−春の祝い− フランス中の誰もが待ちに待ったその日がついに来た。 オーストリアの皇女マリー・アントワネットのお輿入れである。 五月の日差しが、外国からはるばるやってきた初々しい花嫁を祝福しているかのように暖かい。 フランスの王太子とオーストリアの皇女のご成婚は、両国の威信をかけた一大行事であると同時に、平和のための出来事として人々は歓迎し、王室のみならず民衆までもがお祭り騒ぎに興じ熱狂していた。 大勢の人々がガラスの馬車に乗った愛くるしい花嫁を一目見ようと沿道に繰り出し、華やかな行列に身を乗り出し手を振った。 いたるところで晴れ着をまとった善良な老若男女が土埃にまみれながら押し合いへし合いし、どれも皆、カツラが落ちたり服が着崩れたりしているので、もうすでに着飾っていると言うよりは、面白おかしい格好になっている。 花嫁の馬車を護衛するために一番近いところにいたオスカルは、興奮のあまり民衆がいきなり飛び出してこないか注意しながら、さっそうと白馬を乗りこなしていた。 白い軍服がひときわまぶしく、年若い将校のオスカルはこの時、光り輝く美しさだ。 彼女もガラスの馬車とその主に決して負けず人目を引き、人々が口々に有り難いものを見せて頂いたと言わんばかりに両手を合わせ、感謝の目で彼女を見つめていたことは言うまでもない。 あの白馬には羽が生えているのではないかと言いだす者もいたのだが、それはさすがにオスカルもあずかり知らぬ事だった。 当のオスカルはと言うと、晴れの舞台に立つ喜びと共に、子供らしい好奇心から馬車の王女をもっとよく見たいと思いつつ、かといってじろじろと見つめる事はできないでいた。 ただ、フランス国内に入った花嫁を迎えに上がる際、護衛に付くため「私にお任せ下さい」と思いつつ敬礼した時、馬車の中にいた皇女と不意に目が合った。 彼女はにっこり笑って「あなたにお任せしましょう」と答えているようだった。 言葉でなくても通じるものはあるものだとオスカルはその時、直感した。 実はこの時、皇女アントワネットもオスカルの事を真っ先に目に留めていたのである。 ちょうど年格好も同じ頃だし、夫になる方もあのように美しいのかしらと、彼女はまだ見ぬ夫に夢を描いていたのだ。 控えていた女官にオスカルが女だと聞いたときはさすがにアントワネットもびっくりしたのだが、旅の無事をオスカルにゆだねようと思ったのである。 その後、ベルサイユの寺院でおごそかに挙げられた、マリー・アントワネットとフランスの王太子ルイ・オーギュストの盛大な結婚式をオスカルは後々まで忘れることはなかった。 お輿入れの際はガラス越しにしか見ることは出来なかったが、この時ばかりは幼い花嫁の姿を間近で見ることができた。 お人形のようだと思った第一印象とは違い、どこか心細そうで緊張した王女はそれでも威厳を保ち式典に臨んでいる。 オスカルは常にこのお方と同年齢であることが頭にあった。境遇こそ違うが、貴族として生まれ、家の面目を背負うという立場は彼女にとって遠い話ではない。 それどころではない、国を背負ってのお輿入れなのだ。 きっと長旅の疲れもあるだろうし、これからのことなど色々とお考えなのだろうと推測する。 ましてオスカルには「結婚」などという行事は自分の人生に起こることすら想定していなかった。 生まれ育った家を捨てて嫁ぐ気持ちはとても想像できないが、同年齢ゆえに気持ちをわかりたいという想いがある。 そしてだからこそアントワネット様は私がお守りするのだと彼女は密かに心に決めていた。 だがそれにしても一方の王太子殿下といえば、あまり感情が高ぶっているようには見えない。 この大事な人生の節目だというのに、瞳は冬の曇り空のようにどんよりとし、心ここにあらずという風な面持ちをしている。 普通なら花嫁に暖かいまなざしを送ったり、さりげなく導くようなところが無意識にもにじみ出てくるはずだが、それも見受けられない。 そういえば、今までも彼は地味で無口で、見たところ気も弱そうで華やかな席を嫌っていた。 このような晴れがましい場で緊張から無表情になっているのかも知れないが、そういうものとは少し違うように感じていたオスカルだった。 と、その時場内でどよめきが起きた。 アントワネットが気まずそうに肩をすくめたかと思うと、心配そうに見守っていた周囲の者たちからやがて小さい笑い声が聞こえてきた。 オスカルと父のジャルジェ将軍のいた隣の席まで、そっと流れてきた耳打ち実況によると、どうやらアントワネットが結婚の契約書にサインをしていてインクのしみを作ってしまったらしい。 不吉な兆候だと誰もが思ったが、アントワネットの恥じらいがあまりに可愛らしく、誰もがすぐに気持ちを切り替えたというものだった。 「で、それからどうなったんだよ」 アンドレはここ数日のオスカルの行動をちくいち聞き出そうと彼女に迫った。 「どうでもいいから着替えるあいだは出ていってくれないか、アンドレ」 オスカルは濡れた髪を拭きながら言った。 結婚式の後は盛大な花火がベルサイユ宮の広い庭園で打ち上げられるはずであった。 パリからも大勢の民衆が押しかけ、今か今かと待ちかまえていたところ、祝福の天使ならぬ黒い雨雲がみるみる宮殿の空を覆い始めた。 オスカルは警備もかねて控えていたのだが、突然の激しい雷雨で逃げまどう人々の誘導と、彼らがパリへ帰るまでの安全を見送ってしまうまで雨の中にいた。 宮殿の控えの間に戻ってきたときは川で一泳ぎしたかのようにずぶぬれで、冷えも手伝ってか顔には疲労の色が浮き出ていた。 「ああ、それもそうだったな。風邪引くなよ」 アンドレはあわてて出ていきながら暖炉の薪を追加し、荷物の整理をしている若い召使いにオスカルに暖めたワインをすぐに出すように伝えた。 「……それにしても寒いな」 オスカルはポツリとつぶやいてここ数日の出来事を思い起こしていた。 本当に二つの国の威信をかけた盛大な結婚式だった。 オーストリアの皇女・アントワネットは肖像画で見たよりも幼い顔をしており、立ち居振る舞いの優雅さは育ちのよさを物語っていた。 さらに人を引きつける愛くるしさと賢そうなまなざし、飛び抜けて白い肌など、今までに見たことがないほど印象深かった。 オスカルはただ漠然と、式が無事に済んでホッとした気持ちと、心細そうな皇女のこれからのこと、そしてフランスとオーストリア両国が同盟を組んで発展していくことを願っていた。 ただ、全てが完璧というわけではない。 何かしらちょっとした出来事によって、この結婚が間違いであると暗に未来が知らせているような気がすることは誰しもある。 いやいや、考えすぎることは良くない、疲れが弱気を呼んだだけだ。 オスカルは首を振り、気分を変えようとワインの入った暖かいカップを手に取った。 やっと冷えた体が温まってきた頃、待ちかまえたかのようにアンドレが結婚式の様子の続きを聞くために部屋へ舞い戻ってきた。 「つまりだな、お輿入れの馬車の行列は土埃でのどがジャリジャリした」 オスカルは率直な感想を言った。 「それって全然、実況になってないぜ」 「結婚式は退屈ですることもないし、列席していたオルレアン公のカツラがずれてるところとか、誰がこっそりあくびしてるかを数えていた」 彼女は相変わらずどうでもいい事を淡々と言う。 「お前、俺をからかってんのかよ?!」 アンドレははぐらかされて怒っている。 オスカルはその様子を面白そうに笑っていたが、ここ数日の行事がそんな風に明るいほのぼのした出来事だったと思いこみたいほど、彼女の心の中に得体の知れない物がわだかまりとなってつっかえていたのだ。 しかしオスカルも又、若い。 そのような嫌な予感も、翌日のさわやかな朝日と共に希望が芽吹き、すっかり忘れ去っていく。 彼女の予感が現実のものとなるのはこれからまだまだ20年も先のことなのである。 だがそれを予感と呼んで良いものだろうか。 20年もの歳月があれば、運命など当人の努力と振る舞いによっていくらでも変えられそうなものではないか。 人は自ら選んで、愚かにも賢くもなれる生き物なのだから。 おわり 2005/2/20/ ※フランスでは暖めたワインを「ヴァン・ショー」と呼ぶそうですが、その歴史はどうなんでしょう。よく知りません。 前に飲んだことがありますが、赤ワインに砂糖が入ったシンプルなもので、ケーキと一緒に出てきました。ドイツのワインだったので「グリューワイン」と呼ばれていました。 おいしいと飲み過ぎてしまうので、個人的にはそのまんま暖めただけでもいいと思ったりしてます。まるでワインの熱燗ってとこですね。 up/2005/2/22/ 戻る |