−お知らせ−
このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
それを承知の上、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。







一対の肖像



王太子妃アントワネットがオーストリアからやってきてから三ヶ月ほどが過ぎていた。

注目を一身に浴び、明るく陽気な少女は優雅に振る舞い、宮廷中の人々を魅了したかと思うと、時には幼い子供のようにはしゃいでは、周囲を驚かせる。

厳しいしきたりを教えるために口うるさい教育係のノワイユ女官長の小言も、オーストリアから派遣された後見人のメルシー伯による容赦ない本国への報告書もなんのその。


彼女の持ち前の活発さと人を丸め込む口達者はほぼ誰に対しても無敵であった。
彼女を撃沈できる唯一の人物は遙か彼方にいて、耳に痛い忠告の手紙は届くものの、アントワネットを諭す効果は激減している。



まだまだ子供故に大目に見て欲しいというオーストリアの母からの念押しもあったためか、国王は寛大に静観し、アントワネットの夫に至っては陽気で可憐な妻を扱いかねて新婚早々すでに尻に敷かれている。

特にお世継ぎはいつ頃になるかという関心事もあり、ここ数ヶ月というものアントワネットの一挙手一投足が宮廷中では一番気になるうわさの種であることは疑う余地もない。




しかし一方のアントワネットもそろそろ宮廷になれてきたこともあり、「気になる」人々が幾人かできていた。


まず、夫の三人の叔母たち。すなわち現国王ルイ15世の娘たちである。
彼女らは日々の生活でアントワネットと密接につながっており、宮廷のしきたりなどを彼女に教えたり、年長者の知恵を説いていた。


叔母たちの話には多少退屈な話もあるものの、宮廷内のうわさを面白おかしく斬り刻む語り口が面白く、アントワネットは彼女らの部屋で開かれるお茶会にはほぼ日参していた。


次に気になるのは、国王と常に一緒にいるトロンとした目つきの女性である。

どちらかというとおっとりした感じで機敏そうには見えないが、国王をまるで子供のようにあしらっている。

彼女の周りには人も集まり、ちやほやされて思い上がっているようにも見える。
確か結婚式の時にもいた女性だわと彼女は思い返すが、未だ誰もその女性をアントワネットには紹介しない。



仕方なくアントワネットはノワイユ女官長にその女性の事を聞いた。
「男性を喜ばせる仕事の女性ですわ」と彼女は手短に説明するだけで詳しくは語りたがらない。どちらかというとあまり関わりたくないという含みすらある。




仕方なく、ある時叔母たちにその事を聞いてみると、待ってましたと言わんばかりに悪口の連射が始まる。


「あの女はパリの下町で男相手にいかがわしい仕事をしていた女で、何人もの腹黒い後ろ盾がついていてここまで成り上がった女なのよ」

「あんな女が宮廷にいることで、他の国の王室に陰で笑われているかと思うと腹が立つわ」



アントワネットも初めて真実を聞き、青くなって握りしめた手が震えた。

金目当てに身を売る女については、オーストリアにいた時からすでに母親は厳しく取り締まっていたし、彼女自身がもっとも毛嫌いする部類の女であった。



どうしてそのような汚らわしい女が国王様のお相手をするために宮廷に上がっているのだろう。

まだ幼いアントワネットには金のために身を売るという行為がどうしても理解できず、ましてある種の手練手管を使えば国王すら手玉に取るほどの武器が女にはあるのだと言うことなど知るはずもない。


当然、顔色を変えたアントワネットを見て、三人の叔母たちが含み笑いをしたのも気が付かない。



「あなたの気を煩わせるほどの女ではありません、無視すればよいのです」
三人の叔母たちはそう皮肉って笑った。





さて、良い意味で気になる人と言えば彼女のお気に入りとして近衛隊のオスカル・フランソワ大尉が妥当だろう。

彼女に直々に仕えるオスカルの誠実で潔いふるまいは、ひとりぼっちで異国へ嫁いできた少女には非常に頼もしく映る。


夕刻に気持ちよい風に吹かれようと庭を歩くときなど、オスカルは格好の話し相手になる。


「私はこちらに嫁いできましてから、宮廷のしきたりというものには苦労しておりますのよ、オスカル」

「フランスの宮廷は堅苦しいことも多いので、アントワネット様の戸惑いもわかるような気が致します。特に王室の権威を示すためにかつて沢山のしきたりが出来たと伺っておりますし」

「少し多すぎます。私はまるで機械仕掛けのお人形のようですわ」
アントワネットはうんざりした様子だ。

「はい、確かにご苦労は並々ならぬものでしょうが、それらは全ていつか貴女様のお役に立とうかと存じ上げます」
オスカルは冷静に答える。

「そうですね、オスカル。私も少しは気持ちを引き締めましょう」
アントワネットは時には愚痴をこぼしたいときもあるらしく、多少の羽目をはずした話をオスカルは真剣に聞いていた。



元来、オスカルは誰とでも分け隔て無く話をするが、おしゃべりが得意なほうではない。
どちらかと言うとアントワネットの聞き役になっているだけなのだが、特にオスカルは口が堅い。彼女も安心して話が出来るらしい。




舞踏会などでもオスカルの姿を見かけると手招きをして呼び寄せる。
「初めてお目にかかったときはあなたが私の夫かと思い違い致しましたのよ」
と、アントワネットにきわどい発言をさせてしまうほどだ。

「残念ながら私は女であります故に、たいそう勿体ないお言葉です。私は誰からも男に見えるそうですから、見間違えのみで済みましたことはアントワネット様のご判断がよほど優れていらっしゃるからでございましょう」


さすがに舞踏会の最中、それも人々が多く取り囲む中での発言と言うこともあり、当のオスカル自身がとっさに周囲を納得させ、あわてて火種を消さなければならなかった。
オスカルにとってアントワネットは、ちょっと手の焼ける妹のような感覚もある。




特に年格好が同じということで、アントワネットはオスカルにはすんなりと心を開き、事あるたびに「まあ、オスカル」「ちょっとこちらにいらして、オスカル」と気軽に声を掛ける。

舞踏会でも彼女はオスカルに対して優雅に白い手を差し出し、ダンスに誘う。
このように絶好のチャンスに、昇進なり身内の取り立てなりを願い出ることもなく、オスカルは淡々とアントワネットの要求に快く応じ、信頼を得る。



オスカルにとっては彼女に心より仕えようと言う気構えがあり、この機を利用しての取り立てなどを望むことは決してしない。

かえってアントワネットが特別に取り立てをしたいほどなのに、オスカルにはなんなくかわされている。



「ジャルジェ家は欲がない」などといううわさを耳にしても、将軍である父はそれこそが我が家の家訓とばかりに笑い飛ばす。





余談ながら彼女が一番に興味が持てなかったのは彼女に一番身近な人物、「夫」その人である。

夫ルイ・オーギュストは錠前作りや狩猟が趣味で、反対に社交的なダンスやカード遊びは大の苦手、殊に人前で気の利いた言葉などもとうてい口からは出てこない。

彼の感情は常に重苦しく、アントワネットのおしゃべりに対しての反応は非常に鈍く、どこか違い世界に住んでいるかのように会話はかみ合わない。


かといって、アントワネットの言うことには何でもおどおどと同意し、彼女の顔色ばかりをうかがい、結局自分が決めたこともあいまいですぐに撤回してしまい優柔不断なところが目立つ。

明るく優しい妻も次第にこの面白みのない夫に不満を感じ、図らずも言葉の端々にトゲが立つ。もちろん弱気な王太子のうわさは宮廷中に広まり、彼の姿を見かけたら女官たちまでもが柱の陰でクスクスと笑う始末。


あざけりの視線というものはたとえ勘が鈍い者にもわかるもので、そうなれば気の弱い夫はますます萎縮して自分の趣味へと逃げていく。


オスカルが観察している分にも、この若い夫婦に危ういもろさを感じずにはおられなかった。


だが、神が定めた夫婦と言うよりは、具体的には国同士の結びつきのために交わされた結婚である。

破局などがあってはならないし、その点はさすがに本人たちも心得ているだろう。





オスカルは時にはアントワネットの護衛のみならず、ルイ・オーギュストの供につく。

彼は宮廷ではおとなしいクマのようにちぢこまっていたが頻繁に狩猟に行っていたし、一見、不器用に見えながらも当時流行っていた自然科学についても彼は驚くほどの知識を披露し、オスカルとの会話を楽しんだ。



錠前作りは体力が要るという話も聞き、それではこういう時には正真正銘の男の話し相手が良かろうと、アンドレを伴って彼の鍛冶場に出向いてみると、ことのほか錠前作りに興味を示したアンドレとの話も弾み、さらに馬の話になると日が暮れるのもお構いなしに話し込んだ。

これでは大事なご夫婦の語らいの時間まで奪ってしまうと、オスカルが慌ててアンドレの袖を引くまで盛り上がった話は続いていた。




しかし時すでに遅し。外は足下が暗くなっており、待ちくたびれたアントワネットはノワイユ夫人を伴って夫を迎えに来ていた。


「まぁ、殿下。まだこのような汚いところで筋肉を鍛えてらしたのね。早く戻りましょう。晩餐までに弟君たちがカードで遊ぼうとお待ちかねですわよ」
アントワネットは元気にまくし立てる。

ルイ・オーギュストには、彼に似ず活発な弟が二人もいる。
彼らにとって不器用な兄・王太子はかっこうのからかう相手だ。

「……私はカードは苦手だし……あの……えっと………」
たいした会話でもないのに王太子はたじたじである。



ただ一言、「うむ、知らせてくれてありがとう。私はもう少しここにいる」ときっぱり言うことぐらい何でもないだろう。
と、そばで聞いていたアンドレは思った。


「いつもいつも、そのように鉄のかたまりをこねて何が面白いのでしょう。ほら、手もやけどがいっぱいできて、これではまるで腕が丸焼きの子羊のようですわ」
アントワネットは夫のゴツゴツした手を取って小言を並べる。

だが彼は嬉しそうでも恥ずかしそうでもなく、その真の気持ちを胸の奥底に沈めたまま、感情をどう表現して良いのか分からず、ただ困ったように目がうろうろと天井やらすすけた窓やらに移動するばかり。

ちょっと見たところ、母親に叱られて身動きが取れない幼子と様子は変わらない。




錠前作りを鉄のかたまりと言ってのけ、その技術の難しさや細やかな神経が必要な職人的技工など全く理解せず、夫を丸焼きに例えるアントワネットのむじゃきさに、オスカルは内心驚く。


結局アントワネットの一声には逆らえず、できれば避けたいカードゲームをするために引き上げていく若い夫婦の後ろ姿をオスカルたちは見送った。




……ご夫婦、そろって天然が入っていらっしゃるのかな。




と、オスカルとアンドレは互いに口には出さないが同じ事を感じていた。





今や平民のあいだでも王太子様は気が弱くて子作りが出来ないなどという風刺画が出回っているが、彼には賢い一面もあり、気さくな話も出来る人柄であることは会ってみるとわかる。


ただ気の弱さは誰が見ても明らかだった。
それは王としての素質としてはどうなのだろう。歴代の王たちも、中には摂政の才能が優れていただけだっり、たまたま万事うまく行っただけのラッキーな王もいたのかも、とアンドレは思う。



だが二人はこの時点で王太子の夫婦生活が決して順調ではなく、夫の身体的なことが原因で妻は満たされず、その反動で夫に多少なりともきつく当たっていることなど知るはずもない。






「どうして違うんだろうな」
すっかり暮れた帰り道、オスカルは唐突に話し始めた。
ついさっきまで黙っていたのは何やら考え事をしていたらしい。

「何がだい、オスカル」

「お前も両親が早くに亡くなって、他人の中で暮らしているのに、さほど内気でもないし、言いたいことははっきり言うし」

「言いたいことを言う、だけは余計だろ」
アンドレは(はっきり言うのはお前のほうだろう)と思い、(さすがに言えないが)おかしそうに笑った。


「殿下も早くにご両親を流行病で亡くされて、傷心の子供時代を送られてきた。ご自身の気持ちを隠してしまい、意志をしっかり持つことを誰からも学べなかったのかも知れない」
オスカルはどうやら、王太子殿下とアンドレをついつい比較していたらしい。



アンドレにとってはちょっとばかしオスカルに気にかけてもらって嬉しいものだが、比較の対象が次期国王と言うのもそれ相当失礼な話かも知れない。



実際、王太子の両親の相次いでの死には色々なうわさが尾ひれを付けて泳ぎ回っている。

次期国王の権力の座を奪い合い、両親は毒殺されたのではないかという話すらある。

そのような権力闘争に巻き込まれた幼い王太子がごく普通の愛情を受けて育ったのかどうかも定かではない。



「単なる人のうわさだが、王太子殿下は実のところご両親にあまり相手にされなかったと聞く。それに兄弟がたくさんいて、その中で上や下の兄弟と比べられて劣勢に立ってみろ。男なら誰だって自分に自信をなくしてちぢみあがってしまうぜ」
どこで聞きつけたうわさ話なのか、もっともらしくアンドレは言う。

王太子が肉親の愛を受けずに育ってきたのなら、心のどこかで人を信じられず、自分に対しても自信を持てずに今まで生きてきたのかも知れないな、などと漠然と考える。



「そんなものなのか」

「当たり前だ。男ってな、繊細に出来てるんだ」

「私は六人姉妹だが、そんな事はなかったぞ」

「女はみんな神経が図太いんじゃないのか」

「繊細よりは図太いほうが頼もしいもんだ」
オスカルは少なくとも繊細であるよりは図太いと言われたほうが嬉しいらしい。

「そう言えばアントワネット様も確か末っ子だったな。末っ子のお姫様はわがままで我が強いんじゃないのか」
すっかり饒舌になったアンドレは多少、調子に乗って言う。


「…何か言ったか、アンドレ」
さすがに今度はオスカルの鋭い視線が飛んできて、この話はピリオドを打った。





しかし、屋敷に帰り着き「お休み」と言いつつ二人が別れるとき、アンドレはポツリと一言言った。


「殿下と俺の違いは、多分、両親に愛されているのを知っていたか、そうでなかったかの違いじゃないのかな」
彼はそう言いながら、先日のミサに持って行ったまま、ポケットに入っていた母親の形見のロザリオを無意識に握りしめた。



貧しくても肉親や周囲の愛情を受けて育った者もいれば、たとえ裕福に暮らしていても愛のない家庭に育ち、自分がこれから築く家庭も果たして愛が芽生えるかどうかわからない者もいる。



アンドレの言うささやかな家庭の愛情の話ではないが、世界で最も小さい社会である家族の中で、助け合いも思いやりも感じられないのだとしたら、それはどんな身分であろうと寒々としたものなのだろうとオスカルは感じていた。




だが彼女自身は夫を持ってはいないし、アンドレにしても同様だ。
夫婦というものが長い道のりをどのようにして共に歩いていくのかと言うことについては、彼らには全くわからないことだった。


2005/3/16/




2005/3/17up






☆後書き

ほとんどツワイクのパクリみたいになってしまってますね。(^_^;)




☆後書き 追加

色々と市販本など巷の資料でを調べていると、当時の貴族は親子が決して一緒に住むとは限らなかったそうですね。

夫婦の関係についても今とはモラルが違うらしくて、多分当時の習慣は現代の感覚では違和感がありそうです。
平民からすれば、貴族に生まれると何から何まで決められていて自由がないことを気の毒に思っていたという話を聞くと、何が幸せなのかを考えさせられます。


オスカルも貴族なので、ルイ16世の生い立ちを聞いても本来なら「当たり前じゃん」という感じで思っていたかも知れませんね。

ただ、勝手な創作でそこまで当時の習慣にのっとって書かなくても、家族のあり方や夫婦の絆というものについて、有る程度は現代の「人情」感覚で書く方が身近に感じられるので、好き勝手に書いています。

なので、くどいようですが話の内容をそのまんま信じないで下さい。(^_^;)

歴史に興味が出たら、二次創作ではなく、即、歴史関係の本をゲットすることをお勧めします。ただ歴史本も同じ事でも解釈や微妙な違いはあります。

じゃあ、貴族にとって家族って、親子って何?……て事になると一言では言い切れないでしょうが、やはり子供は自分の命を継ぐ者だし、たとえ養子や養父母であっても、家を継いだり信念を継いだりしているし、運命共同体という点では現代と変わりないと思うんですね。

少なくとも親子というものは「他人同士」とは違う関係なのだし。
そこに何らかの愛情なり、絆というものがあったのではないか、と。
まあ、これは有る程度、私がそうあって欲しいなと言う願望ですが。


家を存続させる、あるいは王国の存続にかかわるという責任がある以上、自分の保身のために子供を利用したり、親子で対立したりという事もあるんですが、そんな場面で子供への愛情や自分のしがらみや、抜き差しならない要因が絡まってドラマになるんですねぇ。

他人事だからいいんですが、自分に起きたらちょっとイヤだわ。(^_^;)






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