者は一人としていまい。

そしてアントワネット様自身も孤独を隠してしまわれ、決して人の目には触れることはない。なぜならアントワネット様は芯が強いお方なのだ』


フェルゼンの日記には、彼の優しい想いが綴られてた。






2005/3/29/



up2005/4/6/


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