−史上最大の作戦− アントワネットがお世継ぎのジョゼフを産んだことで、にわかに国内は沸き立った。 次のご時世こそは住みやすくなるだろう、という民衆のほのかな期待もあったのである。 そしてジャルジェ家でも、オスカルがそろそろ一人前になってから安定期が長く続き、次の代のことを考える時期が来ていた。 ジャルジェ将軍はオスカルの上にいる五人の姉の子どもの誰かを養子として引き取り、跡取りにすることを前々から考えていたのだが、オスカルもまた時期的に同じようなことを考えていたのである。 嫁いだ姉たちはそれぞれ思惑もあり、白羽の矢が当たるのは我が子かしら?と期待半分、不安半分で待ちかまえていた。 ジャルジェ家は嫁ぎ先よりは宮廷でも地位も勢いもあり、アントワネット様に直々に仕えるオスカルは信頼も厚く、そこの養子になると言うことは将来を堅く約束されたも同然だった。 誰が選ばれるかで後々もめてはいけないので、孫たちのいずれかを跡取りにするために、ジャルジェ将軍は公平にくじ引きで決めることにした。 その結果、次女の三男のリュックが選ばれ、あわただしく準備が始まったのである。 アンドレは空いている部屋を掃除した後、壁紙を貼り替え、家具を入れ替え、小さな男の子らしいさっぱりした個室にインテリアを作り替えていた。 これは本人もかなり気に入った仕事だったらしく、夜遅くまで続けていたのでついにはジャルジェ将軍から夜中に釘打ちだけは止めてくれと言われたほどだ。 ほどなくやってきた跡取り候補は深い緑色の目をした栗色の髪の少年で、年の頃は8才、初対面の今日のところはおとなしそうに見えた。 一応の礼儀は心得ているようで「リュックです。今日からよろしくお願いします」と、ちゃんと挨拶もした。 このことを一番喜んだのはジャルジェ夫人で、又ひとり子供が出来たと目を輝かせ、小さい服を用意したり子供向けのおもちゃや本を取り寄せた。 跡継ぎとしてちゃんと教育するのは主にオスカルの仕事だが、いざとなると何から手を付けていいのかわからない。 結局は一日一日の積み重ねなので、本人に無理なく自然にしっかりと、徐々に自覚を持ってくれたらそれで良い。日常生活を淡々と過ごせばいいのだと、ようやく考えを落ち着けた。 まずおきまりのコースでベルサイユ宮殿に連れて行き、その壮大さと王権の偉大さを説明し、簡単な社会の仕組みを教えた。 そして屋敷に出入りする人々のことや、ジャルジェ家の家系図やご先祖の武勇談などにも話は及んだ。 リュックは目を丸くして驚いたり、勇ましいご先祖の話に聞き入ったが、このように一度や二度、説明しただけですんなり理解できるとは言い難い。 とにかく、色々な経験を通じて自分の立場を早く理解してくれれば良いがとオスカルは思っていた。 一ヶ月もすると、リュックは暮らしにも慣れたのか、周囲のものにも遠慮なく話しかけたりもした。 「叔母上」 と言われると、つい苦笑するオスカルだったが。 さて、ジャルジェ家の跡取りとして肝心なのは帯剣貴族として必要な武術の基礎を教えることだった。 オスカルは剣の使い方から馬の乗り方まで仕込もうとして、時間の都合などで相手に出来ないときはアンドレにも手伝ってくれるように言った。 実はリュックは思いの外、アンドレになついた。オスカルに頼まれなくてもちゃんと相手をしていたし、むしろ楽しんでいるようだった。 馬に乗せて欲しいとねだったり、とっくみあいのまねごとをしてみたり、たいていの男の子らしい遊びは彼の専門だった。 真剣なケンカにもつきあったし、ちょっとした筋道などもアンドレが言ったことなら素直に聞き分けた。 男同士だと少年も心おきなく接することが出来るのか、さすがのオスカルも出る幕がない。 時にはアンドレを「父上」と呼ぶので、本人も困っているらしい。 やはりこういう事は本物の男じゃないとだめなのだろうなと、彼女は苦笑するしかない。 しかし慣れてくれば慣れるほど、子供は厳しい練習や退屈な勉強にはなかなか興味を示さず、わくわくするような冒険に気が逸れてしまう。 オスカルにも楽しいお話をして欲しいとせがむが、フランスの歴史の話になるとたちまち目から輝きが消えてしまう。 殊にリュックはマイペースでなかなかオスカルの思い通りに動いてくれない。 銃がうまく扱えないと「できない!」と泣き出したり、「もうヤダ」とだだをこねたりする。 まだまだ何事も遊びの範囲を抜け出せず、跡取りの自覚は芽生えてこない。 剣を持たせてもモタモタとサヤから抜くだけでやっとの様子で、どちらかというと剣に振り回されている感じだ。 すぐに何でも出来ないのは当たり前と知りつつも気ばかり焦るのはあくまで大人の視点なのは解ってはいるのだが。 かと思うと、オスカルの膝に抱かれて心地よくうたた寝をしたり、平気で彼女の両胸を「おっぱい〜」と言いながら触ってきたりする。 そばでアンドレが羨望のまなざしで見つめていてもリュックには悪気もない。 その後、意味もなくアンドレに泣かされるのだが、その理由など子供にはわかるはずもないだろう。 だが性質は大変良くて、ばあやが重い荷物を持って階段を上がっていると、ちゃんと手伝ったり、召使いにも愛想が良く「ご苦労様」と声もしっかり掛ける。 そう言うところは安心だが、なにぶんにもおっとりした性格が軍人には不向きではないかとオスカルやジャルジェ将軍をはらはらさせる。 「父上、私もあのようなものだったのでしょうか」 オスカルは苦笑する。ここのところ、くせになるほど苦笑している自分に気が付き、これまた苦笑する。 「う・・・む、もう少しマシだったとは思うが・・・」 父は頭を抱えてうなってしまった。 そう言われてみれば、オスカルには「お前は男だ」とゲキを飛ばし、彼女も父にほめてもらいたくて一生懸命しがみついてきた。基本的にオスカルはド根性があり、父のおかげと言うよりは生まれ持つ素質があり自分で自分を鍛えてきたという部分が大きい。 軍人に育て上げるのには、特別苦労はしなかったのだ。 「もっと厳しく接してはどうか?」 ジャルジェ将軍はその程度しか助言が出来なかった。 しかし彼にとってはかわいい孫である。「じーじ」と呼ばれると「なんでちゅか」などと返事をしてしまい、まったく威厳など吹き飛んでいた。 それも仕方有るまい、どちらかというと厳しくしつけると言うよりは、ちやほやと孫をかわいがりたい「お年頃」なのだから。 しかし、小さな子供がいるだけで屋敷の雰囲気はガラリと変わり、毎日、おこちゃまなイベントで大人たちは振り回されていた。 時々、オスカルは間違えて「ママン」と呼ばれるのだが、さすがに何とも言えない気持ちになった。 オスカルは仕事を持ち帰ってでも早く屋敷へ帰ってきたし、ジャルジェ将軍もつきあいの酒などもぴたりと止めて早々に引き上げてくる。これには夫人もあきれたように笑うしかない。 「もう一人、産もうかしら」 かわいい孫に「ばーばん」と呼ばれた彼女は真剣に思ったものだ。 しかしそろそろ慣れてきたかと思われた二ヶ月目に、リュックは高熱を出して寝込んでしまった。 オスカルは心配して枕元で看病したが、医者も疲れでしょうと言うばかりではっきりしない。 なのにアンドレなどは普段、あれほど父親のように接していながら「環境が変わるとそんなもんさ」と落ち着いている。 こんな時、男はあっさりしたものだなとオスカルはあきれたが、反面、このような事態になるとすっかり母親のようにつきっきりで看病してしまう私はどう考えても女だなと苦笑する。 ところが、熱が下がると今度は頭が痛いとか、お腹を壊してぐったり一日を過ごしたりと、オスカルのみならずジャルジェ家総動員で心配させた。 それまでのんきに構えていたアンドレも自分がこのお屋敷に引き取られたときとはちょっと違うと気になり始めていた。 ジャルジェ夫人は何度も医者に診せ、ようやく原因を突き止めてみたら、それは「ホームシック」というものだった。 個人の性質にもよるが、養子に出された事によって本人にも気が付かないところで我慢が積もっていたのではないかという診断だった。 周囲に気を遣って何事もない顔をして、実は無理をしていたと思うと幼いリュックがけなげでいじらしい。 直すためには、やはり親元に帰すしかないという事になった。 「おうちに帰れるぞ」 アンドレはリュックにそう伝えると、彼は今までにないほどの笑みを浮かべて喜んだ。 病がちだった少年がみるみる元気を取り戻したのは言うまでもない。 一週間ほどですっかり元気になったリュックは、自分の屋敷へ帰る準備を着々と進め、率先して馬車に荷物を詰め込んでいった。 涙ですっかり目が曇ってしまったジャルジェ夫人は、リュックのために買ってきた小さな服や本を「これも持って帰りなさい」と言いながら荷物の中に押し込んだ。 「よほど帰るのが嬉しいらしいな」 アンドレはつぶやく。 「・・・」 オスカルは言葉が出ない。 短い間だったが、大人ばかりの生活では味わえないさまざまなことがあった。 小さい者を守るという事の嬉しさも責任感も知った。 結局、色々と教えられたのは自分たちの方なのだとようやく気がつき始めた頃の別れである。オスカルが平気でいられるわけがない。 いよいよ馬車が出るという時になると、ジャルジェ将軍は涙をこらえて肩が震え、夫人やばあやはリュックを抱きしめて泣き濡れていた。 リュックもようやく慣れてきて情が移った人たちとの別れとなるとシクシクと泣いた。 オスカルはこのような時に、泣いては男として恥ずかしい・・・などと思いつつアンドレを振り返ると、彼は目と鼻から滝のように涙を流して突っ立っている。 「お前、何だよ・・・その顔は・・・!!?」 オスカルはその様子があまりに間が抜けていたので苦笑してしまったが、かえって彼女のやせがまんもそこで途切れ、彼に負けず劣らず号泣してしまった。 アンドレが気遣って白いハンカチをそっと差し出してくれたが、彼の鼻水が付いていそうなので、受け取るのはやめることにした。 幼い子は何か小さな出来事があるたびに涙を流しても、次の新しい楽しみをちゃんと見つけて忘れて行く。 だが、大人たちは様々な思いが絡まって後々まで尾を引いてしまうのだ。 オスカルにしても、よもや自分がいまさら結婚をして子供を産むなどという具体的な想像は出来なかったが、自分が女性としての特権を今まで顧みなかったのではないかとふと考えたのであった。 ジャルジェ将軍はこの件があってからも、やはり我が家にはオスカルの跡を継ぐ者がどうしても必要だという思いには変わりはなかった。 今更ながら頼みにくいが、是非オスカルに跡取りを産んで欲しいと密かに思い始めていたのである。 一方のジャルジェ夫人はというと、夫がもうひとがんばりしてくれないものかしらと頬を赤らめた。次ならきっと男だわ、と彼女は思った。 当のオスカルはまたもや懲りずに、五人の姉のいずれかが子連れで実家に戻ってきてくれないものかと他力本願に願い、アンドレに至っては、ジャルジェ将軍の許可が有ればいつでもオスカルに跡取りを産ませる自信があるのにと指をくわえていた。 とにもかくにもジャルジェ家史上最大の作戦は大失敗に終わったのである。 枯れ葉を乗せた風が屋敷の庭を吹き抜けるのどかな秋の日であった。 おわり 2005/3/5/ この騒動の時期はジョゼフ殿下が生まれた1781年秋頃のことです。 シリアスな話の一部に入れる予定でしたが、これを真面目に書くとしごく暗い話になりそうなので軽いタッチの話に進路変更しました。 up/2005/3/5/ 戻る |