−お知らせ− このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。 それを承知の上、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。 -小さな戦い- 少女の記憶に残る最初の光景は、母親が住み込みの居酒屋で、テーブルに顔を伏せて泣いているところだった。 夫が失踪してしまい、途方に暮れていたのだ。 母が言うには彼女の父は貧しい修道士で、立派な志を持っていたにもかかわらずいつのまにか酒と女におぼれ、借金を重ねたあげくどこかへともなく去っていってしまったらしい。 後に残されたのは幼い娘と借金だけだった。 少女の名はジャンヌという。 父親譲りの優美な眉と優しそうなまなざし、母によく似た卵形の顔とすんなりとした鼻が非常に美しく、彼女は母親が老いて来たのとひきかえに美しさを増し、居酒屋の看板娘になっていた。 後ろ盾もなくお金にはしょっちゅう困っていたが、心配する事はなかった。 ジャンヌは自分の美貌は武器になることを子供の頃に知っていた。 ちょいと流し目を使うと、酒に酔った客たちが下心もあきらかに、彼女の胸元に気前よく金貨などを差し込んでくれるのだ。 早く母親に楽な暮らしをさせてやろうと居酒屋で働いたが、それだけでは稼ぎが足りない。 かといって針仕事のような根気のいる仕事は儲けも少なく、第一、性に合わない。 そうこうしていると彼女の美しさに惹かれた身なりの良い貴族がジャンヌを誘い、手取り足取り大人の遊びを手ほどきし、さらに大金を握らせてくれる。 男を手玉に取る事を覚え、お金を得て生活が安定していくたびに、彼女は心の一部を眠らせ、ただひたすらどん欲に裕福になることだけを望んだ。 金貨や宝石、権力というものを求め、山師のような男とも共謀し貴族のデュ・バリという名を手に入れ、やがてはフランス国王の寵姫という立場を手に入れた。 振り向けば色々な事をやってきた。だが後ろめたい出来事一つ一つを思い出していては気分が沈み込んでしまう。 どこまでも満たされない想いを胸に持ちながら、常に前に進んでいかなければ、今の自分がとてつもなくつまらない人間に思えてくるのだ。 ジャンヌは今日も贅沢な暮らしと、沢山の人にかしずかれ、栄光のただ中にいることに歓びを見いだす。 騒動はアントワネットが輿入れをしてきて間もなく起きた。 アントワネットがデュバリを全く無視し、声をかけないどころか鋭いいちべつを投げかける。 明らかに敵意を含んだ目は誰にも明かで、デュバリの自尊心とプライドを傷つけていた。 宮廷では身分の高いものからでしか声を掛けることは許されない。 アントワネットが誰に声を掛けるかは、その場にいる者たちの重要な関心事である。 そこで故意に国王の寵姫が無視されたとなると、これ以上面白い話題は他にないではないか。 デュバリは元々、心根の良い女性である。 だが今は一国の王の寵姫という立場にある以上、国王の孫の嫁から無視されたとあっては、取り巻きの者たちに示しが付かない。 すでにうわさは宮廷中に広まり、デュ・バリは「それ見たことか」と一部の笑いものになりかけていた。 相手は年端もいかない小娘である。 何の苦労も世間も知らない娘にバカにされているようでこの上なく腹立たしい。 彼女は政略結婚で嫁いできたかわいいお姫様を喜んで迎えに行ったし、友好的に接するつもりだった。 それらのアントワネットに対して残していたほのかな愛情は、全て憎しみに変わっていく。 こういうときはかえって毅然とした態度を取らなければと、アントワネットの前で誇らしく立っていても、わざと無視されればそれがまたうわさの種になる。 ついにジャンヌ・デュ・バリは我慢しきれず、国王の膝で激しく泣きじゃくる。 デュ・バリの涙で国王はうろたえた。 今まで静観していたが、このままでは騒ぎが大きくなるばかりだ。 だが、自分の妾が困っているからどうにかして欲しいと、正面切って言いにくい。 時にはアントワネット付のノワイユ女官長にさりげなく忠告するように伝えたり、彼女の後見人・メルシー伯を呼んで事態の打開を求めたものの、いかんせんアントワネットの背後では三人の叔母たちが糸を引き、「あんな女に負けてはなりません」とハッパをかけている。 そうこうしている内に事態はどんどん大事になり、舞踏会ではいつ彼女がデュバリに声を掛けるかが賭け事になり、その決定的瞬間を見守る人々の緊張感で空気は張りつめてきている。 こうなるとアントワネットもデュバリも後には引けない。意地の張り合いはすでに一年半ほど続いていた。 国王の意志を遠回しにアントワネットに伝える作戦はあらゆる人を介して行われ、オスカルも例外ではなかった。 オスカルはデュ・バリの居間に呼ばれ、すっかり困り果てた彼女と対面した。 今までほとんど話す機会などない二人である。 特にオスカルはアントワネットのお気に入りで、たいていは王太子妃の近くにいる。 今日のデュ・バリは長いすに足を投げ出し、途方に暮れた様子である。 彼女の願い出はただ一つ、アントワネットを説得して欲しいというものだ。 「私は困っているのよ、オスカル・フランソワ」 彼女は小さくため息をついた。 「私の身分が卑しいことは自分で知っているわ。だけどあれほどはっきりと無視されて、みんなの笑い物になるなんて、これ以上耐えられないのよ。あなたからアントワネット様に一言進言して下さらないかしら」 少しばかり馴れ馴れしいデュ・バリの口調であったが、元いかがわしい女というレッテルを取り去れば、特に悪気のなさそうな普通の女性であった。 「残念ながら、私はアントワネット様に進言できるほどの身分ではございません。特にアントワネット様は大変プライドが高いお方です。ご自身の判断でしか動かれることはありますまい」 半分は本当であった。 また半分は、オスカルのデュ・バリに対する不信感である。 国庫の予算を用いて贅沢をし、取り巻く者には恩情をかけるかと思うと、嫌いな者は失脚させて恨みを買い、元平民の出でありながら民衆からもひんしゅくを買っている。 たいていの悪事は打算的な後見人の悪巧みであろうが、国王をも動かす重要な立場を考えるとデュ・バリのあまりな無知も罪がないとは言い難い。 この騒動の責任が全てアントワネットにあるのかというと、そうでもないとオスカルは見ている。 どちらかというと、オスカルは第三者の立場として傍観しているに過ぎない。 だが、こうやって話をしているとデュ・バリは嫌な女かというと決してそうではないことを彼女は感じている。 デュ・バリは特別プライドが高いわけでもなく、おっとりとしていてヒステリックになるタイプではない。 素朴で誰にでも愛想が良く、気の毒な話にはすぐ涙し、小さな事でも面白がって笑いさざめき、その様子は平凡な娘と何ら変わらない。 ただ一つ違ったのは彼女が国王という最強の後ろ盾を持つ女性だったことだ。 権力を保つために、時には自分を潰しにかかる相手と戦うことも必要なのである。 だが彼女が戦う本当の理由は、自分のような卑しい生い立ちの女でも人から認めて欲しいという心の奥底から出てくるような熱望に過ぎない。 生まれたときから王女という特別な立場にあり、何の努力もなく人々の注目を浴びるアントワネットには、デュ・バリの気持ちなど到底理解できないだろう。 「私が口をはさむことでは有りませんが、ただ一つ言えるのは憎しみあうだけでは何も解決しないという事です。あえて負けることも長い目で見れば勝ちという事もありえましょう」 オスカルはさらりと言いのけて去ろうとした。 不意にドアのところでデュ・バリの苦笑した顔と目が合う。 「どうしようもないのよ、こうなれば」という声が聞こえてきそうだった。 この根回しの拒否でオスカルが失脚させられる可能性がなかったわけではない。 ただ、デュ・バリには少なくともオスカルに悪意がないことは理解できた。 負けるが勝ちという意味もわかる。 だが何事にも謙虚に振る舞っていたら、どん底からはい上がって、このような栄光など今頃手にしているはずがない。 さて、一方のアントワネットだが、今日も決定的に国王からの強い意志が伝えられ、彼女は憤慨していた。 いつもは聞き役のオスカルもそろそろ事態の収拾に動くことが賢明と感じている。 このあたりが潮時かと、他人の言うことなど聞かないアントワネットに彼女はさりげなく水を向けてみる。 「あんな卑しい身分の女がどうしてこの宮廷に出入りし、権力を欲しいままにしているのでしょう、私にはとうてい許せません。デュ・バリ夫人に声を掛けるだなどと…」 アントワネットは袋小路に迷い込んだリスのごとく、出口を見失っていた。 「ではこの状態が続くことが最良の策なのでございましょうか。国王様やひいては母君のマリア・テレジア様への影響はいかがなものでございましょう」 オスカルはアントワネットの感情が少し落ち着いたところで質問した。 「そんなことぐらいわかっております。あなたは私があの女に負けた方が良いとおっしゃるの、オスカル」 アントワネットはまだ少し怒りが収まらないらしい。 「いえ、ただ私はアントワネット様に最良の解決方法を取っていただきたいだけです。私はあなた様がどのような決断を下されても、その結果が最良であることを信じております」 すでに事態はフランスとオーストリア両国の大問題に発展しつつあった。 マリア・テレジアからの真に迫る手紙もさることながら、メルシー伯までもが国王に圧力をかけられ、アントワネットに早く折れるよう求めてきている。 なにより国王その人が我慢の限界に来ているのは間違いない。 もしこのままオーストリアと戦争になどなれば、ようやく訪れた平和が台無しになる。 オスカルにとっては、アントワネットの冷静な判断を信じるしか手はない。 周囲の人間からもそろそろ子供じみたことを控えるようにと暗に言われ始めているアントワネットである。 三人の叔母たちは彼女を焚き付けはするが、自分たちは矢面にも立たず、アントワネットを利用しているに過ぎない。 当人も最初の勢いはとうに失せ、今は自分のプライドにつく傷ができるだけ小さくなるにはどうすればよいかと思案する。 かといってあれこれ思い悩むのは彼女は特に苦手である。 「わかりました、オスカル。だけどただ一度だけです、それっきり二度とはできません」 オーストリアの母のためならという思いと、宮廷中の張りつめた空気を改善するのは将来の女王としての私の義務なのだわと彼女はようやく結論づけた。 ついに1772年、新年の挨拶でアントワネットはデュバリに対して声を掛ける。 全く感情も入らず、友好的態度も感じられないものの「今日はベルサイユはたいへんな人ですこと」という彼女への一言はアントワネットの決断から出てきた言葉である。 王太子妃が成り上がりの女に敗北した。 どよめきこそなかったが場内は一瞬静まりかえり、世紀の瞬間に立ち会うような緊張感が流れた。 デュバリの顔が明るく輝き、意識せずとも勝利の笑みを浮かべたのを見逃さない人はいない。 国王は長いあいだ彼女の態度が変わることを待ち望んでおり、人々はすでに二人の小競り合いに飽き飽きし、とにかくこの日を境にようやく再び宮廷に平和が戻ってきたことを実感した。 ただ一人、怒りのあまり顔色をなくしたアントワネット以外は。 彼女が後で小部屋に下がり、さんざん悔し涙を流すところをオスカルは目撃している。 「これきりです、あんな女に二度と声など掛けません」 一国の命運をかけて嫁いできた王女が娼婦に負けるなどということが有って良いものか。 彼女はどうにもならなかった自分の無力さに腹立たしいやら悔しいやらで、声を上げて泣いていた。 オスカルはアントワネットの事を「頂上に立つことを恐れない」人であると感じ、正直なところ感動を禁じ得ない。 同い年というものの、少し幼い考えを持つ彼女に対して、保護者的感覚で見ていたオスカルはこの時、アントワネットの真の強さを知った。 アントワネットのやり方はともかくとして、娼婦上がりの寵姫が国王を牛耳ること自体に真っ向から反対した彼女の信念は敬服に値する。 このお方を守る役目もこれまで以上に誠意を持たなければと、決意も新たに自分に言い聞かせていた。 オスカルはそっと後ろ姿に敬礼し、部屋を辞した。 アントワネットにとってはただ腹立たしいだけの顛末だったが、落ち着いてくると考えも変わり、感情的な事を大問題に発展させ、叔母たちの口車に乗って動かされていたことを反省をもってしみじみと振り返るのであった。 過ぎてみれば、かえって意地の張り合いに勝ったデュ・バリのほうがその後、アントワネットに恐れをなし、ひれ伏すようにおとなしくなっている。 やがて権力の座に着くアントワネットにたてついた彼女の末路はわかりきっているのだから。 オーストリアからも毎日のように、軽々しい行動を慎むようにと忠告する愛の鞭が届き、彼女は苦い薬も愛情なのだと言うことを身をもって知るのである。 また、アントワネットの無邪気な正義感が正しかったとしても、国王の権力の前では何人も抵抗できない事を教訓として得た。 それほどまでに強い王権の絶対性は、その後の彼女が女王という権力の座に着いた瞬間から、命をかけても「絶対王政」を譲らないという強い信念へとつながっていくのだ。 幸い、デュ・バリとの騒動が決着してからは叔母たちはアントワネットに失望し、干渉をしてこなくなった。 オスカルはやれやれと胸をなで下ろし、あらためて人間関係とはその人の運命を左右するものだなと感じていた。 特に将来の王妃という立場上、アントワネットを取り巻く人々には様々な思惑がある。 願わくは良き出会いと良き行いがアントワネットにもたらされるよう祈るような想いでいた。 しかし、オスカルに対して望むのはとうてい無理な事だが、アントワネットが必要としていたのは忠実に仕えてくれる臣下ではなく、もちろん内気で消極的な夫でもない。 とりとめのないおしゃべりで寂しさを紛らわせ、ぴたりと身を寄せて他愛ない恋のうわさ話などをささやく親しい女友達を求めていたのである。 もし彼女の夫が年齢も幾分上で彼女を包み込む包容力があり、楽しい遊びも積極的に提供できるような男であれば、また話は違ったかも知れない。 アントワネットは政略結婚に夢を描くのは無駄であると悟り、自分の楽しみは自分で見つけていかなければと、少しずつ自覚していったのである。 2005/3/16/ 後書き:またツワイクのパクリその2です。(^^;) 気が向けば後書きは後日書きます。(^o^) 2005/3/19/up 戻る |