−お知らせ−

このお話は史実に基づくものではなく、単なる妄想です。
一部に実在した人物・団体・物体・出来事・地名・思想・制度なども登場していますが、その行動や性格設定・実態・本質及び情景etcは、全て「でっちあげ」です。
又、内容も原作から大きく外れている場合も大いにあり、予測なしにオリジナルキャラクターも登場します。
まれに、現在は控えるべき表現も出てきますが、あくまで場面を描写するためにやむなく使用しています。
気になる誤字脱字誤用も当然、存在します。
それを承知の上、多少のことは目をつぶり、遊び心で読んでみようという方のみ、下へお進み下さい。




-静かなる告白-




風のない夜だった。
時刻はかなり遅くなっている。

アントワネットは夜風に当たろうとして、ベルサイユ宮殿のバルコニーを開けた。
時折、警護の衛兵が広場を横切るだけで人気はない。


「今夜は特に寂しい夜なのね」

以前であれば毎夜のように宮殿では舞踏会が催され、飾り立てた馬車がひっきりなしに宮殿に横付けされ、楽隊の奏でる優雅な音楽とさざめくような話し声にあふれていた。

優美な調度品をあつらえた室内で繰り広げられるきらびやかな舞踏会。
夏には野外でかがり火を焚き、七色の光で庭園を照らした夢のような催し。

全ては過去のことだった。


もしこれらの特別な行事にアントワネットから招待されず、立ち会うことを許されていなかったとしたら、その者たちは今、彼女の苦悩をせせら笑っているに違いない。


今は財政も逼迫し、王室も予算を控えているために何事も以前のようにはいかない。
その上、最愛のジョゼフを亡くした彼女は失意の日々が続いていた。

心の支えとなるフェルゼンは故国に帰還したまま何時フランスに戻るともしれず、ただ彼からの便りには彼女を心から気遣う言葉がにじみ出ていることで幾分気持ちの上で救われているに過ぎない。

それにアントワネットはここしばらく、大臣たちとの会議や、国王を補佐することに時間を費やしている。
プチ・トリアノンでの安らぎを求めつつ、彼女は毎夜のように夜遅くまでベルサイユ宮殿で過ごしていた。



「本当に綺麗なお月様だこと」
彼女はクスッと微笑んだ。

もうすぐ満月になるはずの月が、澄んだ光を宮殿のいたるところに投げかけている。

このような時にこそ優雅さと、美しいものを美しいと感じる心を失ってはいけないのだとアントワネットは思う。


この宮殿の先にはベルサイユの町があり、さらにその先には広大な領土と民、そしてパリがある。


「何を恐れることがあるでしょう。そして何を戸惑うことがあるのでしょう」

アントワネットは壮麗な宮殿を背景にたたずみ、自分自身こそが世界に君臨するフランスの王妃なのだと改めて自覚していた。


人々は彼女にかしずき、宮殿に負けぬほど誉め讃える。
そしてアントワネットも又、王家の血筋を引く者としてもっとも優雅で気高い女性であることを人々に示すのだ。


「私は負けられません。そう、決して負けることなどあるものですか」

何百年も受け継がれてきた伝統を守り抜く誇りを自分は備えているのだ。
王族の血に誓って、この栄光を手放すことなど出来るはずがない。


しかし、近頃のあの民衆の盛り上がりようはどうしたことだろう。
貴族たちも王室に反発を強めてきており、これまでにないほど世の中は激しく揺れ動いている。

アントワネットの決意はともすると悲壮な色を帯びかねない。


先のことを深く心配しない彼女だったが、こうも思いがけない事が起きるとぐっすり眠れない。
疲れが次の日に持ち越すこともあった。

だが翌朝、召使いからオスカルが謁見に訪れていると聞いたアントワネットは、重い気持ちを切り替え、足取りも軽く鏡の間に急いだ。


「王后陛下、ご無沙汰しておりました。今朝はご機嫌うるわしく…」


「ここではゆっくり話も出来ないわ。お庭を散歩致しましょう」
オスカルの儀礼的な挨拶を遮るほどアントワネットの声は弾んでいた。


そしてすぐに二人は庭園の並木道を並んでゆっくりと歩き始めた。


「ジョゼフが亡くなってもうすぐ一月になります。お葬式を出すにも王室の予算はからっぽ。食器や家具を売って何とかしのぎました。あれから私はゆっくりと悲しみに浸る間もなく、かといって心は落ち着かない日々を過ごしているのですよ」


「私ごときが申し上げる事ではございませんが、陛下の心中をお察しするだけで胸が痛みます」
オスカルも又、病に苦しんでいたジョゼフの事を想った。
まして母親としての悲しみはいかばかりであろう、彼女にはそれ以上言うべき言葉が見つからない。


「もういいのです、いつもさっそうとなさっているあなたを見たら、私も元気が出ました」

アントワネットは最近、ポリニャック夫人や他の遊び友だちとも少し距離を置いていた。

彼女が政治にかかわるようになってからは王妃の責任を考えるようになっており、特に三部会が始まってからは、以前のような軽はずみな行動を控えていたのである。


「王后陛下。私は今日、部下を釈放して下さったお礼に参りました。処刑間際の兵士たちを助けて下さり誠にありがとうございます」


「いいのですよ、オスカル。見せしめのためとは言え、裁判も開かずにすぐに処刑だなどと、ブイエ将軍も今回は事を急ぎすぎたのでしょう。むしろ兵士を少し懲らしめるだけで良かったのです。私は何かあればすぐに命を取ろうという考えには賛成しかねます」
アントワネットはブイエ将軍を責めるふうでもなく、又、アベイ牢獄の件をさほど気にしてはいない様子だった。


ブイエ将軍は王妃の信頼が厚いブザンヴァル将軍と友好関係にある。

彼はオスカルに対し、何度も難しい要求をする扱いにくい上官ではあるが、実のところ社交的で顔も広い。

生真面目なジャルジェ将軍ともすぐに親密になるほどで、彼はつきあいが広いために根回しも上手い。いつのまにかアントワネットの信頼も得ているようだった。

特に軍の統率に関して、いまひとつ荷が重いブザンヴァル将軍に対しては、ブイエ将軍が影で助言しているらしく、遠回しにアントワネットの耳にはブイエ将軍のかなり良い評判が入っているのだろう。


「陛下、実はもうひとつ申し上げたい事があるのですが、パリの町は今、三万人もの兵が駐屯し、ただならぬ雰囲気に包まれております。それに急激な人口増加で食料は一気に不足し、人々の暮らしを直撃しています」
オスカルは意を決して、思っていた事を口にした。



特に七月は端境期に当たる。

ここ数年の凶作により小麦は不足し、ネッケルは外国からの買い付けを急いでいた。
パンは極端に値上がりし、ワインはブドウの豊作のために価格が暴落した。

人々の購買力はたちまち落ち、不安が広がっていたのだ。



「兵士たちをパリに送り込んだ理由をあなたはお解りかしら、オスカル」
アントワネットは話しはじめる。


「国民議会が力を持ち始めてから、貴族は不安を隠せず、高等法院までもが浮き足立ってきています。そして何も知らないパリの人々は悪意ある誰かに扇動され、今までとは違った時代が来るというとんでもない夢を見ているのです。パリに軍隊を駐屯させたのも、この混乱した空気を利用して騒動を起こそうとする者たちを押さえ込み、治安を守るためです。国王陛下は一刻も早く秩序を回復したいとおっしゃっているのですよ」


オスカルはアントワネットの言葉一つ一つが気がかりだった。

アントワネットの言う誰かとは、オルレアン公を指しているのだろうか。
いずれにしても今起きていることが何なのか、王妃が全く考えようとしていないことは明らかだ。


「お考えは察しております。しかし、人々は三万人もの兵を見て震え上がり、国王陛下と民衆の距離は開く一方でございます。今、必要なのは両者が話し合う場を持ち、互いに歩み寄ることではないかと私は考えております」

むしろ差し迫った状況を理解しなければならないのは王室のほうであろう。
だが、オスカルはそこまで踏み込んだ発言をすることなど出来ない自身の身分はわきまえている。


「民衆は王室を疑っているとあなたは言うのですね、オスカル」
アントワネットは苦笑した。

この混乱を抜けるために何が最善策なのか、彼女にはわからないことだった。

様々な立場の者たちが好き勝手にアントワネットに進言し、彼女を困惑させていたのだ。


「いいえ、王后陛下。人々は信じるものを探しているのでございます。私に向けて下さったご温情を是非、民衆にもお与え下さいますよう、お願い申し上げます」
オスカルは出来る限り穏やかに語った。


「統治するということは、時に厳しくしなければならない時があるのです。皆が皆、話がわかるわけではないのですから。歩み寄ることが必ずしも良い結果を生むとは限りません。支配する者は常に心を厳しく持って民に接しなければならないものです」
アントワネットの心の中にはいつしか孤独が住み着いていた。

厳しいしきたりは人間らしさを奪い去ろうとし、醜い権力争いによって心は傷つき、心冷たい社交辞令には笑いも凍り付く。

彼女が得た教訓は王権を守り抜くには誰も信じてはならない、という事だ。
思い返せばフランスに嫁いできてから、ずっと孤独と共にいたのかも知れない。


彼女は小さくため息をついた。


「オスカル、貴女は私の自由の翼。だけど…だからこそ、いつかは私をおいて飛び去ってしまうのですね」
アントワネットはやがてオスカルが自分の元から去って行きそうな気がして、再び気持ちが沈んでいくのだった。


「私は民衆と同じく、この地上でうごめく愚かな人間の一人に過ぎません。もし私の背に自由の翼が付いていたなら、とうの昔に飛び立ってしまっていたことでしょう」
オスカルも又、寂しく笑って遠い空を見上げた。




*********




現在のオスカルは月が変わってから、パリやベルサイユの町の治安を守るために市内の巡回警備に当たっていた。

アベイ牢獄に収監されていたアランたちを救い出したのが民意であったにせよ、国王の決定を覆した原因にもなった彼らを議場に配置することは、結局、ブイエ将軍が許さなかったのである。


食糧不足は慢性的で、パン屋に並ぶ長い行列では毎日のように言い争いが起きており、金貸しの屋敷や金持ちの倉庫は頻繁に略奪に遭っていた。

衛兵隊はそのため広い範囲で見回りをし、時にはパン屋の警備をしたり、けんかの仲裁までこなしていた。


特にパリの留守部隊では兵士が脱落して手薄になっており、オスカルたちが代わりにパリを見回ることも多くなっていた。

時にはシャン・ド・マルスに駐屯する部隊と町中でばったり出会うこともあり、互いに相手の腹を探ろうと牽制し合う事もある。

それでなくとも、国王軍のパリ進軍は市民から恐れられ、事態を悪化させていた。



「パリではでっかい男は女に嫌われるんだよ」
アランはパリに駐屯する兵士とすれ違うと、何かと彼らに対して挑発を繰り返した。


「えっ、本当かい」
地方から出てきた巨漢の兵士は冗談が通じず、やたらと本気に取った。


「ウソだよ、洒落がわからねぇのかよ。だから田舎者は困るんだ」
不敵な顔つきでアランはうそぶく。相手の兵士の顔はみるみる怒りにゆがみ、真っ赤になっていった。

けんかが始まるのは目に見えていた。


「アラン、我々はけんかをするためにパリに来たわけではない。あくまで治安維持だ」
と、一騒動を起こした後、彼は最後にオスカルにひとこと釘を刺される。


「怒りっぽいのはパリ気質なもんでね。仕方ないですぜ、隊長」
反骨精神むき出しのアランには反省の色すらない。



そしてパリではベルナールがオスカルを見かけると親しげに駆け寄ってきて、先日のアベイ牢獄事件を興奮気味に持ち出した。


「オスカル・フランソワ。俺は君の策には感動した。実は最初聞いた時、心の中ではどうなることかと心配していたんだ」
彼はオスカルの先を読む能力を絶賛した。


一方、彼女は話の内容が内容なのでひとまず馬を下り、連れていた兵士からベルナールを遠ざけた。


「私こそベルナールに一刻も早く礼を言わねばと思っていたのだ。本当にありがとう、君がすぐに動いてくれたおかげだ」


「いや、俺は言う通りにしただけだ。あれほどみんなを熱狂させ、一人の犠牲者も出さないとは奇蹟だよ。どうして君は議員になって弁論の場で戦ってくれなかったのだろうと考えてしまったよ」
ベルナールはとにかく嬉しそうにオスカルを誉め讃えた。


「だが、相変わらずパリの市民は三万の軍隊ににらまれて神経がまいっている。もし何かひとつでもきっかけがあったら、人々は恐怖のあまり反撃に出る可能性がある。そうなれば貴族の君もただでは済まないかもしれないな。こんな事を言うのは失礼だが、軍を辞めて地方にでも身を隠したほうがいいんじゃないか。いや地方もどうなるかわからないな、そうだ、外国ならまだ安心かも」
続けて彼は小声で言った。


「わかっている、このままで済むとは思っていない。だが、私はその時を見極めるつもりなのだ」
オスカルはすでに覚悟を決めていた。


「そうか。じゃあ、それなら一つ言っておきたいことがある。…その時が来たら我々の側に付いてくれないか。君のように有能で人の上に立つことができる人物が民衆側には必要だ」
ベルナールの口調はすでにあちら側とこちら側に敵対しており、対決の覚悟をしているようだった。


「私がどうするかは私が決めることだ」
オスカルはそう言い残すときびすを返し、待たせてある兵士の元へと戻っていった。




**********




七月二日、パレ・ロワイアルに集まった一群はルイ十六世の退位とオルレアン公の即位を提案し、パリの選挙人たちも軍隊の即時撤退を訴えた。


かねてよりオルレアン公は居城を一般に開放して民衆の支持を得ようとしたり、王室の権力を弱めるために反体制の危険分子を囲い込んでいた。

彼は民衆を保護する姿勢を見せ、このまま自然に自分の所に王権が転がり込んでくることを期待していたのである。

しかし、これまでの放蕩ぶりが知れ渡っている彼のことである、民衆は今ひとつ彼を国王に押すことに盛り上がりを見せなかった。



オスカルはその日の夜になって医者の元を訪れた。慢性的に疲労がたまっているのは自覚しているが、それだけではない不調も感じていた。

医者のラッソンは王室とも縁が深く、古くからジャルジェ家も彼を頼りにしている。


「お体に力が入らないのではないですか、それに風邪が長引いている。一刻も早く休養なさって下さい」
彼はオスカルの顔色を見、そして脈を取っただけでその具合の悪さを言い当てた。


「私は病に伏せっている場合ではないのです、先生。良くなるのであれば方法を教えて下さい」
オスカルの問いかけにラッソンは深くため息をついた。


代々医者である彼の家系は、昔からジャルジェ家の人々を診てきた。

古い記録によると、先々代の当主の子供が同じような症状で、早くに亡くなったという。それ故にラッソンはジャルジェ将軍をはじめ、特に注意して一族の健康を見守ってきたのだという。


「とにかく今のままではいけません。もしこのまま私の言うことを無視なされば…とうてい長くありますまい」
ラッソンは言いにくそうに説明した。


「ありがとうございました、先生」
オスカルはさほど顔色も変えず立ち上がった。


「お父上には私から申しておきましょうか」


「いえ、お気遣いだけで結構です」


「では、さっそく地方の別荘で療養を…」


「先生、残念ながら私は任務を離れることはできません。それに明日にでもいきなり悪くなる病ではないのなら、かえって私は安心致しました」
オスカルはそう言い残して去っていった。





彼女は日に日に緊迫していく事態を見守ることに神経を集中させていた。

特にパリにいると、民衆の動きは日を追うごとに落ち着きがなくなり、今にも暴動が起きそうな緊迫感があった。


だが、それをパリ市民は恐れているようには見えなかった。

むしろ混乱を待ちかまえ、破壊と再構築を望むかのように目を光らせていたのだ。

そんな中、オスカルには自分の命が危険にさらされているということが、いまひとつ現実として感じられなかったのである。




2006/10/16/




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