−お知らせ− このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。 一部に実在した人物も登場していますが、その行動や性格設定は、「でっちあげ」です。 それを承知の上、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。 -パリ1773- オスカルはその日も早朝からあわただしく屋敷を出ていった。 アントワネットの初めてパリ正式訪問を間近にひかえ、警護に当たる近衛兵は特別訓練に入っている。 この頃オスカルはアントワネットに仕えるのが楽しくて仕方ないといった様子で、やたら張り切っていた。 「おーい、オスカル。マント忘れてるぞぉ」 と言うアンドレの声も耳に入らないのか急いで馬を飛ばして行ってしまう。 「まぁ、いいか。後で俺が届ければいいんだし」 彼の独り言を後ろで聞いていたジャルジェ将軍は軽く咳払いをした。 「なに、良いことだ。王室に忠実に仕えることが我が家の誇りなのだからな。あれもアントワネット様というご主人に気に入られて、本人もたいそうお慕いしているのだからこれ以上喜ばしいことはないではないか」 「はぁ、そうですね旦那様」 アンドレは少し間の抜けた返事をした。 最近のオスカルは何かと忙しそうであまり自分に構ってくれないので少し面白くない。 「お前もたるんでおらずにしっかりな」 ジャルジェ将軍はアンドレの尻をバシッと叩き、豪快に笑いながら朝食のテーブルへと戻っていった。 デュ・バリとの確執も過ぎてからこっち、アントワネットの関心事は何か毎日が楽しくなるような出来事を探すことだ。 そう言えばフランスへ来てからこっち、パリにはまだ一度も行ったことがない。 オーストリアにいる頃からパリのすばらしさは聞いていたので、誰彼となくつかまえてはパリ行きをおねだりしてみる。 だが、一国の王太子妃のご訪問とあっては並々ならない準備がいる。 誰が段取りするのかと責任をなすり合っている間に、もたもたと日々が過ぎ、事はなかなか前に進まない。 ついにアントワネットはしびれを切らし、国王に直訴してすんなり許可を得てしまった。 決まるとなると準備はあわただしく進められ、パリは新しい女王を歓迎するために沸き立った。 オスカルも正式にパリ訪問の護衛を命じられ、訓練も念入りに仕上げ、まさにその日を待つばかりになっている。 そんなパリ訪問が差し迫るある日の夕刻、アントワネットはオスカルを呼んでこっそりと耳打ちし、正式に訪問するまでにパリを下見したいと打ち明けた。 デュ・バリに対する毅然とした態度もさることながら、このところ、王太子妃らしくしようと少しばかりおとなしい風を装っていたアントワネットにオスカルも少々油断していた。 実は自らの楽しみを見つけようとしているアントワネットがしばらく様子を見ていたに過ぎない。 「それは過ぎた冒険ではございませぬか、正式なご訪問までお待ちになったほうが…」 と、オスカルがもしもの事を考えて、けん制しかけたものの全く聞く耳はない。 「もう、あなたまで王太子様と同じようなことをおっしゃるのね。前もって下見をしたほうが当日になって大失敗をしなくて済むものなのよ。ささ、早く早く、護衛して下さるわね。あなたも変装するのよ」 「はっ?」 あれよあれよと言う間にオスカルはそのまま彼女のたくらみに引き込まれた。 オスカルは質素ないでたちを笑われながら、自らも仮装したアントワネットを乗せた馬車につかず離れず護衛した。 馬車に乗り込んだ悪だくみ一味には王太子と彼の弟たちも含まれている。 「なるほど、遊び仲間がみんなつるんでるってことか」 彼女の独り言は誰にも聞こえない。 まんまと宮殿を抜け出したアントワネット一行はパリのオペラ座に出向き、ひとしきり楽しんでから町の名所や至る所を周遊し、夜明けになって何食わぬ顔でベルサイユ宮殿に帰ってきた。 いい迷惑なのはオスカルで、むっつりした表情で屋敷へ戻り、早くから起きていたアンドレに「おはよう」と声を掛けられ、余計な会話を避けて自室に戻りしばし仮眠を取る。 パリ訪問でオスカルがアントワネットのそばに付くことは決まっている。 うっかりとお忍び訪問を自分で漏らしてしまうかも知れず、ならばオスカルも最初から巻き込んだ方が良いと言うことになる。 「油断ならないお方だ」 後で思えば護衛かつ口封じというアントワネットの悪知恵だと悟った。 さて、そうこうしているうちに、アントワネットのみならずパリの市民たちが待ちに待った日がやってきた。 6月のよく晴れ渡ったある日、王太子夫妻を乗せた馬車は滑るようにパリへと凱旋する。 パリは町を上げてこの若い夫婦をこの上なく大歓迎し、何万人もの人で道や広場はあふれかえっていた。 オスカルは中隊を率い、お輿入れ以来の大がかりなパレードにさっそうと陣頭指揮に当たり、主役を乗せた馬車を先導した。 近衛隊による見事に統制の取れた行進は王室直属の部隊らしく華やかで気品に満ちている。 金モールの白い軍服に身を包んだオスカルは、白い羽根飾りの付いた帽子に白いブーツ姿で、特に今日はきびきびと動く白い手袋が目にもまぶしい。 このお祭りのようなにぎわいで、興奮のあまり沿道に飛び出してくる人々もいて、オスカルは不測の事態が起きぬよう、はみ出した人を元の列に押し込んだり、馬車の通り道を確保した。 まさにお輿入れの時と同じように人々の熱狂はものすごく、若い王太子夫婦に対する期待はオスカルも驚くほどであった。 この日の最大の山場はチュイルリー宮殿のバルコニーからの挨拶である。 殊に立ち姿も美しいアントワネットが姿を現したとたん、押しかけた群衆の心を強くつかみ、うねるように熱烈な喝采を浴びた。 アントワネットはこの瞬間、賞賛を独り占めしていたと言っても良いだろう。 これら善良なパリ市民及びパリに駆けつけた人々の上に君臨しているのはまさに自分だと言う驚き。 彼女は力強いエールを受けて力を得て、自分は神に選ばれ、女王として生まれてきたのだと感動を持って実感した。 そして今までにないほど女王の自覚をよりいっそう強めたのである。 少し後ろに下がったところで一部始終を見ていたオスカルもまた、人々の力強い熱狂ぶりに肌がざわめくほどの感動を受けていた。 これこそが王権の偉大さ、そして王室の繁栄は永遠に続くであろうという心の高揚感をしばし味わっていた。 ただ、アントワネットもオスカルもそれら民衆の期待が今後の振る舞いによって180度向きが変わってしまうという恐ろしさをまだ知らない。 期待の裏には義務が、歓びの裏には憎しみが寄り添っていることを忘れるのであれば、民衆は突然牙をむく。 女王としての自信も自覚も、全て民衆の突き上げるような力に支えられて目覚めたことも気が付かず、ただひたすら自らの持って生まれた力だと思いこんだことは彼女の不覚だったと言えよう。 「私はこの良き日を生涯忘れることはないでしょう」 アントワネットは隣で同じようににこやかに群衆に手を振る夫にささやいた。 だが彼女の言葉は人々の歓声にかき消され、夫の耳には届かない。 むしろ聞こえなくても良かったであろう。 アントワネットはこの日の感動などすぐに忘れ、自分の楽しみに没頭するのだ。 一時の繁栄など、歯車がかみ合わなくなった瞬間からあっけなく崩壊が始まる。 期待に応えられない王はやがて見捨てられる。 王太子夫妻への支持の絶頂期が今だとすれば、滅びへの序曲はこの時から始まっていたのかも知れない。 この公式訪問はアントワネットにとって大きな意味があった。 フランスに嫁いでから3年を経て、アントワネットはようやく自分の上に輝く王冠を意識し始めていたのだ。 自分の膝元には何十万人もの人々がかしずいていることも自覚した彼女は、女王らしい振る舞いも同時に身につけ始めていた。 常に誇らしく顔を上げ、言葉遣いもていねいな中に威厳を持ち、何より目つきに相手をひざまずかせてしまう力を帯びてきた。 今までアントワネットに妹のようなイメージを持って見ていたオスカルも、その変貌ぶりに戸惑うほどだ。 暗に良い行動を促したり、さりげない言葉で彼女の後押しをしてきたが、そういう助言をする隙が次第になくなってきていた。 一国の女王とその臣下という、自分でもわかっていたはずの立場の違いを彼女は改めて感じている。 とは言えオスカルに対する信頼には変わりはなく、こっそりとパリに行くときは一言声を掛けて行くという茶目っ気も忘れてはいない。 アントワネットはよほどパリが気に入ったのか、公式訪問の後は何度もパリへと繰り出している。 今日はパリへの護衛、明日は留守番と、いつの間にか彼女はアントワネットに振り回されているのに気が付くのだった。 しかしオスカルにも気がかりはある。 アントワネットはパリ訪問の後、どことなく落ち着きがない。 それはパリの快楽が彼女を誘うからであり、ベルサイユでは味わえない歓びがそこには有ると直感したからであろう。 特にオスカルに護衛を断る時など、何かたくらみがあるのではないかと勘ぐってしまう。 いくら女王の自覚を持ち始めたとは言え、元々は天真爛漫な彼女のことである。 いつ、ご自身の立場をうっかりお忘れになるやら知れぬと警戒せずにはいられない。 相変わらずの保護者気取りは、もうしばらく抜けそうにないオスカルだった。 パリ訪問の後、オスカルは短い休暇をもらい、久しぶりにアンドレを伴って遠出に出た。 夏も終わりに近いものの、暖かい陽気で森の中の湖にはゆらゆらとかげろうが燃え立ち、湖面の照り返しが目にまぶしい。 馬を休ませ、湖の水際に立つオスカルの姿を遠目に見ていたアンドレは、光の中に天使が立っているような錯覚さえ覚える。 まだ成長期の二人は日増しに体つきが違ってくる。 天使と言うよりは今では女神様のようだな、と彼は他愛ないことを考えながら、オスカルが横に座って話しかけてくるまでぼんやりと景色を楽しんでいた。 「アントワネット様がこのところずいぶんしっかりとなされてきて、私もそろそろ一歩下がったところでお仕えしようかと思っているんだ」 オスカルは以前の張り切り方とは少し違ってきているようだ。 アントワネットの世話を焼くことが少なくなってきたので多少寂しい気持ちがあるらしい。 「いつか女王様になられるのだからな。いつまでも誰かの手を借りているようじゃ周りも困るだろうな」 「アンドレ、パリはそんなに面白いところだろうか」 「え?」 いきなり会話の方向転換にアンドレは一瞬、面食らった。 少なくともパリでの楽しみと言えば、男と女では少し違うし、こういうとき何をどう答えればいいのか少し言葉を選ぶ必要がある。 「大きな町はそれ自体が魅力的な生き物なのさ。だからパリに魅入られた人間はパリに恋するもんだよ」 「何だ、わかったような口をきくんだな、さては何か隠しているんじゃないのか、アンドレ」 「そんなことないない!」 アンドレは全否定してみせた。 「だけどなんていきなりパリなんだ」 「アントワネット様が公式や非公式にパリに行かれる機会が増えている。私もお声がかかれば護衛について行くのだが、あまりに頻繁になってもどうかなと思うし」 何より、夫をほったらかしにして妻が夜な夜なパリに遊びに出ていくというのもあまりほめられたものではない。 お世継ぎが出来ない原因がどうやら夫にあるという話は宮廷でも出はじめてはいるが、だからといってその反動で遊びで気を紛らわせているにもほどがある。 しかしさすがにオスカルもご夫婦の事にまでくちばしをはさむことなど出来ない。 忠告できる身分ではないという前に、そもそも彼女自身が結婚というものを体験しておらず、まして不毛な性生活というものなどは想像も付かない。 「かといって、おやめ下さいと言えない立場なんだな」 アンドレはそう推測する。 「今はまだいい。だがパリでは貴族だけではなくどのような種類の人間と接触するかわからない。私一人の力ではアントワネット様を守り切れないんだ」 オスカルは思わず腕組みをする。 せっかくの休暇に日常の義務を思い煩うのも損な性格だとアンドレは眺めている。 ま、それがオスカルらしいところなのだが。 「いいじゃないか。いろんな人に会うのも勉強だしさ。案外、運命の出会いなんてものも有るかも知れないぞ」 アンドレは全くの楽天家だ。オスカルはコイツに相談したのは間違いだったと苦笑しつつ、確かにもっとアントワネットを信じておおらかに構えるべきだとも思った。 彼女はそのまま後ろに倒れ、ぼんやりと空を見上げた。 視界の隅にはアンドレの背中が写っている。 「お前、広い背中をしているな。いつからだ」 「前からだ」 ふてくされたような返事が返ってくる。 そのあと彼は、俺は男だからだよ、と一言付け加えたのだが、彼女はもう聞いてはいなかった。 ここのところ疲れていたのか草の上でうたた寝をしてしまったのだ。 年が変わり1774年、相変わらずパリに通うアントワネットがある日を境目に非常に美しくなり、弾むような足取りにいっそう女性らしい仕草が加わったのをオスカルは感じていた。 特に彼女がお気に入りの仮面舞踏会に行く日はおしゃれも念入りになり、頬は紅潮し、うきうきとして落ち着かない。 だがオスカルが彼女の異変の原因に気が付くのにさほど時間はかからなかった。 ある時、仮面舞踏会に護衛として付いていった彼女が見たのは、アントワネットが熱っぽい目線で、とある青年を見つめている光景だった。 ここでは人々は仮面を付けて正体を隠し、しばし現実を忘れてダンスに興じている。 中には素性の知れぬ者もいて、外国からの密使やよからぬ企みをしている者も混じっているに違いない。 オスカルにすればこのような所にアントワネットが紛れ込むことは当然有り難くない話だ。 おのずと目つきは鋭くなる。知らぬ者から見れば、一見オスカルのほうが怪しい。 アントワネットが見つめるその青年は淡い色の髪に勇敢そうな灰緑色の瞳をしており、誠実そうな美しい顔立ちと立派な姿は一目で大貴族とわかる。 少なくともいかがわしい所にいても、アントワネットの見る目はかなり高い。 その上青年もまたこの上なく大事そうにアントワネットを見つめており、誰が見てもこの二人は絵に描いたように似合っていた。 運命の出会い。 まさかアンドレの何気ない一言が予言になったとは思えないが、オスカルは何やら気持ちが落ち着かない。 だが彼女の思いなどにおかまいなくアントワネットは青年とダンスを楽しみ、ようやくその後で柱の陰にいたオスカルを紹介した。 オスカルは彼に対し慇懃に会釈する。 どうやら二人はすでにずいぶん親しい。 オスカルは無理矢理にでも常にアントワネットの護衛に付いていなかったことを後悔した。 「この方はハンス・アクセル・フォン・フェルゼン伯爵とおっしゃるのですよ」 アントワネットは軽く息を弾ませながら彼女に青年を紹介した。 もうすでにお互いに身分はわかっているらしい。 「よろしく、ジャルジェ大尉」 フェルゼンは愛想良く手を差し出し、オスカルとかたく握手した。大きく力強い手のひらだ。 さわやかに笑う笑顔が良い印象を与える。 だが、なぜかオスカルは妙な胸さわぎのようなものを感じていた。 2005/3/20/ 再び、話を進めるために歴史上に有ったことを、でっちあげつつ、全然ドラマチックでない展開で進行しています。 実は一つ前にアップした「近衛隊1773」は、このお話より時間的には前の出来事ですが、後から書いています。 つまり話を一つまとめてから、その前に別のエピソードをはさんだ方が面白いときは、少しさかのぼったものを追加で書いたりしています。 おかげで手元には何個かのエピソードが未完のままダブついているのですが、これって何となく片付かないのでちらかって困るわぁ。 2005/3/28/up 戻る |