−お知らせ−

このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
又、内容も原作から大きく外れている場合も大いにあり、予測なしにオリジナルキャラクターも登場します。
まれに、現在は控えるべき表現も出てきますが、あくまで場面を描写するためにやむなく使用しています。
気になる誤字脱字誤用も当然、存在します。

特に、オスカル様はバスティーユでかっこよく散るに決まっている!原作と同じ展開で、行動も原作通りのオスカル様じゃなきゃダメ!と言う方にはお勧めできない内容になっています。

それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。





-崩れゆく牢獄-




アランが傷ついた二人の消息を知ったのは十五日になってからだった。

バスティーユ攻撃の際に怪我人が多数出たので、教会も病院もそして医者も薬も足りない状態になっていた。

そこで急きょ、ベルナールが自宅の一室をあてがい、二人は静かに休んでいるのだという。


時折、興味本位でオスカルに会いたがる者もたずねて来るが、ロザリーはここには誰もいないと追い返していた。

どうせろくな企みではないとベルナールが警戒していたのだ。

元近衛連隊長の将校が民衆のために戦ったとパンフレットにでも載れば、たちまち大騒ぎになってしまう。

それだけは彼女のためにも絶対に避けたかった。



オスカルは非常に弱っていたが何とかバスティーユ襲撃の翌日にも意識は戻り、話しかけることに反応できるようになっていた。

アンドレも彼女の横にずっと付き添っている。

彼は左目の傷が深く、時折、激痛に襲われていたのだが、それでも出来る限り椅子に座り、オスカルを見守っていた。

時折、長いすで休息することはあっても、昼の間は決してベッドで横になろうとはしない。
一度寝込むと二度と起きあがれないような気がしたのだ。


ロザリーは気を遣い、ジャルジェ家の屋敷に二人の無事を伝えたほうが良いのではとオスカルに持ちかけたのだが、今となっては屋敷に迷惑がかかるだけだからと、あえてこのままそっとしておいて欲しいと言われていた。

オスカルにしても当然、謀反人としてジャルジェ家に帰ることなど出来ないのは承知していたが、それ以前に身体の自由が利かなかった。

このような姿を見せることで両親を二重に苦しめたくはなかったのだ。



「だがアンドレは別だ」
オスカルはそう言うのだが、アンドレにしても一人で帰るわけにはいかなかった。

病身のオスカルのそばを離れるなど出来るはずもなく、もし帰ったとしてもオスカルの安否をたずねられ、言葉をにごすことしか出来ないのであれば、今は自分も行方不明のままで良いと思っていた。

ただ、祖母のことだけは気がかりで、ロザリーに自分が生きいてることをそれとなく彼女に伝えて欲しいと言った。




アンドレがそばを離れられないほど、オスカルはあたかも力が尽きた様子で、何かを考えているのか一日中ぼんやりと部屋の天井を見つめていた。

呼びかけると彼女はアンドレに視線を移し、寂しそうな表情を見せる。

医者はオスカルを診て、あの状態でよくバスティーユの戦いに臨んだものだと驚いていた。

このままではもう長くはないだろうとさえつぶやき、アンドレをひどく悲しませている。



「オスカル、何か思っていることがあるのなら俺に言ってくれ。おまえが黙っていると俺は…」
俺はつらい、と言いかけて彼はそれ以上何も言えなかった。彼女に負担をかける言葉は言いたくはない。
それでなくともオスカルがふさぎ込み、心を閉ざしている様子なのだ。


「私はここで目覚めた時、どうしてなのかよくわからなかった…。あの牢獄の跳ね橋が落ちた時に私は死ぬ運命だと思っていたんだ」

彼女は命が限られているからとは言え、自分が捨て鉢な気持ちになっていたとは思いたくなかった。

むしろパリの非常時を前にして、そのような個人的なことは切り捨てようとさえしていたのだ。

あの時は決して投げやりな気持ちではなく、犠牲者をこれ以上増やさないためにも死力を尽くし、もしも神の力を借りることが出来るのなら自らの命と引き替えても良いとさえ祈っていた。


「具合が悪いと、余計なことを考えてしまう。そうだ、ロザリーに頼んで花を飾ってもらおう。そうすると気分も良くなる」

アンドレはやはり…という気がしていた。


貴族という身分はこれまでオスカルに多くのものを与えてきた。

だが彼女はいつの頃からか、特権階級が民衆からあらゆるものを搾り取って生きていることを意識しはじめていた。

世の中の理不尽から目をそらして無関心を装うことなどできない彼女である。

自分が民衆を苦しめている側の人間であることに、重い責任を感じていたとしても不思議ではない。

いつしか彼女の心の中で、自分に与えられたものを、今度は彼らに返したいという気持ちがわき起こるのも当然であろう。

その気持ちが、新しい社会を作り出そうとする民衆の力と共鳴したとすれば自然な成り行きである。

又一方で、王室に反旗を翻したことによって、自らは宮廷の裏切り者として処されるべきであるとオスカルが考えていたのなら、あの時、命と引き換えるつもりではね橋を落としたとも考えられる。


いずれにせよ推測に過ぎないが、アンドレは彼女の心の奥底にある謙虚さと、かたくななまでの決意を改めて感じ取っていた。





「いや、何でもいい。とにかく生きててくれたら、もうそれでいい」
アランは二人に対面し、思わず感極まった。


オスカルに行き場がないと憤っていたアランだが、ひっそりとした所で寄り添うようにしている二人を見て、決してそんな事はないのだと思った。

彼女にはそばで支えてくれる夫がいて、そして戦いから遠ざかり休息する場所がある。

しばしの安らぎかも知れないが、他人のことを考えず自分のための時間が与えられただけでも救いだろう。



「アラン、お前らしくない…」
横たわったオスカルは、比較的自由な右手を彼に差し出した。

ずいぶん弱っているとは言え、元気な頃と同じくそのまなざしは相変わらず人の心の奥底を捉えるようで、力を失っていない。

アランは普段、まじまじとオスカルの表情を見たりはしないのだが、この時ばかりは彼女の蒼い瞳が非常に美しいと感じた。


「三十を過ぎてからどうも涙もろくなってきたみたいでね」
アランは皮肉そうに笑いながらオスカルの手を握りかえした。


「涙もろいのもパリ気質なのか」
オスカルも少し笑った。


「ちっとばかり気がゆるんでいるだけですよ。それはさておき…。隊長、早く良くなって、これからも俺たちと一緒にこの国の未来を見届けましょうや」
アランはいつもの感じで、はぐらかすように明るく答えた。


「言ったはずだぞ。それはアラン、お前の仕事だ」


オスカルの指先は力なく、アランが思っていたより細い指だった。
ただ、ひんやりとして冷たく、生気が感じられない。


アランは悪い予感がして、背筋に冷たいものが走った。




**********




停滞したような時間が過ぎて行く中、オスカルとアンドレは十六日に取り壊されるバスティーユの解体を見守っていた。

ベルナールの自宅は三階にあり、窓を開ければ少し遠いが牢獄の一部がかろうじて見ることが出来る。


あれほど激しい銃撃戦があったことがまるで嘘のように牢獄は無防備で、巨大な姿はどんどん崩されていく。

その様子はまるで王政がやがて倒されていく序曲のようであった。


牢獄を守っていたド・ローネ候と数人の兵士、そして市長のフレッセルは逆上した民衆によって虐殺されたと、オスカルは後になって耳にした。


あの時、さらに犠牲者が出ることを未然に防ぐには、跳ね橋を即座に落とすしか仕方がなかったとは言え、彼女は遠回しに、民衆による残虐な復讐の手助けをしてしまったのだ。



人々は自らが生き残るために、時には誰かの命を要求する。

歴史は常に血塗られており、流血の事件を経ずに未来へと続かないものなのだろうか。

オスカルは理想と現実があまりに違うことを身を以て思い知った。


彼女はこの国と人々のより良い未来を信じたからこそ、全てを捨てて戦いに身を投じたのである。

だが、戦闘を一刻も早く終わらせようとバスティーユ牢獄を見上げたあの時と今とでは、全く違う視点で見つめている自分がいる。

崩れゆく牢獄の塔を見ていると、彼女は自分の行動がやがて王妃を滅ぼすのではないかとさえ思えたのだ。



何より、もし王妃の身に何か起きても彼女はもはや駆け付けることは出来ない現実がある。

身体を壊しただけではない、自分はすでに謀反人なのだ。

どうしようもないと知りつつ、アントワネットを支えることが出来ないこと、それだけはオスカルにとって心残りだ。


それにもし、たとえ王妃やその他の誰かがオスカルを許したとしても、彼女自身は自分が謀反人であることを取り消すことなどできない。

それは自分に嘘をつくことになるからだ。


又、オスカルが命を差し出して守ろうとした民衆はバスティーユ事件をきっかけに自力で立ち上がり、次の時代を担おうとしている。

もはや彼らはオスカルが守らねばならない無力な存在ではない。

民衆は自らの力を信じ、絶対と思われた制度をも倒す勇気が自分たちにあることを、あの牢獄の事件を経てようやく気付いたのだ。

今まで押さえつけられていた怒りや不満は、彼らの中で潜在的な力として蓄えられ、爆発寸前となって出口を求めていたに違いない。

一歩間違えれば、その力は特権階級に対する復讐に浪費される危険がある。

すでに血なまぐさい事件はあちこちで起き、反動の嵐が吹き始めており、混乱が始まるのはこれからなのだ。




彼女は思う。

自分は新たな時代の橋渡しになっただけで、あくまで古い制度の中で生きてきた人間である、と。

これからの新しい時代を担う彼ら第三身分に協力する事はあっても、自ら進んで英雄になるつもりは全くない。
むしろ場合によっては、民衆を助ける捨て石となって然るべきだとさえ思う。

もし貴族である自分が民衆と共に新しい世界に踏み出し、相変わらず主導権を握り続けようとするのであれば、それは都合の良すぎる話で、それこそ民衆への侮辱に相当するだろう。



今、バスティーユを落とした英雄としてオスカルを祭り上げようとする者も出てきている。

だが、そのような一方的な政治活動の道具になることなど、彼女にはありえない話だ。
これまで人の先頭に立ってきた彼女のことである、何をするにしてもあまりに影響力が大きすぎるのは解りきっていた。

もし宮廷と民衆が敵対し、彼女がどちらか一方に味方することになれば、もう一方を徹底的に攻撃する原動力になる恐れがある。
それがわかっているからこそ、オスカルはかえってどちらにも所属する事は出来ない。


又、彼女が自らの手で跳ね橋を落とした事により、ド・ローネ候らが殺されたと考えるのであれば、それはオスカルにとっていたたまれない話だ。

ならば、その責任を負って自分は歴史の表舞台から去り、沈黙すべきなのだと彼女は考える。



“もはや貴族の時代が終わろうとしている今、静かに消えていくのが私の運命なのかも知れない”


決して、自分の命がどうなろうと構わないという投げやりな気持ちではなかった。

しかし、である。


事実、あのバスティーユ攻撃の日を境に、オスカルにはもう帰るところも行くところもない。

今はただじっと成り行きを見守り、貴族への復讐に走ろうとする民衆が平常心を取り戻し、真の国造りに目覚め、より良い道に向いて欲しいと彼女は願うだけだ。



だが、どうしたことなのか、帰るところも行くところもないのに、彼女はなぜか不安ではないと感じていた。


この時、オスカルはふと一緒に戦った仲間のことを想った。


自分には仲間がいる、ただそれだけのことでどれほど力を得たことだろう。心をうち解ける相手を得たことは幸運だったに違いない。


それを思えば、立場上仕方ないとはいえ、アントワネットと自分との違いは、そばにいる者が信用できる人間だったかどうかに過ぎないように思える。


現に王妃はオーストリアから一人で嫁いで来てからも、フランスのしきたりに染まろうとはせず、常に心の居所は偉大な母・マリア・テレジアの国にあり、母国の方針に敬意を払っていた。

それは同時に、フランス人を心から信じようとしないと思われても仕方のない行為でもあった。


だがオスカルもかつては誰にも頼ろうとはせず、何でも一人で背負っていたことを思えば、人とはそう簡単に心を開くことはできない生き物なのかも知れない。


かつて王妃に何度も進言し、そのたびにままならぬ結果にため息をついてきたオスカルであったが、本当のところはアントワネットの孤独を理解できていなかったのは自分のほうではないだろうかとさえ思える。

結局のところ、王妃に対する今までの進言は、一方的にフランスの社会にとけ込むようにと迫ったに等しいのだとしたら、自らの配慮の至らなさを感じるばかりだ。



ただ、もはや今となっては、オスカルは遠くから祈ることしか出来ない。

ひとり孤立しながらも王政が絶対であり続けることを願うアントワネットのこれからが、幸多きものであることを。





一方のアンドレは、無表情にバスティーユの崩壊を見つめるオスカルの横顔を見つめていた。

彼女が何を思っているか推し量るのは難しい。

ただ、残された時間を悔いなく生きようとしてきた彼女が、必要以上に心を痛めていないことを祈るばかりだ。


「アントワネット様はどうお思いなのだろう。この世の中の激変を、あの方は現実として受け入れられたのだろうか。人は時に自分ではどうしようもない事がある。逆らおうとしても決して逆らえないことも起こり得る。…王后陛下にはまだまだお話ししたいことが山のようにあるのに。私の背に羽根が生えていたらどれほど良いだろう。…悔いのない人生などないのだな…」
オスカルはそう言うと、無念そうに目に涙を浮かべた。

世の中が変わって行くという事について、これまで王妃にどんな進言をしても無駄だったことは百も承知だ。

しかし彼女には滅んでいくアントワネットの姿が嫌になるほど現実味を帯びて見えていたのだ。


「それに父上や母上も私のことでひどく苦しまれているのかと思うと、胸が張り裂けそうだ」

あの幼い日、ジャルジェ家を背負い、母を幸せにすると誓ったことももう叶わない。
今、自分のせいで母は床に臥し、父は謀反人の親とばかりに後ろ指を指されていると言う。


かつて、王太子妃アントワネットを守ろうとした決意も、全て自分から破り捨ててしまったのだ。

それだけではない。ばあややフェルゼン、そしてダグー大佐など、どれほど多くの人に迷惑をかけ、苦しめたであろう。

自分の信念を貫くことは、他方で大きな犠牲を伴う。

人は自分の人生を歩んでいるとは言え、周囲に影響を及ぼすことは避けられないのだ。

多くの貴族が民衆の台頭を嫌い、我が身の保身に走ることも、決して身勝手なだけとは言い切れない。
築いてきた社会の制度を守ることで、一族の変わらぬ繁栄を約束するためでもある。
誰でも自分と一族の身を守りたいのは当然の事なのだ。


特に慣習に逆らい、新たなことを始めようとする者は、家族や友人を傷つけ、これまで築いたものすら破壊してしまう。
アンドレの身に降りかかった災難も、元はと言えば民衆に荷担したオスカルの選択によるものではないか。


悲しみは一つを取り出すと連鎖していく。そして涙は悲しみを誘う。

思い起こせばきりがなく、胸が痛むだけだ。


「オスカル、もう横になった方が良い。風が身体に良くない」
アンドレは窓にしがみつくようにしている彼女に語りかけた。


「すまない、アンドレ。私は自分のしたことを今さら後悔はしないし、自らの責任を負う覚悟は出来ている。バスティーユが民衆を苦しめる制度の象徴だったのであれば、打ち壊されたことも当然だったと信じている。…しかし想いというものはそう簡単に消えたりはしないものらしい。もう後ろは振り返らないつもりでいたのだけれど…、思い出すのは、私の愛する人たちを私自身が不幸にしたのではないかという事ばかりだ。もしかすると神様は私にさんざん後悔するようにと仰せなのだろうか。だからバスティーユの崩壊を私に見せるために、こうやって命をつなぎとめられたのだろうか」

オスカルはつらそうだった。



しかしアンドレには彼女の苦しみは手に取るように理解できた。

命のある限り、自らの力を人々のために使い切ろうとした彼女に残されたものが、自分を責める涙なのだとすれば、あまりにも残酷な結末である。

だからこそ彼は、我が身の激痛もオスカルの苦しみに比べると、耐えられない事ではないと思えてくるのだ。


「俺はそんな神様に感謝しているよ。こうしてお前を再び抱きしめることができるのだから」
アンドレは彼女を腕に抱くとベッドに連れ戻す。

悲しい思いを全て吐き出したことで、彼女の気持ちが少しでも整理され、心に平和が戻るようにと祈りながら。


「お前が何もかも一人で苦しむことはない。これからは俺も一緒だ」


彼はこれ以上、オスカルが悲しいことを話し始めないように、そっと自分の唇で彼女の口を封じた。




2006/10/16/



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